腰痛で起きてられないので。2017年05月29日 23時08分17秒

★いろいろあって、また腰痛悪化して

 先週末、父を朝、デイサービスに送り出すとき、抱きかかえるようにして大男を引っ張ったのがいけなかったのか、そのときちょっとギクッとした。
 それからこの休みは、父は預けて不在でのんびりできたはずだけど、探し物で納戸と化した部屋にもぐって不安定な足場のところをあちこち埃まみれで動き回っていたら、腰痛が悪化しはじめ、今は痛くてまっすぐ背筋伸ばして立って歩くこともできない。
 まさにへっぴり腰で、前かがみになってごくごく近所を簡単に犬の散歩すませてこれを記している。
 このままこれが悪化すると、父の介護以前に息子が寝たきりとなってしまう。そんなで、ともかく少しでも横になって、腰の痛みを和らげつつ寝るしかない。
 いろいろ書き足すべきことなど多々あれど、そんなで起きていられず申し訳ない。

護憲と反戦・平和のための「共謀」コンサートは、8月11日に2017年05月28日 08時46分01秒

★日程が出ました。これで確定としたいと思います。

 先に、ちょっと告知した『共謀コンサート』の日程が出ましたのでお知らせします。
 国立市谷保の「かけこみ亭」にて、8月11日(祝)、午後3時頃から開始の予定。コンサートのタイトルは、『護憲と反戦・平和のための「共謀」コンサート』(仮)で、出演者も現段階では未定です。

 先日、かけこみ亭に出向いて、現場担当者とコンサートの企画を「謀議」して、今年の終戦記念日の前にやれたらということで、店のスケジュールと照らし合わせて、この日に決まりました。
 本来は、まず出演者を決めアポとってそのご都合に合わせて開催日を決めるのですが、今回はまずコンサートの目的があり、先に日程を決めてしまいました。

 ですので、この日、このコンセプトのライブに参加できる方は、お申し出くだされば、今なら出演、参加可能です。うたなどの音楽以外のパフォーマンスも歓迎いたします。
 できるだけ多くの参加者を募り、安倍自公居維新暴走政権に抗議の声を上げられたらと私マスダは考えています。我々と「共謀」されたい方は、ぜひご連絡ください。

 開始時間及び出演者、参加費など詳しいことは決まり次第また告知発表いたします。ぜひ多くの方々のご参加お待ちしております。

これからのこと など。2017年05月26日 14時21分50秒

★8月までの予定を、少し。

 昨日から本降りの雨が続いている。肌寒い。今、外気温は20度もない。
 つい先日まで、夏本番の暑さが続き、それに慣れた身体は、この寒さに戸惑うばかりだ。父の布団も冬物はしまい、夏掛けのに替えてしまったので風邪ひかなければ良いのだが。何が困るといってこういう急な寒暖の差であろう。

 その父は、今日はデイケアに行って今不在。ただデイケアだと朝8時半前に送り出し、夕方早く午後3時過ぎには帰ってきてしまう。
 向うから出迎え時に必ず電話があり、家族として家にいないとならないので、週に二回、デイケアに通っているといっても、その日は長い外出もままならない。実質6時間では都心には出られない。

 共謀罪関連の集会で、このところ久しぶりに日比谷野音や国会正門前に出向いたことは書いた。
 ようやくまた以前のように、こうした集まりに出向くため都心に出ることも少しづつできるようになってきたわけだ。しかし、その「以前」が、母が元気で生きていた頃だとすれば、また前のように、自由気軽に、出歩くことはやはり今はできやしない。

 先の日比谷も国会前も、夕方に父がデイケアから戻って来て、彼によ~く留守番を言い聞かせて、晩に食べるものを用意して我は家を出た。集会が終わったら大慌てで戻って来たのだが、それでも都心から戻ると夜は9時過ぎとなる。
 父が火をつかうと危ないので、例えば柔らかい麺類など作って皿に盛り、咽ないようトロミ付けて用意して息子がいなくてもしっかり食べるように言いつけて出るのだが、我が戻って確認すると、ほとんど食べていない。やはり傍らについて指導しないと自らは食べないし、食べるのも下手でむせて苦しく食欲もなくなるのかもしれない。
 出かけて遅くなるから先に寝てろと言いたいが、それは今の父自らでは不可能だ。夜は寝かせるまで、着替えさせて入れ歯外して磨かせてメイクベッドして布団に押し込むまで一時間要する。やはり息子が付ききりで世話しない限り、92歳の父は、家で一人では食事も排泄も寝ることも難しい。もし一人に任せると明日の朝、布団は糞尿まみれとなっている可能性が高い。我の手間がまたさらに増す。
 
 そんなわけで、二回、父に留守番を頼んで、夕方から都心に出てみたものの、集会に参加していても家のことが気になって気が休まらないし、とんぼ返りで帰宅する羽目となる。
 やはり、我が出かけられるのは、父をお泊りでデイサービスに預けた時でないと無理だと改めて痛感した。となると、今の契約では、土日だけであり、夜も出かけられるのは、月曜までの土日月の二泊三日で宿泊をお任せできる月に二回だけということになる。

 先日、ケアマネージャーが来たので、そのへんのことを相談して、今後は、日帰りで通うデイケアは終わりにして、平日のどこかで、一泊二日で預かってもらえるデイサービス施設を探してもらうことにした。さすれば、我ももう少し自由に夜も外出できるようになろう。
 このところ、拙ブログでお知らせしたように、ようやくまた先の予定が出始めて来た。そのためにもネックは父の処遇、在宅での介護であり、全面的に特養に入れられないならば、いかにどこかショートで施設で預かってもらう回数を増やすしかないのだ。

 で、今後の予定だが、今月もけっきょく何だかよくわからないままに、慌ただしく終わってしまう。来月6月に入ると、まず鈴木翁二さんのワンナイトライブを仕切らねばならないし、まだ日程は出ていないが、8月までの間に、また反戦・労働歌コンサートの延長で、『護憲と反戦平和のための「共謀」コンサート(仮)』を開催したいと思っている。
 まあ、何も期日が先にあるわけではないが、今年の終戦記念日までには、やれたらと夢想している。場所は、たぶんかけこみ亭で、プロのミュージシャンにも参加呼びかけていくつもりだけれど、これまでの反戦歌コンサートの参加者中心にまず第一回目はやれるかと思っている。

 その他、我が深く関わってきた故林美雄TBSアナウンサーのファンクラブ、「ハヤシヨシオ的メモリアルクラブ」の集いも今夏は8月25日頃に、吉祥寺界隈の某所で催す計画が出ている。
 それはご存知の方はおわかりの、パックインミュージックの頃から恒例の「サマークリスマス」であり、このところ我が諸事情からずっと放擲してしまったクラブ活動もここらで何とかしていかねばと思い至ったからだ。クラブ会員総意で「解散」するのならそれもまた良しなのだが、いちばんいけないのは、ほったらかしにしてしまうことであり、何とかしなければと昨年からずっと心痛めて来ていた。

 そんなこんなで、これからこの夏はあれこれ予定が出始めてきて忙しくなりそうだ。しかし、そうなると今抱えている、早く片づけなくてはならない「けんあんのこと」がまたさらに後回しになってしまう。
 もうそちらもいいかげんに何とかしないとならない。これからますます時間が無くなる。かといってどれも中途半端に、ほったらかしにしたり投げ出すわけにはいかない。
 我が人生も先が見えてきているのだ。関わってきたこと、関わることにはその責任がある。責任を果たさねばならない。

 と、ここまで書いてたら携帯が鳴り、父が帰ってきてしまった。
 親ひとり子一人で、手のかかる世話の焼ける父と暮らしつつ、どう生活以外の、成すべきことをやっていくか。参院に場を移しての「共謀罪」廃案に向けての闘いの行動もできるだけ参加していきたい。
 限られた時間の中で、何とかどれも成功させ少しでも成果が上げられるよう頑張るしかない。鬱々している暇はない。

鈴木翁二、2016年ワンナイトライブの詳細2017年05月24日 22時51分00秒

★6月2日金曜の夜7時半より、西荻のみ亭にて

 先にお知らせした、漫画家、画家としても活動している鈴木翁二さんの一夜限りの特別ライブの詳細が確定したのでお知らせします。

 ・日時:2016年6月2日(金) 午後7時半頃開始予定

 ・場所:西荻窪「のみ亭」 
  〒167-0054 東京都杉並区松庵3-37-20
  西荻窪駅南口下車 徒歩2分ほど
               電話 03-3332-6708

 ・参加費 ¥1,500 ※各自ワンドリンクはご注文お願いします。
  ツマミ、食べ物など持ち込みもかまいません。当日は、飲み物類しか提供できませんので。

 ・参加予約・問い合わせ等は、マスダ090-8175-8479 または、のみ亭まで。

 余談だが、彼とのことを少し。
 僕が、高校に行かなくなった16か17歳の頃、家でごろごろしていたとき、当時愛読していた月刊漫画雑誌『ガロ』で、いちばん好きだった漫画家、鈴木翁二にファンレターを書いて、青林堂へ送った。
 そしたら、それを、南伸坊が、当人に転送してくれたらしく、我家に直接当人から電話がかかってきた。どうやらそのとき、〆切に追われていて、猫の手も借りたかったらしい。
 そして、調布だったと思うが、彼のアパートに行って、ベタ塗りとか電話応対の手伝いをした。アルバイト代は?と訊かれて、いりませんと答えたら、代わりに彼は高校生だった僕を、吉祥寺の焼き鳥のいせやや、ぐゎらん堂などあちこち飲みに連れて行ってくれた。彼と出会わなければ今の自分は存在しない。
 というわけで、鈴木翁二は、マンガの師匠というより酒の師匠で、原稿を編集者に手渡した後、中央線沿線を彼に連れられどこまでも夜通し歩いたことを今も思い出す。話題の文学賞とった又吉直樹の小説『花火』の漫才の師匠と主人公の関係に、昔の僕たちの姿がオーバーラップする。

 あれから実に40有余年が過ぎて、若かった僕も師匠もそれぞれ年老いた。彼は今、漫画家は休業して、北海道浦河で、画家、イラストレイターとして地道に活動を続けている。
 そしてこうして何年かごと、ふらっと上京してきては、マスダ君、ライブやりたいんだけど・・・と突然の電話がかかってくる。
 去年も実はいろいろ彼から頼まれごとをしていたのだけど、母の看病に追われて師匠の要請に応えられなかった。今年こそ、不肖の弟子は師の恩に報いねばと誓う。

 ああ、あと何回、彼のうたが聴けるのか。あと何度翁二さんと昔のように夜を過ごせるのか。過ぎた昔が懐かしいと思う以前に、彼の存在すべてがともかく懐かしい。我が知る限り、宮沢賢治にもっとも近しい資質のマルチ芸術家は、彼であり、その弟子筋の者として誇りに思っている。
 誰の心にも淋しい少年の心が宿っている。が、それを若い時から変わらずに持ち続けているアーチストは鈴木翁二しかいない。
 彼の「音楽」にふれあう貴重かつ稀有な一夜、どうかこの機会を逃さないでほしいと願う。

答えは闘いの中にある~諦めも失望もしてはならない。2017年05月23日 22時42分09秒

★祖父母の代からずっと常に負け続けて来た者として

 今日の夕刻時、国会では衆院本会議で、「共謀罪」こと、テロ等準備罪を新設する組織犯罪処罰法改正案の採決が行われ、自公+政権の別動隊日本維新の会の賛成で可決、稀代の悪法は衆院通過となった。
 これから参院へ送られて今国会中に成立するものと予想されている。
 じっさいのところ数の力だけでは、与党プラス維新の前に、どう抵抗しようとも成立阻止はできやしない。そもそもこの法案が提出された段階で、いや、先の衆院選で自公に圧倒的多数の議席をまた再度与えてしまった時点で、こうなることは誰もが予想できた。
 残念だが、国会が開かれないような、よほどの天変地異的事態が生じない限り、秘密保護法しかり、戦争法しかり、この「共謀罪」もまた彼ら安倍暴走強権政権の手で成立してしまうだろう。
 我らはなす術もない、のか。国会前でどれだけ多くの市民が集まり抗議の声を上げようとも彼らにはどこ吹く風で、まさに粛々と悪法は次々と通っていく。そしてその行き着く先は、「憲法改正」、中でも九条改定であろうか。
 
 どれほど怒り声を上げ憤り、結果として敗北に打ちのめされることの繰り返し。まさに、「ケサラ」の歌詞の如く、
 こらえきれない怒り、抑えきれない哀しみ、そんなことの繰り返しであり、泣きはらした夜、迎える朝の眩しさ、涙が渇くときはないけれど、なのである。

 が、未来永劫、こんなめちゃくちゃな最凶最悪政権が続くはずもない。我はちっとも失望も諦めもしていない。かつての日本のように、治安維持法で支えられた国家権力は、無謀な戦争に突き進んだ挙句、日本全国焦土と化して、その体制は終焉を迎えたように、悪は破滅をもたらし、多くの犠牲も伴うが、必ず終わりのときがくる。
 むろん国民はひどい目にあう。しかしそれもまたそんな政治を選び許したツケなのである。それは年金制度や介護保険と同様、国民等しく支払わねばならない。安倍政権を支持しない者までも理不尽で不公平だと思うが仕方ない。そう我もまた、その覚悟もできている。
 
 こんなことを書くと、反対運動、抗議活動に水を差す、とご批判を受けるだろう。しかし、我は思う。結果はとうぜん何より大事だが、勝ち負けだけ見れば、国家権力の前に、民衆が勝てたためしはないのである。
 ただいつの時代も国家の強権の前に抗い、反対の旗を振り続けて来た先人がいたわけで、結果は負けであっても、その運動、闘いは無意味ではないのだ。

 我が母方は、栃木県の旧谷中村の出である。、谷中村とは、上流の足尾銅山の鉱毒が流れくるため渡良瀬川に貯水池をつくる国策として強制廃村させられ消えてしまった村であり、日本最初の公害闘争として、その指導者田中正造の名と共に今も歴史に名を残している。
 谷中村の農民は、ときの明治政府に対して、近隣の村人たちと共に、何度も集団で上京しては抗議をし政府の無法を訴え続けた。当時のマスメディアも大きく取り上げはした。

 が、抗議活動、抵抗運動は官憲の横暴の前に弾圧され、多くが逮捕され投獄され、我の祖父母たちの家もけっきょく立ち退かされ仕方なく故郷を後にした。移転費用などは雀の涙であったと訊く。昨年死んだ我が母は、彼らが東京に出てきて都内北区で生まれたのである。
 母の母、我の祖母は、子供のときに、その谷中村を出、県内別の地区に移り住んだ。が、子供の時分は、小学校ではさんざんその地元の子たちに「谷中の這い上がり」とバカにされ、苛められたと言っていた。
 こうした図式は、今も原発事故で福島から自主避難してきた児童に対して移住先の子どもたちが、同様に差別する図式に繋がる。人間というのは、百年たとうとも被害者に同情するのではなく、逆に差別したり侮蔑するのである。沖縄の人たちに対してもまた。

 そして、母の弟や妹たちも、安保改定の闘争、1960年当時は、学生で、母のすぐ下の弟は、あのとき樺美智子さんのすぐそばにいた、と話していた。そのときもまた国会前に詰めかけた国民大群衆の願いはかなわず、安保は強行的に改定されてしまい、以後、今日の対米従属の礎として盤石不動の日米関係に至るのである。
 反政府大衆運動は、そう考えると、常に明治以来負けっぱなしだと見えてくる。
 しかし、では、田中正造たちがやったことが全く無意味であったとは誰も思わないし、負けはしたけれど公害闘争、反政府活動、民衆抵抗運動の先人として、不朽の名を残している。そしてそこから我々は今も多くのことを学ぶはずだ。

 確かに、短期的には勝ち負けははっきりしている。民衆側が勝てたためしがない。彼らは金も力もメディアも持っている。だが、それではこれからも権力者側の支配が永遠に続くかと言えば、そんなことは絶対にありえない。近しい過去を見ても、明治以来の富国強兵、大衆運動弾圧の強権国家の行く末が、人類初の原爆投下の悲惨な敗戦であったように、無理を通せば道理が引っ込んだ挙句、その無理が破綻するときが必ず来るのである。

 だから、祖父母の代からずっと常に負け続けた者として思うのは、負けはする、勝てはしない、が、それは一時的なものでしかないし、大事なことは目先の勝ち負けではない、ということだ。
 祖母は、死ぬまで、面識あった田中正造のことを田中のおじやんと呼び慕っていたが、正造が今も義人と呼ばれるのは、義のあることをしたからだ。義とは、道理であり、人として当たり前のことをしたにすぎない。彼はそのために国会議員の職も投げだし、最後は無一文となり乞食のような姿で不遇のままに死んた。
 が、今も義人田中正造は、我々の中に生きている。いや、闘う者たちにとって闘争の原点として北極星のように不動の光を放っている。
 
 繰り返す。大事なことは、結果だけではない。人は必ず死ぬが、問われるのは結末、その死に方ではない。どう、いかに生きたかだろう。ならば、勝ち負けという結果ではなく、どう闘ったかである。
 そう、すべての答えは、闘いの中にある。そしてまだその闘いは終わっていない。これからも続いていく。諦めも失望することもない。
 闘いはこれからなのだ。

鈴木翁二原画展と6/2日、突然ライブのお知らせ2017年05月22日 23時34分36秒

★師匠である翁二さんからまたまた急な連絡があったので宣伝告知します。↓

 鈴木翁二の新刊「かたわれワルツ」而立書房の原画展が開かれます。お寄りいただけましたら、また、方面のお友達にお勧めいただけましたら幸いです。

・5月25日から6月7日 荻窪の書店「本屋title」にて
6月1日夜にはイベントで鼎談あり
http//www.title-books.com
著者は6月2日にも会場にいる予定です。

・「かたわれワルツ」評
 東京新聞・どの作品も、浮き草のような人生と人間たちの寂しく壊れやすい関わりが描かれる。その中で、匂いたつようなリリシズムと懐かしさが響き合い、そこはかとないユーモアや幻想の味つけも施される。時を忘れてよみふけった。
北海道新聞・それぞれの物語には何のつながりもなく、作品によって画風も変えている。収録順も、発表順に従ってはいない。それでもこの1冊を読み通すと、何か途方もなく長い物語を読み終えたような感慨を覚える。
 
 また毎日新聞でも取り上げられる予定です。

 ↑上記は、マスダに届いたメールを転載したものだが、拡散希望だそうで、どーぞご自由に勝手に、転送転載かまいません、とのことです。

 なお、これに合わせて、西荻の「のみ亭」でも突発的に、彼のうたとギターでのライブが開かれることが決定した。というよりマスダが決めさせた。マス坊も手伝わねばならない。んで、2日の金曜夜に開催予定だが、会場も狭く予約したほうが入場確実です。彼のうたの世界も、彼の描く絵の世界同様に、素晴らしく深く心に染み入ります。

 開始時間など詳細は、また拙ブログで告知しますが、予約は、マスダ、もしくはのみ亭まで連絡ください。

護憲と反戦・平和のための「共謀」コンサート、参加者、協力者募集!2017年05月21日 10時47分51秒

★また新たにコンサートを企画していきます。

 つまるところ、数は力なのである。公安や警察がどれほど取り締まりを強めようと、そしてカンタンに逮捕できる権限が与えられようと、取り締まられる側の数が多くなれば、まさに手に余り彼らはどうすることもできなくなる。
 憲法改正を求め望む人も当然いよう。しかし、現時点ではそれを希む人より、望まない人、望んでいるとしても早急に大慌てで「改正」を求めぬ人が国民の大部分なのである。
 ならばどのような妄動、弾圧があろうとも一人でも多くの同じ思いを持つ仲間たちが結集して、声を上げていけば良いだけの話だ。
 国会前や日比谷野音などでの集会に出向くことも大事だと思う。が、それよりもまず身近な場所で、自らの意思を他者に、それもまだ関心なく、状況を把握していない人たちに呼びかけていくしかない。
 むろん、無関心層はいつでもどこにでもいるし、反応は帰ってこないどころか、冷笑や批判、辛辣な皮肉さえ投げつけられるだろう。それも当然のことだ。
 だけれども人には思想信条があり、内心の自由は保障されなくてはならない。それを口に出し、書き記し、外に向けて表現する自由も憲法に保障されている。
 自民党の憲法草案には、積極的に世界のどこへでも出て戦争ができる国にすることの他に、有事の事態においては、そうした国民の自由、基本的人権すらも束縛されることが記されている。
 最終的に、国民合意で、憲法が改定され、そういう事態ににれば我もそれに従いその新憲法を尊重するが、現時点では現行憲法擁護のために、我が人生の残りを尽くす気持ちでいる。

 我には我が子も子孫もない。だからこそ、我が身のためではなく、次世代のため、これから生まれ育つ人たちのためにも平和と不戦の誓いを伝え残していく。
 で、何ができるかこのところ考え続けた。こうした集会に参加することも大事だと思う。しかし、そこを出て、プラカードを丸めてバックにしまうのでは運動も闘いも広がっていかない。
 その思い、意思があるならば、それは閉ざされた空間の中で、同じ思いの者たちだけで共有するのではなく、もっと外へ、アウェーのところでも、その思いや考えを示し呼びかけ広げていかねばならない。
 我がそのためにできることは、やはり歌、コンサートの企画だと思えた。ならば、またそれを企画して一人でも多くの人たちに、うたを通して呼びかけていく。

 ご関心ある方、ご協力、出演ご参加される方、ぜひとも連絡ください。
 この夏までにはまず第一回やれたらと思う。たとえ参加者が少なくとも一つ一つ成果を出していく。いまならまだできることがたくさんある。

監視で国民萎縮の「共謀罪」を憂う・42017年05月20日 07時08分43秒

★カエルを、気づかれずにうまく茹で上げて殺すには

 昨晩は、いろいろあってあれこれ考えてよく眠れなかった。
 我が身の「これからのこと」も当然心配するが、それ以上に、我を取り巻くこの社会、世界全体がこれからどうなるのか不安でならない。その「漠然とした」ぼんやりとした不安に押し潰されそうになる。

 また「大逆事件」のような権力が反体制活動家と目した人々を弾圧し冤罪で多数抹殺した最恐最凶最悪の事件が起きるかもしれない。
 ナチスドイツもだが、権力者は、常に彼らにとって邪魔者、それも政権を揺るがしかねない「内なる敵」を弾圧し抹消することに余念がない。それはいつの時代も内外変わりない。安倍政権の閣僚がいみじくもかつて口にしたように「ナチスの手口を見習って」、まずそのための法整備からはじめ、本来必要のない、彼らにとって都合のよい、国民にとって悪法を国会でほとんど議論させず次々と強行採決のあげく、成立施行していく。その先に来るのは、国家権力による国民総監視社会である。
 ときの政権に都合の悪い大事件が起きても報じられないし、マスコミも政権の顔色を伺い報じない。つまらぬタレントの浮気や離婚のゴシップは繰り返し報じても国家国民に関わってくることこそ国民には知らされない。
 だから沖縄で何が今起きているか、MXテレビのような悪意に満ちた、偏向報道はされても、真に沖縄県民の気持ちに寄り添った正確な報道は内地に届かない。
 同様に、マスコミも皇族女子の「海の王子」とのご結婚に盛り上がり、もっともっと肝心大切なこと、国家と国民の未来に直截大きく関わって来る新たな法律「共謀罪」新設についてその是非をほとんどとりあげない。ゆえに国民の多くは何も知らないし、いったいその法律がどんな内容なのか、わからないしできたらこの先どうなるのか想像すらできない。

 シュールな喩えだが、カエルの上手な茹で上げ方という例え話がある。
 カエルを茹でるのには、いきなり熱く煮立った鍋に入れてはダメだ。カエルはその熱さに驚き、ぴょんと跳ねて鍋から飛び出し逃げてしまう。
 だから、まず水からカエルを鍋に入れて、少しづつ火を強め熱くしていけば良い。そうすればカエルたちは逃げ出すことなく、いつしか煮られてしまい上手に茹であげることができる。さすがにこのところ鍋の湯の温度が急激に上がってきて中のカエルたちも少しだけ、おや、ちょっとおかしいぞと感じてきてはいるが、このまま茹で上げられるのは変わりない。
 このカエルが何を指しているか、説明不要であろう。我は最近、そこに、その鍋が載せてあるカマドにくべる薪をせっせと運んでいるカエルたちがいることに気がついた。そのカエルたちは、次は自分たちもその鍋に入れられることがわかっていない。鍋の中身に気づいていないから、薪を運ぶのに加担しているのである。哀れではないか。

 昨日、強行採決に際して「「ピント外れの質疑ばっかり繰り返し、足を引っ張ることが目的の質疑はこれ以上必要ない。直ちに採決に入って頂きたい」と促した日本維新の会の議員は、野党でありながら権力側の意向に従い国民を売り渡したユダとして後世に記憶されことだろう。

 何回かに分けて、「共謀罪」について思うところを書いて来た。が、当ブログの読者ランキングも下がり気味になっているし、このブログをお読みの方すらも関心外のことのようで、書き記しておきたいことは山ほどあるが、いったん筆をおくことにする。
 まだこの稀代の悪法、成立はしていない。これからも我は声を上げていく。行ける時は集会へ、国会前にも出向く。たった一人でも。
 声が上げられるうちに。我も監視尾行され逮捕されないうちに。

監視で国民萎縮の「共謀罪」を憂う・32017年05月19日 16時04分17秒

★「共謀罪」衆院委で採決を強行 自公維が賛成、可決

 これから国会前に行ってきます。戻ったら書き足します。

  と、書いて、5時ごろ家を出て久々に国会前に行ってきた。ギターを抱えて。
 で、家に帰って今感じていることをあえて書く。

★運動は、もっと広く大きく緩やかに、誰でも「連帯」と「共感」の意思をもたねばと。

 行けたことは良かったし、行ったことで得たことも少なくなったが、正直、今日は失望した。これではダメだなあ、共謀罪が通っても仕方ないとさえ思った。
 参加者も主催者発表9千人とのことだったが、かつて戦争法成立間際の熱気を知る者には、もの淋しい人出であったし、何よりも全体的熱気があまり感じられなかった。

 しかし、それはこうした集会や抗議活動に参加する人たちも連日の行動で疲れてきていることもあろうし、そもそも総体としての活動に参加する人たちの数が一頃より減ってきているので沈滞化も仕方ないと思う。
 ただスピーチに臨んだ野党の国会議員たちの熱い訴えに比べて、大衆のほうが醒めているというか、反応がやや鈍い気がして、度重なる敗北に諦めムードが漂っている感じがした。
 先日の日比谷野音のほうが、箱ものでの集会ということもあったせいか、一体感は強く登壇者も多様で、その人たちの顔もよく見れたこともあり、参加者全員、連帯感、闘う意思は共有できたと我は思えた。
 が、今日は・・・
 国会前の野外、それも車道沿いの並木道でという、スピーカーの声だけしか聞こえず、車道を挟んで細長い歩道に分断された集会は、いかに参加者の一体感を保てるかにつきるわけだが、今回は意外な事態に我は戸惑った。

 あえて書く。どういう団体なのか確認していないが、主催団体がプログラムに沿って今日の集会を開始し進行させている最中も、一切それを無視して、国会正面に向かって右側の中ほどで、ある一群の人たちが、鳴り物入りで、自分たちのマイクの音量をかなり大きくして、独自に「抗議集会」を催していた。
 ドラムを打ち鳴らすは、トランペットなど楽器なども吹いて、ともかく騒がしい。そのメンツを見る限り、先の戦争法成立阻止運動のときにも参加していたリズム隊を中心にした若い世代だとわかる。シールズ風のシュプレヒコールもやっている。
 しかし、それが主催者の進めるプログラムの最中なのである。とうぜん、彼らのやってる音声が流れてくるので、スピーカーからの主催者側の登壇者たちの発言がよく聞こえなくなる。
 かつての何十万人も集まって、あの広い車道を占拠した頃なら、そうした独自にその仲間内での「活動」もかまわないし奨励されよう。何しろ、あまりに人が多すぎて騒がしく、集会を束ねる大元のスピーカーからの音声は何も聞こえなかったのだからあの頃は。
 しかし、今日は違う。その数十分の一程度しか参加者はなく、皆、スピーカーから流れる発言に耳をすませている、のにだ。それに与せず自分たちだけ独自の「集会」をその一角でずっと続けているのである。
 ウルサイから、やめろ、主催者側のプログラムが終わってからやれ、と行って彼らに抗議しようかとも考えたが、共謀罪反対とか沖縄連帯という同じ思いをもって参加している人たちなのだ。ここから出ていけとは言えない。
 しかし、これは明らかな分断行為であろう。その集会に参加しているのなら、鳴り物で騒ぐのも主催者側の進行に沿って共にすべきだと我は思う。それを一切無視して独自に集会をやるのならば、同じ国会正門前の車道で同時にやるべきではないと考える。
 最初は右翼団体か何かの嫌がらせかと思った。しかし、聞こえてくる彼らの発言や呼びかけは当然のことを言っているようで、ならば何故、この集会主催側の進行を一切無視して彼らだけの集会をやっているのか理解に苦しむ。我の周囲の人たちも皆、顔をしかめたり首をひねっていた。
 
 このところ我は昨年春頃から、家庭の事情で忙しくて時間なく身動き取れず、ここ国会前での19日行動にはずっと参加していなかった。来たくても来れなかった。彼らがいつからこうして独自の集会をやっているのかそれは知らない。もしかしたら戦争法成立以後も毎月ずっと19日にはあの熱いスタンスで「集会」を続けていたのかもしれない。それは素晴らしいことだ。
 しかし、今日の19日は、衆院法務委員会で、自公に加えて維新も同調して強行採決した日の集会であり、多くの人たちが抗議に集まった。主催者側とはまったく別個の集会を同時にやり続けるのは理解に苦しむ。
 多くの参加者は彼らの音声がうるさくて主催者側が招いた人たちの呼びかけや発言が聞き取れなかったばかりでなく気が削がれ、集中できなかったはずだ。
 かといって、彼らを追い出したり締め出せば良いとは我は言わないしそうは考えない。どんな運動でも多様な価値観とセンスを持つ万人に開かれたものでないと大きなうねりとなっていかない。シールズがなくなった今、若い世代のロック感覚ある、センスある抗議活動は貴重だと思う。
 しかし、結果として集会自体を分断し、その意思を共有、共感しないのであらば、逆に、共謀罪への抗議活動、廃止を求める運動に水をさすことになるのではないか。

 今日、我は、久々に国会前に行けて良かった。改めてまたいろんなことを考えさせられた。しかし、これではダメだと今日ほど強く感じたことはなかった。
 つまるところ「運動」とは参加者の数なのである。そこに来て、同じ思いを持つ者たちと出会い確認して、刺激を受けて思いを新たに、新たな決意と気概を持つことができないのならば集まる意味がない。
 自公ではないが、まさに数は力なのだ。こちら側の数を増やさねばならない。

 共謀罪も参院に審議が移りいよいよ正念場である。今も多くの国民はこの稀代の悪法のほんとうの恐ろしさを知らない。金田法相の言うように、法律が成立してから、細かい所は詰めていけば良いという次元のしろものではない。
 国家権力、警察、公安にこれ以上の力を与えてしまえば、戦前のオイコラ警察のように、庶民は警官の顔色をうかがって、すぐに逮捕されないようびくびく怯えて暮らさねばならない。
 いきおいこうした反政府集会も参加できなくなる。犯罪容疑者として、まず監視されときに盗聴までされるからだ。
 そんな時代が近く来る。ならばこそ、我々は連帯し思いを共有し、手を結び合い助け合って権力の横暴に抵抗するしかないではないか。
 
 運動は、もっと広く大きく緩やかに、誰でも参加しやすいよう「連帯」と「共感」の意思をもたねばと、帰り道考えさせられた5月19日であった。

監視で国民萎縮の「共謀罪」を憂う・22017年05月18日 22時14分23秒

安倍晋三家系図
★「国民主権」がこれ以上奪われぬためにも

 華麗なる一族、という小説があった。アメリカでは、セレブリティ、日本では略してセレブと呼ぶ有名人、つまるところ人気芸能人、有名スポーツ選手や富裕層たちを指し彼らの動向やゴシップがマスコミの好事のネタとなって常に一般大衆の関心をひいている。
 日本でも女性週刊誌がとりあげるスター、人気芸能人、皇族なども「セレブ」にあたるのだろうが、真のセレブは、マスコミには登場しないしマスコミもあえてとり上げない。だから大衆はその存在を知らない。
 
 閨閥(けいばつ)、という言葉がある。ご存知か。米国でいう「エスタブリッシュメント」に近いが、日本の場合はもっと強固で深く根深い。一言でいえば、血縁や婚姻で繋がり結びついた一族、その層を指している。
 彼ら「華麗なる一族」は深く結び付き、この国を、表と裏から支配し続けている。
 表の顔は政治家、省庁のトップ官僚であり、裏の顔は大企業のトップである。俗に政財官と言う言葉通り、彼らは一体化し、閨閥という血脈縁故で結びつき、彼らの権益と地位、つまるところ権力を未来永劫維持すべく日夜腐心しているのである。
 
 政治家は国家国民のために働いていると思うだろうが、その前に彼らも人の子、まずは身内親族、そしておトモダチのことを優先して考える。そしてその恵まれた立場がこれからも維持され続くようあらゆる手をうっていく。
 テロ防止に名を借りた「共謀罪」とはそのためにまずある。彼ら支配者層の今在る地位と権益をさらに不動とするべく、足元を揺らす要因はすべて根こそぎ国民から奪っておきたいと願う。権力維持のためには、反体制活動は、「安倍政権を許さない!」と意思表示さえも許さないのである。
 政府の政策に反して「原発反対」という声を上げたり、どこそこに同志たち皆で集まることすらはばかれるような時代にすれば、彼らも不安なく枕高くして惰眠を貪ることができよう。そのためには取り締まる法律を新たにつくって、それがあることにより体制に不満を持ったとしても、逮捕されるかも、と国民を萎縮させていけば良い。

 『閨閥』というタイトルの本も、そうした人脈について記した本もたくさん出ている。我も古本屋として探せばどこかにあるかと思うのだが、今すぐにはみつからない。
 今回載せた血縁図はネットのあるサイトから勝手にコピーしたものたが、そのサイトの意思内容に全面的に同意する者ではないが、日本は、こうした人たちによって明治の新政府以来、管理支配、運営されていることに気づかされる。
 http://www.kyudan.com/index.htm

 政財官、さらには皇室までどこかで見たお名前がずらっと登場する。まさに華麗なる一族であろう。議員の地位は世襲され代々子孫に手渡せられる。この国は彼らによって支配されているのである。