これからのこと④2024年02月21日 11時54分42秒

★残りの人生、もう一度文学と音楽に向き合っていく

 昨年のことは、先にくどくど、あれこれ書き記したが、ともかくそんな多事多難のトラブル最中12月9日に、主催・企画したコンサートを無事為し終えたことだけは僥倖だったと今思える。
 半年ぐらい前から企画立てて、旧知の気心知れた音楽仲間に声かけて、コンサート自体は、彼らの熱演・熱唱もあって盛況、成功したと思いたい。

 が、我自身の出来というべきか、それはもうサンタンたるもので、今も深く悔いている。今の気持ちとしては、もう人前でギター弾いて唄うことは、終わりにすべきだとさえも。
 むろん、腕が動かず練習もできず、足はケガしてろくに歩けず、頭は記憶が続かず、パソコンは不具合を起こそうとも、時間はあったわけだし、それこそもう何年もやってきたのだから、本番では何とかなるかと思って臨んだ。
 しかし、コードは押さえられないどころか多々間違えるし、歌詞は出てこないし今更ながら我は何一つできやしないのだと思い知った。
 まあ、収穫があるとしたらば、今現在の我の実力、状況を人前で曝け出せ自ら確認できたことだろうか。

 では、もう音楽のこと、ライブ企画やうたの活動などは終わりにするとして、今後一切、音楽とはかかわりを絶って終わりにするのではなく、逆にもっと音楽についてきちんと勉強したいと思っている。
 と同時に、文学についても同様に、「本」に関わることだけでなく、書くこと、書き記していくことをさらに深めたいと考えている。もちろん読むことも。
 つまり、ブンガクとオンガク、このブログのタイトルとも大いに関わることを、今更ながらもっと究めて我がものとしたいと願う。

 今放送しているNHKの朝ドラは、笠置シヅ子と服部良一をモデルにしたもので、我も観られるときは常に見て、多々思うところもあるがそれはさておく。
 嗤われるだろうが、我の中には、偉大な服部良一の百分の一、いや、千分の一にも満たないが、ごく小さな服部良一がいる。
 そいつは、あのドラマ中の羽鳥先生の如く、ジャズソングが大好きで、頭の中には常にそうしたリズムとメロディーが流れていて、機会あらばそれを世に披露したいと願っている。
 羽鳥先生と違うのは、我はピアノも弾けず、譜面も書けず、その歌が出来たとしてもそれを巧みに唄ってくれるシンガーがいないということだ。
 で、仕方なく拙いギター爪弾き、コードを探して曲を完成させて、仕方なく自ら唄う羽目となる。
 が、我自身のつくるうたは、難しすぎて自分でも弾きながらきちんと歌えたためしがない。情けないがそれは事実だ。※私淑した京都の詩人・有馬敲さんの詩に我が曲をつけたものも、結局、師の前で失敗せずにきちんと歌えないままに昨年逝去されてしまった。悔恨の思いしかない。
 プロのシンガーからも、よくそんなにコードを使うね、と皮肉言われるし、自分でも未だかつて自らのつくったうたで思う通り満足できたライブは一度もないのではどうしようもない。
 先のコンサートを経て、そうした我の現状をこのままにしてはならぬということだ。

 と同時に、自分はこれまで長年コンサートを企画し催してきたわけだが、プロデュースする側として、自らは何一つできないのに、歌い手の方々にあれこれ注文つけたり、指示してきたことは、まさに僭越しごく、傲慢であったと今回気づかされた。
 まず、隗より始めよ、ではないが、音楽として、これこれこうしてほしいと他者に望み求めるのならば、まずは、そういう自らが範を示すべきであろう。
 それがきちんとできるようになってからこそのコンサートの企画である。

 今の自分は、(音楽について)何もわからない、何もできないという現実に向き合い、これから少しでもわかるよう、できるように努めていく。楽器ももっと他にもできるようになりたい。うたもギターも練習あるのみだ。
 そして音楽、うたをほんとうに自分のものにしたいと心より願う。
【この稿続く・乞うご意見ご批判】

これからのこと③2024年02月19日 22時29分45秒

尿閉塞と急性腎不全で入院してた猫・グリコ二世
★キリギリスは、アリになれないのだから、ならば・・・

 寓話の中では、けっきょく冬が来た時、夏中遊びほうけていたキリギリスは、蟻に助けを求めたものの拒絶され死んでしまうのであったか。
 その結末についてよく思い出せないが、蟻が哀れに思い助けてくれたとは記憶していないから、けっきょく最期は描かれずとも死んでしまったということなのであろう。
 で、キリギリスであるところの我はどうするか、だ。

 老後という「冬」が来たとき、収入も蓄えもなく、まさに寓話の如くなし崩し的に死ぬということも大いに考えられる。
 今は、労働力が不足している社会だから、70近い我でも、選り好みしなければ、単純な肉体労働ならば仕事もあるだろう。
 しかし、それって、こんな歳になって若い時のツケを老体に鞭打って払うのならば、ほんとうにバカとしか言いようがない。ならば、もっと早くカタギに戻るべきだし、まさに若い時に気づき悔い改めるべきであった。
 もし我に、これまでの生き方、生きてきたことに少しでも悔いがないとしたら、キリギリスはキリギリスのまま一日でも長く、キリギリスとして自ら生きて行ける道を探るべきではないか。蟻に物乞いするのではなく。
 いや、悔いはいくらでもある。が、そういう風にしか生きられなかったのだ。まさに亀は甲羅に似せた穴を掘るように、我は我に合った人生、生き方をただずっと無意識にしてきたのだ。それはこの先も変えられない。
 で、どうするか、どうすべきか。どうやって生活費を得ていくか。

 幸い我は、全くの浮浪者ではなく、収入はなくとも住む家はある。生きて行くために必要な家財など、モノも有り余るほどある。衣服も含めて足りないものはほとんどない。
 必要な日用品、消耗品は100円ショップで、たまに本や雑誌をAmazonでポチるぐらいだ。
 ただ、この社会で生きて行くには、光熱費などのインフラにかかる費用や、諸々の税金、保険料などがそれよりはるかに多くかかる。
 加えて、自らの食費などはたかが知れてるが、そこに共に暮らしているたくさんの猫と犬たちの食費、医療費なども含め生活費が人間のよりはるかに高くかかる。
 親たちの遺してくれた家の預金もまだ少しは残ってるが、どこからも入るアテはないのだから、早晩それも尽きていく。さて、どうする? どこからどうやって金を得る。

 自らの病気、病的障害を思えば、生活保護など受給することも考えたが、こんな大きな家に住み、犬猫を飼っていたら無理も無理なのはあきらかで、ともかく自らで少しでも稼ぐ手を編み出さねばならぬ。
 つまるところ、古本稼業の再開もだが、まずは今、ウチにあるモノ、ほんとうにたくさんの親たちの代から捨てられず残してきた物すべてを、ヤフオクやメルカリなどで売れるかはともかく出品して、小銭を稼ぐことを模索するしかないかと考える。
 ウチには、来られた方はご存じだろうが古書籍だけでなく、レコード、ギター、オーディオ機器などが、誇張ではなく「山ほど」いっぱいある。レコードだけでも数千枚はあろう。それらを順次、断捨離もかねて売りさばいて行けば、我の死まで家の片づけも進むのではないか。

 じっさい、求人広告なども目にしてみた。が、安い時給で一日8時間以上、移動時間も含めて拘束されるより、ネットオークションの類は自らは家にいられるので、自分のこともできる。
 けっきょく、タコが自らの足を食うような生き方、いや、死に方しかできないのか、と嗤われるかもしれないが、売れるモノはなんでも売って少しでも金にしていくしかない。
 そしてさらに嘲笑われることを承知で書けば、我がいちばん売りたいのは、実はそうしたモノではなく、我の才なのである。ネットで、我の拙い才でも売れはしないだろうか。
 ネットを駆使して金を稼ぐことである。
【この稿続く】

これからのこと②2024年02月17日 09時40分08秒

★残りの人生、どう生きて行くか

 今の気分は、ポケットには小銭が少し---どこにも行けないのなら、この場所でどうしたらいいのだろうか--だ。

 実はまた私ごと、些末なことだが、先週末から拙宅の猫が一匹、体調を崩し、月曜に動物病院に連れて行ったら、即入院となった。幸い治療は効しこの週末には退院できそうとのことで、今やっと心落ち着いてパソコンに向き合えるようになった。
 父が、死の前に、コロナ感染して入院していた時もだが、たとえ動物であろうとも、家族の一員が入院してしまうと、やはり気持ちは落ちつかず不安に囚われウツウツとしてしまう。
 これが我の弱さというか、病的なところで、病院に預けたのだから、こちらはできることは何もないわけで、医者に任せ安心して気持ち切り替え自らのこと、家のことに向き合えばいいのに、それができない。
 父が救急車で家から搬送されて病室で逝くまでの約二か月、我は情けないことに家のこと、自分の事は何一つできなかった。いや、手につかなかった。
 まあ、今回の猫は、間もなく無事に帰ってくると信じたいが、それでも心の底には澱のように不安がまだ潜んでいる。
 
 さておき、本題である。
 映画や本のタイトルにもあるように『君たちはどう生きるか』ということは、年齢を問わず誰にとってもきちんと向き合うべき課題であろう。
 十代には十代の、老齢世代にはその世代の「どう生きるか、どう生きていくべきか」という問いは常に問われているはずだ。
 ただ、未来というべきか、先行きの時間がまだたくさんある若者にとっては、まさにこの先の人生、どう生きていくか、何を為すべきか、であるが、我の歳にもなると、どう死んでいくか、に替わってくる。
 つまり、死までの残りの人生を、まさに、どう生きて行くか、であり、我の場合はそこに経済的問題も大きく絡んでくる。つまり、まずどうやって生きて行くか、なのだ。

 人として、60代も後半ともなれば、世間一般としては、老後とか余生といった言葉が不随してくる。
 つまり、これまで続けてきた仕事や勤めは終わり、残りの人生を貯めた金や年金受給で暮らしていくことを意味している。
 我と違い、まっとうな勤め人の方や、きちんとお仕事に就いて常時働いてきた方は、たぶん皆さん老後の生活資金については、多少の不安があろうともまあ何とか困窮することはないだろう。
 しかし、我は、これまで真っ当に勤めたことはほとんどなく、フリーターという言葉など無い頃から、金に困れば多くのバイトはしたものの、きちんとした定職にほとんど就くことなく、仮に就職できたとしても長続きせず、また会社自体も我を雇うようなヤクザな会社だから潰れたりと、ほぼ無年金のままこの歳になったのである。

 では、そのことに悔いはないか、と自問してみれば、ある意味、何も考えずにただそうして好き勝手に、したいことをして行きたいところに行き、心のままに自由に生きてきたのだから、結果としてそれもこれも良くも悪くも仕方ない。
 つまり寓話『アリとキリギリス』のように、自由気ままに楽しいことだけ追い求めたものの、ついに冬が来てしまい蓄えがなく困窮しているのである。高田渡のうたで言えば、まさに『生活の柄』なのである。そう、冬が来れば、浮浪者のままではいられない、のだ。
 ただ、もし人生を若い時からやり直せるとしたら、間違いなく我はまた性懲りもなくキリギリスの生き方を選ぶだろう。
 元より、生き方に良い生き方とか正しいということは決められないし決まってるわけではないはずだ。※むろん犯罪に手を染めることは論外として。

 我は、蟻的な生き方、つまりコツコツと真面目に常に働き続けて冬が来た時、つまり老後にきちんと蓄えを備えておく、という生き方を否定するわけではないし、逆にキリギリス的な自由・享楽的な生き方が正しいとか、そこにも価値があるなんて思いもしない。
 つまるところ、我にはこんな風にしか生きられなかったわけで、昔、月刊漫画雑誌ガロで読んだ、増村ひろしの描く猫マンガの中で、いみじくもその中の一人の猫が呟いていたように「ビートルズを聴いたとき、自分は、9時から5時までの人生は送らない誓った」ということに尽きる。

 前回、冬が来てしまい、キリギリスである我は、さて困った。これからどうしよう。どうしていこうか、と書いた。
 が、今思うのは、果たしてキリギリスは今さら(この歳で)蟻のように生きられるのか、だ。
 そもそもそれはまさに変節ではないか。生き方として。いや、そもそも無理無理無理なのである。

これからへのこと①2024年02月09日 19時59分22秒

★さて、これから

 去年一年のことと、年明けのパソコンの修理の件まで、だらだらと何回も書いた。
 書いてても、自分でも情けなく呆れかつ恥じ入るばかりだが、これが現実、現状なのだからしょうがない。これでも控えめに書いた。※このまま何も「情報」がないまま、我の死の報だけが喧伝されても仕方ないでしょう!? いや、単にすべては雲散霧消してこんなバカがいたことも忘れ去られるだけのことか。

 もう本当に全てやりなおそう、何事もきちんとしていこうと誓いつつも、日々、失態・失敗をしでかしては、その都度、自らに「オレはいったいどこまでバカなのか!!!」と叱責の怒鳴り声をあげている。
 治れない、治せないとしてもこれでいいはずはないし、肯定など絶対できない。何より困り苦しんでいるのはこの自分自身なわけで、それが周囲にも及んでいるのだ。
 こんなでは生きてる価値などないとさえ考えるが、それでもここまで生かされてきた命であるし、きっとそこに何か意味やまだ役割のようなものがあると信じたい。

 が、このままの状態のままだと、何より身動きとれないし、何一つ新たなことはできない。
 ゴミ屋敷の中で、ゴミに埋もれて猫たちの世話に振り回されて、やがてはまた家の中で大ケガ、あるいは失火など起こすか、乱れた食生活でじょじょに身体を壊して緩慢な自死に至るだけだ。
 あるいは、そうならずとも、近づく関東圏の大地震で、本の重みで家が倒壊し、いや、崩れた本の下敷きとなって災害死することも大いに考えられる。
 いずれにせよ、今後の生活の糧をどうやって稼ぐかも含めて、現実を見る限りお先は真っ暗である。
 長年続けてきた古本販売のネットでの稼業に本腰入れれば、少しは収入も入るのだけど、実のところ、昨年晩秋に、二件の販売トラブルが続いて、今はまだ再開できる状況ではない。
 注文のあった購入者に、問題ないと判断してこちらは在庫の中古書籍を発送した。そしたら、送った本の状態について激しいクレームが届いて、全額返金となってしまった。※全く別々の二件とも同様のクレームだった。
 また販売再開しても同様の事態が起こりそうで、正直怖くてどうしたものか躊躇している。もうこの稼業も潮時なのかとも考えている。

 かといって、この歳で、仕事がみつかったとして外に働きに出るには正直しんどいし、何より動物たちも多数抱えているため、毎日、日課として朝から夕方まででも仕事に行くのは難しい気がしている。
 親たちの遺してくれた預金も枯渇してきたし、その貯金を取り崩してきた生活もいよいよ待ったなしのところに来ている。

 アリとキリギリスの寓話だとすれば、まさにキリギリスである我は、この冬の寒さで、ついに死に絶えるのであろうか。今のままだとそのときは目前だが。
《この稿続きます》

これまでのこと、これからへの思い⑧2024年02月06日 10時44分19秒

庭の棟物たちの眠る墓にも積もる雪
★まとめ・追記2

 雪は、北国の人にしたら大雪どころか鼻先で笑われるほどの降りではあったが、湿った重たい雪が、関東・多摩地区でも本格的にそれなりに積もった。
 いまは、また冷たい雨が降っていて道や屋根に積もった雪を溶け流している。
 春の雪である。間もなく溶けて、何日も凍りつき残ることはないだろう。

 我が人生、最低、最悪だった去年、2023年についてだらだら書き続けている。誰かに読んでもらいたく、伝えるためにではない。
 記憶が続かない自分のために、備忘録として書き記している。
 おそらくまたさらに酷い大変なことが起きて辛い年も来るだろうが、大事なことはその都度、誰のためでもなく書き遺すことだと信ずる。

 増えすぎてしまった猫たちを巡るトラブルや、ご近所との諍い、無言電話などの嫌がらせ等についてはこれまでも書いた。
 また、その面倒な事態から当ブログも閉鎖、休止せざるを得なくなったわけで、そうした事案もツライことではあった。何より、書く場を失ってしまったことが。
 しかし、最も大変だったのは、我が身体のことで、そのことを書いて、「これまでのこと」を書き終わらせたい。

 それがいつから起こったのか、いま確認できないが、確か夏前のこと、ある朝突然、右腕が動かなくなった。
 激しい痛みと痺れ感で腕を上げることもできない。
 思ったのは、脳梗塞か何か起きたと思い、ついにそのときが来たか、と驚いた。
 が、冷静に身体をあちこち確認してみると、動かないのは、右の腕だけで、頭痛などはしないし、右足も含めて下半身もまったく異常はない。痺れも痛みもなく、痛くて動かないのは右手だけだとわかった。
 幸い、我は、生来は左利きで、むろん右利き社会では、文字を書いたりギター弾くのは、右利きでやっているが、左手でも箸とかは使えて食事などはさほど不便はない。
 しかし、右手が動かない、使えないのはやはり困った。
 結局、脳梗塞などの疑いは持ちつつも様子見て、医者にも行かないうちに、右腕はしだいに動くようにはなってきた。しかし、強い凝りのような痛みは消えずに、今もまだ残っている。
 今思うと、五十肩、いや、六十肩のようなものなのだろうか。思い当たる原因はなくもない。
 増えすぎた猫たちの餌にやるために、近くのスーパーにほぼ毎朝出向いては、凍ったマグロの血合いのアラのパックを買ってくる。
 それを、台所用のハサミで、細かく切って、安いドライフードに混ぜて腹をすかせた猫たちに与えている。
 それがほぼ日課であり、そのハサミによる右腕の筋肉の酷使が原因のようにも思える。
 本来は左利きなのだから、左手でその作業をやればいいのだが、ハサミというものは、右利き用にできているようで、左手でやるとどうにも捗らない。仕方なく右手を酷使し続けた。
 で、筋肉痛、筋肉疲労が悪化して、ある朝突然動かなくなったと今思える。

 医者に通うことも当然考えた。ただ、経験上我は待たされて、じっと診察まで座って待つことはできない性質であるのと、けっきょく湿布薬と、電気パットを当てるぐらいしか治療はないと思えたので、自力で何とかしようと、近くの銭湯に週一で通い、そこの電気風呂のマッサージを利用して何とかじょじょに回復させていった。
 ただ、何より困ったのは、日常生活もだが、パソコンのキーボード操作とギターが弾けないことで、特にギターは、コンサートの日程を、ずいぶん早くに12月に決めたものの、その一か月前まで練習どころかギターを手にすることまでいかなかった。
 そして、さらにそこに、我が愚かさ故に失態が起こる。

 11月の後半、先に書いたように、ゴミ屋敷と化した室内の、とっちらかった台所で、モノが積み重なったところを歩き、流しに行こうとしたら、何か刃物のようなものを裸足で踏んだ。
 思わず痛みに大声上げた。最初はガラスのコップなどが割れて、その割れた断面を踏んだと思った。
 が、踏んだのは、フードプロセッサーの螺旋状の刃だとわかった。
 右足の裏、土踏まずの上あたりに、ぐっさり深く刺さって、抜くのもかなり力が必要だった。
 そのプロセッサーなるものは、野菜などをみじん切りにしたりするミキサーのようものらしく、フリマか、リサイクルショップで未使用?の中古品を手に入れたと思うが、まだ使ったこともなかった。
 箱に入ったまま、台所の棚にほったらかしにしてあったのを、バカ猫が落として、中身が散乱していたのだ。
 実は、箱が落とされたことは気が付いていた。が、相変わらず我はそのままに、毎度のほったらかしにしてしてあったのだ。
 そして気づかぬままその鋭利な螺旋状刃物を体重かけて踏んづけたのだ。

 去年は晩秋になっても温かい汗ばむような陽気が長く続き、とうぜん我は、室内では常に素足のままだった。
 それで、そのまま落ちていた螺旋状の刃を踏んだのだ。
 何とか抜いたら、自分でも驚くほどの血が噴き出した。
 痛みより以前に、その血を止めないとならない。が、足の裏である。病院に行くにしてもまずその出血を抑えてからだ。
 幸い手近にあったキッチン用ハンドペーパーで、その傷口を抑えて、その足をつかないようにして二階に上がり、トイレ前のシンクで、足を上げて足の裏に水道の水を流して傷口を洗い流した。しかし血は止まらない。
 よくケガしたときは、傷口を心臓より上に上げないと血は止まらないと言われる。が、足の裏なのだ。どうしたらいい?

 けっきょく、ペーパーをを何枚重ねにして、血が出たままの傷口を押さえつけベッドに行き、横になって足を上げることにした。むろんガムテープで、ペーパーで抑えた傷口はグルグル巻きにした。
 しかし血がかなり出たものの、痛みはほとんどない。足を上げたまま少しだけうつらうつらしただろうか。巻いていたペーパーを交換したら血は止まり始めていた。
 医師に診てもらうことも考えたが、ズキズキした強い痛みもなく、足の裏だから、縫合もできないと考えて様子見ることにした。
 むろん腫れてきたり化膿して痛みが強くなったら医者に行くつもりだった。
 ただ、じっと傷口をかばって横になってはいられない。犬の散歩や、猫たちの餌を買いに外に出ないとならない。
 我が父は、我より大きな大男だったから、父の靴は、我の足より当然大きい。その父の遺したサイズの大きな靴と靴下を履いて、傷口は厚紙を巻いて、右足をかばいつつ、傷口で踏まぬよう踵で歩くようにして、最短の距離で買い物と散歩などの用を済ませて、数日様子見ていた。
 当初は、コンサートのときも歩くことは難しいだろうと思えたが、幸い化膿することもなく、ほぼ一週間程度で、傷の痛みも消えて日常生活は、10日ほどで戻ることができた。
 その刃物自体は新品で雑菌などなかったのと、切れのいい細い刃だったから、深くても傷口もすぐにくっついたのだと思える。
 ただもっと太い血管とか切れてしまっていたら失血死していたかもしれないわけで、相変わらず運が良いというか、毎度のことながら神のご加護があったというとかない。
 今も階段には、そのとき我が流した血があちこち垂れたまま残っている。見る都度、自らの愚かさ、だらしなさを噛みしめ、ほんとうの大事に至らなかったことの僥倖を思う。

 そんなこんなで、右手の不具合と足裏のケガ、さらには記憶断絶などで、久しぶりの我が企画するコンサートは、当日までの時間は多々あったのに、ほとんど練習も準備も満足にできぬまま、本番を迎えた。
 ※今回は、Amazonでの古本稼業も11月末から休止して、コンサートのみに向き合ったつもりだったが・・・そこにパソコンの不具合まで加わった。
 結果は、何とかなるかと思ったものの、コンサート自体は成功だとしてもやはり自らの出来については、これまでで一番情けないものとなり、苦い悔いの思いだけで終わった。

 そして今思う。これまでの人生で最も多事多難で、ケガやトラブル、病気も含めていろいろあった年だったが、ともかくまだ生きて我はここに在る。
 先のことを思うと経済的な事から、一人でやっていくことはあれこれ次々不安にもなるが、まだもう少し人生は残っている、続くだろうと信じて、その残りの人生を丁寧に大事にしていこうと思う。
 もう本当に、自分のようなバカで愚かな、どうしようもない人間は、とうに死んでもおかしくなのいのである。
 それでもまだ性懲りもなく生きているのは、まさに生かされているわけで、その意味を深く考え、有難さを噛みしめて、その恩に応えていかねばならない。
 死ぬまでにまだやるべきことが我にはある。嘲笑うものは笑え。もう何にも屈しない。

これまでのこと、これからへの思い⑦2024年02月05日 18時37分31秒

★まとめ追記
 
 ちょっとまたいろいろゴタゴタしていて、体調ももう一つで、無理せず時間ある時は横になって身体を休めていた。前回で終わりにするつもりが書き足せなかった。申し訳ない。

 外は、久しぶりの本格的な雪が降っている。積もるとは思うが、かなり湿気ある雪だから、溶けるのもまた早いと予想している。
 ただ、明日の朝は、凍ってかなり歩くのも運転するのも大変だと思う。今、室温も低いが、ウチはいまコタツやストーブなど暖房類は一切なく、猫たちの部屋には、エアコンが入って温かいが、ニンゲンはひたすら着込んで、いまパソコンに向かってる。足が冷たい。ともかく夜は早めに寝るしかない。

 自らの脳のおかしさについては、あれこれ書いてきた。それは生来のものだし、それこそが自分が自分であること、我らしさなのだから、治らない、矯すことのできないものならば、そのことを認識して何とかうまく生きて行くしかない。
 しかし、それとどう関係あるのかないのかわからないが、昨年あたりから我の記憶はやたら衰えてしまい、いま一番の悩みは、記憶が続かないことなのである。
 あれこれやるべきことや必要な買い物などもあり、常に慌ただしく多動状態の我だが、何か必要なものを取りに出入りすると、必ずその目的を忘れて室内に戻ってはまた取りに外に出たり行ったり来たりしている。
 鳥は、数歩あるくととすぐに忘れてしまうときくが、まさにそんな感じで、いったい今自分は何をしてるのか、何しに庭先に出たのかすぐさま忘れてしまう。
 家に入って、いま、必要なものを取りに外に出たことを思い出しまた外に出てやり直す。
 よく昔から、オバサン、お婆さんともなると、物忘れがひどくなってきて、「あら~やだ、アタシ、今何をしようとしたのかしら」と騒ぐ様子が揶揄されていたが、まさにそんな状態で、自分でも今なにをしようとしていたのかすぐに思い出せない。

 我は昔から常に迂闊な、考えなしの人間だから、基本はバカだけど、つい最近までそんなことはなかった。これは父の介護で、一昨年の夏、父からのコロナ感染後のことであり、ブレインフォグというのだろうか、関係あるのかもしれないが、ともかく記憶が続かない。
 それとも70歳近くとなってきて、呆けてきたり、早期のアルツハイマーのようなものなのかもしれないが、何が困るといって自らの記憶中断である。
 むろん自分が誰であるかとか、昔のことはきちんとはっきり覚えている。ただ、喫緊の、今そこまでの記憶が続かないから、何度でも何度でも探し物だけでなく行動も繰り返すことになる。
 近くのホームセンターに行っても、買い物して戻ったのはいいが、肝心の目的のものを買い忘れてまた出向くことになる。いったい何を買うために行ったのか、その記憶がそこに行くと消えてしまっている。
 そして日々そうした無為な繰り返しで疲れ果ていく。

 で、仕方なく、小さいメモ帳を持ち歩いて、週の予定だけでなく朝から今日の日程、やるべきこと、買うものなど思いつくまま常に書き記していくようにした。
 が、例によって、その手帳自体をどこかに紛失してしまうこともままあって、今使ってるやつの前のも室内のどこかで失くしてしまい、みつからないのはこれで三冊目である。仕方なくまた新たのにしたら先日つい前のそれが出てきた。
 しかし、その前の二冊はまだ不明で、外に持ち歩いて落とすとは思いたくないから、家の中のどこかにあると考えたいが、未だみつからない。それには歌に仕上げようとして書き付けた詞など記してあるので、見つからないと本当に困る。どうしてこうなのか。

 けっきょく、財布や通帳などでもどこかに置くと、どこに置いたかまず絶対思い出せず、探し回り、またまたみつからなくなるから、我はいま、ケイタイも手帳も財布もほぼ一切合切を、小さな手提げバックにいれて常に持ち歩くようにしている。寝るときも枕元に置いて。

 晩年の永井荷風も、常にそうして全財産を持ち歩いていたと伝えられるが、彼の気持ちもわからなくない。
 まあ、そんな彼もその鞄自体を紛失してしまい、幸い善き人が通帳から大金の入ってた鞄を届けてくれたから損害がなかったということが新聞記事にもなったらしいが。
 我もまたどこかにその大事なバック自体を置き忘れぬよう、大いに気をつけねば。

 ともかくもうこれ以上、何も失なわない、奪われない、すべてをできるだけきんちと管理していこうと日々誓い直している。何であれ、これ以上又探し回って大騒ぎ繰り返したくない。その思いだけは忘れはしない。
 もう一回だけ続きます。

これまでのこと、これからへの思い⑥2024年02月01日 20時19分47秒

★この稿、とりあえず終わります。

 元旦の能登半島大地震から慌ただしかった1月も終わり2月に入った。
 今も続く、被災された方々の先の見えない避難所暮らしと生業や家屋再建の道筋、さらには、生き残ったものの家族を失った人たちの悲嘆や苦しみの報道を見ては言葉にできない思いが続く。
 よりによって正月の家族皆が帰省して勢揃いした幸せの最中のこの激甚災害、何故こんな悲惨かつ不幸な出来事が起こるのか、ずっと神に問い続けている。
 と、同時に、こんな私的な、どうでもいい自分のことばかり書き続けている自らに、情けなく嫌悪の気持ちが湧いてくる。
 が、ともかくこれまでのことをきちんと書き記しておくことから始めないと
「これから」へ気持ちも行動も移れない。ご理解頂けないことは承知で、書き終えることにしていく。

これまでのこと、これからへの思い⑤2024年01月31日 13時24分38秒

★何があろうと起ころうと、ともかく生き続けていく

 この大変な世相、状況の最中に自分のことばかり書いていて申し訳なく思う。が、このビョーキの性質上、一つ一つきちんと書き終えていかないことには次に進めないのでご理解頂きたい。
《前回の続き》
 自分でも不思議に思うのだが、超だらしない人間のくせに我は様々な事に奇妙なこだわりがあって、それも大いに関係して片づけ、掃除が進まないのだと気がついた。

 ゴミなどもウチの市では、再生する紙類、可燃物、新聞類、プラ類、缶リサイクル類などとやたらこまかく分別が求められ、それぞれ専用の回収袋に入れて、それぞれ別の回収日に出さねばならないのだが、我はそれに非常に細かくこだわってしまう。
 プラスチックなど小さいものは、可燃ごみ袋に入れて出しても実のところ問題はないのだが、それができない。我はいちいちごく小さいカケラでも細かく分別してそれぞれの袋に仕分けしてゴミ出ししている。当然ものすごく時間がかかる。

 また、靴下なとでも、洗濯した後、干して取り込むと片方づつになってしまうことは誰もがよくあると思うが、我は、そうなると全く同じ相方同志の靴下に合わないと履くことができない。
 だらしないから洗濯しても靴下は、すぐに同じ柄が合わない、みつからない。友人の女史に聞いたら、家の中で履くのだから、色が違ってたってかまわないし、外に履いて出たとしても誰も気にしないし、気がつかない、と豪語していたが、我には絶対できない。
 靴下の柄など、色は同じでも丈も含めて微妙に違っているものだから、我は、全く同じものだと確認、確信できないと履けないのである。
 そんなだから、基本的には、履ける靴下がなかなかみつからず、夏場は履かないし、冬になっても同じ柄のがみつからないと、さすがに寒さに耐えかねてまた新たに買い足していく。
 これでは、万事モノは片づかないどころか常に増えていくのも当然のことだった。

 自分ではそれが当たり前だと思い、これまでずっと生きてきたが、先にあげたNewton別冊の発達障害の本を読んで、それもまたこのビョーキというか、障害の特性だと載ってあって、はたと気がついた。
 溜まった古新聞もだが、どうせ古紙回収に出すのだから、右から左に袋に詰めていけば時間かからないのである。
 ところが、我は、溜まってしまった古新聞はそれぞれ月ごとにまず全てきちんと分別し終えないことにはゴミに出せない。
 考えてみれば、何であれ、ゴミとして処分するのだから、そんな細かいこだわりは不要無用のはずなのにだ。
 このこだわりは、今気づくと全くおかしい。柄が合わないからといって、寒い中、裸足でいる方があきらかにおかしい。
 けっきょく、何につけ我は、自らのつくった勝手なおかしなこだわり、ルールによって、自縄自縛となり、何か作業や企画を行うにしろ、まず一つ一つ、手順を踏んで、まずそれを終わらせないと次のことに移れないのである。

 と、同時に、また逆に、一つ気になることや、とある思い付きに囚われると、もう我慢できず待つことが出来ず、イベントなど何も深く考えずにすぐにそれに突っ走ってしまう。そして当然、まず必ず失敗し後悔することになる。
 家の作業などでは、そうして次々とあれこれ移り気となるから腰据えて落ち着いてやるべきことが進まない。気がつくと次々から次へ、我はうろちょろして席が温まる暇がない。何事も長続きすることがない。
 アタマがおかしいのである。しかし、それが脳の不具合からくる性格であり、自分なのだから仕方がない。これは直らないし治せない。
 苦労はしたが、それでもともかくこの歳まで生きてきたし、生きてこれた。そしてこれからも生き続けないとならないのである。

これまでのこと、これからへの思い④2024年01月30日 11時31分15秒

★自分はいったい、どこまでバカなのか!!!

 《前回の続き》我は、子供の頃からともかく何でもすぐに忘れ物や失くしものが多く、落とした(と思われる)物を探しに、何度警察署や鉄道の遺失物係に出向いたり電話したかわからない。
 最近は、極力、持ち歩く荷物類は一つのバックの中に必ず全部収めて常にその数を確認するようにしているから、昔のような大騒動は起こさなくなってきたが、それでも財布が、ケイタイが見つからないことなど日常茶飯事である。
 ただ、今でもモノがすぐになくなるのは変わりなく、外に持ち歩かないとしても、今、そこで使ってたものが、目を離すとすぐになくなり見つからなくなるのだ。

 かつてのこと、ウチに来て、掃除を手伝ってくれた友人が、ペンでもハサミでもこの家に膨大にある!!とその数の多さに呆れつつ驚いていたが、それは使おうとするとみつからないが故、常にまた買い足しているからで、それでも今もすぐに出てこないことがままある。けっきょくまた買いに行く。あるいはAmazonでポチる。本当に消滅してしまうわけではないからモノはさらにまた増え続ける。
 ともかく今そこに在ったものが、使おうとするとなくなってしまい探しても見つからないのである。
※信じられないだろうが、ガソリンスタンドで、自ら給油したあと、クルマの給油口の蓋がみつからなくなったことすらある。
 今もまだ、大事な手帳とか通帳とか、家の中で紛失して見つからないものが多々ある。

 むろんバカ猫がいじって落としたりしてどこかに失くすことも多々ある。が、それ以上に、モノを失くす、みつからなくなるのは昔からなのである。ただ、以前は同居する親たちがいたから、探し物は、じぶんの私物だけに限られていた。
 今では、我は一人身になっため、そうした状態がこの家全体、家計にまで及んでいる。掃除が進まない、片づかないのもそこに大いに関係もしている。

 アタマがおかしいのかと自分でも思う。発狂したかとも考えた。人間だからずいぶん悩みもした。が、今では、ようやくわかってきた。
 これは、もって生まれた「発達障害」特有の症状、いや、性格というか気質であり、近年のメディアでの報道などで知られるようになり大人になってようやく判明したのだ。これは治りはしないビョーキなのだ。
 しかし、原因、いや、その要因、理由がわかれば、多少の対応策も立てられる。
 探し物、失くしもの人生だとしてもともかくまだ生きて行かねばならぬ。もうこれ以上、何も失いたくはないが・・・

これまでのこと、これからへの思い③2024年01月26日 12時11分10秒

★ほんとうのバカになってしまったが

 《前回の続き》しかし、いくら猫の世話に時間とられ忙しいとしたとしても、我は今は、常時家にずっといるのだ。
 仕事に通うわけでもないし、昔のようにライブ鑑賞であちこち出向くことももう今はしない。家で、古本稼業にたまの注文が入れば、梱包・発送作業がある程度で、基本時間はいくらでもあるし、すべて自分の自由に使える。
 だが、片づけは遅々として進まない。むろん片づけは少しづつでも進めている。本を読んだり音楽を聴いたり、ギター弾いたり、自分の趣味の時間などまったくなくして、ともかく家の内外の掃除、片づけをコマ鼠のようにうろちょろやっている。
 が、かたづけは進まないどころか、ゴミ屋敷化は日々増していくように思える。
 ウチに来られた方はご存じだろうが、我家はともかくモノがたくさん元々あって、父母健在の頃から、何でもモッタイナイと捨てない性分の家系だったから、広い家があってもモノでスペースは埋め尽くされていた。
 またそこに我は、古本稼業ゆえに、常時多量の本や雑誌が入ってくる。それをきちんと分別して、右から左に捌いて、売れ残りの本は棚下ろしし、処分していけば増えてもたまることはないはずだが、そのための時間がない。
 たまった本は場所もないので、ともかくあちこち平積みにして積み上げてあるのだが、それを猫たちが崩し、雪崩のように二階から階下へ階段から落ちてきたりもする。むろん階段すら本が積み上げてある。
 昔の四文字熟語に『汗牛充棟』という言葉がある。語源は、いまちょっと思い出せないが、書物がものすごくいっぱいあるときの喩えの表現で、その本の束を荷車で運ぶのに、引く牛が汗をかくほどの多さで、積み上げると棟木、つまり天井まで届くほどいっぱいの量の書物の山なのである。いま、まさにウチはそうなってしまった。牛はいないけど。

 我は、ネットで古本を売る稼業を始めて、気がつけば早や20年は経ったかと思う。
 その間、数千冊の本を売ったとは思うが、もちろん売れ残りの在庫や未だ出品できない本もその何倍もある。
 先にも書いたが、どこかできちんと今在る本の全てを棚卸して、一冊づつ値を検索して、まず間違いなく売れない本、売れるとしても値がつかない本は即処分するしかなかった。
 が、母の病や父の介護などもあって、ともかく慌ただしいまま時が過ぎて、まさに本は溜まるに溜まって、汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)状態となってしまったのである。
 いや、それよりもギリシャ神話の中の、ヘラクレスの牛小屋の掃除のほうが的確かもしれない。いくら掃除したとしてもキリがないのだ。
 そうして積み上げた本の山を何度でも猫たちが乗っては崩すのである。高く売れそうな価値ある大正期の本などもそうして崩され落ちてバラバラになったことか。
 また我自身も崩れた本の上を仕方なく踏みながら歩くしかないこともままあるのだ。古本屋としてあるまじきだが、まさに足の踏み場がない。
 ともかく歩く場所からつくらないと、と、一冊づつ検索する前にともかく積み上げる。すると少しすると猫が崩して、本は落ちて散乱し、また我は積み上げる。また猫がそれを崩して落とす。
 賽の河原の石積みは、苦労して積み上げた石を鬼が崩すのだが、ウチは小鬼のようなバカ猫たちが積み上げては来て崩すのである。
 
 しかし、それは現実の現象に過ぎない。問題はもっと深刻で、我自身の体調も去年はおかしくなってしまった。
 何よりも問題は、頭がバカになってしまい記憶が続かず、何もかもわからなく出来なくなってしまったのだ。