慌てない、焦らない、急がない。2017年08月17日 23時56分50秒

★そして諦めない。

 先に報告したように、父の血圧が200近くあり、下だけで息子の最高値を軽く上回るほどの「高血圧」状態が続いて、当人も頭痛がすると言い張ってるので、今週はショートステイは休みにして家にいる。投薬は朝一回一粒、血圧を下げるのを飲ませるだけだ。

 当然、眠っているとき以外は、ともかくせがらしい多動性の人だから、些細なことでも騒ぎ立て、○○がない、みつからない、○○はどうした?、どうなっている、猫がいない、大変だ、心配だと煩くてたまらない。
 気温も低いはずなのに、汗びっしょりかいて顔は真っ赤で何故かコーフンしている。
 何度説明しても記憶が続かないから同じことを繰り返し騒ぎ立てる。またキレそうになるのを我は堪えて、目は離せないもののできるだけ相手にしないようにしている。でないとストレスが溜まり我の血圧も上がってしまう。じっさい、高血圧が移ったのか、今日は一日頭が鈍く痛かった。
 明日は訪看さんが来る日なので、今後のことを相談しようと考えている。

 さて、このところ「時間」についてようやく少しだけ使い方というか接し方がみえてきた。そのことを記したい。

 我はそうした父の「不安神経症」的気質をやはり強く受け継いでいて、何事もどっしりのんびり落ち着いて取り組めない。つい何事も少しでも気になると不安に駆られ囚われ、ときにパニックを起こす。
 ならばもっとA型、AB型気質の人のように、何事も早くから取り組みコツコツ続けて早めにやっていけば良いはずだが、ずさんで大まかなB型ゆえ、直前にならないと始めない。そして時間がなく、大慌てとなって結果、忘れ物はする、準備不足と緊張と不安から失敗失態を常にしでかす。

 のんびりとせかせかという、相反する気質が我の中で同居しているから、コトにおいて結局、立ち行かなくなるとパニックを起こすのである。
 山本夏彦翁の言葉に「愚図の大忙し」という名言があり、本のタイトルにもなっていたが、まさにその通りだと我が身に照らしてつくづく思う。
 まあ、そういう気質、性格は、生来のものだからおいそれ矯せるものではない。しかし、長く生きて来たので、このところ「時間」とはどういうものか、どう向き合いつかうべきか少しだけ見えて来た。

 俗に楽しい時間は早く過ぎて、辛いこと、単純作業のようなことをしていると時間が過ぎるのは遅いと言われる。
 それはじっさいその通りで、何かに熱中集中しているとまさに「時の経つのをわすれる」。反面、勉強やデスクワークもだが、辛い作業はなかなか時間が進まない。これは真理で誰でも体感していることだ。
 そのこととどう関係あるのかわからないが、最近我はふと気がついた。せかせかと慌て焦っていると時間は早く過ぎてしまうが、逆に、のんびりゆっくりで良いと思うと時間はゆっくり過ぎていく。
 当たり前だと突っ込まれるかと思う。ただ「効率」のことを考えると、焦って急いでいるときは、それで効率よく作業が多く進むかというとさほどではなく、大した成果ないままあっという間にタイムオーバーとなるが、はなからゆっくりのんびりと思ってやったほうが、結果として短時間でも効率、成果は上がるのである。

人生をリセットさせて生き直していく2017年08月16日 21時07分46秒

★我が還暦に思う

 雨がしとしと降り続いている。うすら寒い今年の我が誕生日である。
 私事だが、今日8月16日はマイ・バースデーで、我にも還暦が訪れることになる。
 説明するまでもなく、還暦とは、12年ごとの干支が一巡し、またゼロから仕切り直しの歳で、昔なら赤いちゃんちゃんこを着て祝ったものだが、我には祝ってくれる人も家族もいない。
 老いた父はいるけれど、彼は自らの誕生日は憶えていたとしても息子のそれには関心など一切ない。母なら少しは記憶してくれたかとも思うがその母は昨年の秋先に逝ってしまった。
 間もなく一周忌となるが、墓参りには行くつもりだが、ウチは一切何か法要などはしないつもりでいる。正直今を生きて日々やり過ごすだけで手いっぱいで、金銭的にも時間的にもその余裕がまったくないのである。

 気がつけば60歳、坂本九の「悲しき60歳」でも唄うしかない。♪ヤムスタファ~である。♪嘆きの爺さんムスターフア、である。
 しかし自分で爺さんになったとはまったく思っていないし、見かけも体力も若い頃に比べればずいぶん衰えはしたけれど、我が内面、気持ちだけは若い時と些かも変化はない。
 これが退職を前にして孫が生まれてたりもすればそれ相応に俺も年取った、爺さんになったという自覚も感慨もあろうが、我は対社会的なこと、世間一般的常識なことは一切何もしないで今まで生きて来たので、妻子もなく属する会社組織もないので、若い時と状況は何一つ変わりがないのである。※母だけは死んでしまったが。
 ただ歳だけとって、つまり歳月が過ぎ、気がつけば還暦の歳となってしまったということだ。浦島太郎ではないけれど、まさに狐につままれたような気がしている。

 これでも50歳ぐらいまでは、それなりの歳月の自覚はあった。そういう年齢になって来たと常に意識していた。それがこの10年ぐらいは毎年ともかくただ慌ただしくて、年が明けて、今年こそはと思っているうちに、あっという間に歳末になることの繰り返しで、毎年ただあたふた日々その日毎の雑事だけに追われて1年が終わってしまうことの繰り返しだった。
 まさに何もできず、毎日明日こそはと思い、それが積もって来年こそ何としてもと誓い、結局何もできずに時間だけが過ぎていくということの繰り返し。そして気がつけば我にもついに還暦が訪れたのだ。
 もしこのままで時間が過ぎてゆくとするならば、死ぬときも全く同様に、何もできずに日々の雑務だけに追われ慌ただしくあたふたしてるうちにお迎えが来るのであろう。
 存外、人生とはそうしたものなのかもしれないと最近思うようにもなった。しかし、だとすれば我が人生の意味と価値はいったいどこにあるのであろうか。
 家族を作り子孫を残すとか仕事で名を成すとか、生産的なことは何一つできず、せいぜい日々の憂さや悩みをこうしてブログに綴るだけの人生っていったい何の意味があるのか。
 もしそれが我が使命、役割、存在理由だとするならばなんと虚しい無意味な人生ではないか。せめてもう少しは他人様や社会のお役に立ちたいと切に思う。が、今日も父や犬猫の世話だけで一日が過ぎてしまい、我が誕生日も無為に虚しく孤独のうちに終わっていく。

 しかしそれもこれも我のこれまでの生き方の顛末であって、誰のせいにもできやしない。これもまた我自らが望んだ結果なのである。
 今でもそんな歳になるとは、それだけの長い時間、歳月が過ぎたとは実感がなくとても信じられないが、これが現実として受け入れてそのうえで「この先」のこと、これからについて考えなくてはならない。
 還暦が今の言葉でいう、人生を一度リセットして、またゼロから、いや、1からやり直すときだとするならば、まさに願った通りであり、もう一度ここから我は人生をやり直したい、生き直したいと今心底願っている。

 見かけはジジイになってしまったかもしれないが、幸いまだ身体は動くし、たまに腰痛が起きる程度で、今現在は抱える病も我にはない。むろん身体機能はずいぶん衰えガタ来ているが、先日もギターケース抱えて、南武線谷保駅前から青梅線のウチまで約20キロ、深夜に一晩歩き続けるだけの体力、気力も我には残っている。
 我には中川五郎氏やさこ大介兄貴たち、敬愛する約10歳ぐらい年上の先輩方も多々いるけれど、彼らを見る限り、70歳ぐらいまではまだ十分元気で、歌に移動に何の問題なくやっていけることが窺い知れる。
 ならば我もまたあと10年ぐらいはまだやっていけるのではないかと希望が持てる。そう、70歳までは、何とか今と変わらずに動けるだろうかと。

 しかし、だからといって、後10年、我が病気やケガもせず今と同じくのほほんと自由に好き勝手に気楽に生きていける保証は何一つない。
 今は元気な年寄りがたくさんいるとしても、それは団塊の世代は数そのものがやたら多く、その影には60代にも至らずに死ぬ、高田渡的な早逝がまたいくらでもいるのである。
 また我に近しい世代でも先日ののみ亭主人のように、60代そこそこで急逝する者も出てくる。我が確実に70代まで元気で無事に過ごせるかどうかそれは神のみぞ知る。
 だが、人生は、ある程度旧ソ連のように中長期的計画を立てねばならないわけで、70歳より先はあるかともかくも、まずは70までのこの10年の予定、年間計画を立てて行かねばなるまい。でないと、これまでの歳月と同じく、あたふたしてるうちに一年があっという間に終わり、その10年もこれまで同様雲散霧消してしまうことは間違いない。

 そう、後どのぐらい我に「余生」があるのか、それは自らも含めて誰にもわからない。が、ともかく今、リセットしてもう一度この人生を、生き直す機会、そのときが来たのはとても良いことだと思える。
 我マスダを知る人はおわかりのことだが、我は本当にバカで愚かで、考えなしのまま、他者のお気持ちを忖度することもできず、この歳まで臆面なく生きて来た。
 その生きざまはある意味犯罪的であるかとさえ思う。しかし、これでも昔よりは多少だが、マシに、いくらかは良くはなってきていると自負するところもある。
 昔は本当に何も考えず衝動的突発的に感情のおもむくままバカなことを繰り返し周りの多くの人たちを傷つけ困らせさんざん迷惑かけて来た。

 だが、さすがに経験を積んで、少しは人間関係にも思慮が生まれて来た。さんざんしでかした失敗失態からもいくらかは学び得たこともある。バカは先天的なもので、根本は治らないし変えられないが、そうした過去の経験から学んだことで、昔よりはほんの少しはマシになってきたと思えることが近年増えた来た。
 バカが何を言うと嗤う方も多々いようが、そう思わなければ我は生きていく自信が持てない。永久にバカのまま他者に迷惑をかけ怒らせ困らせる存在ならば早く死んだほうが良いし、生きている理由もない。
 そのうえで、未だこれからもこのどうしようもない人生を続けていくからには、そこにその「存在理由」を見出したい。

 老後のことなど考える余裕は今はない。ともかく後10年とまず定めて、身体が動き何でもできるうちに、もう少しマシになるよう、自分のためではなく誰かの役に立てるよう生きていきたいし、その道筋をつくりたい。
 独り身というのは淋しくてもある意味気楽でもある。本当にさらに歳とり病み衰えたときは困窮するだろうが、あとは父だけ看取れば我は真に自由になれる。
 孤独と自由は淋しさと裏腹のものだろうか。幸い我には長年培ってきた真に善き理解ある仲間たちも多くはないがいてくれる。そしてこの拙いブログの読み手も含めて、誰かが我を見ていてくれる。
 ならば天涯孤独になることもないし、この新たなスタートとなる10年は決して悪いものではないと信ずる。もっともっと何でもできるようになりたいし、様々な思いもかなうことだろう。

 何故ならもう以前のようなバカではないからだ。歳とったぶん、長く生きたぶん少しは学び得てほんの少しはバカが矯ってきた。ならばきっとこれからはもう少し良くなる。良くなっていくと信じたい。
 むろん地獄もこれからもそこかしこにあろうし、落とし穴に堕ちることもまたあろう。性懲りもなくバカなこともしでかすだろう。しかしそれも含めて生きているからこそであって、とことんお迎えの日が来るまで何があろうと絶望せず自ら投げ出さず生き続けていきたい。

 そう、誰の言葉だったか忘れたが、殺されはする、死にしないと。そして亡き劉暁波の言ったように、「私には敵がいない」と思いたい。


 というわけで、これからも当ブログ、そうした日々の出来事や考えたことを「報告」していきますので、よろしければお時間のあるときお付き合い下さい。
 会うことはなくてもどこかで誰かが我のことを知りこのブログを読んでくれていると思えることがどれほど救いやはげましになったことだろうか。
 ひとりたどり着いた無人島で瓶に手紙を入れて海に放つよりはそこに大きな希望と救いがある。

昨日の続き2017年08月15日 21時06分06秒

★今在る、与えられたものを放棄放擲することなく、受け入れ維持していく

 今日15日は終戦(敗戦)記念日。それなりに思うことや記しておきたいこともなきにしもあらずだが、今はそれどころではない。昨日の続きを書く。
 やたら雨の多い今年の夏である。天気予報などから訊くところだと、東京地方は8月に入ってから今日まで15日間、連日毎日雨が降っているとのことだ。
 おまけに気温も低く、汗かきの真夏は裸族と化す我としては涼しいのは歓迎したいが、こう雨ばかり続くと洗濯ものが干せず溜まる一方で困っている。山梨ではもう寒いほどで、布団をしっかりかけて寝た。
 これもまた異常気象のなせる業だと思うが、このままだと農作物にも被害が出よう。じっさい今、野菜が高くなってきて困っている。

 暑く長く厳しい夏になるとつい先だって書いた。が、このところこんな感じで雨ばかり降り、おまけに涼しい夏になろうとは予想もしなかった。気象予報士も同様であり、まさに先のことは誰一人予測もつかずわからない。
 ただモノゴトには時期、時節というものはあって、若い時はまず起きないことでもある年代になれば頻出することもある。それがさまざまな老化現象であり、呆けや癌もまた同様に、歳をとればほぼ誰もがそれに煩わされる。そしてその先に必ず訪れる死が待ち構えている。

 我が父は今年の秋で93歳となる。まさかこの男がそこまで長生きするとは誰も予想だにしなかった。父の父は、77歳で脳溢血で死に、父の母に至っては60代そこそこで肺の病気で死んでいる。
 父はそれだけ長寿できたぶんだけ当然のこととして全身機能が衰弱しオツムは認知症、飲食に関しては誤嚥性高く、昨年大腿骨を粉砕骨折してからは、自力歩行はできるけどかなり困難で杖を用い何かに掴まって何とか移動ができる程度まで衰えた。
 思えば、骨折前までは、90歳過ぎても杖など使わず犬の散歩も頼めるほど元気だったのにだ。その他、パーキンソン症候群もあり、めまい、ふらつきも日常的で、記憶が続かない呆けに加えて、よくもこうした状態でまだ生き永らえているものだと感心さえさせられる。

 昨日、頭痛が続き、吐き気などもあり食欲もなく体調悪そうなので、とデイケアから帰された父は、一晩自宅で過ごしたもののやはり今日15日になっても頭痛がすると言うので、かかりつけの立川の病院に連絡とり、朝からの雨の中、救急外来で行って受診してきた。
 車に乗せ、走り出したとたんに、吐き気がすると騒ぎ出し、実際に吐く素振りを何度も見せていたものの、今朝は朝食も摂らずに出たこともあり、幸い吐かずに病院まで連れて行くことができた。
 ただ、待合室でも何度も突発的吐き気に襲われ、我としても急性の硬膜出血が起きているのではと、強い不安に駆られた。

 病院に着いてまず検温し血圧も測る。熱は平熱だったが、血圧は何と上が180もあり、下も110を越していて驚かされた。
 昨日、ショートステイの施設からも血圧が高いと知らされていたが、こんなに高いのは父としては新記録である。父は待たされている間もしんどそうでベンチに横になって目をつぶり苦悶の表情を浮かべていた。

 事前に連絡入れたこともあり、さほど待たされず診察受けて、経緯を話してからともかくCTを撮ることになった。
 もう歩くのもしんどそうだと車椅子貸してもらいそれに乗せて撮影室に連れて行き、脳のCT撮影を行った。
 我としては、また出血が起きていておそらくこのまま即入院となることも覚悟した。

 しかし結果は、意外にもCT画像では鮮明に脳が映し出され、出血はないことがわかり脳内に異常は見られないとのことだった。ほっと安堵した。思わず神に感謝の言葉が口から出た。

 診断の結果は、頭痛や吐き気、めまいなどは急激な高血圧からものと思われるとのことで、血圧を下げる薬だけ出してもらい放免された。父も我もこのまま入院するかもと悪い予想もしていたので、まさにほっとした。帰り道薬局で薬も受け取り、そのまま外食も考えたが、父は何も食べられないと言い張るので雨の中ともかく家に戻った。

 何か食べないと血圧下げる薬も飲めないわけで、レトルトの白飯を煮てお粥状にして食べる用無理強いして何とか食べさせ薬飲ませてベッドに寝かせた。
 そして以後、今日は一日安静にさせ、先ほど寒がる父を起こして長袖のシャツを着せて居間に連れて来て、夕飯は熱い麺類にして食べさせまた寝かせたところだ。

 今回の一件でまたいろいろ考えさせられた。昨日、山梨からの帰り道もずっと考え続けて来たことだが、やはり何があろうともどれほど辛く大変でも最後の最後まで父をこの家で面倒みようと決心した。
 最悪の結果については今日その覚悟もした。が、幸いにして今回は我が父を殺すことには至らなかった。これで済んで僥倖であった。
 人は与えられた試練を前に、それを捨てて逃げ出すこともまた許される。何故なら誰もが御身大事で、まず自分のこと優先でかまわないからだ。
 しかし、母をまず喪い、そして父が残され、妻帯もしなかった我が一人でその父の面倒見ていくのもまた天命なのだとようやく真に理解した。もう逃げないし投げ出さない。イラつき頭に血がの上りキレることもまた何度でもあろう。しかし、そのときも堪えて自制しないとならない。
 今父に対してそれが出来ない限り、我は他者に対しても同様の事態をしでかすことだろう。忍耐と寛容、それだけが問われている。そしてそれこそが「愛」なのだと思い至る。
 愛情の薄い我に、そのための機会が与えられたのだ。ならば今このときを放棄、放擲することはしてはならない。どれほど大変で苦しくともあと何十年も続くことではない。せいぜい数年先までのはなしであろう。
いや、父の状態を思えば、年内だって生きてるか何も保証がない。
 ならば特養に入れるとか以前に、ともかく一日一日を何とかもたし、一日でも長く生かしていくことだけが求められよう。そう、ゴールは既に見えている。後はそのゴールまでいかにゆっくりしっかり丁寧に急ぐことなく進んで行けるかだ。父をこの家で一日でも長く生かしていく。

 嫌がる父を無理やり特養に入れることたやすい。さすれば我も楽できよう。しかし、預けたそこで父を死なせば、放棄した我は生涯そのことを悔やみ続ける気がする。ならばしっかりこの家で我が手で父を死なせたい。
 どうせ死なすならば我がこの手で、母を殺したときのように、しっかり父も殺したい。それをしないことには我の業は解消されまい。

 大事なことは、我に今在るものを維持していくことだったのだ。そう、捨て去るべきものはもっと他にいくらでもある。

早くも秋の気配が・・・今年の夏も終わってゆく2017年08月14日 23時18分59秒

★父のことと近況を

 迷走台風5号が来た後の頃は、ものすごく蒸して耐え難いほどの暑さだったけれど、それ以後、また雨模様の曇りがちの日が続き気温も低くだいぶ過ごしやすくなった。
 他の地方は知らないけれど、夏というより梅雨の頃に戻ったようなすっきりしない妙な曇りの日が続いている。必ず毎日雨が降る。
 慌ただしく気がつかないままにいつしか立秋も過ぎてもう八月も半ばとなった。陽射しもいつの間にかずいぶん短くなって日が暮れるのもひと頃より早いし、もうこのまま季節は秋へと向かうのだろうか。
 今も外はしとしとと雨が降りはじめ、吹きこむ風はひんやりして暑さに慣れた身体にはうすら寒いほどだ。

 実は、この日~月と一泊で山梨へ行ってきた。お盆休みの最中で、渋滞に巻き込まれるかもと覚悟したが、行きも帰りも30分程度遅れるほどの混雑ですんだ。
 が、向うにいたら、今朝方、父を預けたショートステイ先の施設から連絡があり、父の体調が悪いと報告され、仕方なく大慌てで引き取りに戻った。

 何度も書いて来たが、食事から下の世話まで、父が家にいる時は、朝起こしてから寝かすまで付ききりで解除しないとならない。しかもときに抗い毎食事ごと、食べっセルだけでも一苦労、諍いは絶えない。
 そこに加えて父は、このところ呆けがさらに進み、ちょっと目を離すと勝手に突発的行動に走る。猫の姿がしばし見えないと足元も覚束ないのに探しに外に出たりして転んだりと危なくてしようがない。おちおち買い物や犬の散歩にも出かけていられない。
 その都度叱り、咎めて本人も「反省」を口にはするが、すぐにまた忘れてそのときどきの「不安」に突き動かされ何度でも奇矯な行動を繰り返す。一日に少なくとも一度はそうしたことで諍い、トラブルが起こり時につかみ合いの騒動ともなる。我の怒りと苛立ちは常態化していた。

 この日曜の朝も、食事している間に突然探し物に走り、それを繰り返すので実に些末なことが原因でまたも騒動となり我は激高し父を殴り父は鼻血をだした。
 我もさすがにこれ以上キチガイの面倒は見れない、このままだと父を殺してハメツしてしまうと思い至り、特養などの施設に預けることを決意した。ところが父はまた激しく抗い絶対に行かない!嫌だ!助けてくれと叫び、さらにまた騒ぎ、そのときは何とか無理やりショートステイの施設の迎えの車に乗せ送り出したが、週明けにはケアマネに伝えてその申し込みをしようと覚悟した。母のときと同様に最後までこの家で父も面倒見て看取ろうと考えていたのだが・・・ 堪えのない我にはやはり不可能だった。

 で、気分転換も兼ねて一人で山梨の倉庫に行くことにして、先日、のみ亭やっちゃんのアパートから頂いて来た彼が使っていたスチールの本棚などを車に積み込み、午後から圏央道経由で中央道に入ることにした。
 出たの午後3時頃と遅かったのと、お盆休み期間で、規制ラッシュとは別にやたら車が多く、あちこちで事故渋滞などもあったので、時間もかかり、途中甲斐市のかけ流し銭湯で夕刻のんびり浸かって休み、けっきょく北杜市江草の倉庫と化した古民家に着いたのは夜8時半であった。
 また雨が降り出し、荷物も下ろさず買ってきた弁当を缶ビールで流し込みその晩は11日からの疲れがどっと出て倒れ込むように寝てしまった。

 翌朝、いつも通り6時前に目覚めたが、久々に泥のように深く眠ったこともあって、意識が戻るまでしばらく自分がどこにいるのか、ここがどこかわからなかった。それほど深い眠りは久しぶりだった。
 11日のコンサートが終わった後も、関係者からこれで今夜は枕高くしてよく眠れますね、と言われたが、その晩はコーフン続いたことと、あれこれ失態、忘れもの等が気になってほとんど眠れないでいた。

 コーヒー淹れて、部屋の片づけとかしていたら9時過ぎ、携帯が鳴り、それは父を預けた施設からで、父の体調が良くないので、という報告だった。
 昨日は、食事はとれたが、あの後も何度か鼻血を出し、今朝は、頭痛がする、気持ち悪いと言って吐いてはいないが、吐き気があるので朝食は何も食べず、今も横になって休んでいるという。
 要するに、向うで何かあると面倒だから引き取りに来てくれということだった。で、今、山梨にいるので行けるのは昼過ぎになる、父の容態に変化あたらまた知らせて、と伝えて、それから大急ぎで荷物まとめてまた戸締りして10時過ぎ里山を後にした。

 今回の目的は、一つはその本棚を運ぶことだったが、もう一つ、向うの税金も支払わねばならずとっくに納付期限が過ぎ、振込ができなくなってたので、これ以上延滞金つくのも面倒だと、役場に払いに来たのだ。その他、いくつかこちらでの事務的作業もあった。
 それらを大急ぎで全て終わらせて、いつまた施設から電話あるかと気にしながら、韮崎インターから高速道に入り、また途中30分ほど渋滞に巻き込まれもしたが、何とか2時前には八王子インターを出られた。
 そして父のいる介護施設に行き、父を連れ出し車に乗せ家に戻った。施設の人の話では、昼食はまあまあ食べたと言うが、頭痛がまだひどく、安静にしていたらしい。
 そのままかかりつけの相互病院へ診察に連れて行くことも考えたが、当人は今は落ち着いたと言い、家に帰って休みたいと言い張るので、帰宅し、着替えさせともかく寝かしつけた。すぐにイビキかいて父は眠ってしまった。
 それから我は我の用事のため、立川に車で出向いたり、夕方急いで戻ったら、また父が外へパジャマ姿のまま出そうなところに間に合い、当人は食べたくないと言ってたが、夕食を軽く食べさせ早く寝かせた。
 病院へは明日連れて行くことにして、夜中も何度も父に異常がないか確認に我は起きた。

 我が怖れたのは、また父の脳内で出血が起きて、硬膜下出血を再発しているのではないかということだった。というのは 我が殴ったか定かではないが、父は額にコブが出来ていて、それが痛いのか、頭の中からの頭痛なのかも当人に聴いてもはっきりしない。
 ただ一昨日以降、ずっと頭痛を訴えていて、それは首を動かしたりするとかなり痛いらしい。ということはやはり脳内に何か異常が出ている可能性大で、原因が誰にあるにせよ、面倒なことなったと今さらだが我は怯えた。
 
 そして一晩またあれこれ父のこと、これからについて考え直した。ともかく診断受けないことには何ともわからないけれど、こうなれば特養にいれるどころではないと。

 ※長くなったのでもう一回書きます。

共謀コンサート画像・112017年08月13日 09時48分17秒

★フィナーレは出演者皆で

共謀コンサート画像・102017年08月13日 09時41分28秒

★李政美with矢野敏弘

 第1回目の共謀コンサート、トリは、李政美圧巻のステージ!

共謀コンサート画像・92017年08月13日 09時40分26秒

★オボヒロ

共謀コンサート画像・82017年08月13日 09時36分18秒

★五十嵐正史とソウルブラザーズ

 後半のトップはまずソーブラから。

共謀コンサート画像・72017年08月12日 20時23分40秒

★ぶらいあんず

 ここまでが前半の人たち

共謀コンサート画像・62017年08月12日 20時21分51秒

★くらしうた研究会