追悼・宮内鎮雄2022年01月17日 19時55分16秒

★友人から元TBSのアナウンサー、宮内さんの訃報が届いた。

 林美雄、小島一慶と並び民放ラジオの雄TBSの名物アナウンサーの最後の一人が亡くなられた。
 言葉もない。ただただ合掌。

父を今年一年、どこまで生かしておけるか2022年01月16日 21時06分52秒

★我の夢や希望はさておき

 年明け早々、いろいろ不測の事態が続いて、まさに多事多難な2022年の幕開けである。
 猫たちのことはまた後ほど報告するとして、死へのカウントダウンが始まった我が父のことを包み隠さず書かねばならない。
 一昨日、14日の金曜日のこと、その日は終日在宅の日であったが、夕方の昼寝のあと、晩飯を食べさせるため起こしたら、微熱があった。
 37,2度とかそんなもので、風邪などでの発熱というほどではない。念のために葛根湯を飲ませて、夕飯後には下がるだろうと軽く考えていた。
 が、その後も熱は下がることなく、8度超せば、解熱剤を呑まそうと思ったが、そこまでは上がらない。
 ただ、当人はぼうっとしていて、夕飯はまあまあ食べられたものの、さて、自室のベッドに寝かしつけようとしてもコタツから立ち上がれない。
 いつもなら自分で何とか立とうとして、こちらも手を貸して引っ張り上げるのだが、ぜんぜん動けない。
 仕方なく我が抱きかかえて元大男をうんしょと必死で持ち上げて、何とかトイレにまず連れて行ったが、その後もまたトイレから自ら歩いて出てこない。
 いつもは手すりに掴まってゆっくりでも自ら歩けるのに、その晩は出てくるどころかそこから動いてくれない。また手を引いてともかくベッドのある自室の前まで連れてきて、紙おむつや着替えを用意するため、玄関わきのその部屋の前で待つよう立たせていたら、どしんと音がして倒れたようで、駆けつけたら玄関の土間に崩れ落ちるよう仰向けに倒れ込んでいた。
 抱き起こし土間から引き上げて立たせたが、どうやら倒れる前に少し吐いたようで、床や衣服を濡らしていた。
 それから

年賀状に思う~まだ生きているということ・続き2022年01月12日 12時03分53秒

★年賀状はある世代にとっては生きている知らせ・福音

年賀状に思う~まだ生きているということ2022年01月11日 16時59分45秒

★本日(笑)やっと年賀状の返信書いて投函した。

 年明けからともかく今年も忙しくてまさに目が回り、メマイがしてすっ転んだりするような日々が続いている。
 連日、動けなくなった三本足のキジ子の通院もあって、父不在の日でも朝から猫や犬たちの世話や様々な家の雑事に追われて新年早くも疲れ果ててきた。おまけに雪降ったり今日は朝から雨と天気にも振り回されている。

 三が日どころか松の内も過ぎて、やっと昨日の成人日に我と父の分の二種、今年の年賀状を凝らずに拵えて印刷まで終わった。
 が、書くところまではとても進まず、父はまた介護施設にお泊りに今朝方行かせて、今日の夕方、今さっき何とか我に届いた分だけは返信として書き終えたところだ。その数9枚。
 昨年は来た枚数はもう少し多かったかと思うが、昨年もやはり年明けから慌ただしくて早く年賀状つくって送り返さねばと焦りつつ時がどんどん過ぎてしまい、年賀状自体は暮れに早くから買っておいたのに、けっきょく一枚も出さずに我も父も不義理してしまったのだ。それもあって去年は来たのに今年は来ない方もいる。
 今年もかなり遅くなって、どうしたものかと焦ったが、ごく凝らずに写真だけ付けて、ともかく完成させることができた。

 実際のところ、版下つくるための作業時間なんて2時間もかからない。印刷には細かい手間暇が少しかかるが、枚数自体も少ないのだからちっとも大変な難事ではない。だが、昨年も今年も苦労するのはそのための時間がとれないことで、パソコンとプリンタに腰据えて向き合う時間そのものがたかが数時間でも作れないのである。
よってブログもまた間が空いてしまっている。書きたいことも多々あるのに、そのための時間的余裕、いや精神的余裕が作れないでいる。
 父がいるときなどは、正直、ブログや日記を記すよりも一分でも長く眠っていたい。情けないが御身大事で今年も無理せずやっていきたいと思う。

 それと、年賀状という日本独自の風習、しきたりなのだが、我はそれはそれである世代にとってはとても価値ある、意味深い「行事」だと考えている。
 むろん今の若者中心に、SNSなどでごくカンタンに友人知人と年中いつでもショートメールやフェイスブック上で、いいね!も含めて常時やりとりしている人には、慌ただしい年末年始時にわざわざ紙のハガキに「お年賀」の言葉を記し、郵送で相手方に送ったり返したりするのはまったく無意味かつ無駄な行為だと思う。

夢と希望の灯は絶やさずに2022年01月05日 09時41分33秒

★絶望こそが死に至る道だからこそ

 新年も三が日が過ぎ、早や5日となった。
 何から書くべきか迷うが、新年早々これから毎日(猫の)病院通いが続くことになった。いやはや、情けないことに今年もまた波乱と試練の幕開けである。※詳しいことは後で記す。

 何で、だ!? とか、当然憂鬱気分にもなったが、いまは、気を取り直してまずは今できることにきちんと向き合っていこうと思う。
 そう、神から差し出される盃は苦くとも感謝の気持ちを込めて飲み干すしかない。

 昔、子供の頃、東京ぼん太という芸人がいた。ご存じの方はもうかなり年配の人だと思う。
 今から思うと、何であんなに人気が一時期でもあったのか、不思議に思うが、トレードマークの唐草模様の風呂敷を首から下げて、訛りある栃木弁で、「夢もチボー(希望)もないね」とギャグ?を口にするだけで観客には大受けした。
 漫談家というのか、大した芸は何か一つでもあったのか思い出せない。ただ、彼が主演の「いなかっぺ」シリーズなどいくつも映画があるのだから、その人気は一時期確かにすごかったのは間違いない。
 要するに風呂敷包み一つで上京してきた田舎者キャラで売り出した人で、晩年の不遇や最後に見たステージのことなど我にとって忘れがたい芸人さんの一人だ。ちなみにいま、芸風として今一番近いのは、同じ栃木弁のつぶやきシロー氏ではなかろうか。

 このところ、彼の口癖というのか、一発ギャグである「夢とチボー」ならぬ夢と希望についてよく考えている。
 人はどんな苦難のときにおいても、夢と希望は絶対に失ってはならないのだと思う。このところ自らに言い聞かせている。萎え挫けそうな弱い心に。
 
 芸人ではないが、やはり忘れがたき才人、バラエティ番組の巨魁大橋巨泉氏も晩年は大病を繰り返しやせ衰えて先年亡くなられた。いま、手元に資料がないので詳しいことはわからないが、死に至る一番の原因は、かかった医師の心無い言葉だったと奥様が繰り返しあちこちで語り書き記していたと記憶する。
 彼自身は、がんばってその病を手術だか治療法で克服しようと思っていたのに、その医師はもう処置なしだとか手遅れでどうしようもない、というようなことを彼に伝えたため、巨泉氏はみるみる意気消沈してしまい生きる気力をなくして死んでしまったと奥さんは憤っていた。

 医者というのは、患者に事実や状態・状況をきちんとリアルに伝えることも大切だとは思うが、何より患者側の立場に立ち、生きる意欲を盛り立てるように接するべきではなかろうか。※医師は死に慣れてしまい鈍感だから、平気でそういうことを言う人も多々いる。
 無理して嘘をつけとは言わないが、患者に夢と希望を与える、励ましの言葉はあるはずで、巨泉氏にもそうした言葉が届けば、その病気は治らずともあと数年は生きながらえていたはずだと我は思う。
 絶望こそ死に至る病だと今も昔も古今の哲人は記している。

 先のことを新年早々つい考えてしまうと、父のことも猫のこともこの家のことも暗澹な気分になってくるが、いったいどうしたものか、どうなるのかと先行きをあれこれ不安に思い煩うよりもある程度のスパンで成すべき目標・課題を立てて、その日ごとの課題を一つ一つ片づけていく。
 悩むよりも考えること、そして行動することだと三輪さんも語っているではないか。
 実はあれこれあって掘りごたつの再設置はまだできていなく、父はそれもあって昨夜から一日早く温かい介護施設にお泊りに行ってもらった。
 戻るのは、金曜の夕方だから、それまでにコタツ設置終えておく。
 それと、父と我の年賀状も今年こそは遅ればせながら届いた分の返信として作るつもりでいる。

 これから動物病院に三本足の猫、キジ子を連れて行く。残っていた脚に障害が出てきて、歩けなくなってしまったのだ。無理して一本足で動き回っていたため、付け根の関節がボロボロだとレントゲンの画像示された。
 治療法などはないのか今まだはっきりしていないが、ともかく気休めに朝晩サプリメントを飲ませて、一日一回患部にレーザーを照射することになった。
 泣きたいような気分にもなるが、新年に涙はふさわしくない。ともかくできることを日々やっていくだけだ。

新しい年となりました。2022年01月02日 20時34分43秒

★皆さま2022年もどうかよろしくお付き合いください。

 今日は、1月2日。正月三が日の二日目である。が、ウチにはまだ正月は来ていない。
 例年だと、介護施設に預かってもらってる父が帰宅するのは、元旦の夕刻、もしくは二日目なのだが(たいてい大晦日に我は、かけこみ亭とかで一晩明かすので、落ち着いて正月をこの家で迎えるのは早くても二日目からとなる)、今年はまだ彼は帰ってきていない。
 明日の夕方、我が施設に車で迎えに行き、やっとそれからこの家の正月は始まる。
 例年だと父の在宅に合わせて、いま東京で仕事している、我が妹の長男、つまり甥っ子もウチに来るのだが、今年はコロナのこともあって「自粛」してもらった。彼とは、去年の正月に来てから会っていない。
 いまは、コロナは変異ウィルスがまた増殖し始めているとはいえ、緊急事態宣言のような状況ではないのだから、来ても問題はないのだが、我の問題として、ウチがどこもかしこもゴミ屋敷と化してしまったことと、コタツも何も暖房が何もないため、その設置がし終えるまでとても人を呼べる状態ではなかったからだ。彼が来ても落ち着いて座る場所がない。

 我が家の暖房として、亡きのみ亭のやっちゃんのところから貰ってきた電気カーペットは昨年ついに壊れてしまい、今年の冬は、新たにまた同様の電気カーペットを早々と購入して、それを敷いてテーブルに布団かけて昨年同様コタツ代わりにしようと考えていたのだが、先日、まだ二か月?も経たないのにある朝、突然通電しなくなった。
 きちんと保証書や販売証明書を保管しておけば良かったのだが、それも見つからず交換もできず、高い買い物ではないが、また新たに買い直すのも気が進まず、けっきょくまた畳を上げて、元から設置されている掘りごたつを今年は使おうと考えている。※掘りコタツは火事が怖くて一昨年かその前年から畳で塞いでしまったのだ。何しろ父はそのコタツの中に、ヒーターの上にもティシュペーパーとか落とすので、ボヤ騒ぎとなるところだった。
 だが、そのためには居間を片付け、再設置をせねばならず、暮れから少しづつやっているのだが、まだ設置に至っていない。
 そんなで、父の介護施設でのお泊りを暮れから延泊してもらい、今晩も必死でその道筋をつくろうと片付け進めている。父は明日の夕刻には戻ってくる。
 父が帰ってきて、掘りごたつが完成してやっと拙宅の正月は始まる。

 それにしても昨年はともかく忙しかった。例年年賀状は、父の分も含めて自分のも自作してとりあえず届いた方には、返送していたのだが、昨年は、何故か年明けから慌ただしく、早く年賀状を出さねばと思いつつ、時間が過ぎて結局一枚も返せなかった。
 そして前回書いたように、次々とトラブルというか予期せぬ出来事が起こり、その処理と対応に追われてあたふたしているうちに慌ただしく一年が過ぎたのだった。
 今年こそは、まず年賀状を返すことから、と思っているのだが、まだコタツさえ設置できていないのだから、早くも先行き暗澹たる気がしてくる。
 じっさい、昨日元旦の夜から、療養中のしんのすけでない別の猫が体調崩して急に歩けなくなり、この正月休みの間は、動物病院もやっていないのでどうしたものかと頭悩ましていた。
 前回、これ以上猫たちに金かけるような事態は起こらないでほしいと神に願ったばかりなのに、さっそく年明け早々また新たな事態が起きたようだ。※神は我にとことん試練を与えるつもりのようだ。

 考えてみれば、カレンダーは年が変わり、12月から1月へ、また新たな年へと一から全てがリセットされたわけでも、じっさいのところ、懸案の事態は何一つ解決したわけではない。
 父の部屋の壊れた?エアコン問題もどうしたら良いか何も解決していないし、その他、昨年来から抱えているいくつもの課題、問題もまったくそのままである。
 しかし、日々あたふたしながらもともかく生きていれば、まだ生きていければ、この「季節」も過ぎて、やがては近く春に、良い季節となるわけで、父がどこまで生きられるか、生かせるかは神のみぞ知ることだから、我はともかくただ彼とこの家のために、できること、すべきことに真剣に向き合い、必死にやっていくだけだ。
 先のことはもう悩まない。これからも多事多難は常に続くだろう。これが我が人生なのだ。そう覚悟して、何であれもう逃げずに、後回しにせずにやっていくだけだ。

 そんな我にも夢と希望がある。いま、孤独や困窮に悩み苦しんでいる方も多いかもしれない。一人で悩まないで、とメディアは呼び掛けるが、じっさいのところとことん一人で、何の出口も道筋も見いだせずただ孤独のうちに呆然自失で立ちすくんでいる人も多いだろう。
 我もまた同じところにいる者として、本当に切迫しためちゃくちゃな人生に陥ってしまった者として、その人たちにエールを送りたい。
 答えも出口も解決策も何も見えなくても、まだあきらめるのは早い、このトンネルの先には、きっと出口は見えてくる、我らを生み作った神は我らを見捨てない、そう信じてこの「地獄」を「地獄」として迎え入れていく。
 そう、人はいやでも必ず死ぬのだから、ならば自ら急ぐ必要はないのだから、どんな事態も全てを受け容れて「生きて」いくしかない。
 人生は甘いものではない。ほぼ常に苦く苦しいものだと覚悟して、だからこそごくたまに恵みの甘露の雨に遭えば、その喜びはまた格別、格段のものであろう。
 人生には損も得もない。いま、苦しんでいる人にはやがて癒しの善きときが、いま、喜びと至福のうちにある人には、やがては地獄のときが訪れるだろう。
 思えば、我もいま、そのかつての満たされた幸福の償い、後始末をしているのかもしれない。ならば、それもまた良しとするしかない。
 語弊はあるが、はっきり書く。起こることはすべて神の愛、神の計らいなのだから。人はただそれを受け容れていくしかない。

大晦日に思う・続き2021年12月31日 21時33分15秒

★どこからその金があったかというと

 実は、亡き母が、この我に積立貯金のようなものを残してくれていて、それが今年、突然振り込まれた。
 その額が約100万円~。壊れた電化製品をいくつか買い替えたりはしたものの、主に猫の治療費や増えた猫たちの餌代、さらにパソコンを買い変えたりもしたので、もう一銭も残っていない。それどころか足らずにまた貯金を取り崩している。
 昔、内田百閒の随筆で、借金王でもあった彼が、いみじくも書いていたことが頭をよぎった。「金とは自然現象である」と。
 つまり雨風などと同じく、人為の成せることではないということなのだろう。そのときは、意味が分からなかったが、今はそういうことか!と。
 入ってきても金は右から左に消えていく。手元に残ることはない。自然現象だから自分ではどうすることもできやしない。しかし、それでも使える金が入ってきたことはともかく有難く助かったわけで、亡き母の愛にただ感謝するしかなかった。

 むろん金の工面で頭を全く悩まさなかったということでは全然ない。
 いまも、これから来年のことで、さて支払いどうしていくか考えるとまたまた眉間にしわがよるけれど、まあ、汝、明日のことは思い煩うなかれ、と母がよく聖書の言葉から言っていたように、まあ何とかなるだろうと今は思う。
 確実に毎回自腹切って持ちだしていたコンサートのお金もその企画がなくなったので、出費は減るだろうし、猫の治療も間もなく完了する。
 願わくばまたケガした猫が登場しませんように。

 そんなこんなで、この10年のツケ、というかその歳月からの限界が露になって全てが一気に押し寄せてきた大変な今年であったが、一言でいえば、どう思うかと問われれば我は答える。
 今年もまた良い年、それもとてつもなく良い年だったと。

 そう、信じられないほどの歳となった父もまだ何とか生きているし、我も体調不調でも無事生きてこうして好きなことがやれている。犬猫たちも数が増えてその世話がタイヘンでも共にみな生きている。そう、生きているだけで丸儲け、損も得もない。それだけで良いのである。皆、まだこちら側にいるのならば。それは素晴らしくとてつもなく良いことではないか。
 我にはまだ夢と希望がある。

 果たして来年何が起きるか、父はどうなるか、あれこれ心配し先行き悩んでも意味ないことだ。
 ともかく一日一日、少しでもそのときできる、すべきことを少しでも少しづつでもやっていくだけだ。そして何事も逃げずに後回しにせず、きちんと向き合い、きちんとすっきりはっきりさせていく。
 コロナでなくても人は死ぬ。先のことはわからないからこそ、希望をもって生きていこう。きっと良いことも必ずある。

 皆様にもご多幸と神のご加護がありますように! ただ神に感謝、である。

大晦日に思う2021年12月31日 09時05分52秒

★この1年とこの10年を振り返って

 今年、2021年も今日一日となった。外はさほど冷え込みはしていないが、雲が多くどんよりとした冬日の大晦日である。
 いま、これを読んでくれている方々にとって今年はどんな年であったか定かではないけれど、ともかくまた一年が終わり、また新たな年を迎えられるのならば、それはとてつもく「良いこと」だと我は今思う。
 そう、生きているだけで有難い、のだから。
 また今年も多くの得難い人たちの訃報が届いた。我よりも年下で逝った方もある。かつていろいろお世話になったライブハウスのマスターも亡くなられた。思い出とともに様々な感慨がわく。

 さておき、まずは我の今年一年のことを振り返って書き記したい。誰もこんな人間について関心などはないだろうが、備忘録として自分のためにも記しておく。2021年はこんな年だったと。

 毎年のことだが、今年も多事多難で、実にたくさんお金を使った。金が使えたというのは、その分の収入というか余裕もあったわけで、ろくに働いていないこの身で、どうしてそれができたかという話は後でするが、本当にあれこれ頭悩ました年であった。

 いま、これを記しているのは、大晦日の夜9時前である。
 書き始めたのは、朝のうちだったが、あれこれ年内にやらねばならぬ雑事や買い物もあって、雪が降りそうな寒空の下、今日も相変わらず忙しかった。予報では、昼前後から霙とか湿った雪のマークが付いていたが、幸い降ることはなかったので助かった。

 このところ、今が人生最悪の時かはともかく、「今が苦難の時」と自らに言い聞かせて、この数年が過ぎていく。
 先日、久々にマジマジと自分の顔を鏡で見たらば、いつの間にか眉間に深いしわが刻まれている。韓国の大統領で、盧泰愚という人がいたと記憶するが、彼のように常に消えないシワが眉の間に我も残るようになってしまった。
 それだけこの数年、日々悩み頭抱えることが続いたからだろう。それもまた然りである。

 この一年を振り返る前に、まずこの10年のことも記さねばならぬ。
 今年2021年は、あの東日本震災からちょぅど10年目の節目の年で、いま住んでいるこの家は、その大地震のほぼ当日近くに完成した。
 あの3.11の日は、いちおう大工仕事は終わり、ほぼ完成となった家の台所部分の床を我は友人と自ら柿渋を塗っていたのだった。
 そのとき、母は、卵巣が原発の、かなり進んだ癌の摘出手術を終えて入院中で、我としては何としてもその改装・新築となった家で、母と父と三人でまた暮らせることをひたすら祈っていた。
 幸いにして、その手術は成功して、母はりとすぐ退院でき、以後数年間は、再びまたほぼ元の日常生活をこの家で送れるようになった。
 しかし、癌はまた必ず再発するもので、手術を担当した外科医からも言われていたが、取り切れていない癌の部位は体内に残っているからやがて再発するだろうとの予告通り、癌の部位は再び肥大し始めて、けっきょく2016年の年明けから母は体調崩し、あれこれ治療を試み何度かまた手術や入院を繰り返した挙句、この新築となった我が家で、その年9月に息を引き取った。
 手術を終えて退院して5年目のことで、そして母の死からまた5年が過ぎて今年となったということになる。

 10年ひと昔という言葉もあるが、10年というのは、いろんな節目、モノゴトの経年の節目であり、この家も内外あちこちでいろいろ劣化や不具合が目立つようになった。
 ウチがゴミ屋敷と化したのは、我の個人的問題であり、それはさておき、外装も屋根も劣化が目立ちそろそろメンテナンスしないと雨漏りやひび割れの怖れも現実問題となってきた。
 その上さらに問題は家電製品全般で、元々父母たちが暮らしていた部屋のエアコンは壊れて修理もできず交換部品もないと言われそのまま使用できなくなったし、長年使ってきたオーブンレンジも先年壊れ買い替えたし、いくつかあるトイレもすべてウオッシュレットが使えなくなったり難儀を極めるようになった。
 ウチはこのところ冬は、火事が怖いので掘りごたつは止めにして、父が食事とる居間は、電気カーペットを敷いて、その上に布団被せてコタツ代わりにしているのだが、去年まで使っていたのが壊れたのでこの秋に新たに買ったのも先日早くもスイッチが入らなくなってしまった。
 さらに、今父が帰宅時に寝ている部屋のエアコンまで、電源は入るのに、ランプが点滅するだけで起動しなくなり、さてこの冬はどうしたものか深刻に悩んでいる。
 そのどれもメーカーに電話して相談したところで、保証期間はとうに過ぎて、修理部品のパーツの保管期限も過ぎていると処置なしと言われて、全部新たに買い替えなくてはならなくなった。
 しかし、エアコンにしろトイレの便器にしろ、今は、部品の半導体不足で、商品の在庫がそもそも少ないとのことで、その工事費のことも含めて今現在買い替えには至っていない。

 さらに加えて、そこに我のパソコンがこの夏突然クラッシュしてしまい、メーカーまでもあちこちに修理に持ち込んだが、けっきょく手の打ちようがなく、仕方なくまた新たに一台買い替えることとなった。
 そこに、また後ろ脚にケガした猫がこの夏登場して、その治療に、入院費や手術代も合算すると40万円を超えた。
 一昨年の、やはり脚に大ケガして一本切断したキジ子が退院時に総額の支払いで50万円かかったが、ほぼそれに匹敵する額になってきている。
 その猫、しんのすけ君は、幸いにして脚は落とすことなく多少の障害は残るようだが、無事元気に今もケージの中で療養中だから、それはそれで良かったのだが、そんなこんなで本当にものすごく金が出て行った年であった。

 先だって、車の車検でもメンテナンスも加えてとことん不具合のあるところを修理・交換してもらったら購入時20万円の車に11万円かかったし、そんなこんなで金は飛ぶように消えていった。

さあ、新しい年に向けて2021年12月22日 08時58分42秒

★まだ人生が続くならば
 
 共謀コンサートの最終回を終えた晩は、毎度のことだが、なぜか気が昂っていてなかなか寝付かれなかった。
 それでも朝もさほど寝坊できず、結局、深く寝たのはその晩からで、父不在の日ということもあり、寝坊もしたが、昨日の午前は、コンサートの収支決算に頭痛めて、未払いに気づいた方には振り込みに出向いたりと慌ただしく、朝昼兼用の昼食をとったら午後はどっと疲れが出、起きてられず、少しの午睡をと思ったら夕方までひたすら眠ってしまった。いま一番昼が短いから気がついたら外はもう暗かった。
 大慌てでその日発送しなければならない注文本三冊を在庫棚から探し出し、梱包して7時直前に郵便局に持ち込み発送することができた。
 で、結局、昨晩はそんなことしかできないまま友人とメールや電話でやりとりしたら眠くなってきてまた起きてられず猫や犬たちに餌だけやったが、すぐ床に就いた。
 なんか、今年一年は日々こんな感じで、やることに追われて何とかそれだけは終わらせているけど、他のことは何もできず疲れ果て寝てしまい一日が終わる、ということの繰り返しであった。
 今朝も、いつもよりは寝坊してたっぷり眠った。ようやく疲れと睡眠不足は解消してきた気がしている。が、今日の夕方からは父が施設から帰宅して明後日、いや、土曜日の朝また送り出すまでウチで3泊する。
 またかなりこちらは疲れることは必至だから、どこまで持ちこたえられるか、だ。
 しかし、ともかく皆生きていて無事に人生が続いていくのは有難いことだとつくづく思う。
 何であれ満足はいかなくともやるべきことが、ともかく終えられる、終わっていくのならば。

 この「共謀コンサート」も、繰り返しになるが、父が生きているうちに終わらせることができて本当に良かった。いや、終えられて、良かった。
 施設に預けることが多くてもこの家で、父が生きているという状況があったから続けられたので、父が逝ってしまえば、我一人でその後の様々な「後始末」などに追われてコンサートどころではなくなり、精神的、経済的にも多分何となく続けることは難しくなって「自然終了」していたのではないか。
 じっさい、今でさえ既に限界間近で、今回もほとんど寝てない状況で、よくほぼ立ちっぱなしで6時間以上も倒れずに動き回れたと自分でも感心している。
 終えて帰り道、車を運転しながら、時おり意識が飛んでハンドルもふらつき危なかった。事故を起こさぬよう慎重にゆっくり帰った。
 このところそんな感じで、まだ本当の取り返しのつかないことは起きていないが、毎回、綱渡りのようなことが続いている。まさに神の加護があってのことだと思える。

 体調的にも、恥ずかしい話だが、このところ尿失禁が続いていて、持病の一つ「過活動膀胱」はさらに進んだのか、尿が溜まってくると、意識したとたんトイレに行くまで我慢できずに漏れ出すことが多々ある。
 眠っていてお漏らしはまだないのだが、早朝とか起き抜けにトイレにかけこむまでに我慢できず下着に漏らすことは始終だ。
 今回も、実は父の尿漏れ紙パンツを穿いてコンサート当日は臨んだ。幸い気が張って汗もかいていたので、垂れ漏らすようなことはなかったが。
 コンサートが終わる都度、忘れものはないかとあれこれ不安になり、次にかかった経費と得た投げ銭の額などの収支決算をするのだが、このところ何回かは一度も計算が合わない。1万円は超えないが必ず何千円か足らずに何度も計算しては頭痛めてけっきょく投げ出してしまう。
 今回も、出演した方たち全員に、交通費として「お車代」は渡したと思ったが、一人、払った額のリストに名前がないことが気づき、翌日メールしたらばやはり貰っていないとのことだった。昨日、その人の口座に振り込みに行った。
 終演後の多忙は言い訳にはならないが、こんなことの繰り返しで、自分でももう頭がおかしくなってると心底思う。目もろくに見えないし、ギター弾くにも指は動かない。歌うのも声が出ない。
 家のこともだが、抱えているものが多すぎて処理対応できなくなってきている。このままだと、大きな失態、事件・事故が起きるかもしれない。
 例えば、また交通事故とか火事を起こすとか、とても大切なものを紛失するとか。
 そうした怖れに囚われはしないが、危機は回避できるはずだし、そのためにはともかくこれ以上手は広げずに、少しづづでも抱えているモノゴトを減らしていくしかない。戦略的撤退である。

 コンサートは、また機会あらば名称は違えど再開はできよう。いまは、ともかく体調を戻して、いっぱいいっぱいになってしまったこの人生を少しでも軽くしていくことだ。
 本当にこれ以上の荷は背負えないし、老いていく身には、できるだけその荷は軽くしていかねばならない。
 そうして本当に身軽、気軽になったらば、どんなことでも何でもできるだろう。家も広く大きいはずなのだから、もっとすっきりさせてまた皆で集まれるようにしたい。
 何としても来年のクリスマスには、コロナはどんな状況かはわからないが、また皆で拙宅で音楽パーティが開催できるよう、希望と期待をもって皆にお約束したい。

ああ、とうとう終わった~「共謀コンサート」最終回終演す。2021年12月20日 10時47分13秒

★ただただ、すべてに感謝、多謝!! 長い間お付き合い有難うございました。

 昨日のかけこみ亭での「共謀コンサート」最終回を無事終えて翌朝これを記している。
 幸せの中にも一抹の不安がよぎるように、逆にどんなに大変で苦しいことでも、終わってしまえば淋しさを覚えるものだとされている。
 そう、楽しい祭りならばなおさらである。
 が、今の我には、淋しさや残す思いはほとんどない。やがて時がたてば、終わりにしたことへの悔いや、それがなくなったことの淋しさを感じるのかもしれないが、直後のいまは、あるのは安堵の喜びのだけである。
 ともかく父が生きている間に、けんあんの抱えていることが一つ終わったという「喜び」だ。※父が逝けば、その後に予定していたコンサートは当然のこと中止となろう。
 むろん、コンサートは、当日も含めて我にとってとてつもなく楽しい楽しみであり、気の合った仲間たちと好きなことして濃厚な時間を過ごせるのだから至福の時である。
 しかし、もう本当に今は全てに余裕がなくなってしまい、体力気力ともに低下して、こうした多人数の人と関わるイベントはもう限界だとひしひしと感じていた。

 我が老父のことを案じてくれた方々も多々おられ、百歳近い老人を抱えているから我マスダはもうイベントはできないと思われたかもしれないが、それだけではない。
 容量の元々少ない古いパソコンが、長年使っていると作動が遅くなりやがては動かなくなるように、要するに我が人生がもう「いっぱいいっぱい」となってしまい、こうしたイベント企画が重く負担というよりも、処理できなくなってしまったからだ。
 家のことも、古本商売もすべてモノが増えすぎて何もかも溢れ散乱、混乱して滞り、とても以前のようにイベント企画に気持ちも時間も専念できなくなってしまった。そこに父の介護も加わるけれど、いまは基本的には施設に預けている時間も多いので、我自身は決して時間がないわけではない。
 しかし、このところ老いて体調も悪くなってきたこともだが、ともかく我は処理能力が遅く、残りの人生を無事快適に生きるためにもまずはともかく抱えているモノゴトを少しでもなくす、減らしていくことを切望していた。
 多くの方々からまたの再開やこれからも続けていくことを要請されたが、そんな個人的理由から誠に勝手ながら今回でこの連続企画は「終了」としたわけだ。我の拙い音楽活動もまた同時に。

 昨日は、6時間過ぎる長時間の音楽イベントを何とか終えられることができたが、途中から頭痛もひどく、ヘンな汗が出、喉がやたら乾いて卒倒寸前であった。前夜は、歌集プログラムづくりでほとんど寝ていないこともある。
 昔、両国フォークロアセンター40周年の記念コンサートを、浅草の木馬亭で開催したときも、企画した裏方、責任者として時間配分と進行に心底苦労した。
 あれも中川五郎氏から「たま」の知久さんまで多人数の高名ミュージシャンが出るイベントだったが、終了時間は迫っているのに、中には時間配分を守らない方もいて、幕間で見ている我は、時計見つめながらはらはら焦り苛立ち胃が痛くなった。
 客が集まらずコンサートの赤字の件も含めて、失ったものも多く、その後は一か月も冗談ではなく疲労と落ち込みで寝込んでしまった。

 今回も司会進行役を務めながら、久しぶりにそのときのことを思い出した。いや、そのときの気分がすこし蘇った。
 予定している終演時間は迫っているのに、先が見えずどんどん遅れてしまい焦り苛立ったことも今だからここに告白する。
 むろん多人数出られる企画なのだから想定内のことだけど、9時半を過ぎてもさらに続くとなると、遠路から参加している人は、打ち上げ以前に慌てて帰らないとならなくなる。
 このところはコロナ禍もあって早く始めて終演も午後8時頃ということが続いていたので、我としては、昨夜は久々の遅延にかなり焦った。
 それでもコンサートは何とかその9時半少し過ぎたぐらいで無事終演でき安堵したし、最後の最後に我は花束を受け取るという思わぬサプライズというウレシイ驚きもあった。

 まあ、その最終回も毎度のことながら我としては慌てふためき、あたふたしたが、ともかく終わって本当に良かった。いつもながら満足のいく良いコンサートだったと自分は思う。
 良いうたと良いシンガー、ミュージシャンと出会え我は幸福であった。我のワガママをやさしく快くいつも赦してくれたかけこみ亭ぼけまる氏にまず心から感謝をささげたい。
 その望外の幸福を今後とも維持、続けていくためにもまずは、混沌と化したわが人生を、少しでも少しづつでも整理し直して、やがては新たな音楽にかかわる人生をスタートさせたい。
 そう、こんな自分にもまだ夢がある。

 いっぱいいっぱいとなってコップから溢れ出たミルクを、まず溢れ出た分から拭き取っていくことだ。そのうえで、その中身を飲み干し減らして少しづつ減らしていく。カラにはできなくてもその行為こそが老後を生きることだろう。
 なんであれ、それはできる、きっとかなうと信じて。

 ※これからはブログできるだけ定期的にきちんと更新していきます。お時間のある方、ぜひお付き合いください。
 季節は本格的冬に変わったけれど、自分の中の季節もこれでやっと一つ先へと動いた。