オープンリールデッキ再起動・22012年01月13日 09時54分35秒

★それぞれの時代・世代のメディアとハード

 今の人は何で音楽を聴いているか想像するに、ネット上からダウンロードして自分の端末に取り込むのではないかと思う。そこにはオーディオと呼ぶものは存在しているのだろうか。
 村瀬春樹氏に及ばずとも、モノ過好き、モノマニアとして自分もまた様々な楽器やオーディオには若い頃から魅了されてきた。特にオーディオにはかなりハマった。
 当たり前のことだが、それぞれの世代や時代ごとにその音楽体験は当然異なる。親たちの世代は、完全なラジオエイジであり、茶の間のラジオを通してしか放送として音楽を聴く機会はなかった。まあ、文化住宅に住むお金持ちの家では、SP盤の蓄音機はあっただろうが、一般的ではなかろう。
 それが叔父たちの代になると、いわゆる電蓄、電気蓄音機、モジュラーステレオが普及し、レコードも所有するようになっていく。自分はその頃からの記憶はある。
 しかし増坊のように、昭和30年代に生を受けた、1950年代も後半世代は、メディア、つまりソフトとしてはLPレコード世代であり、ずうたいもかなり大きな家具調の、プレイヤーも一体型のステレオセットを持ち、カセットテープを多用したラジカセ世代とも言えよう。ウォークマンなどで街中を闊歩した世代はもう少し後の人たちだ。
 つまり自分はレコードとカセットテープで育った世代だと断言できる。むろんCDも後から出てきて、そちらも当然ソフトも沢山持っているが、基本は今も昔もレコードとカセット中心である。たぶんもうそんな人は物好きも極まって好事家、SP盤コレクターに近い存在かもしれない。

 と、そこにオープンリールデッキはどこに入るのか。
 私ごとを書くと、音を録る機械に出会ったのは、オープンデッキからであった。むろんのこと蓄音機といいつつもレコードプレイヤーの類は録音機能はない。オーディオ好き、音楽マニアにとって、音を記録するということは永遠の憧れであり課題であった。

 そして当時そのために家庭でも普及していたのは、オープンリールのテープを使ったデッキであり、大小いろいろある。まあ説明する必要もないかと思うが、映画のフィルムと同じく、リールのテープを回して磁気ヘッドに通して再生し片側に巻き取っていく。完全にテープが走行し終えれば再びもとのリールに巻き取らねばならない。当時はあまり思わなかったがかなりセットするのも面倒くさいしテープがパラけたりして管理も難しい。その原理を簡単にし小型化させカセットケースの中に二つのリールを閉じ込めたのがカセットテープなのである。

 増坊はそのオープンリールデッキを確か中学生のとき、高校進学の記念だったか親にねだって買ってもらったかと思う。むろん金だけもらい自分で秋葉原に出向いて買ったのではないか。もう40年ぐらい前のことであり、その時期もおぼろげであるが、確かなことは一つある。それはカセットデッキを買うかオープンリールデッキにするかかなり迷ったことだ。

 その頃、たぶん1970年代初頭の時代はちょうどカセットテープが登場し普及し始めた頃で、録音機器の時代はオープンリールからカセットへ移行し始めていたのだ。今のごく小さなメモリーを使ったICレコーダーのことを思うときまさに隔世の感がある。

 自分としてはどちらでも良かったし、カセットにしようかと考えてもいたのだが、母の末弟、当時クラウンという家電メーカーに勤めていた年の近い叔父に相談したところ、カセットテープみたいなあんな小さい幅のテープは音がたかが知れている、音楽を録るならやはりオープンリールのほうだと諭され、かなり重いそのデッキを抱えて帰った記憶がある。いっとくがまだラジカセ、つまりラジオの付いた携帯型カセットプレイヤー「ラジカセ」は登場する前である。

 じっさいのところ、カセットテープは中学生になって出回り始めた当初はC-60、つまり片面30分の標準テープが1本で千円だったかと思う。今の千円ではない。当時の千円だからおいそれと買うこともできない。
 オープンのテープがいくらだったか記憶はないが、こちらは録音時間も可変でき、回転を遅くして録ればお買い得だったのではないか。それに何よりも音がじっさい良かった。カセットはドルビーシステムが普及するまではかなりヒスノイズが大きく音楽の録音には無理があったように思える。

 というわけで、自分が最初に買った録音機器はその赤井のオープンリールデッキであった。しかし、時代はラジカセの登場と共に、一気にカセットテープの世に変わっていく。
 しばらくは友人から借りたLPを録ったり、FM放送の番組を録音したりしていたが、やはり何といってもカセットの方が手軽で手間もいらない。やがてカセットテープもどんどん日毎に安くなっていく。オープンデッキはいつしか使うことは少なくなっていった。でも高校時代などバンド関係でのライブや録音ではずいぶん役立った。この機械にはマイクが2本繋げられたので、そのまま録音機材として活躍した。むろんかなりの重さなので持ち運びには難儀したけれども。また大学時代、自主制作していた8ミリ映画の音入れもこれに一度録音して編集したのだった。

 そして今それから数十年、買ったときからは40年近くたって、再び電源を入れてみた。まだ生きている。ちゃんと動くではないか。自分は何でも捨てない男だが、これをとっていて本当に良かった。機械も喜んでいる。
 さあ、これから大昔の関西フォークの黎明期の音源を聴いていこう。そして内容を確認したらディジタル化していかねばならない。それこそがオレの使命なのである。