8トラの話・追記2012年01月17日 21時03分10秒

★可哀相な山平和彦のことなど

 オープンリールのレコーダーの話から派生して、8トラのテープについても少し書いた。が、説明が拙く伝わらなかったようで、トラックが4つあるという意味がわからんと問い合わせがあった。
 今ここに画像を上げたのは、山平和彦のファーストアルバム「放送禁止歌」の8トラのカートリッジのパッケージ裏側である。ご覧のように曲目が4つに区切られている。ご確認願いたい。
 レコードならA面とB面と別れるところ、8トラではこのように四分割されてそれぞれトラックごとに再生される。カセットテープのように先送りなどできたのか記憶にないが、その曲を選ぶのにはまずそれが入っているトラックのボタンを押すという仕組みである。おわかりいただけたか。。※それにしてもこれは8トラだという以前に貴重なテープである。なぜなら「月経」の入ったこのオリジナルアルバムのほうは即発売禁止となり世に出ていないはずだからだ。


 それにしても山平和彦、今こうして思い出すとかわいそうな人だったように思える。「放送禁止歌」というイメージが強く先行して、世の人々には頭脳警察の仲間のごとき過激な印象を与えてしまった。が、じっさいは極めて素朴な、本当にカントリーの人であって、――と書くと、カントリー&ウエスタン畑ではなく、じっさいに田舎の人という意味で、――良い持ち味があっただけに正しく評価されなかったことは残念でならない。

 彼のことを可哀相と勝手ながら思うのは、交通事故、それも轢き逃げされて不慮の死を遂げたという最後を知っているからでもあるが、このファーストアルバム自体、放送禁止どころか猥褻だとして発禁となってしまったことと、彼のバックバンドであったマイペースのほうが「東京」のシングルヒットで結果として日本のフォーク史に残る存在になったことも大きい。マイペースは知っていても山平和彦の名は知らない人が多いはずだ。

 彼を思うとき時代に翻弄され何かずっとボタンをかけ違えた人だという気がしている。うまくすれば日本のジョン・デンバー的存在になれたかもしれないのに、最初からケチがついて、その不運が最後までついて回ったと思うのは自分だけか。彼自身の人生を他人がとやかくあれこれ言う資格はない。当人は満ち足りた良い一生を送ったのかもしれないが、彼の名前とこのアルバムジャケットを見るたびに何かいつも胸にこみ上げてくるものがある。

人それぞれの「今年こそは」2012年01月17日 23時24分57秒

★まずは体調管理と健康維持である。

 一月も半ば過ぎて、今さらかとも思うが、誰もが皆、新年には「今年こそは」と期するものがあるはずだろう。もちろん自分にもある。

 まあ今年の希望も何もともかく今年1年、家族犬猫も含めて全員が無事に生きて過ごせればそれだけで万々歳ということに尽きるし、そのことは既に書いたと思う。そしてそのことは、自らのことだけではなく、友人知人、親戚、自分と関わる人皆が無事で健康に変わらずに元気であってほしいと願う。去年のように予期せぬ友人知人の死に今年は出遭いたくはない。大災害も起きてほしくない。
 ただ、それとは別に個々に今年こそはと思っていることはある。実はそれを去年も念頭に思い、けっきょく果たせずにもたもたしているうちに一年が終わってしまったことなのだけれど、二つある。

 一つは「音楽」のことで、むろんギターがもっと巧く、失敗せずに弾けるようになりたいのは当然だし、うたもきちんとしっかり唄えるようになりたいのは言うまでもない。しかしそれと別に、ギターではない別の新しい楽器が何か一つできるようになりたいという気持ちが強くある。
 それは管楽器でもいいし、あまり他にやっている人がないものが良い。じっさい去年初頭には楽器屋で初心者用クラリネットを店員に見せてもらい説明をうけるところまでいった。サックスにも心ひかれている。でも母の病院通いに追われてとてもそれどころではなく立ち消えになった。まあ買っても結局持ち腐れとなったかと想像するが。

 その楽器がすぐにできるようになるとは思わないしそのはずもない。ただ、ともかく新しいことを新しい年に始めたいと思う。そうした気持ちは誰にでもあるはずだ。それが自分には新たな楽器で、新しい楽器に取り組んで少しづつできるようになりたいと思う。そんなことよりまずお前はギターをもっときちんとやれと言われるかもしれないが。それはともかく。
 ただ、今はその例年毎度の「楽器熱」よりももっと切実に強く考えていることはスポーツジム通いである。これは、政府の消費税を上げる一体型改革より待ったなしだ。というのは、ここらでこの体を何とか調整しないとたぶんさらに体調は悪化し60歳前に死んでしまうかと案ずる。もう自分でも体は限界に来ていると感じている。

 先日、体調の不調、腰痛やらこのところの足の吊りを友人に訴えたら、メールでまずは体を定期的に動かすことを奨められた。その人は近年ずっとスポーツジムに毎週通い体調維持に努めているのだと教えられた。なるほどだから彼は若々しいのか。そーか、なるほどと期するところがあった。
 実は今から10年以上も前、自分が中年になりだし体重も増えてきて体がしんどくなってきたと自覚したとき、市内にあった都立のスポーツセンターに通ったことがある。一応インストラクターにトレーニングメニューを立ててもらい、それに合わせて週一でも何か月か通った。そしたら体重も落ちたし体力も戻り心身はつらつとした。それをずっと続けていればよかったのだが、ちょうど改修工事だったか何かでそこはしばらくの間閉館となってしまい結局それでトレーニングの習慣は終わってしまったのだ。※私営のスポーツセンターもなくはないのだが、年会費が高くて断念したのだった。

 以降、歳月が過ぎ50代に入り、親のことや家のことや音楽のこと等あれやこれやでますます忙しくなって、また人と会い酒を呑む機会も増えてきて、生活は支離滅裂メチャクチャになってしまった。運動として歩くのは朝晩の犬の散歩程度だし、それも犬たちも老いたので距離も時間も短く簡単なものとなった。
 元から自分は文弱の仲間で、スポーツらしいことは若いときから何一つしたことはない。だから今では駅の階段を上がるのだって息が切れる。心臓が苦しくてドキドキする。救心のCMが頭をよぎる。おそらくこのまま何もせずに今の生活をしていれば足腰は弱り萎えて体力はますます衰え体調はさらに悪化していくことは想像に難くない。

 酔っ払ったり弱気なときはもうここまで好き勝手なことをやって生きたのだからいつ死んでもいいや、と思うが、まだ親たちもいることだしまだ今は死ぬに死ねやしない。そこで思うのはならば、本当に病気で寝込む前に、まずは体調管理と体力増強のために、体を定期的に動かすことであろう。前はそれでだいぶ体調は戻った。
 車も生活も仕事も家もすべてはメンテナンスが大事である。きちんと定期的に手入れをしてこそ長く維持できる。それは肉体こそ同じことで、今さらではあるが、まだ少しでも動けるうちに動かすトレーニングをやっていくしかない。

 自分はギターを再開する前はほとんど左の指は動かなかった。何故なら一度酔っぱらって小指を折ったりして変なふうに固まってしまっていた。それでも有馬さんの詩と出会い、曲作りを始めたりした過程で、嫌でもコードを押さえたりしていたらいつしか指は動くようになっていた。たぶん若いときより今は動くかと思う。すべてはこうしたものだ。

 何かを始めるのに年齢は関係ない。すべてはそのきっかけ、タイミングであり続けていくことだ。いつかそのうちにと思っていても始めなければ何も意味ない。去年はそう思いつつ忙しさにかまけて一年が終わってしまった。だからこそ今年こそはと思ったならともかく動き出すことである。誰が言ったか、志があるならそれを行動で示せ、カタチにしろと。
 
 もうこう書いた。書いてしまったからにはやるっきゃない。