全てのことには意味と理由があるのだとしたら2012年03月01日 23時23分28秒

★人は何を唄うのか

 3月に入った。今日は暖かくなって終日昨日の雪が溶け落ちる音がぼとぼとと雨のようにあちこちでしていた。都内ではたぶんもう今日一日で雪は大方融けてしまっただろうが、奥多摩の山並みの麓に当るウチの方では日陰ではまだかなり積ったまま残っている。しかし明日は雨だというし、これからは一雨ごとに暖かくなっていく。
 季節は繰り返す。が、人は同じではない。去年の今頃ふらっとウチに来た人がもうこの世にいない。

 この数年来、ほぼ毎晩のように聖書を旧約も含め寝る前に読んでいる。新訳のほうは既にヨハネの黙示録以外は全て何回も読み返した。今は、旧約の中から、立法書とかの難解かつ契約書の類は除いて読みやすい物語だけ選んで読み続けている。二千年以上も前の他国の人々の話なのに今日でも十分読む価値と深い意味に満ちている。
 面白いとかいう以前に、聖書はヘブライ人のみらず人類の遺産であるし、多くのメッセージと示唆に富み迷い悩む弱き人々の指針となる素晴らしい本である。
 このところまた迷いはじめどうしたものかと困惑することが多い自分であったが、聖書のおかげか今日はまた一つ啓示を受けた。まずそのことを書く。

 それは全てのこと、全てのものには、起こることも含めて意味と理由があるということだ。
 つまりどんなことにも偶然などはないし、全てのことには起きる理由や起こる意味、必然性があるということだ。それはどんな悲惨な出来事、辛い残念なことでもそれが起こるには理由もあるしそこに意味がある。全くの無意味なこと、無駄なことなどこの世には一つもない。

 ならばこの致命的にだらしがなく犯罪的に愚かで習慣的に何度でもアヤマチを繰り返すどうしようもなく罪深い自分でもそこに生きている理由、いや生かされている理由があるのだと思えてきた。何しろナザレトのイエス生存時に師の周りにいた弟子達は皆あれほど弱く愚かだったのである。後に教会の礎となったペテロでさえ口先だけは師に誓いつつ何度も保身のために師を否定している。偉大なパウロは元々はキリスト教迫害者であり、イエスの死後最初の殉教者ステファノを皆でリンチ殺人したときの手下であった。

 聖書とはそうした弱き愚かな人間たちが使徒に召され後に布教のために命も惜しまない偉大な聖人へとなっていく成長譚でもあるし、そんな弱い人間の持つダメさを赦す深い愛に満ちている。
 かといってダメでかまわない、それでも良いということではない。人はそうした弱いもの、罪深い者だと自ら認め悔い改めるべきなのである。人は自らの弱さを知り他者の弱さに気がつき赦さねばならない。互いに赦し助け合うことこそ原始キリスト教の教えであった。聖書には良き人の良い行いがいくつも喩え話で記されている。

 全てのことには時がある。そして全てのことには意味と理由がある。ならばどのよう結果が起ころうが何も怖れることはないではないか。それもまた神の計らいなのである。
 
 そうだからこそ、人は漫然と生きてはならない。人は生きること、すべきことに意味と理由を見出すべきであろう。ならばうたうことにだって同じだ。
 人は何をなぜうたうのか。そのことを書いていく。

最初から最後まで全身フォークシンガー中川五郎2012年03月02日 23時24分49秒

★本当の「うた」を唄い続けるフォークソングのトップランナー

 うたとは何かずっと考え続けている。

 昔の人は、心に太陽を持て、そして唇にはうたを、と言った。そう、それは全く正しい。うた、そして音楽は、人を励まし癒し気分を変えて人を元気づけてくれる。だいいち、唄うことは一人で唄っていてもとても楽しい。だから鼻歌のようなものだってうただし、一人かカラオケでマイク握り締めて唄うのだって立派なうたに違いない。

 しかし、うたにはあるメッセージ伝達の手段としての側面もある。昔はメディアも発達していなかったから大きな事件が起きるとうたとして情報は流れたし、新聞などはあっても字が読める人も少なかったからその事件のことをうたった「うた」がいくつも生まれた。
 米国のカントリーには、バラッド、物語うたとか、マーダーソング、殺人事件のことをうたったうたがいくつもあった。むろん権力者やときの政府をうたにして風刺したり批判することも当然あった。そうした時事ネタはトピカルソングと呼ばれたし、また別れた恋人のことを思ううた、死んだ人を偲ぶうた、遠く離れた故郷を思ううたなども星の数ほど生まれた。うたとは生活の中から生まれる生活そのものでもあった。

 そうしたメッセージ性のあるうた、それを仮にフォークソングと呼ぶとして、英語では唄い始めの決まり文句がある。「Come gather round me friends And I'll tell you a tale」、ディランもこれを1964年のアルバム「時代は変わる」の中の「ノース・カントリー・ブルース」で使っている。日本語に訳すれば「おいで、みなさん聞いとくれ」となろう。

 真崎義博という翻訳家がいる。昔雑誌宝島が植草甚一を擁してまだヒッピーかぶれの若者向け雑誌であった頃、誌上でソローの「森の生活」を新たに訳していた。増坊が知った頃は、多分彼はもう翻訳しかやっていなかったのかと思うが、もともとはボブ・ディランをもっとも早く日本語に訳して紹介し唄った人で、1967年の京都高尾でやった第一回フォークキャンプではボロ・ディランと呼ばれたフォークシンガーであった。

 そのボロ・ディランが本家ディランの「ノース・カントリー・ブルース」を「炭鉱町のブルース」として日本語にしてフォークキャンプでうたった。原曲そのままマイナー調の暗い曲である。うろ覚えだが、たしかこんな歌詞だった。
 ♪おいでみなさん聞いとくれ
   貼紙だらけの炭鉱町
   年寄りだけしか残らない
   こんな話をきいとくれ

 この曲を聴いてアメリカのフォークソングにかぶれ一人でギターを弾き向こうの曲を自ら訳しながら唄い出していた大阪の高校生が替え歌を作って発表した。
 ♪おいでみなさん聞いとくれ
   おいらは悲しい受験生
   地獄のような毎日を
   どうかみなさん聞いとくれ

 そう、これはご存知人気者高石友也が歌って大ヒットした「受験生ブルース」の原曲である。その高校生こそが中川五郎であった。

 「原曲」というのは、そのレコード化されてヒットした曲はディランのそれとはメロディが全く違うからで、彼らが所属したインディーズレコード会社URCの秦社長が、その前に大ヒットしたフォークルの「かえってきたヨッパライ」の二番煎じを狙って、コミカルになるよう明るく別のものに変えさせたからだ。まあ、だからこそ高石バージョンはヒットしたのだが。

 その「受験生ブルース」が発売されたのが68年の2月。そこからだってもうちょうど44年が過ぎた。中川五郎はその前から高石友也のコンサートで唄い始めているから、実に音楽活動歴は45年を超している。
 この恐るべき早熟な天才は、拙ブログでも何度も取上げて紹介したピート・シーガーの名曲「腰まで泥まみれ」を極めて巧みに日本語に移し変えてその67年のフォークキャンプで早くもうたったと記録されている。

 中川五郎こそ、1960年代半ばから今日2012年まで、世紀を挟んでうたの原点に立って唄い続けている唯一孤高のシンガーである。増坊は心底尊敬し神のように崇める。高石さんも岡林もかつてはその場所にいた。しかし彼らは途中早くもその座からすぐに降りてしまい日本のフォークとは結果として情けない貧乏イメージ、「神田川」や「学生街の喫茶店」のような四畳半世界に閉塞した今や懐メロと堕ちてしまった。

 しかし、敬愛する五郎さんこそがただ一人、当時のスピリッツを今に伝え変わらぬメッセージ、うたの志を元気に今の時代もうたい続けている。こんな人は知る限りいない。
 中川五郎こそがうたとは何かを示しており、人は何をうたうのかという問いかけに答えている。ゆえに増坊は勝手にこう呼んでいる。「ミスターフォークソング」と。自分にとってディランやピート・シーガーよりも尊敬する真に偉大なフォークソングの神様である。
 
そんな素晴らしい人を我が家に招くのだ。何と畏れ多いことか。3月24日はもうすぐだ。期待と不安で胸が高鳴る。音楽の神様のご加護あれ。

3月に入ったら急に忙しくなってきた。2012年03月03日 16時32分09秒

★今月の予定と近況など

 東日本大震災から一年目となる今年の春3月。
 寒さに眠っていた人々も急に目覚めたが如く、あれこれ連絡や動きがあってこちらも急に忙しく慌しくなってきた。
 
 先月末の大雪の後、雨も降り曇りがちの日が続いて、ようやく今日は朝から晴れて春らしい穏やかな暖かさだと思っていたら午後からまた曇り、薄ら寒くなった。どうやら来週も雨や曇りの日が続くらしい。春だから仕方ない。

 今日3日の土曜日は家にいるけれど、これから今月は3.24の翌日まで土日は全て出かける用事が入っている。ウチでやるオープニング記念ライブの宣伝のためでもあるけれど、どこもどうしても顔出さねばならないライブやイベントなどで行かねばならない。
 やや気分は重いが、まあ平日はほぼ家にいられるし、今月は幸い母の抗がん剤のための入院は延びてなくなって来月の頭となったとのこと。3.24の頃と重なると面倒だと思っていたのでほっとしている。これも天のはいざいだと思う。

母の手術から一年が過ぎて・・2012年03月04日 16時01分02秒

★近況報告の続きというか思うことなどを少し。

 また今日もどんより曇り空。もう肌を刺すような寒さではないが、外は薄ら寒い。洗濯したものが干せないし乾かないので困る。

 花粉症ではないと思うのだが、クシャミして何だか鼻水も出てちょっと頭痛もしたので今朝は用事を済ませてから昼過ぎまで朝飯も食べずに眠り込んでしまった。予定では今晩も新宿のライブに行くはずだったが、今どうしたものか迷うところだ。自分はつくづく出不精だと思う。こちらは出かけないの皆さんウチに来てくれというのは虫の良い話であるか。

 昨日3月3日、雛祭りの日は、一年前ちょうど母が大腸の上の方にできていた癌部の癒着した腸もろとも1メートル近くその固まりを回復手術でとった日であった。すっかり忘れていた。まったく人間は喉下過ぎれば暑さ忘れて涼しい顔をしているものだと呆れ果てる。手術から一年が過ぎたのかと感慨がわく。

 さっき天皇陛下が退院されたとニュースで知り、そのことを母自身が思い出したのだ。実にノンキ者である。天皇もだが、今は、手術もケアも進んでいるから、手術の翌日ぐらいからすぐリハビリを始めて二週間ほどで退院させてしまう。確かに術後寝たきりにしておくと血栓もできたり筋力も衰えてしまいまた新たな病気になる。何はともあれ天皇も心臓の難手術が無事終わり退院となられて良かったとほっとした。

 母も大手術のわりには割りと早く月末を待たずに退院できたのではなかったか。その後、退院後しばらくは経過も良好で癌は取り除いたから治ったと思っていたのに、わずか半年ぐらいでまた手術した箇所周辺に新たに腫瘍の発生が確認され、再発が告知された。
 一時期は動揺もあったが、幸いにして11月から始めた抗癌剤治療が効果を上げたようで、腫瘍も縮小してきたようでまあ手術から一年を無事に迎えたということだ。

 それにしても癌が発見されるまでの母の体調が日々悪化していった頃は本当に辛かった。もう一昨年になるけだが、秋口から食事が食べられずどんどん痩せ始め、原因も不明で胃痛や下痢、ときに吐き気もあり40キロあった体重が30キロそこそこまで落ちてしまった。足に浮腫みも出て腹水も溜まってきてこのままだと命にかかわると思い緊急入院させ徹底的な検査でようやく癌が発見されそこから治療が始まったのだった。

 その後も腹膜炎で高熱出したり、腸閉塞で便が出なくてなり点滴だけで栄養を入れて鼻から水分をチューブで抜き取るという難事を乗り越えて当初は無理だと言われていた開腹手術も出来たのである。今の穏やかな日々からついそんな悪夢のような頃のことはすっかり忘れているがつい1年ちょっと前のことだったのだ。

 漱石が修善寺の大患のあと明治43年に作った俳句に、

 生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉

 生き返るわれ嬉しさよ菊の秋

 という句がある。
 一時は意識不明の臨死状態にまでになり、奇跡的に生還したときの感慨を詠んだ名句であるが、まさにその気持ちであったろう。母の場合もこれに近いものがあり、この句の季語を沈丁花に変えればまた偽わざる気持ちだと思う。当事者でない自分もまた同様な思いがした。

 まあ、人は自ら生きていると思い込んでいるが、実は生きているのではなく生かされているのであり、命というのは自分のものだと思っているが実はそうではい。他人に左右されることはあってはならないが、運命も含めて自分のではないもの、ないところで動いている。
 このところようやくだが、自分はそのことがわかってきた。ある意味すべてのことは人為に関係なくなるようにしかならない。しかしまた全てのことには意味と理由、また原因もあって起こるのであるから、そこに気づかなくてはなない。

 母の病気もギリギリのところで何とか癌が原因でそれが転移して腸が癒着して食事が出来なくなっていることがわかった。癌の原発はそもそも子宮であったようだ。もし、あのとき大慌てで入院させなければきっと完全な手遅れで今頃は一周忌であったかと思える。何しろ近くの某TS会という大病院の医師は、食事ができず痩せてきたとき調べても原因がわからず言った言葉は「人は皆歳をとればどこかしら痛くも悪くもなる。食べられないのも歳のせいだから文句言わない」であった。そのままそれを受け入れて我慢していたら癌はさらに進んで手遅れで死んでいたことは間違いない。

 ユーミン、天才荒井由実の初期の頃のうたのフレーズに「すべてのことはメッセージ」という歌詞がある。そう、全て起こることはすべてがメッセージなのである。ただ、それをどう受け止め解釈していくかなのだ。人は愚かで鈍感な忘れっぽい動物であるから、ついそうした啓示に気づかず耳を貸さない。あの悲惨な原発大事故の後も今また、もう安全が確認されたからと再稼動を容認する輩は永久に救われない。
 問題は超地震多発国日本に再度起こる悲劇がこちらにも及ぶことだ。いや浜岡にしろどこの原発にしろ次に事故が起きたら世界の破滅であろう。
 
 老母の病気の話からつい話が流れたが、あえて今叫ぶ。原発許すまじ!と。

3.24のオープニングライブ残席僅かです。2012年03月05日 18時56分29秒

★ぜひぜひお早めにご予約を

 今日も昨日からの冷たい雨が降り続き午前中など真冬並みに寒かった。が、午後からウチの方は予報より早く雨は上がってきて、気温も上がってきた。明日は一気に今日より10度も高くなるのだそうだ。確かに雨の日は冷え込むし憂鬱でもこうして一雨ごとに暖かくなっていく。記録的厳冬でも季節は確実に進んでいる。夕方の犬の散歩で心に期するものがあった。何だかわからないがわくわくしてきた。

 さて、増坊の家で開催する無頼庵オープニング記念ライブであるが、もう新たに宣伝告知はしないでも良いような気持ちになってきた。まだ予定観客数の20名に予約者は満たないが、ほぼメドも付いてきたし、あまりまた新たにアドバルーンをあちこちで上げてしまうと逆に収まり切らなくなってしまう。
 まあそれは嬉しい誤算であり本当にそのぐらい観客が来れば素晴らしいが、あまり詰め込んでも息苦しいだけで落ち着けないし何事もほどほどが肝要かと思う。できるだけゆったり落ち着いて音楽をたのしんでもらいたい気持ちもある。

 ただ、これでもう締め切りということはしない。前売りチケットを作ってそれで予約が埋まったのではなく、あくまでも口約束のようなものなのだから必ず不都合が出来て来れない人もあろうし、逆に前回の時もいたがひょっこり当日来られる方もいる。こういうライブというのは当日フタを開けてみないと検討もつかない。ましてウチの場合、終わって皆が帰った頃になって来る人もいたりで、全く予測がつかない。
 
 自分としてはどなたであろうと来る者は拒まずだし、ウチで何をしようと何を持ち込もうとかまわない。まあ、タバコは室内なので観客席では遠慮してもらいたい。喫煙場所を別に作るのでそこで吸ってもらえればタバコだってかまわない。お酒も食べ物もミュージシャンへのカンパも大いに歓迎する。時間あれば唄いたい人は勝手にうたってくれてもかまわない。無礼講ならぬ無頼講で行けなのである。

 願わくばあと数人、全くの未知の方、一見さんに来てもらいたく思う。仲間内はそれはそれで気心も知れて楽ではあるが、緊張感もなくなるし世界が広がっていかない。こうした音楽、そして本やレコードも好きだというモノズキな人と出会いたい気持ちが強い。

 じっさいのところ人間関係とはいろいろ大変だし、もうじゅうぶん自分は良き友人達に恵まれたという思いもあるが、友達の友達はまた友達だという真理が成り立つならば、この場所を通して来られた方々にまた新しい出会いがあり新たな結びつきができることを心から願っている。それこそがフォークライブの楽しみでもあるのだ。
 
 新たな同好の士よぜひ来られよ! ワイルドサイドを歩け!

庭はぽかぽか心うきうき2012年03月06日 23時26分55秒

★春眠暁を覚えずどころか・・・

 今日6日は予報どおりものすごく暖かかった。上着がいらないどころか室内でも作業で体動かしていると汗ばむほどであった。

 何か気が緩んだのか疲れるようなこともしていないのに冬の疲れが出たのか、今日は昼飯まえにもだるくて30分ほど仮眠とって、夕方も犬散歩済ませて疲労感覚えて、1時間ほど寝ようと思ったらもう起きられず7時過ぎまで深く眠ってしまった。
 それから慌ててヤマトのベースまで注文本を出しに走ったりして今晩の夕飯は残り物で済ませてしまった。

 どうやら風邪気味らしい。書きたいことも多々あり今日の書く内容も決まっていたのだが、今ここで本格的な風邪でもひくと大変なことになる。親たちにうつるだけではなく、3.24にも関係してくる。出かける用事も予定が詰まっている。
 春だから眠いのか、それとも調子悪いからいくらでも眠れるのか。大事をとって申し訳ないが今日はこれでご勘弁を。

3.11を前に私ごとを少し2012年03月07日 21時33分46秒

★戦後ならぬ震後の新たなパラダイムを模索していく

 風邪っぽかったが、葛根湯飲んで、家にあったビタミン剤やらあれこれ摂って何とかやり過ごしている。まあいちばんは今日も昨日に引き続き暖かいおかげであるが。それでも夕方になると朝からの疲れで頭がぼーとしてきたので前後不覚で数時間仮眠して体調はスッキリした。今、晩飯の後、寝るまではまだ数時間ある。

 3.11が近づいてきて、テレビや新聞など震災を振り返りその後の今を追う特集番組や記事が大賑わいである。それは当然のことだし、忘れてはならない以前に今後の防災対策、特に首都圏直下地震はおそらく自分が生きている間に必ず来るのだろうからそうした「次の時」に備えておかねばならない。
 大津波にせよ、フクシマ原発周辺地区の避難者にせよ、それはヒトゴトだと考えれば自分とは関係のない他人事にすることは可能であろう。多摩地区の山近くに住む自分ならば津波も原発事故も関係ないとすましていられる。

 しかし、今回と同程度かそれ以上の大地震が東京の直下、ましてすぐ近くを走る立川断層で起これば震度は7以上となると予測されているし、この家だって一応耐震工法で建てたといっても無事だとの保証はどこにもない。まして、モノが、本が、レコードがものすごい量あるのである。今突然そうした大地震が来たら古本音楽ハウスは、オープニング記念ライブの前に倒壊してしまうであろう。倒壊しなくても半壊は間違いなく、下手すれば本棚や崩れた本の山に押しつぶされたり、出口は塞がれ火災なども起きるだろうから焼死する可能性も高い。

 ならばそんなことにならないよう我が家の防災計画と対策を立てるべきだが、せいぜいあまり高く本は積み上げないようにするとか、頭上からモノが落ちてこないように注意するぐらいであり、根本的なことには思いが及んでいない。ある意味そのときが来たらそのときだと思うし、家具を安定する金具を付けた程度で対応できる地震だとは考えないほうが良いと思える。いちばんすべきことはモノをこれ以上増やさないことともっと減らしていくことなのだが、それは基本理念であり、スローガンとしては大事だが可能であるか自らも疑わしい。

 結局次の震災に関しては、できることはある程度の防災用品と食料の備蓄と常にすぐ持ち出せるようにしておく生活物資と必需品を用意しておく程度であり、後は家族がバラバラになったときの連絡方法とか、避難場所を決めておくぐらいかと思う。そしてその上で最も大事なことはそれが来るという、いつ来ても良いぐらいの覚悟だと思う。
 どれだけ科学が進んでもまだ事前に予測はできないのが地震であり、緊急地震速報が鳴るたびに大慌てで外へ走って出るわけにも老人世帯ではできやしない。

 いつだってコトにおいては危険予知、危険予測の必要性が叫ばれる。自らの大地震に関しての対策はその程度しか思いつかないが、最も危険なのは、やはり安全神話が崩壊した原子力発電所である。全国各地に今も点在している老朽化した原発は日本列島全体が地震の活動期に入った今日、全てできるだけは早く全廃していかねばならない。フクシマの教訓から国民が知り学んだことは、原発はそれ自体のシステムにも問題あるが、より問題なのはそれを管理し稼動させる側、会社と行政システムにより大きな問題があるということだった。

 人類の課題、原子力の平和利用とか科学の進歩云々を言う以前に、東電、その官庁、今のこの国の原発推進派、科学者たちには人間の資質においてその原子の火を用いる資格がない。「原発ムラ」にむらがり国民の税金、電気代の中から甘い汁を吸う大企業や行政、政財官の金の亡者がいる限り、大津波に襲われなくても大地震で破損しなくても第二第三のメルトダウンは必ずまた起きよう。そのときはこの狭い日本、もうどこにも退避や避難することなんてできやしない。

 個人ができる防災対策よりも真にまずすべきことは何か3.11を前に今また問われている。

私ごとをもう少し2012年03月08日 16時03分24秒

★自らと向き合い内面を見つめ直すと

 今日もどんよりとした曇り空。昨晩もだが雨は降りそうだったが降らなかった。暖かい陽気が続いたせいか今日はややうすら寒く感じる。

 これは書くべきか迷っていたのだが、本当に私ごとを書くことにする。これを書かないことには次のブログに進めない。これを書くことはすごく恥ずかしい。が、これまでもすべてあからさまに書いてきた。ならば書かないわけにもいくまい。

 このところ3.24の宣伝告知もあって、友人知人たちにハガキやメールで連絡をとっていた。ハガキは約50人弱、メールはもう少し少ないが両方送った人も多いからまあその数はかなりのものとなる。
 中にはすぐに返信返答をハガキでも返してくれた方もいるが、そのかなりの部分、三分の二以上は返答も連絡も何も返ってこない。ダイレクトメールのような無味乾燥な印刷物ではなく、一応こちらは手書きで近況など一筆したためてはいるのだが。
 むろん、当日近くにならないと参加したくても予定が出ず返答できないという方も多いのかもしれない。返信が届いた人はすべてその日は都合が悪く参加できないという連絡であったから。
 自分は連絡が返らないことを全く問題としてはいない。自分だってこれまではきっと忙しさを自ら理由にしてそのままにしてきていたかと思う。
 ただ今回、一昨年のフォークロアセンター40周年記念コンサート以降、これまで音楽を通して関わりを持った人たちと改めて今回個々に連絡してみて人間関係というべきか、自分にとっての他者とはどういう存在なのか深く考えさせられた。そのことを書く。本当に私ごとだ。

 人は皆自分勝手で自分のこと、自分の都合しか考えない動物なんだと思うし、それに異論はないと思うが、それにしても私、増坊ほど自分勝手な自分のことしか考えない人間はいないのではないか。ようやくそのことに思い至った。※これまでも結果疎遠となった友人からは指摘されたことはあったがその時はピンと来なかった。

 物心ついてからはともかく、大学を出てからも自分にとってモノゴトの原則、関心というのは、自分のことだけであった。むろん、実人生や将来のことを真剣に考えるならそれは良い。だが、自分にとって自分のこととは自分の興味と関心のあることやモノだけであり、他者もそこに介在はしてくるが、それだっていかに楽しく面白いことが一緒にできるかということだけが存在理由であり、その人の立場や意志、気持ちに忖度することはまずなかった。

 物欲にも溺れたし、いかに自分が面白おかしく楽しく過ごせるかだけが大事であってまさにイソップ物語の中のアリとキリギリスの寓話のキリギリスのように刹那的にその場しのぎで生きてきた。以前はそれもまた自己責任において良しとしてきたし人様に迷惑さえかけなければどう生きたっていいじゃないかと開き直るように思っていた。
 ではそうした生き方に揺るがない自信があるかと言えばそれは全くなく、風にそよぐ葦のごとく、外の世界の働きかけにすぐに反応しては些細なことにでもすぐ動揺ばかりしていた。理由は簡単で、自分も含めてそうした人間には内実となる核というか、自らを律する原則がないからで、そのときどき外のことや他者に振り回されるばかりであった。それはマスコミに煽られて流行とされるファッションを次々買い求めるブランド女たちとどう違うのか。

 自分とはいったい何であるか。どんな人間であるのか。そしてどう生きるべきか。まっとうな人間であれば、たぶん大人になって社会に出ようとするとき、そして結婚や子供が生まれるときに嫌でも自問したに違いない。だが、自分はそのどれもせずにきちんとその問いに向き合うこともなく、いつまでも永遠の子供のままであるように、快楽だけを求めてこの年までのんべんだらりと生きてきたのである。
 何がしたいか、何が欲しいかはわかっていた。だからそれには忠実に生きてきた。だが、大切なことは何がしたいかではなく何をすべきかであった。そのことを考えず常にいい歳して楽しいことだけ追い求める生き方は当然あちこちで他者と軋轢を生む。常に自分のことだけしか考えない人間は誰からも相手にされなくなっていく。

 さすがにこのところこんな自分も内省的になってきて、自分の内面を覗きこんでみるようになった。実は今まではそうしたトラブルがあっても自らと向き合うことは避けてずっと逃げていた。それは酒によるところが大きい。呑んで酔っ払っ愚痴をこぼしてそのまま眠ってしまえば嫌なことは忘れられた。本当の自分と向き合うことが怖かったのだ。
 このところその酒とも離れて素面でいることが多いと、様々な漠然とした不安や怖れが高まってきて息苦しくなることが多い。また訳もなく怒りや苛立ちに襲われ、老親、特にボケ親父に高圧的になってついつい怒りをぶつけてしまう。

 これまではそうしたことは皆外の側、つまり問題も原因も他者にあるのだと思っていた。自分がイライラすること、訳のわからない不安に襲われることも皆誰々が悪いから、誰々のせいだと考えていた。しかし、ようやくついに気がついた。全ての問題はこの身のうち、自らにあったのである。
 つまり雨が降るといつも憂鬱になる自分だが、雨には責任もないし雨の日だって憂鬱にならない人だってたくさんいる。要は反応の仕方であり、それをどう主体的に良い方向にとらえるかだけのことであったのだ。ボケ老人と暮らしていても過剰に反応する人もいれば、まったく動じない人もいよう。ならばすべてにおいてできるだけ平静であるよう良い方向に心すれば良いだけことではないのか。

 自分はモノズキでモノが捨てられず、モノに囲まれてずっと生きてきた。でも真に大切なものはモノではなく、人であり人間関係であった。そして人が生きていることであった。そのことに気付かされたのはやはり3.11を体験し、津波被災地を一瞬でも垣間見、結局のところ最後は体だけ、身一つ、命だけしか残らないと認識したからだ。

 そして今思う。人は何をすべきなのか。まして残された人生自分は何ができるのか。常にその時々の快楽だけで生きてきた人間には、その中身、本質がまったくなかった。自分が生きていくだけの意味と価値、その原則を今さらであるが確立しなければと強く願う。

 いつどんなときでも外に何が起きても動じない心、そして他者に対して常に慈しみを持つようにしたいと願う。
 もうどんなことにも囚われず振り回されずに本当の人生、自分の人生をしっかり生きたい。このままではあまりに情けない。
 いい歳して恥ずかしいがこれは嘘偽りない気持ちなのだ。

あと二週間。2012年03月09日 06時00分22秒

★変えるべき変えられることを変える勇気を。

 明後日は3.11。そして24日まで二週間残すだけとなった。焦る気持ちより逸る気持ちが強いが、一つ一つやるべきことを心してやっていくしかない。今回はお手伝いの人は期待できないので当日になってもたつかないよう予め準備、料理の仕込みだけは済ませておかねばならない。

 雨の音で目が覚めた。外はまだ真っ暗だった。昨日はやや体調が悪く、腹を下したり胃がもたれているところに母が近所から採ってきた蕗の薹を天麩羅にしてくれというので揚げ物で晩飯にした。親たちは何ともなかったのに自分は腹が膨れて起きているのが苦しく9時ごろからベッドに入った。書かねばならない原稿もあったのだがいったん寝ることにして。うとうとはしたが胃もたれで寝付かれず、11時頃起きて胃薬を飲んでまた寝なおした。

 明け方、雨の音を聞きながら、ふと庭先に未整理の本の束を出しっぱなしにしていたことに気がつき慌てて取り込んでぞうきんで拭った。売り物になるとも思えない屑本でも雨に当ててわざわざ紙ゴミにする必要はない。そんなことをしてたら眠気もふっとんで頭もすっきりしてきた。どうやらもたれていた胃も消化したようだ。

 先にも書いたが、ローレンス・ブロックの傑作推理小説、“元アル中探偵”マット・スカダーシリーズの中に度々登場する主に教会で催され、マットが今も参加しているアルコール依存症連合会という断酒のための実在する団体がある。その団体の座右の銘というか、集会において必ず皆で唱える言葉がある。

 主よ、変えるべき変えられることを変える勇気を、
 変えられないことを受け入れる平和を、
 そしてその区別をつける知恵を与えたまえ

 そう、この祈りは、アルコール依存症のみならず、全ての人生に悩む人たちにとっても大いなる救いとなる。言うまでもなく、変えられないこととは過去のこと、過ぎてしまった日々のことであり、起きてしまった過ちや失敗、そして悲しい出来事をいくら悩み悔やんでも時は戻せない。ならばこれからのこと、つまり未来や将来に目を向けて変えられることを信じて変えていくしかない。つまり心乱されることなくやるべきことをやっていくだけだ。

 これから3,24が終わろうともあれこれやたら忙しくなっていく。過ぎたことを悔やみウツウツしていても仕方ない。幸いまだ人生は残っている。生きていればやり直しもきく。まだすべきこと、できることもある。

 今日は「社員」である友人を招き、ライブをする部屋を広く空けるため本を括って移動させたりいくつか作業して、夕方から長く入院していた友人が退院となるので彼のアパートに行き掃除したり片付けの手伝いに行く。明日も明後日も出かける用事がある。これからのライブ予定などは後ほどお知らせしたい。

ようやく予約は満たされた。2012年03月10日 08時48分26秒

★3.10日の増坊は・・・

 雨はまだ降り続いている。
 長い雨である。一昨日深夜から降りだした雨は、昨日は一日、一度も途切れることなくひたすら降り続いていた。まるで3.11を前に日本中の涙をふりしぼるように。

 いろいろ出かける用事が続くが、今日はまずバロンも出る高円寺でのライブがある。

 と、ここまで書いて昼過ぎ大慌てで家を飛び出した。雨はもう上がっていた。
 座・高円寺という新たなホールの建物になってからそこは初めてだった。バロンたちは今回はトリオで登場し、限られた時間の中ではなかなか盛りだくさんで良い出来であったが、全体としてあれこれ出演者が多くてまとまりがなくピントが定まらない印象を受けた。
 中でもゲストのピンク色服の夫婦芸人は今回必要であったかと思わなくもない。ただ、宮川泰の名曲「若いってすばらしい」の元祖アイドル槇みちるを初めて生で観れその唄が聴けたのには感激した。また、噂のユニット「ちくわぶ」は予想以上に音楽センスある素晴らしい二人組だった。ぜひウチにも呼びたいと思う。寒空はだかさんが司会進行だったがやや貧乏くじをひいたようで何だかちょっと気の毒な感じもした。
 その後、今日は西荻のみ亭で、中川五郎さんのライブがあったので、本来の予定であったそちらに向った。
 
 ライブはもう終わったところで、五郎さんのうたは聴けなかったが、24日の現況報告もできたし、その翌日のみ亭で企画した中ムラサトコの宣伝ハガキを置いてきたりと一応の用件は果たせた。
 あとから近くのフレンチ料理店でライブのあった熊坂るっちゃんもトリオで駆けつけて夜が更けてからのみ亭は大いに盛り上がった。

 自分はヒゴさんや五郎さんたちと零時前に店を出て、終電前の拝島行きで無事に帰ってこれた。
 3.24のウチでのライブ、予約もこの何日かでほぼ予定数埋まったし、まだお客を迎え入れるため会場設営、本や不要なもの等の片付けや移動などやることはいくつもあるが、今の気分は悪くない。ようやく観客確保悩みは遠のいたと思える。何とか満席になるだろう。
 3.11の前日に申し訳ないが、今はなべてこの世はコトもなしという気持ちである。まだ当日が来ていないのにとりあえず一段落、ホッとしたというのが正直な報告である。
ありがとうございました。さあ、これから24日の準備にとりかかれる。