最初から最後まで全身フォークシンガー中川五郎2012年03月02日 23時24分49秒

★本当の「うた」を唄い続けるフォークソングのトップランナー

 うたとは何かずっと考え続けている。

 昔の人は、心に太陽を持て、そして唇にはうたを、と言った。そう、それは全く正しい。うた、そして音楽は、人を励まし癒し気分を変えて人を元気づけてくれる。だいいち、唄うことは一人で唄っていてもとても楽しい。だから鼻歌のようなものだってうただし、一人かカラオケでマイク握り締めて唄うのだって立派なうたに違いない。

 しかし、うたにはあるメッセージ伝達の手段としての側面もある。昔はメディアも発達していなかったから大きな事件が起きるとうたとして情報は流れたし、新聞などはあっても字が読める人も少なかったからその事件のことをうたった「うた」がいくつも生まれた。
 米国のカントリーには、バラッド、物語うたとか、マーダーソング、殺人事件のことをうたったうたがいくつもあった。むろん権力者やときの政府をうたにして風刺したり批判することも当然あった。そうした時事ネタはトピカルソングと呼ばれたし、また別れた恋人のことを思ううた、死んだ人を偲ぶうた、遠く離れた故郷を思ううたなども星の数ほど生まれた。うたとは生活の中から生まれる生活そのものでもあった。

 そうしたメッセージ性のあるうた、それを仮にフォークソングと呼ぶとして、英語では唄い始めの決まり文句がある。「Come gather round me friends And I'll tell you a tale」、ディランもこれを1964年のアルバム「時代は変わる」の中の「ノース・カントリー・ブルース」で使っている。日本語に訳すれば「おいで、みなさん聞いとくれ」となろう。

 真崎義博という翻訳家がいる。昔雑誌宝島が植草甚一を擁してまだヒッピーかぶれの若者向け雑誌であった頃、誌上でソローの「森の生活」を新たに訳していた。増坊が知った頃は、多分彼はもう翻訳しかやっていなかったのかと思うが、もともとはボブ・ディランをもっとも早く日本語に訳して紹介し唄った人で、1967年の京都高尾でやった第一回フォークキャンプではボロ・ディランと呼ばれたフォークシンガーであった。

 そのボロ・ディランが本家ディランの「ノース・カントリー・ブルース」を「炭鉱町のブルース」として日本語にしてフォークキャンプでうたった。原曲そのままマイナー調の暗い曲である。うろ覚えだが、たしかこんな歌詞だった。
 ♪おいでみなさん聞いとくれ
   貼紙だらけの炭鉱町
   年寄りだけしか残らない
   こんな話をきいとくれ

 この曲を聴いてアメリカのフォークソングにかぶれ一人でギターを弾き向こうの曲を自ら訳しながら唄い出していた大阪の高校生が替え歌を作って発表した。
 ♪おいでみなさん聞いとくれ
   おいらは悲しい受験生
   地獄のような毎日を
   どうかみなさん聞いとくれ

 そう、これはご存知人気者高石友也が歌って大ヒットした「受験生ブルース」の原曲である。その高校生こそが中川五郎であった。

 「原曲」というのは、そのレコード化されてヒットした曲はディランのそれとはメロディが全く違うからで、彼らが所属したインディーズレコード会社URCの秦社長が、その前に大ヒットしたフォークルの「かえってきたヨッパライ」の二番煎じを狙って、コミカルになるよう明るく別のものに変えさせたからだ。まあ、だからこそ高石バージョンはヒットしたのだが。

 その「受験生ブルース」が発売されたのが68年の2月。そこからだってもうちょうど44年が過ぎた。中川五郎はその前から高石友也のコンサートで唄い始めているから、実に音楽活動歴は45年を超している。
 この恐るべき早熟な天才は、拙ブログでも何度も取上げて紹介したピート・シーガーの名曲「腰まで泥まみれ」を極めて巧みに日本語に移し変えてその67年のフォークキャンプで早くもうたったと記録されている。

 中川五郎こそ、1960年代半ばから今日2012年まで、世紀を挟んでうたの原点に立って唄い続けている唯一孤高のシンガーである。増坊は心底尊敬し神のように崇める。高石さんも岡林もかつてはその場所にいた。しかし彼らは途中早くもその座からすぐに降りてしまい日本のフォークとは結果として情けない貧乏イメージ、「神田川」や「学生街の喫茶店」のような四畳半世界に閉塞した今や懐メロと堕ちてしまった。

 しかし、敬愛する五郎さんこそがただ一人、当時のスピリッツを今に伝え変わらぬメッセージ、うたの志を元気に今の時代もうたい続けている。こんな人は知る限りいない。
 中川五郎こそがうたとは何かを示しており、人は何をうたうのかという問いかけに答えている。ゆえに増坊は勝手にこう呼んでいる。「ミスターフォークソング」と。自分にとってディランやピート・シーガーよりも尊敬する真に偉大なフォークソングの神様である。
 
そんな素晴らしい人を我が家に招くのだ。何と畏れ多いことか。3月24日はもうすぐだ。期待と不安で胸が高鳴る。音楽の神様のご加護あれ。