母の手術から一年が過ぎて・・2012年03月04日 16時01分02秒

★近況報告の続きというか思うことなどを少し。

 また今日もどんより曇り空。もう肌を刺すような寒さではないが、外は薄ら寒い。洗濯したものが干せないし乾かないので困る。

 花粉症ではないと思うのだが、クシャミして何だか鼻水も出てちょっと頭痛もしたので今朝は用事を済ませてから昼過ぎまで朝飯も食べずに眠り込んでしまった。予定では今晩も新宿のライブに行くはずだったが、今どうしたものか迷うところだ。自分はつくづく出不精だと思う。こちらは出かけないの皆さんウチに来てくれというのは虫の良い話であるか。

 昨日3月3日、雛祭りの日は、一年前ちょうど母が大腸の上の方にできていた癌部の癒着した腸もろとも1メートル近くその固まりを回復手術でとった日であった。すっかり忘れていた。まったく人間は喉下過ぎれば暑さ忘れて涼しい顔をしているものだと呆れ果てる。手術から一年が過ぎたのかと感慨がわく。

 さっき天皇陛下が退院されたとニュースで知り、そのことを母自身が思い出したのだ。実にノンキ者である。天皇もだが、今は、手術もケアも進んでいるから、手術の翌日ぐらいからすぐリハビリを始めて二週間ほどで退院させてしまう。確かに術後寝たきりにしておくと血栓もできたり筋力も衰えてしまいまた新たな病気になる。何はともあれ天皇も心臓の難手術が無事終わり退院となられて良かったとほっとした。

 母も大手術のわりには割りと早く月末を待たずに退院できたのではなかったか。その後、退院後しばらくは経過も良好で癌は取り除いたから治ったと思っていたのに、わずか半年ぐらいでまた手術した箇所周辺に新たに腫瘍の発生が確認され、再発が告知された。
 一時期は動揺もあったが、幸いにして11月から始めた抗癌剤治療が効果を上げたようで、腫瘍も縮小してきたようでまあ手術から一年を無事に迎えたということだ。

 それにしても癌が発見されるまでの母の体調が日々悪化していった頃は本当に辛かった。もう一昨年になるけだが、秋口から食事が食べられずどんどん痩せ始め、原因も不明で胃痛や下痢、ときに吐き気もあり40キロあった体重が30キロそこそこまで落ちてしまった。足に浮腫みも出て腹水も溜まってきてこのままだと命にかかわると思い緊急入院させ徹底的な検査でようやく癌が発見されそこから治療が始まったのだった。

 その後も腹膜炎で高熱出したり、腸閉塞で便が出なくてなり点滴だけで栄養を入れて鼻から水分をチューブで抜き取るという難事を乗り越えて当初は無理だと言われていた開腹手術も出来たのである。今の穏やかな日々からついそんな悪夢のような頃のことはすっかり忘れているがつい1年ちょっと前のことだったのだ。

 漱石が修善寺の大患のあと明治43年に作った俳句に、

 生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉

 生き返るわれ嬉しさよ菊の秋

 という句がある。
 一時は意識不明の臨死状態にまでになり、奇跡的に生還したときの感慨を詠んだ名句であるが、まさにその気持ちであったろう。母の場合もこれに近いものがあり、この句の季語を沈丁花に変えればまた偽わざる気持ちだと思う。当事者でない自分もまた同様な思いがした。

 まあ、人は自ら生きていると思い込んでいるが、実は生きているのではなく生かされているのであり、命というのは自分のものだと思っているが実はそうではい。他人に左右されることはあってはならないが、運命も含めて自分のではないもの、ないところで動いている。
 このところようやくだが、自分はそのことがわかってきた。ある意味すべてのことは人為に関係なくなるようにしかならない。しかしまた全てのことには意味と理由、また原因もあって起こるのであるから、そこに気づかなくてはなない。

 母の病気もギリギリのところで何とか癌が原因でそれが転移して腸が癒着して食事が出来なくなっていることがわかった。癌の原発はそもそも子宮であったようだ。もし、あのとき大慌てで入院させなければきっと完全な手遅れで今頃は一周忌であったかと思える。何しろ近くの某TS会という大病院の医師は、食事ができず痩せてきたとき調べても原因がわからず言った言葉は「人は皆歳をとればどこかしら痛くも悪くもなる。食べられないのも歳のせいだから文句言わない」であった。そのままそれを受け入れて我慢していたら癌はさらに進んで手遅れで死んでいたことは間違いない。

 ユーミン、天才荒井由実の初期の頃のうたのフレーズに「すべてのことはメッセージ」という歌詞がある。そう、全て起こることはすべてがメッセージなのである。ただ、それをどう受け止め解釈していくかなのだ。人は愚かで鈍感な忘れっぽい動物であるから、ついそうした啓示に気づかず耳を貸さない。あの悲惨な原発大事故の後も今また、もう安全が確認されたからと再稼動を容認する輩は永久に救われない。
 問題は超地震多発国日本に再度起こる悲劇がこちらにも及ぶことだ。いや浜岡にしろどこの原発にしろ次に事故が起きたら世界の破滅であろう。
 
 老母の病気の話からつい話が流れたが、あえて今叫ぶ。原発許すまじ!と。