3.11を前に私ごとを少し2012年03月07日 21時33分46秒

★戦後ならぬ震後の新たなパラダイムを模索していく

 風邪っぽかったが、葛根湯飲んで、家にあったビタミン剤やらあれこれ摂って何とかやり過ごしている。まあいちばんは今日も昨日に引き続き暖かいおかげであるが。それでも夕方になると朝からの疲れで頭がぼーとしてきたので前後不覚で数時間仮眠して体調はスッキリした。今、晩飯の後、寝るまではまだ数時間ある。

 3.11が近づいてきて、テレビや新聞など震災を振り返りその後の今を追う特集番組や記事が大賑わいである。それは当然のことだし、忘れてはならない以前に今後の防災対策、特に首都圏直下地震はおそらく自分が生きている間に必ず来るのだろうからそうした「次の時」に備えておかねばならない。
 大津波にせよ、フクシマ原発周辺地区の避難者にせよ、それはヒトゴトだと考えれば自分とは関係のない他人事にすることは可能であろう。多摩地区の山近くに住む自分ならば津波も原発事故も関係ないとすましていられる。

 しかし、今回と同程度かそれ以上の大地震が東京の直下、ましてすぐ近くを走る立川断層で起これば震度は7以上となると予測されているし、この家だって一応耐震工法で建てたといっても無事だとの保証はどこにもない。まして、モノが、本が、レコードがものすごい量あるのである。今突然そうした大地震が来たら古本音楽ハウスは、オープニング記念ライブの前に倒壊してしまうであろう。倒壊しなくても半壊は間違いなく、下手すれば本棚や崩れた本の山に押しつぶされたり、出口は塞がれ火災なども起きるだろうから焼死する可能性も高い。

 ならばそんなことにならないよう我が家の防災計画と対策を立てるべきだが、せいぜいあまり高く本は積み上げないようにするとか、頭上からモノが落ちてこないように注意するぐらいであり、根本的なことには思いが及んでいない。ある意味そのときが来たらそのときだと思うし、家具を安定する金具を付けた程度で対応できる地震だとは考えないほうが良いと思える。いちばんすべきことはモノをこれ以上増やさないことともっと減らしていくことなのだが、それは基本理念であり、スローガンとしては大事だが可能であるか自らも疑わしい。

 結局次の震災に関しては、できることはある程度の防災用品と食料の備蓄と常にすぐ持ち出せるようにしておく生活物資と必需品を用意しておく程度であり、後は家族がバラバラになったときの連絡方法とか、避難場所を決めておくぐらいかと思う。そしてその上で最も大事なことはそれが来るという、いつ来ても良いぐらいの覚悟だと思う。
 どれだけ科学が進んでもまだ事前に予測はできないのが地震であり、緊急地震速報が鳴るたびに大慌てで外へ走って出るわけにも老人世帯ではできやしない。

 いつだってコトにおいては危険予知、危険予測の必要性が叫ばれる。自らの大地震に関しての対策はその程度しか思いつかないが、最も危険なのは、やはり安全神話が崩壊した原子力発電所である。全国各地に今も点在している老朽化した原発は日本列島全体が地震の活動期に入った今日、全てできるだけは早く全廃していかねばならない。フクシマの教訓から国民が知り学んだことは、原発はそれ自体のシステムにも問題あるが、より問題なのはそれを管理し稼動させる側、会社と行政システムにより大きな問題があるということだった。

 人類の課題、原子力の平和利用とか科学の進歩云々を言う以前に、東電、その官庁、今のこの国の原発推進派、科学者たちには人間の資質においてその原子の火を用いる資格がない。「原発ムラ」にむらがり国民の税金、電気代の中から甘い汁を吸う大企業や行政、政財官の金の亡者がいる限り、大津波に襲われなくても大地震で破損しなくても第二第三のメルトダウンは必ずまた起きよう。そのときはこの狭い日本、もうどこにも退避や避難することなんてできやしない。

 個人ができる防災対策よりも真にまずすべきことは何か3.11を前に今また問われている。