全てのことに時と場所と人が関係してくる2012年03月13日 22時48分18秒

★そこに場所の魅力、吸引力はあるか。

 このところ陽射しはだいぶ強くなって、日中は本当に暖かい日が続く。夕方になると北風も強く夜はまだかなり冷え込むが、もう朝も氷が張っていることはないし、ようやく本当に春が来たという実感がある。朝から晴れて穏やかな陽射しだとそれだけでほっとしてくる。まだ新潟や北国では連日大雪で大変な苦労されている状況があるが、春はもうすぐそこだとエールを送りたい。

 既にこれから6月頃までの予定は出てきたのだが、今はまずはともかく今月24日のウチに観客を招いての律五郎のライブであり、このところ連日その準備に追われている。が、親たちを病院に連れて行く用事なども重なって、なかなか作業に専念できないという現実にやや焦り気味でもある。

 これまで既に2回、内覧会としてプレプレオープニングと、クリスマス会を行い、客人を招いてはいるのだが、じっさいのところとりあえず場所だけ、座れる空間だけは作ったというのが正直なところで、ブックカフェ、あるいは古本ハウスとしての全体像は実はまだ完成していない。
 今回はプロミュージシャンをお招きするというだけでなく、「オープニング記念」と銘打っているので、完成した姿をお見せしなければならない。だが、まだ壁の周り口とか天井とか白木のまま塗っていないところも多々あるし、自分が思い描く完成形とは程遠いというのが現実なのだ。
 なので、当日の準備以前に、まだ大広間に平積みにしてある本を整理してどかしたり、あちこちペンキ塗ったりと事前にできることやるべきことがまだまだ山ほどあって、どこまで「古本ハウス」としてお見せできるかあと残り10日間の奮闘にかかっている。

 以前は片付いていなくても、あるがままそっくりそのまま見せてしまってもかまわないと考えていた。隠したってしょうがないじゃないか。それがこの俺、自分なのだからと。が、考えてみれば汚い片付いていない他人家(ひとんち)なんか誰だって来たくないし、一度は来てくれたとしても呆れ果ててもう二度と来てはくれない。金をとろうがとらなかろうが、ともかく客人を広く招くからにはそれなりの快適なスペースと迎え入れる体制が整っていなくてはならない。何よりお客に失礼にあたろう。

 考えてみれば、中川五郎氏と村上律氏のライブは決して特別に珍しい組み合わせでもないしわざわざ今回青梅線沿線まで足を運ばないと見れないわけでもない。ならばお客が来るのは、彼らのライブに加えてウチに来るのが楽しみだからのはずで、どこまでその期待に応えられるか自信はないが、その努力と準備はしなければならないはずだ。それが客商売ということではないか。

 ライブコンサートということだけとらえても、成功した良いライブというのは、出演アーチストの質や技量、コンディションなども大きいが、それと同じぐらいいつ、どこでそれをやるか、どんなお客が来るかということによってかなり左右される。
 去年の今頃に企画していたら当然大震災直後で中止となっていただろうし、無理に決行しても観客は来なかっただろう。また、こうした音楽に理解と関心のある客層でなければ満席であろうと乗りは悪く、演者は不完全燃焼となるかもしれない。そして何よりも会場となる場所がそれに見合った空間であるのとその雰囲気がない限り、観客もアーチストも落ち着かずうたと演奏に集中できないことは想像に難くない。

 自分も好きなミュージシャンのライブがあることを知り、それに行こうと考えてもその場所と企画者が自分の好みに合わない場合はどうしたものかと躊躇ってしまう。店は良くても会いたくないマスターもいる。それは遠い近いという次元の話とはまた違う。けっきょくのところそれは「居心地」の問題なのだと気がつく。自分の好きな場所、お店とはつまるところ居心地の良い場所なのである。誰だってそうだろう。

 果たしてウチ「無頼庵」がそんな居心地の良いスペースとなりえるか。そこに魅力はあるのか。大いなる不安を抱えつつ今せっせっと必死にお客様を迎え入れる仕度をしているのだ。