無頼庵オープニング記念ライブ大盛況のうちに終了す。2012年03月24日 16時14分45秒

★35年目の中川五郎

 おかげさまで3月24日の拙宅での中川五郎、村上律氏を招いてのオープニング記念のライブは盛況のうちに終わった。まずご来場された方、お手伝いとご協力の方、それに応援ご声援頂き拙ブログ読者の方々すべてに深く感謝したい。

 今これを書いているのは日付も変わって25日の午前2時過ぎ。遠方から来られて雑魚寝で泊まられている人もいるのだが、ともかく無事にイベントは終わった。今心からほっとしている。毎度ながらいろいろ不手際続きで、満足感などはほとんどないが、お客も席が足りないほど入ったし、積年の課題がついにようやく終わったという感慨が深い。
 
 この家自体は昨年の今頃には一応の「完成」となっていたので、もっと早く今回の企画はできなくもなかった。じっさい、五郎さんたちには一昨年か、もっと前から家が完成した暁にはぜひにと、内内に内諾をとっていたのだ。
 ただ、昨年は年明けから母が癌で入院手術、そして自宅療養、さらにはまた再発、抗癌治療と介護やら病院通いにずっと忙しくて、とても人を招いてイベントなどできなかった。今年は抗癌剤が効果を上げて母もだいぶ元気になったので、1年遅れでついに実現したのだ。
 そうした数年来の懸案のことが、いや、家が完成となったらフォーク・ミュージシャンを自宅に招き記念のライブイベントをしたいという夢は昔から思い描いたことだったのだからまさに積年の思いが今日実現したのである。
 夢がかなった満足感はまだわかないが、今は肩の荷が下りたというべきか、これが無事に終わるまではと心にずっと決めていたので、今の心は白紙状態である。ともかく終わった。ほっとしている。これからはお手伝いしてくれた方、そして来られた方々皆さんすべて恩返しをしていきたいと切に思っている。

 それにしても家でライブを行うこととはいったいどういうことなのか、その歓び、楽しみは自分にとってどこにあるのかとふと考える。ライブが始まれば雑用がやたらあって、おちおちじっくり観賞もできないし、日時決定してからは宣伝集客にずっと頭を悩ました。人様が企画したライブに行けば、客の入りが悪かろうと何も悩みも考えもしないし、もてなしも含めて一切何も気にしなくて済む。
 ということは、これは音楽じたいの楽しみではなく、場を作ること、つまり企画を立てて自宅に人様を招く楽しみ歓びなのかと思えてきた。いわば、泣いた赤鬼的淋しさ、疎外者からの自己アッピールなのかとも思える。
 普通の人はこんなことまず絶対しない。フォークソングとそのシンガーがどれほど好きだとしても、またもっと広いライブスペースを持っていたとしても自宅でライブなどはまずやらないであろう。自分はなぜこれをやろうとしたのか、そこにどこに目的、理由はあるのだろうか。

 中川五郎さんを知り、向こうは記憶などないだろうが、コンサートのあと、追いかけて話をしてサインをもらってから実に35年か36年経つ。途中、彼も音楽を離れていたこともあったし、こちらも全くフォークソングのライブなど忘れていた時期もある。が、77年の春一で、いや、その前に都内のどこかのイベントで聴いたのか、そのときからずっとファンになり、憧れ尊敬し続けてきた。そしてもし家が完成して何か記念イベントをやるとしたらぜひ彼にウチに来てもらいたいと思っていたのだ。

 いつの日か、もし家でライブができるようになったらプロを呼ぶとしたらまず誰よりも中川五郎だと昔からずっと決めていた。その夢がついにかなった。
 しかし、一昨日、村上律氏が先に楽器を置きにウチに来て頂いたときは会場となる部屋はものすごい有様で、呆れ怖気づくほどであったようだ。今日は早朝から件の秘密結社仲間が来てくれて会場設営は成ったが彼もまた毎度の片付かなさに呆れ果てていた。
 その晩は少し落ち込んで、自宅でライブをやるということは、何も捨てられない欲にかられた自らの狂気とだらしなさを人様を招いてご披露することではないのかと暗澹たる気持ちになった。つまりそんなことさえしなければ、そうしたマスダの片づけられない、だらしないという秘密は隠しておけるのに何故なのであろうか。

 でも今の気持ちとしてはやはりやって良かったとつくづく思える。こんなことは口が裂けても「すべきこと」だなんて言えやしない。ただ、自分にも「できること」はある。ならばどんなに大変であろうとももし来られたお客様と出演者方がいくらかでも満足してもらえるのならやはりやる価値はあるしそこには喜びもある。

 まだ先のことはまったく未定だが、お客集めに苦労しないですむとしたらぜひまたライブは続けていきたい。自分は来る者はすべて拒まない。どんな人が来て何をしようとまず受け入れてそこからやっていく。できるだけ来てくれた皆さんが楽しくハッピーになれるのであれば、自分も楽しくハッピーである。自分にとってのライブ、そしてうたとはそうした関係性に他ならないと気がついた。

 どうも有難うございました。ぜひまたのお越しをお待ちしております。