フォークソングのワークショップ開催に向けて・後2012年04月01日 05時02分11秒

★まずはここから、すべきことを、少しづつ

《前回の続き》
 と、エラソーなことを書いてきた。
 ときどきふと思うのは、無頼庵でのライブパーティにせよ、コンサートの企画にせよ、自分では良かれと思い、「やるべきこと」と考えてやったとしても実はそうではなく、まったくの不要のことではないだろうか。

 先に書いたことすらもやるべきことでもする価値のあることでも何でもなく、単に自分がやりたいだけのことかもしれない。それを勝手に使命感にすり替えているのかとも考えられる。
 自分がやっていることは何にせよフォークソングやその歌い手にとって不要な余計なことではないのか。ふと何かの拍子に真夜中に目が覚めたときなどそうした思いにとらわれ胸の奥底に震えが来る。

 この世の中には様々な「正義」や正しいことがある。今の首相が、命をかけて消費税を上げる、と宣言しているのも彼は愚かにもそこに「正義」がありそれが正しいことだと信じているからであろう。つまりそうしないとこの国は大変なことになるのだと。社会保障との兼ね合いで。
 だが、それは間違った正義であり、今非正規労働者がやたらに増えて、自分も含めて年収が100万~200万もない貧困層が増大している今日、そうした庶民から税をむしりとることはますます景気を冷えさせ国家としての自殺行為に等しい。収入は増えないのに今より出費が増えたら貧乏人と小売業は生きていけなくなる。
 かつて3%から5%にわずか2%のアップでさえその後景気はまた長く低迷する端緒になったではないか。それを一気に倍、10%にすることが国民の生活に責任のある政治家のすべきことだと常識的に考えても理解できない。まず財源を確保してからといういう発想自体がそもそもおかしい。ない袖はふれないのだから貧しい貧困層から少ない金をむしりとるのではなく、米軍への思いやり予算をまず削るとか大企業、富裕層に課税するとかもっと他からも無駄を削って金をねん出する努力をして真に安心できる社会保障の制度ができてから国民に負担を強いるべきであろう。国民から政党助成金なる名目で多額の金を搾取している政治家がその金も返納せずに増税をお願いするとは笑わせる。

 つい話はそれた。が、世の中には間違った正義がたくさんある。大阪の某市長のようにその正義を振りかざしまたそれを正しいことだと支持賛同する無見識もたくさんいる。思うに何にせよ、正義、正しいこととは、それを口にし自らがすべきことと信じ込んだ時に変質していくものではないだろうか。人さまのことはともかくも自分は自らに問い直したい。正しいことなどどこにもないんだと、それをやるべきことだなんておこがましいと。

 結局のところ、自分は音楽が好きで本が好きで、古いもの全般が好きで、その好きだという思いが書くという表現になる。
 今はその延長線上で無頼庵で何かそれに関連したことをやっていく。自分がやっていることが正しいことだとかすべきことだなんて考えない。ただ、単にやりたいから、面白そうだからやっていく。でも正直告白するとだとしたらとてもやれないこともある。自己犠牲の部分は何かしらの使命感、義務感なしにはとてもできやしない。パーティの裏方、接待側はあまり楽しくも愉快でもない。単に気を遣い労力を費やすだけのものだと思えてきた。
 しかし、たぶん自分は人間がきっと好きで、人と関わりその人のためになりたいのだと思う。人が好きで音楽が好きで、本にまつわること、音楽にまつわることが好きなんだと思う。そしてそれら全部を個々に取り上げて書き記したり総合的に組み合わせてイベントにもっていく。たぶんそういうことが好きなんだ。きっと。物好きにもほどがあるが。

 というわけでまず4月の半ば頃、数日間試験的にオープンして、フォークソングワークショップの説明会をやります。どなたでもお気軽に来てください。
 日時はのちほどお知らせします。

レコードプレイヤー再起動2012年04月02日 17時50分01秒

★無頼庵ではレコード芸術を追い求めていく。

 4月に入って第一週、初めの月曜日である。
 社会人や会社勤め、学校関係の方は、年度も変わり慌しくそれぞれ新たな思いや気分に追われていることと想像するが、万年自営業の世間様が見ればセミリタイアしているような自分には新年度になろうが一切関係ないし感慨もわかない。ただ、春四月になったとたん急に慌しくなって今月は土日ごとに出かけるライブやらの用事が入って落ち着かない。たぶんそれは社会人の人たちも同様のはずでこんな自分でも忙しくなっているのだから今思うとやはり3月のうちにイベントがやれて良かったかと思う。

 おかげさまでこのところ老親たちの体調は風邪もひかず良かったので、病院通いの間が空いていた。今日月曜日は、自分の左小指の骨折の経過診断に、一週間ぶりに立川の病院へ行ってきた。ちょうど母も抗がん剤投与のため入院する直前の血液検査の日であった。だもんで午前から親子で病院へ行き昼過ぎに帰ってきた。
 
 自分の方は治療も何もただレントゲンをまた撮って、折れた箇所がずれていないか確認して当て木をした指の包帯を巻きなおすだけ。塗り薬も何もない。一週間ずっと巻きっぱなしの薄黒く汚れてクタクタになった包帯を外してもらい、一度手を石鹸で洗ってからまた新たに包帯を巻かれて一週間後また来いと言われた。それで治療は終わり。

 何だかバカバカしい気もするし、特に痛むわけでもなく包帯を巻かれてギブスされていると左の掌が曲げられず不便なだけだからともかくこれはメンドーだなあという憂鬱気分である。しかし、じっさい伸ばしっぱなしの小指を久々にちょっと折り曲げてみると、もう固まって曲げられないし曲げてもかなり痛む。折れたのは関節の部分の骨だから、確かに折れたまま痛みを堪えて普通の生活しているとそこはヘンなふうに固まってずっと痛いままだろうからギターも弾けなくなると思えてきた。
 リハビリのこともだが、またギターが前のように弾けるのかいちばん不安だが、元に戻るまでかなり時間がかかることだけは間違いなくこりゃ大変だなあと改めて思った。まずは包帯がとれればどれほど気分は楽になるかである。

 さて、このところオープニングイベントも終わってやや時間も出来たので、昨日ずっと懸案だったレコードプレイヤーを屋根裏倉庫から降ろしてアンプとつないで起動させてみた。先日のそのイベントライブのときにレコードをかけられるようにしておくつもりだったが、プレイヤーを据える場所もなくそれどころではないと断念したのだ。ただ、無頼庵が「完成」したときから一日も早くレコードの音楽が流せるようにしたいと考えていた。まずはお客が座れるスペースを作るのが優先され後回しになっていたのである。

 恥ずかしい話、レコードをかけるのはもう10年ぶりぐらいになるかもしれない。家の工事が始まる前、むろんオーディオラックには、カセットデッキ、MD、そしてCDプレイヤーなどと一緒に一番上の棚にDENONのレコードプレイヤーが乗っかっていた。
 が、今思うとその頃はレコードを聴く気分ではないほど家庭内、家中がガタガタゴチャゴチャしていて、音楽なんてほとんど聞かなかったし、聴いてもCDだったりCDラジカセでラジオを流す程度で、レコードは全く聴いていなかったのだ。いや、パソコンが来てからは、もうほとんどパソコン内のプレイヤーで録音したり聴いたりしていたのだった。

 理由はレコード世代ならおわかりかと思うが、レコードをかけるというのはかなり面倒くさいのである。CDならケースから出してプレイヤーに入れてボタンを押せばそれだけですぐ聴ける。手間はほとんどかからない。が、レコードは、まず盤面の埃をとったり、針先を拭いたり、ジャケットから出したり入れたりと聴くにはそれなりの手順が必要なのだ。ある意味、お茶とかお花など茶道、華道のように、落ち着いて心静かに、の様式美の世界なのである。気が急いているときや慌ただしいときは、レコードをかける気分にはなれないし、そんなとき慌てて針を下ろすと手が滑って針とレコードに傷つけたりしてしまう。

 今思うと、前のようなごちゃごちゃした雑然とした片付いていない部屋ではとてもレコードをかける気分にはなれなかった。だからついより簡便なシステムばかりに頼っていたのであろう。そしてようやく今落ち着いて心静かにレコードを聴こうという気分になってきたのだ。

 さて、ではそのレコード、どのぐらい持っているのかというと、三千枚以上としかわからない。自分でもいったい何をどのぐらいあるのか数えたこともないし、今無頼庵の棚に入っているのが全てではない。まだ借りている倉庫の中に箱詰めにしてあるのが山ほどあるし、おそらく全体では万単位にはならないと願うが限りなくそれに近い数のLPがあるのでないかと想像している。
 そしてそれを聴いたのかというと実はほとんど聴いていない。もうずいぶん昔、自分が30代から40代前半にかけての頃、割と硬い仕事に就いて勤め人をやっていた。その頃は一応定収もあったから稼いだ金で、休みごとに都心に出ては同好趣味のニュージーランド人の友人と狂ったように中古レコードを買い漁っていたのだ。数寄屋橋のハンターが当時は健在だったから二人して足繁く通い掘り出しもんを求めて一枚100円のレコード棚を漁っては行くたびに何十枚も買い求めていた。月にすると何百枚である。

 その頃の自分の趣味はオーディオとレコードコレクターで、世界中のへんなレコードを全部集めるというおバカな野望を立てていたのである。その収集熱は、そのガイジンが母国へ帰ったので自然冷めたのだが、自分はモノを捨てない主義なので、今も70年代から80年代の洋楽とジャズ、ラテンを中心にその頃集めたレコードが膨大にある。そしてそこに若いときからのフォークソングや歌謡曲のレコードが加わりその数1万枚に近いのである。話半分に聞いてかまわないが、決して誇張ではない。
《この話もう一回だけ続く》

続・レコードプレイヤー再起動2012年04月03日 05時57分41秒

★レコードの魅力、その味わいの深さを知らしめたい。

 今の人は、レコードをかけたこともレコードで音楽を聴いたこともましてデカイスピーカーで音を鳴らしたこともないのかもしれない。

 先日、ウチに来た今30代の人が、無頼庵のスピーカーで鳴っているディランのCDを聴いて音が全然違うと驚いていた。というのは彼は同じそのCDを持っているらしいのだが、自分のアパートで聴くのとアンプを通してウチにあるデカイスピーカーで聴くのでは全く違うように聴こえたのだと言う。
 そのことを事情通に話したら、今の人はもう基本的に音楽はヘッドホーンで聴くものだと思いそういう環境で育っているからせいぜいCDラジカセか、卓上ミニコンポぐらいでしか音を鳴らしたことがなく、部屋中に鳴り響くほどでかい音で音楽をかけて聴いたことがそもそもないのだと指摘された。むろん今だって若くてもオーディオマニアはいて音に凝るだろうが、携帯型プレイヤーとイヤホーンで若いときから音楽を聴き育っている世代とは自分達は全く異人種なのだと気づき愕然とした。

 増坊はクラシックレコードをかける音楽喫茶やジャズレコードをかけるジャズ喫茶全盛の世代ではないのだが、都内あちこちにあったタンノイやJBLの人の背丈ほどもある巨大スピーカーを設置したそうした店は若い頃はまだ都心のあちこちにあったので、中央線沿線に多くあったロック喫茶も含めてそうした店で大音量でレコードをたっぷり聴いた。
 そうした記憶を持つ者にとって大きなスピーカーは憧れであり、自分ちでもそんなレコード再生システムが欲しいと夢想したものだった。
 ※今日は近く中国に旅立つ若き友のマンションの引越し作業と送別会がある。夜終えて帰ったらこの続きを書きます。

春の暴風雨一過。2012年04月04日 11時45分20秒

★無事に生きて帰ってこれただけで御の字であった。

 昨日は、書きかけのブログ、続きは書けなかった。申し訳ない。

 台風ならぬ猛烈な春の嵐一過である。昨日の暴風雨がまるでウソのようななかったかのような明るい陽射しの暖かいいつもの春の日だ。
強い風はまだやや残っているが、道には破れて折れ捨てられたビニール傘が昨日の残骸としてあちこちに残っているだけで、あれほどの嵐があったことが夢でも見たようである。

 命からがらという表現があるが、昨日はその暴風雨の中、荻窪まで車で往復した。風に煽られ車体もふらつき、前方はワイパーもきかないほどの豪雨で視界も悪くよく事故らずに無事に帰って来れたものだと思う。左手は今よく使えないので、力入れてハンドルを握っていたので、まだ右の手がこわばっている。

 昨年暮れ海外から帰国した若き友人が、今度は中国に最低2年間は赴任する。そこで、荻窪の彼のマンションを全部引き払うので、毎度の蔵書整理・不要本の引き取りに行ったのだ。実は去年の2月頃、彼がニュージーランドに行く前にも一度車で伺った。そのときは吹雪でやはり視界が悪くヒヤヒヤした記憶があるが、何で必ず悪天候になるのだろう。
 朝のうちは穏やかに晴れていて風も全くなく、予報では大荒れになると警告していたが、大袈裟だなあと高を括っていたらば、午後から曇ってきて風も出てきて、出発した昼過ぎには小雨もぱらつき始めた。いったん国分寺の女友達の家に寄り、そこでお茶とかご馳走になっていたら雨は本降りになりおまけに風も強くなってきた。

 荻窪のその友人とは3時頃行くと約束していたのだが、道は迷わなくても風に煽られるので慎重にゆっくり運転していったので着いたのは3時半をまわってしまっていた。で、自分が連れて行った要員2人を入れて四人で大慌てで本を箱詰めしてマンション最上階の5階から階段を何往復もして車に積み込み四時半頃そこを出発して車で全員で増坊の家へ向ったのだ。駅前の居酒屋で先日のイベントの慰労会と旅立つ彼の送別会を兼ねて一席囲む予定であった。

 行きは青梅街道で行き帰りもそれを使って途中から五日市街道に入ったが、天候はさらに悪化して雨風ますます激しく、ハンドルを握る者として緊張は極限に達した。それでも一時間半かけて増坊の住む町にまさに命からがら辿りついた。が、青梅線の踏み切りが降りたままちっとも遮断機が動かない。電車がホームで止まっているようで仕方なく別ルートを通り駅前に着いた。当初は皆で積み込んだ本の箱を車から降ろし家二階へ上げてもらおうと考えていたがとてもそんなことをやれる天候ではない。傘もまったく役に立たない暴風雨、ウチから駅前のその店まで歩いて行くだけでずぶ濡れになることは間違いない。で、車を居酒屋の前につけて彼らを降ろして自分は車を自宅に置きに戻った。

 南から吹き込む雨風で玄関の中まで雨が入って水浸しである。玄関には一応庇もあるのにナナメに吹きこむ雨には無意味であった。家を建ててからこんなことは初めてであり想定外であった。
 一応二階の自室とか異常ないかざっと確認して、傘さしても全く役に立たないことは車窓から街ゆく人を眺めてわかっていたので、予めタオルを持って左手の包帯が濡れないようぐるぐる巻きにして風雨の中、濡れる覚悟で走って駅前へと向った。帽子が飛ばされるどころかメガネさえも手で押さえていないと吹き飛ばされるほどの強風、歩くのもやっとであった。それでも皆が先に飲んでいる居酒屋に何とかたどり着き合流できほっとした。

 恥ずかしい告白をするが、昨晩はかなり呑んでしまった。先野拙宅でのイベントでは接待側なのでほとんど呑まなかったし、昨日はそのお疲れさん会ということもあり、送別会でもあったので、悪天候の中無事帰ってこれたという気の緩みもあったので久々の酒にかなり酔っぱらった。泥酔状態というか酩酊が過ぎ、情けない話、途中からほとんど記憶がない。
 お誘いしていたご近所さん、村上律御大が来られたのは何時頃だったのか。こんな天気なので難しいだろうと思っていたら「今は星が出てるで」と逆風の中、自転車で来られた。どうやら雨風は収まってきたらしい。その時点でもかなり皆呑んでいたのだが、仕切りなおしでまたさらにボトル注文したりして、気がついたら11時頃でお開きとなった。自分が入ったときが7時頃だったはずだから、4時間も食べ呑みしていたのだ。
 酒呑んで情けないと思うのは、せっかく皆で律さんからいろいろなお話が聞け、様々なアドバイスも受けたのに、そのときはとても大事な話だと思いあれこれ考えさせられたのに一晩寝て起きたら何も覚えていないことだ。毎度の自責と後悔の二日酔い時特有の気分で今朝は目覚めた。もう酒はやめたとブログにも書いたのに本当に情けない。
 が、猛烈に発達した低気圧がもたらした記憶にない程の暴風雨の最中、あれほど警戒を呼びかけていたのに車で出かけていちばん風雨強いときに戻ってこれたのだからもうそれだけでほっとしたのと、また楽しい愉快な気心知れたる仲間たちと一緒で呑まずにはいられなかったのだ。

 店を出たらもう外は雨もやみ静かになっていた。駅の改札で皆と別れて、村上さんを北口で見送ってもうヘロヘロフラフラになって家へ帰り、それから今晩はまだ散歩に行っていなかった犬達と簡単に散歩を済ませてブログの続きもかけず倒れこむように寝た。
 禁酒の誓いを破り呑みすぎたことも含めいろいろ反省し失敗したと思わなくもないが、あんな天候の中、車を走らすことになり死なずに無事に皆して帰ってこれたというだけで良しとしようと自らを慰撫した。

続々・レコードプレイヤー再起動2012年04月04日 23時16分26秒

★オーディオのサイズに見る時代の変遷。

 家電としてのオーディオの歴史を振り返ると、モノラルである電気蓄音機、いわゆる電蓄が各家庭に普及して以降、まずは戦後、アンプ・プレイヤー、チューナーが一体となった卓上サイズのモジュラーステレオが流行った。ただ、それだと30センチあるLPレコードはかけられない。LPが一般的に普及するにつれ、プレイヤーのサイズもでかくなり、それに合わせてアンプ、チューナーなども個別に揃えるコンポーネントステレオの時代へと進化していく。

 だが、その前に、基本はモジュラーステレオの発想そのままに、スピーカだけを独立して右左離して置くことができるようにした木調家具のようなデカイフロア型セパレートステレオセットの時代があった。レコードプレイヤー部、アンプ、チューナー部は一体となったレシーバーと呼ばれるもので、増坊が物心ならぬ音心ついて中学入学のときだったか親にねだって買ってもらったステレオがソニーのそのタイプであった。当時は4チャンネルという今で言うサラウンドシステムが最先端のブームであって、後方から小型スピーカー二つを鳴らすため合計4つスピーカーを擁していた。

 今から思うとあの時代、カラーテレビも同じく、三菱の「高尾」などはブラウン管のサイズそのものよりも周囲の全体が木製の家具調仕立てでガタイそのものがデカく、家電が家具に近づいていたのだと気づく。今そのソニー製セパレート家具調ステレオセットはスピーカーは家の建替えの際に邪魔くさいと大工のカワムラさんにバールで破壊されてしまった。が、本体部、プレイヤーとチューナーアンプが一体になり下段はレコードラックになっているレシーバー部はまだ家にある。

 そのサイズであるが、ターンテーブルを擁するそのセンター部本体だけで幅60センチ、高さ70センチ、奥行き42センチもある。これに別個、およそ横幅約42センチのスピーカーが2個並ぶのだから、スピーカーを離さず本体にくっつけて並べても1メートル50センチものスペースを占める。※今そのソニー製のはスピーカーはないので代替の同じタイプのセパレートステレオのスピーカーを当てはめた。

 もうこの大きさはオーディオと言うより立派な家具である。フロア型といって床にでんと設置するしかない。一つ一つがものすごく重い。1970年代の住宅事情で、よくこんな大きいものが売れたと訝しむかもしれないが、むろん子供部屋などにこんなの入れたらそれだけでいっぱいになってしまう。だからウチでもこのステレオセットは当時はあった応接間に置いてあった。その頃は、オーディオも家族一人づつ個人で楽しむものではなく、テレビと同じく家族皆で共有するものであったのである。その頃はまだ大家族主義も生きていたことがわかる。
 それがいつしか核家族化、少人数世帯となり、応接間などはそもそも家を建てる時設ける余地がなく、オーディオは個人ごと聴くものになって、今は外ではアイポッド的なモバイル、家ではミニコンポかCDラジカセ的なもので皆音楽を聴いている。そのサイズはかつてのモジュラーステレオとほぼ同様だろう。ただ、スピーカーはセパレートになっているが。

 たかがオーディオされどオーディオである。自分はそうしたでかいスピーカーで音楽を聴き始め、部屋全体を大音量で満たすことに憧れた。でも今はそんなことをする人も少ないはずだし、そもそもそんなふうに音楽を聴いている人も若い世代こそ少ない。今は皆、小型ICプレイヤーのヘッドホーン世代なのである。音楽とは一人でイヤホーンやヘッドホーンで聴き楽しむものだと思っている。隔世の感がある。

 音楽通には有名な話で語り継がれている逸話がある。若い頃、まだデビュー前のあがた森魚は、後にムーンライダーズ、いやはちみつぱいで、彼と音楽活動を共にすることになる鈴木慶一を初めて家に招くとき、地図を渡したのかどうか知らないが、大音量で「マザーズ・オブ・インベンション」の「フリーク・アウト」をフルボリュームでかけている家だからそれを目印に、いや耳印に来てくれと誘ったのである。笑ってしまうほどのバカであろう。でも昔はそんな時代で皆そんなふうに音楽を聴いていたのだ。

レコードプレイヤー再起動・追記2012年04月05日 22時41分06秒

近所のこぶしの花は今が盛りだ。
★ぜひ無頼庵にレコードを聴きに来てください。

 どうも話が回り道して肝心のレコードとプレイヤーについて書けない。

 一時期はCDなどのニューメディアの普及により完全に息の根を断たれたかと思われたアナログレコードと再生するレコードプレイヤーであるが、クラブなどでDJがレコードを使用したこともあったりで、昨今では完全に復権して、今も新たな製品が出たりレコードそのものも少ないがリリースされている。今では最先端のお洒落な若者達にとってはクラシックカメラと同じくレトロなニューメディアなのだそうだ。

 セッティングなどに手間もかかり要するに全てにかなりメンドーなレコードの再生であるが、その魅力はどこにあるかと問われれば「音」の違いだと断言する。
 実は増坊の持っているレコードはビートルズにしろT・REXにしろ、ロキシー・ミュージックにしろ、ディランにせよ、コステロにせよ大抵はCDでも同じものを持っている。わかっていない人は、ならばレコードは不便だし場所もとるからいらないじゃんと言うかもしれない。むろん、簡便なCDでパソコンで聴くことも多いわけであるが、レコードとCDでは音が全く違う。単純に音質の綺麗さ、音のクリアさだけ言えば絶対にCDの方が上である。が、パチパチというスクラッチノイズも含めて自分にはレコードの方が圧倒的に音が良いと思われる。

 高音域のクリアな伸びはなくても野太い中音域の味わいと大きなスピーカから出る低音域の深みは絶対にCDでは出ない音色であり、レコードを聴き育った者にはCDは何か物足りなく、クセがなさすぎて無味乾燥気味に思えるときも多々ある。
 むろん、そう言うのは、まずレコードでリアルタイムで録音、製作されたもののことで、それらを現在新たにCD化した場合、音質はクリアになってもレコードの持っていた音の厚味、旨みのようなものはCDにはないということを言っている。今現在の音楽、つまり全てデジタルで録音製作されたものはCDしか出ていないわけなのだから比べようもないし、それはそれで良い音なのだと思える。

 何にせよ、レコードはできるだけ良い再生システムと大きなスピーカーで聴くものだと考えるし、昔はレコードコンサートと題した集いもあったことを思い出すとき、拙宅無頼庵でも立派なスピーカではなくてもレコードを大音量でかけていきたいし、その義務があるかと思えてきた。

 特に今までレコードをかけたことも聴いたこともない若い人にレコードを聴いてもらいたく願う。昔はそうした店もいくつもあった。今は音楽そのものがどこも小じゃれた天井から吊るされたBOSEの小型スピーカーから流れるBGMと化してしまった。自分が考える音楽はそうしたものではない。バスレフの振動が風圧としてこちらに届くほど大音量で聴くものであった。まあ、そこまでデカイ音は今の時代ご近所迷惑なので難しいが、これからは精力的にレコードをかけていくのでぜひお気軽に聴きに来てください。レコード世界の深みと楽しさを一人でも多くの人に知ってほしい。

「気づき」を大切に、そして忘れずに2012年04月06日 08時24分07秒

★悪しきとき悪しきことこそが気づきと目覚めのとき

 やや冷え込んだが風もなく穏やかな春の朝である。今あちこちで桜をはじめ花々が真っ盛りだ。

 昨晩は深夜に突然ざーとにわか雨があり、布団の中にいたのだが、雨の音に気づき慌てて庭先に出したままだった先日荻窪から運んできた本の箱らを玄関に取り込んだ。中まで濡れることはなかったが、これからの季節、雨は大丈夫だと予報は言っててもうっかり外に出しっぱなしにしてはらないと思った。春は天気が変わりやすい。まさに「夜半に嵐の吹くものかは」である。

 このところ「気づき」とか「癒し」という言葉が女性誌を中心に流行っているようでよく見かける。何事にも懐疑的で皮肉にしか眺められない自分としては胡散臭く思っていた。が、それはそれとして「気づき」ということはとても大切なこと、大事なことだとつくづく「気づく」。

 実はこのところウチの老犬の一匹が調子悪く、食べ過ぎたせいなのか、消化の能力が落ちているのか、お腹を壊したりして散歩すら行きたがらないときがよくある。もう実に17歳という老犬で、人間ならば90代かと思えるのだからいつ死んでもおかしくない歳である。大型犬のレトリバー種のハーフであるのだから、本来そんなに長生きできるはずもなかった。覚悟はしているが、願わくばもう少し長生きしてほしいしせっかく今年の厳しい冬を越せたのだから夏はともかくあと数ヶ月は頑張ってもらいたい気持ちでいる。

 その犬、雌のロビンは、数年前、三重県津市のフォークソングイベント「ええかげん祭り」に車で連れて行ったら、向こうで何かヘンなものを拾い喰いしたようで、戻ってから食中毒症状を起こして意識なくすほど弱って集中治療室に入り点滴を受けて奇跡的に一命をとりとめた。半年ぐらい体調は悪かったが、幸い元通りに回復出来た。犬は健康保険がないので30万以上かかってしまったが、愛犬の命には変えられない。
 それが3年か4年前のことで、以後元気に普通の生活を送っていたのだが、さすがにさらに高齢となり、元々が食に卑しい性格でもあり、つい目を離すと他の犬が食べずに残した分まで平らげたりしてお腹を壊す。もちろん高齢犬にありがちな腎臓もおそらく悪くなっているはずだし、歳が歳だから今さら何か治療してもという気持ちでもある。飼主としては、このまま老衰していくのを見守るしかない。が、むろん消化の良いものを食べさせるとか塩分あるものは絶対食べさせないなどできることやすべきことはまだ沢山ある。できるだけの世話はしてあげたい。

 前の病気したときも医師から厳しく食事については戒めを受けたのに自分も含めウチの家族は皆バカだから喉元過ぎれば何とやらの例えのごとく、元気になれば医師の注意を忘れて人間の食べ物とかもつい与えてしまっていたのだ。
 消化していないからか、どこか痛むのか体調を崩してぐんなりしている老犬を見ると深い後悔の念がわいてくる。犬は口も利けないし、具合が悪くても極力そうしたそぶりは見せない。全ては飼主が気をつけて体調管理をきちんとしなければならなかったのだ。

 自分に限らず、人はたぶん皆、病気にせよ何かの事故、アクシデントなど不慮の悪いことが起きたとき、たとえそれが自然災害の外からのことだとしたとしても深く悔やみ反省する。先の大震災においても程度の差はあっても何らかの被害があった人はその災害前の何事もなかった頃、無事で幸せだったときを顧みてその何でもない「有り難さ」に「気づく」であろう。健康で皆元気でいるという当たり前のことが、実は当たり前ではなく、それは砂上の楼閣のような脆い不安定なものだったと気づく。
 病気になった人、事故を起こした人もそれが起きた、起こした原因や習慣を省みてこれからは注意心して生きようと誓うはずだ。が、人間と言うのは、実に忘れっぽく、かつ意志も弱い弱い動物であるから、自分も含めそのときの誓い、戒めを時間と共にしだいに忘れてまた元通りの生活に戻ってしまう。せっかくの「気づき」を得たはずなのに。

 大津波がもたらした原発事故は、大事故が起きた場合の対策も含めてこの国の政府も企業も全く管理体制ができていないことを全世界に露呈した。そのまま新たな規制監視する組織もできていないのに、バカ民主党政権と電力会社、政財界はまたぞろ従来の基準の「安全神話」に頼ってフクシマの事故が何一つ収拾つかない今、勝手にも安全宣言で大飯原発を稼動させようとしている。
 多くの国民、そして世界中の心ある人たちは原発はとてつもなく危険なものだと今回の大事故で明確な「気づき」を得た。今もその思いを強く抱き全国全ての原発の廃炉を求める人たちも多くいる。が、せっかくの今回の教訓、「気づき」を早くも忘れて再稼動を許してしまう愚か者もまた少なからずいる。

 戦争にせよ、ひさんな大事故、陰惨な殺人事件にせよ、それらは起きないに越したことがない。二度と起こしてはならない。が、そうした悪いとき、悪いことが起きてしまったからには、人はそこに「気づき」を得て改めて学ぶことが多々ある。その「気づき」をすぐに忘れてまた元の習慣と生活に戻ってはならないし、もしせっかくの「気づき」や新しい意識の「目覚め」を忘れてしまったときこそ更なる大事故、大災害は必ず再び起きよう。旧約聖書のほとんどの部分はそうした人々の愚かさと苦難を繰り返し記している。そう、神はいつも「気づき」の機会を与えてくれている。ただ、愚か者は気づいてもすぐに忘れてしまうし気づいても気づかぬふりをする馬鹿もまた多くいる。また永遠に気づかぬ野田首相のような醜愚醜悪の輩も。
 
 3.11の教訓から何も学ばないとするなら思い残して亡くなった方々、今も住処を追われ生活に苦しむ人たちに本当に申し訳ないではないか。
 人は気づき、そして目覚めなければならない。それはまず自らに今強く戒めている。

肥後真一ソロライブのお知らせ2012年04月06日 21時50分30秒

★4月14日(土) 吉祥寺 ブロン 19:30~  ¥投げ銭

  4月29日(日) 西荻 のみ亭  19:30~  ¥投げ銭

 寡黙な実力派シンガー、肥後さんが再びスナック・ブロンとのみ亭でソロライブをやる。噂の彼のユニークなおねーちゃんもまた襲来するかもしれない。ぜひ多くの観客の来場を期待してまた宣伝しておく。
 というのは増坊はちょっと別用で行けなさそうなのである。

西荻のみ亭30周年記念パーティー2012年04月07日 12時53分32秒

マスターも加わって昔のバンド出ています。
★店と客の良好な30年を窺い知る。

 終電2本前の青梅線で帰ってきた。むろん日付は変わってしまった。かなり疲れたが、いろんな意味で面白かった。そしていろんなことを考えさせられた。むろん、ライブコンサートとしてもとても楽しめた。

 西荻窪の南口にある、マスター一人のごく小さな居酒屋、のみ亭が今年の4月で31年目を迎える。それで日付は変わったが、今日4月7日に、西荻北口のライブハウスを借り切って、記念のパーティがあった。
 のみ亭は土日祝日は、マイクなどPAなしでライブをやっているライブハウスという顔もあるので、日頃のみ亭によく登場するミュージシャンや常連客の唄い手たちも多く登場して、豪華盛りだくさんのライブコンサートでもあった。各自時間の制約もあって数曲程度であったが、お祝いに駆けつけた岡大介をはじめ多彩なミュージシャンの演奏をたっぷり堪能できた。何しろ4時から何となく始まって、終わったのが10時を過ぎていたのである。総計で何十人のミュージシャンが登場したのか。

 ライブコンサートとしても素晴らしく魅力的かつそれぞれユニークなミュージシャンが次々と登場してとても面白かったが、全体の雰囲気としては同窓会であり、この日のために遠く離れた客も駆けつけてきたり昔の頃の思い出を語る客が多く、正直なところ他校のそれに参加しているような気分であった。自分は、昔、その30年近く前、二十代の頃この店に来た記憶はあるのだが、実際のところライブを通して親しく通うようになったのはこの数年の話であり、今日のパーティでは顔見知りの人もいなくはないが、昔なじみのかつての常連さんが多くやや所在ない異邦人の気分でいた。かなりディープなどろどろの人間関係がそこには垣間見れた。

 だが、それがつまらないということではない。一つの店が同じ経営者、マスターで30年間も続いて、そしてこれからも続いていくという秘訣のようなものが漠然とだが掴めたことは良かったし、何よりも今現在の店とまったく変わらないゆる~い雰囲気、だらしなさギリギリののどかさに満ちていてとても居心地が良かった。つまり居心地の良い店は客もまた居心地の良い人たちばかりだということだ。だから今日の集いも皆だらだらで当然居心地が良い。誰一人カリカリイライラしている人はいないし、皆が好き勝手に自由気ままに思い思い楽しんでいた。

 つまるところそれがマスター、やっちゃんの人柄と許容力、包容力、魅力なのだと思い至る。自分が知る阿部ちゃんが生きていた年までの大阪春一番コンサートにも存在していたフリークな部分であった。ある意味それが70年代的ということなんだと思う。きっと。だがそれはなかなか続かない。

 時代が移るに連れてそうした自由闊達さ、奔放さは失われていく。一見敷居は高そうでクセのある客たちばかりだが、中に入ってしまうと皆親切で裏表なく、金儲け第一主義でない、酒飲みや変人、おバカたちの集まる店、たまり場は少なくなっていく。時代はどんどん世知辛くなり客も歳をとり、無茶がたたって死ぬ者も多くなる。だが、いつの時代も世間の競争主義から落ちこぼれたり背を向ける者は少なからずいるし、世の常識と相容れない屈託した思いを抱いている者も多々あろう。そうした人たちは音楽を通してのみ亭を知り、また新たな常連客たちとなっていく。そうした関係こそ、良い店が商売として無理なく成り立つ最良の関係なのだと気がついた。しかものみ亭が素晴らしいのはそれは意図したことではなく自然体だということだ。

 自分は客としてはあまりに身勝手で、西荻から遠いところに住んでいるということもあって、ライブの時ぐらいしか顔出していなかった。だから本来この記念のパーティーには参加する資格もなかった。が、いつもこちらが立てた企画、演ってもらいたいミュージシャンの演奏の場として快くマスターには応じてもらっているので、恩返しの思いで、今日はお手伝いにはせ参じた。記録係りとして拙い写真、録音を収めた。
 自らもイベンターのはしくれなので、当事者は当日は進行だけに追われて誰かが写真など撮る係にならないときちんと記録が残らないものだと痛感しているものなので。

 個人的予想としては、たぶんのみ亭はあと10年は続く。客は歳のわりに皆元気でよく食べよく呑んでいたし若い客の姿もかなりいたからだ。次回はのみ亭40周年、俺もやっちゃんも60代半ばとなっているわけだが、そのためにも無事に生きながらえないと。そう帰り道ほぼ素面の頭でいろいろ心に期するものがあった。疲れたが良い一夜であった。これもまた自分にとっての春一番なんだなあ、きっと。

 この日、登場したすばらしいミュージシャン達についてあれこれ書き記しておきたいとも思うが、それは機会あれば別ブログで。皆誰もが素晴らしく魅せられたが、個人的には岡大介の演者、パフォーマーとしての達成度、安定度に気づかされ大いに感心した。もう彼は自分が知るあたふたとふらつきある若手の岡君ではない。もう、堂々たるプロの芸人であった。

若き友人の意欲的企画のお知らせ・4/14日@両国フォークロアセンター2012年04月08日 11時06分15秒

★4月14日17時 両国フォークロアセンター

 増坊が企画するライブをいつも手伝ってもらったりと懇意にしてもらっているもっとも若き友が、近く14日の土曜日夕方5時開始で、拙ブログ毎度おなじみ両国フォークロアセンターで実験的?ライブイベントを企画している。

 どのような催しとなるのかまったく見当もつかないが、才能ある真面目な彼のことだからきっとユニークかつ意義ある集いとなると思う。自分もこうして主宰の国崎さんに紹介した人がまた新たにセンターで自らの企画を催すことを嬉しく光栄に思う。当日は不測の事態が起きない限り顔だす予定でいる。とても楽しみである。ぜひ一人でも多くの来場者を期待したい。

※以下、彼のブログからの転載↓


そこに何か目的がいるだろうか?
何をするにも、何処に行くにも、「決め事」が多過ぎる。
そんな日常では、嗅覚や方向感覚がすこぶる鈍ってしまう。
それが都会の寂しさ。
空気がまとまって、固まってしまう。

イベントをやるというと決まって、「何を?」と聞かれる。
当たり前のことなのだが、あまり面白くない。
説明もなしに、ふらっと来てくれるその感覚が欲しい。
徒を楽しむ心。

余白があってこそ生まれるものがあると、僕は思う。
偶然というものを遊ばせてみたい。
そのために、出来るだけ筋は決めないでおきたい。
それに付き合って貰えれば最高だ。
散歩のついでにカフェにでも入るようにね。

もちろんいくつかの歌も用意はしている。
しかし、大切なのはそこではない。
僕がやりたいのは、この時間を通して、一つの詩を紡ぐことだ。


この即興的な日々を
2012.4.3 吉見 心裕