老人臭の考察2012年07月01日 09時19分28秒

★今や自分もまた立派な老人臭

 加齢臭という言葉は昔はなかった。今ネットではやたらと臭い、もしくは匂いを抑える、あるいは好ましく変えるというサプリメント?の広告でいっぱいである。

 人もまた動物であり、有機物であるのだから臭いがあるのは当たり前である。が、確かに好ましい臭いとそうでないものは別個に存在している。それは男女を問わない。臭いというと女性はオジサン、中年男を想定し忌み嫌うかもしれないが、その嫌われる側からすると若い女性のほうが異常に香水臭い人もいて近くにいると頭が痛くなるほどの悪臭にもなる。

 ウチに毎週配達に来る生協の女性がいる。その人が何故かそういう類の人で、誇張抜きに来る日は、車から着いたとたんプンプン匂ってくるし、彼女が注文品を置いて帰った後もしばらくそこいらに香水の臭いが残っている。職場の人は何も言わないのかと思うし、まして当人は平気なのかと心配するほどだが、存外本人はもう鼻が麻痺してしまい気づかないのだときく。でなければあれほどの強烈な臭気に平気でいられるはずがない。

 臭いというものは化学的にこしらえたそうしたものでない限り、決して耐えられないほど不快なものはないはずと考える。むろん生卵の腐ったような蛋白質の腐敗臭は強烈で吐き気さえもよおすが他の臭い、もともと自然に発生する体臭のようなものは好ましいかは人それぞれでもネット広告で騒ぎ立て不安を煽るほどのものではない。

 じっさいその人が好きで好感情を抱く場合は体臭、口臭などはさほど気にならないものであろう。恋愛とはあばたもエクボに見える心境なのだから。最初から好きではないから悪感情があるからついでに臭いや服装なども気になり嫌悪するのである。男女の性愛などの場合はその臭いすら大きな要素となるはずだし、個人的に臭いはないよりあるほうが良いと断言するのはこの無臭時代に逆らうヘンクツの謂いであろうか。

 さて、加齢臭というものがどういうものか「当人」はわからない。自分には妻もそれを指摘してくれる「娘」もいないので臭いのかどうかさえ判然としない。ただ、老人臭というものはよくわかる。今の自分の部屋、特にベッド辺りはその臭いで満ちている。それは腰痛で用いた湿布薬の臭いである。これにジンタンと漢方薬、そしてポマードのような匂いが混ざれば完成するのでないか。自分は大家族で育ち、祖父や祖母が幼い頃から身近にいたから彼らの部屋に入るとこうした匂いを嗅いだ。それはある意味懐かしい好ましい匂いですらある。

 だいたい老人なんて糞尿臭を除けば体臭なんてもはやほとんどないのである。新陳代謝だってもうしていない。彼らの臭いというのはこうした薬の臭いが中心で、そこにかび臭い湿った布団の臭い等が混ざれば立派な老人の部屋が出来上がる。

 今の人は臭いを嫌い厭うばかりであるが、実は臭いから思い出す記憶も多々ある。ある女性は満員電車の中で昔付き合った男と同じ体臭の男と出会い、忘れていたその男のことを思い出したと話していた。自分にもそうした匂いが呼び起こす思い出は多々ある。西欧の記憶とは実は向こうの食べ物の匂いに他ならない。

 匂いがまったくない世界、あるいは良い匂いばかりで悪臭がない世界は良い世界ではないと自分は考える。まあ、目や耳に比べて鼻などなくても人は生きていくのにさほど困らないのも事実であるけれど。

 ※まあこの程度の文章なら腰も痛くならず一気に書けた。全てをシンプルに凝らずにさっさっと済ませていきたい。病む体を騙しだましなだめながら。【終】

オスプレイも原発もいらない!2012年07月01日 21時14分04秒

★安全性が確保できないものは誰だって望まない。

 大飯原発は再稼働し始めた。しかし国民の多くはそれを望まないし許しはしない。そのことは沖縄や岩国の米軍基地へのオスプレイ配備だって同じことであり奇しくも今日夕方のテレビ二大ニュースはどちらも多くの県民、国民がそれに強く反対しているというものであった。そして今なお政府はそれを無理やり押し切ろうとしている。
 
 今世界は変わる、そのことを実感している。3.11以後、原発にまつわる全てのイカサマ的隠蔽体質、欺瞞はあからさまになりもう国民は騙されはしないし政府の言いなりにはならない。そして米軍基地の問題も全く同じことで危険極まりない誰も望まないものを地方、中でも沖縄に無理やり押し付けてきたのである。むろん、そのぶん地元には巨額の金が落ちるようにして、基地や原発に依存しなければ生きていけない体質にさせてきたのだ。

 だがそうした長年の歪んだ国策、経済優先の論理にはもう誰も与しない。命あっての物だねという言葉通り、どれほど金をもらっても危険極まりのないものを受け入れるバカはもういない。問題は今の為政者、政権・政治家と国民の意識が大きくかけ離れていることだ。旧来の自民党とは違う政策をマニフェストに掲げて期待担って政権交代したはずの民主党が、自民、公明と一緒になって公約はすべて投げ捨て旧来の政治を強引に続けている。原発再稼働という強行、消費税増税という公約違反、そして普天間基地移設どころか事故多発のオスプレイ受け入れである。いったい誰のための政治なのであろうか。

 彼らは国家国民のため、日本の将来のため決断したと言うだろうが、TPPにしろそれは国民のためになるどころかまさに亡国への道であり、国民を危険にさらすことに他ならない。でも多くの人たちはもう目覚めた。この国を動かしてきた全てのシステムは、大企業と官僚、そして米国の手先となった政治家たちが彼ら金持ち特権階級の権益維持のため国民の命と富を犠牲にしてだまし続けてきた国家的詐欺イカサマだったのだと。

 政治を今国民の手に取り戻すチャンスなのである。この国の人々はずっと政治を人任せにしてきた。この国の民主主義とは断念なことにアメリカから与えられたものであった。だから国民は政治に関心がなかったし深く政治を考える機会もなかった。いつだって人任せにしてきたのだ。そしていつしか貧富の差は増大し格差と貧困の日本になってしまっていた。
 悲惨な3.11は天災であったが、原発事故は人災であり、多くの人々の目が開かれ意識も大きく変わった。もう政治家たちに唯々諾々と騙されはしない。自らの命と安全、平和のために誰もがアクションを起こしていく。すべてはここから今日から始まるのである。

今年の隅田川フォークフェス、詳しいお知らせ。2012年07月02日 11時06分34秒

第一回目の隅田川フェス、岡大介とお客様
★「第三回隅田川フォークフェスティバル」

第一部 Woody Guthrie 生誕100年記念 レコードコンサートと資料展示

出演・川原徹三、石川修次 ほか

第二部 七夕コンサート

出演・岡大介(カンカラ三味線)

・くもりな(ミディ・レコード)

・楽四季一生(ヴァイオリン演歌師)

・藤しんいちろう(from 新潟)

・石川修次+石浦誠二(オールドタイム・バンジョー) 他

料金:1500円(先着予約30名の方に冷たい飲み物を差し上げます)

同時開催:眺花亭参加の「一箱古本市」、江戸風鈴ほかの販売があります。

お問い合わせ:両国フォークロアセンター

       TEL 03(3631)8273

       E-mail r0001772@nifty.com

日時:7月7日(土)13時~17時頃

場所:江島杉山神社(墨田区千歳1-8-2)

http://machimegu.jp/communities/4/events/show/1736

今回の腰痛顛末記2012年07月02日 15時46分26秒

★ご心配ご迷惑おかけいたしました。

 7月の頭、第一週の月曜日である。今日は曇りがちの晴れ、多摩の山裾でも蒸し暑くなった。いよいよ夏本番、今年も後半戦が始まったということになる。

 長々と愚痴をこぼしてきた腰痛だが、ようやく快方の目安がたってきた。このことについて書くのはこれで最後としたい。ありきたりな表現だがようやく峠を越えたという気持ちになれた。

 よく昔の映画やテレビなどで、子どもが高熱を出して寝込み、往診の医者が呼ばれて来て、家族に「今夜あたりが峠だ」などと言う。その意味はここを乗り越えられれば持ちこたえられる、つまりそれから先は快方、回復に向かっていくという診断である。自分もまたようやくであるが、今日になって今回の腰痛は「峠を越えた」という気分になった。

 まあ進行性の癌や不治の病ではないのだからどんな病気もケガもやがては良くなって治るものであるしそのはずである。が、それに罹っているときはいったいどこがピークでいつから回復に向かっていくのか自分ではなかなかわからない。詳しく言うと、特に腰痛などの痛みの場合、転んだとかきっかけとなる原因がわからないので、いつまでこの傷みが続き、その痛みの頂点の日がどこで、そこからしだいに痛みは弱くなり収まっていく収束期、つまり回復期の境がつかめないのである。

 今もまだかなり痛くても昨日の夜あたりからはようやくもはや「峠は越えた」という体感がわいてきて、今朝方はもう今回の腰痛は終息に向かっているとはっきり実感できた。じっさいまだ前屈みになるときや立っていてふとしたきっかけでギクっと激痛が走ることはままあるが、もう悪化することはないしたぶんあと数日で治るだろうと確信的に思えてきた。

 それにしても先週の日曜からじょじょに痛くなってきて実に丸々一週間腰や背中の痛みに悩まされほぼ寝たきりになってしまった。何かに掴まらずに歩くこともままならぬほどひどい状態も何日も続いた。この忙しい最中にである。当然気分も焦り苛立ち鬱々としてくるしブログも含めてパソコン作業は何もできない状況はかなりの苦痛であった。
 しかし回復期に入ると気分も軽く明るくなってきたし何よりこれからに向けて「やる気」、「気力」が湧いてきた。もうこの騒動については書くのは終わりとなろう。

 が、決して初めてではないのにひどい腰痛になって街を歩いてみると障碍者にとって街中は駅も歩道もかなり苦労する難儀なところばかりであった。
 実は昨日、雨の中この腰痛になって初めて電車に乗り都心、青山まで出た。詩の師匠が、京都より所要で東京に来られたので、かねてより約束していたことでもあったので、無理を覚悟で気合入れて腰にコルセットをしっかり巻いて出かけた。

 落ち合う場所が表参道駅~青山の会館だったので、原宿から参道をゆっくりゆっくり人混みの中を歩いて行った。腰痛でも歩くことはもう特に何でもない。ただ問題はちょっとした段差があるとそれがコワイ。路肩と道路ほどの10センチに満たない段差でもそこを乗り越えるとき慎重に足を動かしバランスをとらないと激痛が走る。そこに段差があるのを確認しても苦労するのだからうっかりそんな凸凹のところに足をとられると痛みに襲われその場にへなへなと屈みこんでしまう。

 また地下鉄の乗換えなどで気づいたのだが、辛いのは階段の下りより昇るほうで、片足ごと上げるのに腰に負担がかかるからだ。そんなで気がつくと目はエレベーターを常に探しどこでも手すりに摑まって慎重に移動することとなる。若いときや健康な時は、そうした駅構内でのエレベーター、エスカレーターの類は不要だと考えていた。が、自分がこうして腰を悪くして半病人、障碍ある者になってみるとそうした移動機械は実にありがたい。ただ、昇るのは大概の駅にあるが降りるのはまだまだ少ない。バリアフリーをさらに徹底させもっともっと全ての駅、公共施設に昇降機、エスカレーターを増やしていかないと高齢化社会に対応できないと気づく。これは節電とはまた別の話だ。

 けっきょくこの日は、師匠と会う用件だけ済ませて、地下鉄で新御茶の水に出て、とんこつラーメン食べて、行きつけの谷口楽器でハーモニカをいくつか試奏して買い求めそのまま中央線で夕刻帰宅した。実は夜から友人のバンドが出るライブが新高円寺であり、出かけにはそれにも顔出す予定で仕度して出たのだった。が、もう腰も限界になってきて痛みがまた広がりそうだったので、迷いに迷ったがそのライブは断念してまっすぐ帰ってきたのだ。

 今回の腰痛でこうしてせっかくのお誘いライブをいくつもキャンセルしてしまった。しかし、出かけずじっと無理しなかったおかげで何とか今日は回復の兆しが見えてきた。不義理ばかり働いている。が、何より御身大事なのも仕方ないと自らを慰撫するしかない。

 腰は文字通りからだの要。皆さんもどうかご自愛下さい。いつまでも自分の足で自由に歩ける健康体でありたいではありませんか。

また東京で地震、九州では大水害2012年07月03日 23時02分48秒

★この国はあまりに自然災害天変地異が多すぎる。

 今日3日、九州北部ではすごい大雨であったらしい。テレビで知ったのだが、増坊の妹が嫁いで今いる大分県の山中、中津市の耶馬渓町辺りでは全町避難勧告がでるほどの水浸しであった。
 今晩母が電話で様子を確認した限りでは朝から記録的な記憶にない豪雨が降り続き、町の低いところは水没して農協の作業小屋は流され爺さんが一人行方不明とのことだった。ちなみに妹の旦那はその農協に勤めている。まあ、妹たちの家は山裾の小高いところにあったから被害はなく無事勤め先から戻ってこれたとのことだったが、旦那の車は水没して動かずまだ戻っていないらしい。

 けっきょく、この国は海沿いであろうと山中であろうと絶対安全なところはどこにもない。大きな地震はいつまたどこで起こるかわからないし地震以外にも今の時代大雨洪水、台風・竜巻など自然の猛威は容赦なく突発的に起こる。それも頻繁に。現代文明はそうした災害に対して安全安心を謳い、万全の備えをしているはずなのだが、じっさい起きてしまえば常に想定外、予想できない規模となり各地に大きな被害をもたらす。

 ならば、脆弱な地盤の上の老朽化した原発を次々と稼動させていく国策、そして万が一のときの避難対策もなく、規制監督組織もないという現実は狂気の沙汰かあるいは救い難い楽天主義としか言いようがない。どれほど人類の英知があろうと昨今の異常気象も含めた自然の脅威に人間は非力であることをまず深く認識すべきであろう。
 自然災害に対して対策を立てるなと言っていない。対策はいくらでもできるだけのことはしたら良い。しかしだからこれで絶対安全、安心すべきでないしできやしない。人はまず謙虚でなくてはならないし危険な要素は予め取り除いておくことが考えられる得策であろう。そのいちばん危険要素が原子力発電所。何が起こるか全くわからないこの日本、このいくつもの複雑なプレートの上に乗っかっている極めて不安定な島国には原発はあまりにも危険すぎるということだけだ。

 友人にもいたが、原発には基本的には反対だが、日本経済を考えるといきなり全てはなくせない。段階的に時間をかけて稼動させつつ減らして将来的にゼロにしていけば良いという論もある。だが、それはその間に先の大震災のような自然災害が絶対に起きないという楽観に立っている。そして一度事故災害が起きたときの政府、電力会社の対応にさえもあまりに寛容であり信頼を置いている。彼らに事態の処理能力ないことはあからさまではなかったか。原発を彼らに任せて稼動させつつやがてはなくしていけるなどいう発想はあまりに楽観的であり、ある意味地球規模の無責任であると断言する。

「社員」のその後の容体2012年07月05日 22時03分18秒

★怖れていた後遺症発症す。

 夕食後、犬ではなく黒猫クロスケに紐つけて猫の散歩に出たら東の空にはメロンのような形の赤い月が出ていた。今晩は風もなく蒸し暑い。昨日から本格的に暑くなった。


 これは書くべきかこの数日ずっと思案していた。プライベートな問題とかいう以前に、まだ状況が定まらずどうなってしまうのか先が見えない段階であれこれ迂闊なことは書けなかったし書くべきでないと自制する気持ちもあった。
 先だってウチで起きた、増坊の友人であり唯一の「社員」であるTが松の木を剪定しようとして落下して強く頭を打った一件、二日間の入院で一応退院できたのだが、一週間後後遺症が出てきて実は今また実家近くの病院に入院中である。※先の「報告」も途中までで最終的なことが書けなかったのは、実は内心こうした事態を怖れ危惧して安易に結末を書くことに躊躇う気持ちがあったからだと気づく。※6/21、25日付けのブログ参照を。

 今はじっさいに見舞いに行って当人に会ったわけではないので正確な状況はわからないのだが、間に立ち面会した人たちの話を総合すると実家に戻ったTはしだいに呂律が回らなくなり、頭痛もすると言いだし向こうの総合病院で診察を受けた。そしてCTとか撮った結果、脳に新たな異変はなかったようだが、言語障害、言葉が出なくなる失語症のような症状となったので先月末28日から入院していたのだ。

 増坊も彼が立川の病院を退院後、実家に戻ってからその後どんな様子なのかと気になって何ども携帯に電話したりメールを送って連絡をとろうとしていた。が、いつもならその日はなくても翌日には必ず返信か電話してくる彼から何日もまったく返信がない。携帯はいつも留守電状態のままである。何か起きたか、もしかしたら体調が悪化したのではないかと不安な気持ちで過ごしていたらようやく今週月曜、2日の夕方に当人から短いメールが届き、そこには、28日から入院、言葉でない、大変とか意味のわかりかねる短いセンテンスが並んでいた。

 慌てて、彼の弟のところに電話したり向こうにいる共通の友人にメールしたりあちこち連絡とってようやく大まかな状況、先に記したようなことが判明した。まあ今現在、手足にマヒとかふらつき等の症状は出てないようで、体は問題なく動けるし飯も食べられている。脳の言語をつかさどる部分だけに障害が出ているらしい。詳しいことはまだわからないが、今後は転院して?言語療法士のところで入院しながらリハビリとなるようだ。

 ただ、その治療がどのぐらいの期間かかるのか、完治するのか治療費も含めて先のことは全くわからない。彼の賢弟からまた状況は連絡あると思うが、命に別状はなかったとはいえ、やはり脳のケガは安易に考えてはならなかった。怖れていた後遺症が一週間経ってから出始めたのである。
 友人として、「社長」として、また今回の当事者として彼のところへ行きまずは見舞いし状態を確認せねばと思うが、良くなってきたと報告したばかりの腰がまた彼の病状再発を確認して以降リンクするように悪くなった。むろん精神的なことと肉体は深く関係していることはわかるが、思えば今回の腰痛もこの「事故」が起きてからであり、何かそこに因果関係が確かにあるような気がしている。考えてみれば彼とは30年以上、両親を別にすればもっとも親しく家族同様に親交が続いていたのだ。男同士であるから恋人ではないし夫婦ではないが、関係の深さではそれに準じていた。意識したことはなかったが、そうしたとても「大事な人」が大ケガをしたのだからこちらも体調を崩しても当然であった。

 今は腰痛のこともあるけれど、この7日まではあれこれ慌ただしいので、来週半ばころ彼の入院している笠間市へ行こうと考えている。あれこれ悪い方に考えてただひたすら心配してもしょうがない。ともかく快癒を祈るだけである。またこの件はその時々報告していく。
 それにしても頭のケガは実に怖い。

明日は第3回隅田川フォークフェスです。2012年07月06日 21時58分44秒

一昨年の第二回隅田川フェスの1シーン、ちなみに寝転んで演奏しているのは中川五郎御大。
★7月7日、七夕の日、天候が気にかかるところだが・・・

 昨年は大震災やらいろいろ諸般の事情から中止となった毎年初夏の両国名物、隅田川フォークフェス、今年も毎度のフォークロアセンターの向かい江島杉山神社の社殿で催される。画像は、一昨年のフェスの律&五郎氏たちの白熱のステージであるが、今回は彼らは出ないものの岡大介、楽四季一生ら毎度常連の他、新たに選りすぐりの実力派シンガーが多く集い今年もまた多彩な音楽の祭典が催される。

 増坊は、体調のこともあり今回のフェスには企画から進行まで一切タッチしていないがお手伝いとして当日、物販など担当している予定である。もし来られる方は気軽にお声をかけてもらいたい。
 天気のことも気にかかるが、果たしてどれぐらいお客が来るか、進行はスムーズに進むかもはや音楽の神様に祈るだけだ。

当日問い合わせなど、いちおう増坊の携帯のナンバーを記しておく。090-8175-8479

今年の隅田川フォークフェスともかく終わって今思うこと。2012年07月07日 22時14分34秒

★三回目となった隅田川フォークフェスは課題を残しつつ無事に終了す。

 これまで過去二回のこのコンサートの企画運営に深く関わった者として、あくまでも当日手伝いの1スタッフの目でこのコンサートに参加して思ったことを忌憚なく書く。むろん、これまでのマスダのしたこと、つまり自分のことを棚に上げて何様のつもりだとご批判は当然受けるだろうが。もう何を言われても構わないし気にもしない。

 よく、コンサートは良かった、コンサートとしては成功したがイベント、興業的には失敗したという言い方がある。端的に言えば、自分が手掛けた2000年秋の「フォークロアセンター40周年記念コンサート」がそれに当たるだろう。
 あれは今でももう今となってはとても考えられない実現は絶対不可能のすごい顔ぶれが大勢一堂に会して長時間過密のスケジュールの中、小屋から言い渡された終了時間ギリギリにうまく収まってしかも演奏はその誰もが素晴らしくまさに夢の一夜となった。最高の超豪華なコンサートであった。

 あのコンサートにはどこにもマスダという名前は出てこないし、出演者はともかく観客はあれを企画しじっさいに運営したのはマスダとその心ある仲間たちだったとは誰も知らないだろう。で、それでどれぐらい赤字が出たかなんてどうでも良いことで、少なくても自分の人生において生涯もっとも大変かつ苦労し頭を悩ました大事件であったが、それを成しえたこと、終えたことは今は大きな自信となっている。昨年の春一の会場で、向こうの奴らにけちょんけちょんにけなされバカにされた時もそのことが心の支えになるほどだった。あんたらは知らないだろうが、俺だって東京でこんなすごい企画を成しえたのだぞと。

 そもそもその記念コンサートの母体となったのが、過去二回の隅田川フェスであり、40周年は、その延長線上で、かつてフォークロアセンターと関わりのあった方々とマスダらの人脈で多くのミュージシャンが快く出てもらえたのである。だが、情けなやマスダの力足らずにしてチケットはなかなか売れず、客席は満席には程遠かったのである。その後一年ほどはあんなに良いコンサートだったのに興業としては失敗したことについてどうしてなのかとずいぶん思い悩んだことを今告白する。

 そして、去年はいろいろあって開催できなかった隅田川フェス、今回、4月半ばに突然フォークロアセンター主宰の敬愛する国崎氏より連絡があり今年は急遽開催できることになり、日時はoo日だと知らされ驚き、また迷い悩んだ。それは何より開催当日まで実質二か月しかなかったことと、その日は前回の隅田川フェスに出てもらった、コンサートのある意味、顔であるシンガーたちが勢ぞろいして出る大きなフォークコンサートが別のところで既に決まっていて、出演者がどれほど揃うかお客も来るか見当もつかなかったからだ。仲間の音楽ファンに知らせたところ皆その日は既にそのライブに行くとのこと。ただでさえ少ないフォークソングファンを奪い合うようなことはしたくなかった。

 そんなこんなであれこれあっていったんは中止となったものの、結果的に当初の開催予定日から二週間だけ先延ばしとなって今年の隅田川フェスは7/7日と決定したのである。
 ただ、自分は予定になかったことと、家庭内の事情や体調が悪く、今回のフェスは企画運営も準備も申し訳ないが何も全くタッチできなかった。数人のおススメできるシンガーをブッキングしたぐらいだ。そしてやっと今日、ようやく腰も何とか癒えはじめまた二年ぶりに会場である神社、江島杉山神社の社殿に上がったのであった。何だかんだ言っても今回の出演者の半数はかつても今回も自分がセンターに紹介した人たちなのだ。その責任上も行かねばならぬ。

 さて、今終わって家に帰ってきて、そのコンサートはどうであったか報告をせねねばならない。振り返ればいろんな意味でとても面白く、良い演奏も多々あったし、今回も開催する意義は間違いなくあったと思うしやれたのは良かったが、残念ながらコンサートとしてみた場合失敗だったと自分は思う。むろん興業的にも自分が手がけたときと同じく失敗であったのではないか。誤解されると困るが、行く価値、見る価値がないという意味ではない。イベントとして見た場合、自分は及第点をつけられないということだ。コンサート自体は、準備期間がなかったわりにはそれなりに客も入ってかなり健闘したほうだと思う。もっと閑古鳥が鳴いても不思議ではなかったのだから上出来であったと感心もした。激しい雨も降った中、長時間最後までお付き合いいただいたお客様に有難く思う。

 どう失敗か。その理由はただ一つ。前半はともかく、あまりに後半グズグズ、ぐたぐたになってしまい、時間もどんどん押し詰まって、皆疲れてしまい散漫なエンディングとなってしまったことだ。終わりよければすべて良しという言葉に真理があるならば、お仕舞いが悪かったから失敗だったと言うのである。しかしそれは出演者や進行役のせいではない。当日の企画と進行自体ツメが甘く、仕切りがはっきりできていないが故結果的にだらだらとなって散漫な盛り上がらないエンディングになってしまったのである。もう少し詳しく書かねば伝わらない。【続く】

続・今年の隅田川フォークフェスともかく終わって今思うこと。2012年07月08日 00時10分45秒

くもりな の皆さん、 ボーカルのめいりん
★隅田川フェスはアマの祭典なのかプロのイベントなのか。

 こんなことを書くと語弊あるしあちこちから顰蹙を買うのを承知で書く。巧拙ではなくプロとアマチュアの差は確かにはっきりある。それは自分が下手くそなアマチュアだから言うのではない。厳然たる事実として、プロの人、音楽で飯食っている人と趣味道楽でやっている人は同列であってはならないはずだ。なによりプロに失礼であろう。

 振り返れば、自分はかねがねこうしたブログやあちこちで、音楽に老いも若きもプロもアマも関係ないと常々書いてきた。プロだってアマより下手くそな、実力のない人は多くいるし、アマチュアでも卓越したテクニックや素晴らしい魅力ある人はいっぱい知っている。何よりプロだからエライ、アマだからその下に置くという一般概念に与してはならぬと説いてきた。しかし少なくてもプロは、それでお金がとれお金が動く人なのであり、メシを食っている人、食えなくても食えるようになろうと志しを立てた人なのだ。それは職業として尊敬せねばならないはずだ。

 今回の隅田川フェス、いちばん不可解かつ失敗ではなかったかと自分が思うのは、第一部のレコードコンサートはともかく、ライブが始まって、タイムテーブル真ん中頃に今人気高いプロのグループ、「くもりな」を持ってきて、その後、後半はトリの岡大介に至るまでアマチュアの人たちが続いたことだ。くもりな終演後、観客はどっと帰って半分ほどになってしまったし、アマチュアの人たちがプロに比べて下手だとか魅力ないとかではなく、そうした進行表には首をかしげてしまう。

 アマチュアだってプロ並みプロ以上に巧くしっかり聞かせる人も今回も多く出たが、彼らに魅力実力があるなしではなく、興業として見れば、自分としてはプロは前座に置かない。あくまでもアマはプロに対しては敬意を払い順番から行けばその前に出るべきではないか。むろんそれは主催者の考え方ひとつで、そんな順列にとらわれるべきでないと反論もあるかもしれない。しかし、アマチュア仲間の祭典ならともかく、ある程度の入場料をとっての興業イベントでもあるのだから、プロとアマが同列もしくはその前であるのはおかしなことだ。

 センターオーナーの国崎氏は、今年の隅田川フェス、今回は初心に帰ってやりたい、と当方宛のメールに記されていた。それがカントリー、オールドタイム系のアマチュアの方々に今回は多く時間を割き、彼らを後半に持ってきた理由だとするならばそれが正解であったか問いたい。もし隅田川フェスはそうした人たちのアマチュアイズムに則ったコンサートでありたいのならば、果たして入場料はどれほどとれるのだろうか。一般の観客はどれぐらい集まるか。

 またこれは書くべきか迷ったが、司会進行役に出演するアマチュアミュージシャンを当てたこと自体がそもそも一番のマチガイだと自分は断言する。たとえそのシンガーがいくら達者な歌い手、ミュージシャンであろうと司会し自らも出番を持ち歌うなんてあってはならないことだ。プロのシンガー、たとえば「さだまさしとその仲間たち」とかいうコンサートがあってさだまさしが司会進行して唄うならわかる。これはコンサートの根幹に関わることで、それをやってはいったいこのコンサートは誰がメインなのかわからないではないか。
今回の司会進行担当の方が悪いとかダメだと言っているのではない。進行役として巧みで素晴らしかった。ただその人が出演者でもあるのが合点がいかない。アマチュアのコンサートならそれは許されてもプロを招いてのコンサートではおかしなことだと言っている。僭越だと思う。岡大介が最初から最後まで出てきて司会進行して仕切るならそれは許される。オレの言っていることはヘンケンだろうか。少なくても自分は司会進行役を任されたときは絶対に唄いも弾きもしない。そんな実力がないからだがそれだけでは絶対ない。司会とはあくまでも裏方なのだ。表に出るのは自分のショーのときだけであろう。それは若い頃より風太から学んだ鉄則だ。

 自分が関わっていないからお前は好き勝手なことを書いていると批判されよう。そのとおりであるがでは自分が関わっていればどうだったかと考える。やはり最後はいつもながらどんどん押して来てあたふたするような気もしないではないが、そもそもこうした大勢が出るコンサートはきちんと一人タイムキーパーを置いて厳しくチェックしていけば良いだけの話なのである。その認識が甘いから最後にシワ寄せが来てしまう。その意味でも司会役と出演者が同一では時間管理ができるはずがない。勝手な言い草だと呆れられ怒られるだろうか。

 隅田川フォークフェスはアマチュア中心の音楽の祭典なのだろうか。ならばプロシンガーはどの程度そこに入れるべきなのか。自分にはそこのところがよくわからなくなった。第二回目に参加されてこのフェスについて非常に好意的な記事を自らのブログに書いてくれた中川五郎さんには申し訳ないけれども。

 と勢いで思うところ書いたが、じっさいの様子はこの文章だけでは参加者でない限りまったくわからない。伝わらないと気づく。一両日中に、画像で全出演者登場順にアップさせる。さすれば雰囲気だけは伝わるであろう。もう少々お待ち下さい。【終】

7月の予定と年内これからのこと2012年07月08日 23時22分46秒

大正演歌師・楽四季一生さん
★懸案のことを今月中に片づけて秋へ向かっていく

 何はともあれ隅田川フェス無事に終わって良かったと一夜明けて思う。朝から夜までずっと立ちっぱなしだったが体調、腰の方はさほどダメージはなかった。まあ、もう治ったと言えると思う。ご心配おかけした。

 オリンピックではないが、こうしたコンサートは、まずやることに意義があるのだと気づく。興行的な結果やその他コンサート総体のことはその後についてくるものだ。つまり採算や音楽・芸術的価値や意味とはまた別なところでイベントというものは考えないと何一つできやしないのである。ただ、問題があるとしたら観客、関係者、出演者ら総ての関わった人たちの満足度がどこまで高まったかという一点のみであり、どのぐらいの人が「これでいいのだ」と思えたかなのである。

 さて、7月、今月は自分が関わるコンサートは29日の新宿のお寺である、なかよしうめず(中川五郎、よしだよしこ、梅津)の「教育の貧困」だけであり、あとは体がゆるせばまずは16日の10万人集会などへ参加するだけだ。
 
 今月はともかく溜まりに溜まった懸案のことを一つでも片づけてしまおうと考えている。それはブログで言えば、これまで関わったライブの報告記事、画像などのまだ整理していない分を全てアップさせるということである。中途半端なままずっと投げ出していたことをきちんと整理、処理しないことには次のことにとりかかれない。まずは今年前半の関わったことをすべて整理しまとめ決着つけていくことだ。

 無頼庵での次の活動もそろそろ決めてその準備していかないとすぐに秋が来て、冬となり今年も終わってしまう。隅田川フェスではないが、こうしたイベント企画は、拙速に開催だけ決めても人は集まらない。最短でも三か月は時間をかけてじっくり宣伝していかないと周知が徹底できない。たとえウチで2~30人の人を集めるのだって、そのぐらいの戦略を立ててこそ何とか満席にできるのだ。なので、そろそろ年内の活動予定をきちんと決めて宣伝活動を始めていかねばと思っている。

 今年後半の無頼庵の予定であるが、かねてよりお知らせしてきた「無頼庵フォークソングワークショップ、貴方も今日からフォークシンガー!」と「三留まゆみ無頼庵映画塾」を秋から月一で始める。
 その他、恒例ライブとして、「天才・さこ大介大全集」のプレイベント、それに「楽四季一生大正演歌師ショー」を予定している。この二つはクリスマス前には何としても実現させたい。
 その他「地球の上に生きるには~皆で手作りキムチづくり」という企画も12月頭に確定している。それらをうまくこなしていくためにも体調を整え、抱えているこれまでのことをすっきりさせなくてはならない。

 原発再稼働や公約破りの消費税増税など悪政に対して今国民の間では静かな怒りが自然発生的にうねりとなって大きく高まっている。時代は大きく変わり始めている。その変革の時代に少しでも関わっていくことができればと願う。それが安保闘争、学園紛争にも間に合わなかった遅れて来たゼネレーションの一人として最後の闘いなのである。