冷たい雨の中の11.11百万人大占拠2012年11月12日 05時38分37秒

★皆の思いが試された試練の集いとなった。

 3.11以降、都内官庁街での反原発集会には何度か参加しているが今回の「大占拠」は最も辛くそして印象深いものとなった。欲求不満というわけではないが、いつもの参加した後の達成感、爽快感というのはほとんどない。冷たい雨の中、ただ立ち続けて足は棒のよう、寒くて体も冷えてガタガタ震えた。今も鼻水垂らしながらこれを書いている。

 いつもならばまず公園で参加者たちは一同に会し、主催側の進行に従い有識者たちや知識人、フクシマからの人たちなどの訴えに耳を傾け、思いを一つにそれぞれ各方面へデモへ向かう。が、今回はまず皆で集える場所を奪われそうした集会もない。誰もほとんど全体の流れもつかめないまま国会議事堂を遠くから望む歩道に何時間も行列しひたすら立ちすくんでいたにすぎない。
 列はほとんど進まない。何故なら向かうべき場は参加者ででいっぱいで我々は動きようがないからだ。全容が見えないから手ごたえというようなものは何一つ感じなかった。ところどころに設置されたスピーカーから流れてくる発言者たちの短いスピーチに必死に耳を傾け、合間合間の参加者を鼓舞するようなシュプレヒコールに応えて声を発するだけだ。

 しかしだからこそ自分にとって、この示威行動、戦いは何のためにしているのか、どういう意味があるのか深く改めて考えさせる機会となった。その雨の歩道で「原発やめろ」と声をからして叫んでも聞いているのは路上に立ち威嚇する警官たちだけであっただろう。デモ行進にもならなかったからその思いは一般大衆には届かない。そもそもそこにそうしていることすら大マスコミは取上げない。無意味と言えば無意味と謗られても返す言葉はない。

 だから、だからこそここからこの場所から、ここからこの脱原発、全ての原発を廃炉にしていくまで諦めず戦いは続けなくてはならないこと、、そのためにはまず選挙で原発推進、再稼動容認派の議員たちを落として政治を日本の未来を取り戻していくこと、それしかないのだと誓いを新たにした。

 冷たい雨の中、自分は一人ではなかった。今回いつも顔合わす仲間たちとは会えなかったが同行してくれた女友達は傍らにいたし、何より寒さに耐え雨に濡れながらひたすらじっと立ち続けるその長い長い列の沢山の参加者たちと思いは全く一つであった。その皆の思いと期待を背に都知事選に出られる宇都宮弁護士が列に登場、彼とも握手できたし参加できたことに悔いはひとつもない。

 あの3.11から1年八ヶ月。この皆の思いと行動が、大新聞、マスコミも無視できない世論の高まりとなって再び原発推進、更なる再稼動、原発輸出へ向かいたい国家権力、政財界の思惑にストップをかけている。我々は原発の大きな抑止力なっている。そう、倦む事なく、手を緩める事なくすべての原発を廃炉にする日までこの長い長い戦いは続く。それこそが3.11以後今を生きる者たちの使命なのであった。そのことに今回強い確信を得た。

 そうだ、戦いは今から、戦いはここから、ガンバロー!

12月1日@無頼庵「楽四季一生バイオリン演歌ショー」2012年11月13日 22時02分03秒

新潟での楽四季さん
★12月1日の詳細です。どーぞ老いも若きもお気軽に!まずはバイオリン演歌と楽四季一生さんについて。

 「バイオリン演歌師」といっても今の人はいったい何のことかと思うのであろう。むろん、もはやその実物、現存している「ほんもの」、つまり本職でやっている人など生きているわけがない。何しろ彼らが活躍したのは明治大正の頃であり、生で見た、聞いた人だってもういないはずだ。

 ウチの親父は、かろうじて大正期末の生まれで、昭和一桁年代に幼少期を過ごしている世代であるが、街角でそんな人たちは見たことがないらしい。まあ、当然であろう。ラジオや新聞が普及してマスメディアが成立した近現代ではバイオリンで時事を風刺し世相を唄い、唄本を売って生業としていた「演歌師」なんて当時でさえ時代錯誤で、どんな田舎、僻地へ行っても現存していたとは思えない。彼らはそもそも自由民権運動に乗じて登場してきた職業であったのだから。まあ、日本狼や日本かわうそと同じく既に絶滅した種である。

 ただ、戦後初の国政選挙で当選し国会議員となった、タレント議員第一号として歴史に名を残す石田一松は、「ノンキ節」で知られるバイオリン演歌師であったのだから、戦中ぐらいまでは芸人、今で言うタレントとしてそれなりに寄席や宴席、慰問など興行の世界にはいたものと思われる。

 今では絶滅したその「最後の演歌師」といえば桜井敏雄(1909年~1996年)で、戦後昭和の高度成長期の回顧ブームなどでかなり売れっ子となりテレビなどにもたまに登場していたから記憶にある方もいるかもしれない。彼はその石田一松の弟子だったそうだ。
 増坊も彼の晩年、浅草木馬館でやった懐かしの演芸大会的催しで、千代若・千代菊など共に桜井氏当人を観ている。かなりヨボヨボの老人だったが声は出て姿勢はしっかりした端正な芸だったと記憶している。彼のバイオリンは今小沢昭一の手元にあるときく。そうしたバイオリン演歌師は彼の死で絶滅したはずなのである。が・・・

 今回拙宅「無頼庵」にお招きする楽四季一生(たのしき・かずお)氏は、その桜井師の弟子であり、その今は既に消えうせたバイオリン演歌のスタイルを平成の世に伝えるべく演奏活動を長年されている。写真を見ればお分かりのごとく、昔の書生スタイル姿で、うたも演奏も当時の面影を色濃く残す忠実な継承者なのである。

 増坊は先年、かんから三線の岡大介から紹介され、その飾らない人柄と味のある歌声にすっかり魅せられてしまった。バイオリンはカントリーやクラッシックのプレイヤーほど巧くはないところが、実に演歌師らしくそのギコギコと弓を引き鳴らすスタイルが往時を強く偲ばせる。それは過去の物真似ではなくうたの時事性も高く、かつてのバイオリン演歌師が今の世に生きていたらきっとこうした人であろうと思える。それ故、両国フォークロアセンターの企画にも度々出て頂いているし、今や彼の活動は老人達だけにでなく平成の若者にも大ウケなのである。先日もあの人気者熊坂るつこのコンサート、打ち上げにも登場し耳の肥えた新潟の観客を驚かせた。

 遊びやコスプレ、芸人としてそうしたバイオリン演歌をやる人は他にもいるかもしれない。今後若いモノズキが始めるかもしれない。しかし、知る限り本気で、当時のスタイルをきちんと継承し今に生かし、その精神さえも伝えている人は彼、楽四季さんただ一人である。その彼を無頼庵にお招きできて実に光栄である。どうかこの機会に、今では珍しい本物の「最後のバイオリン演歌師」の唄う「バイオリン演歌」を聴きに観にきてほしいと願う。

 バイオリン演歌って、森進一なんかの「演歌」とどう違うのと思われる方、「演歌」とはそもそも何なのかこのライブで確かめることができるであろう。そして共演は、増坊友人知人間のナンバーワンギタリスト、外山誠二。チェット・アトキンスぱりのフィンガーピッキングのスペシャリストがバイオリン演歌師に色をそえる。こんな異色の顔会わせ、最初で最後かもしれない。
 どうか老いも若きもお気軽にお越しいただきたい。当日は二部としてフォークシンガーによるフォークライブも6時から予定している。一部二部どちらかだけのご参加でもかまいません。

12/1日、楽四季一生バイオリン演歌ショーの詳細2012年11月14日 18時34分01秒

★当日は二部構成でやります。どちらか一方の参加でもかまいません。

 楽四季一生(たのしきかずお)バイオリン演歌ショー

 ◆第一部

 ○出演: 楽四季一生*バイオリン演歌師
  
  ゲスト: 外山誠二*フィンガーピッキングギタリスト

 ○開場: 12月1日 午後3時 開演: 午後3時半  午後5時頃終演予定

 ○参加費: 予約¥1000 当日¥1500 *軽食&ドリンク付き

 ◆第二部 *懇親会を兼ねつつ

 無頼庵フォークソングライブパーティー ¥1000 *フリードリンク&フリーフード ※アルコール&おつまみ持ち込み大歓迎 

 ○開演: 午後6時  午後9時頃終演予定

  ○出演:外山誠二 藤しんいちろう 宮瀧じゅんこ 他予定

 ★予約・申し込み マスダ 090-8175-8479 もしくは当ブログにコメントください。非公開で承ります。あるいは出演者に直接申し込みも可。


 どなたでもお気軽にお越しください。

ついに解散、いよいよ総選挙2012年11月14日 23時33分37秒

★全てに追い詰められた末の自爆・やけくそ解散

 今夕方のテレビのニュースで、野田首相はついに解散を国会の場で宣言した。告示と投票の日時も確定したようである。彼のことだからまさにドジョウのようにこのままのらりくらりと来年秋の満期まで4年間この最凶最悪の政権を維持していく可能性も高いと考えていたが、ついに国民だけではなく身内民主党中枢からも支持を失い、もはや断末魔となって解散するしかなくなったのである。

 このままずるずる「近いうちの解散」を先延ばしにすれば自公談合仲間からはウソツキと罵られ相手にされなくなるだけだし、解散しようにも反対が大勢の民主党内からは野田下ろしが始まる。また、これだけ世論調査で党も政権も支持率が下がれば何度内閣改造をしようと上昇回復は絶対にありえない。ならば、いっそのこと今なら敵は体勢が整っていないからもしかしたら勝てるかもとの奇襲攻撃、いや、結果としての自爆解散、党内誰をも道連れに破滅へ舵を切ったのである。

 窮鼠猫を噛むという言葉もあるが、日本軍が真珠湾を攻撃したときのように日本人はとことん追い詰められると後先考えず突発的な行動に出る。ヤケになって自殺を考えならばできるだけ多くの道連れ、被害者を出してから死んでやると考える。さいきんの若い日本人はそうした傾向が強いが、この首相の行為もそれに等しいというのは言いすぎか。

 ただ、いちばん許せないことは、お約束どおり解散はします、が、その引き換えに、選挙制度改革=定数削減と一票の格差是正の道筋を作る約束をしてほしいと、自公にまたも談合を持ちかけたことだ。むろん、自公は一日も早く解散してほしいのだからまたそれに乗っかる。消費税増税もだが、また最後の最後まで彼ら三党の談合体質は変わらない。まったく呆れ果てる。

 しかし考えてみれば、この総選挙は改革したその選挙制度で行うのではない。違憲のまま今回も選挙は行い、あくまでも選挙後の新内閣、新体制で改革を行う約束をするのだからこんな馬鹿な話はない。いったい誰がそのとき当選して政権を担っているのかわからないのにこんなおかしな約束はありえない。誰だってそう気がつく。ところが、そうした先送りの約束をしかけて、いちおう選挙制度改革は果たしたつもりなのだろうか、この男は。

 何度も書いてきたことで、繰り返したくはないが、増坊は制度改革に名を借りた議員定数削減には絶対反対である。議員定数はそもそも議員のものではない。これは国民のもの、代理人を出すための権利であり、その数を減らすことは民意の反映をゆがめることに他ならない。歳費や選挙に金がかかるならそもそも政党助成金は何のためにあるのか。政党助成金を貰わずに活動している共産党を見習ったらどうなのか。議員の数を減らすより給与を半額にすれば良い話ではないか。政治家はボランティアでも良いではないか。

 違憲のまま総選挙を行えば、また下手すれば今後4年間この違憲のまま選ばれた議員が国会に居座るのである。そいつらに選挙制度改革などどうしてできるのか、その資格すらない。

 そして一番許せないのはマスコミである。野田首相が仕掛けたこの戦の「勝者」は誰か、自民か、民主かはたまた慎太郎と橋下の第三極連合かと面白おかしく持ち上げるだろう。だが、そうした保守と右翼にはこの国は託せないし任せたときはさらに破滅が待ち受けると断言する。
 自民党から民主党へ政治と暮らしはさらに悪化した。今次は第三極なる右翼政治集団に期待する向きもあるが、それこそさらに亡国の道なのである。野合集団が政権をとれば混乱は民主党の比ではない。かといって自民党には戻せない。民主党より大企業寄りの原発推進政党なのだから。

 私たちの望むことは・・・
 原発をゼロにし、オスプレイ強行配備と危険な米軍基地撤去を求め、国内の農業を守っていくためTPP参加を見送ること、そして消費税増税も撤回させたい。それが託せるのはどの政党のどの議員なのか今度こそマスコミに踊らされることな見極めなくてはならない。選択肢は限られている。今度もまた誤った選択は許されない。まさに最後のチャンスなのである。

政治家とはいったいどんな人種か2012年11月15日 22時03分11秒

★沈む船から逃げ出すネズミの行き先は

 もうとことん呆れ果てた。
 首相の解散宣言から一夜明け、民主党からは続々離党者続出中である。あたかもその姿は沈む船からネズミが逃げ出す様を思わせる。皆、今さら考え方が違う、一緒にやっていけない等とか言って中には自民党に入れてもらうことを願う奴もいる。また、維新政党など第三極に擦り寄るやからも多くいるようだ。こうした奴らは要するに今までは野田首相を選び消費税増税など悪法に常に賛成もしてきたのに、突然の解散宣言に、もう今の民主党ではとても自分は当選できないと見限るやすぐに踵を返して他の追い風が吹きそうなところに鞍替えを望むのである。

 まあ日本史の中の関が原の戦いでもそうしてギリギリまで様子見を決め込み、徳川方が勝ちそうだと見るや豊臣を見捨て徳川に加勢した大名も多かったようだからそれが人智の冴えと見ることもできなくはない。
 しかし、ことは国政を担う国会議員である。もし最初からその政党に不満があるならばそこから出馬することも党籍があること自体おかしな話で、自らの考えと異なると気づけば当選してからでもいち早く離党するか議員辞職をすべきであろうが。それか今の今まで小沢一郎たちがいち早く離党したときも行動を別にしたはずなのにようやく今日になって「考え方が違う、一緒にやれない」とは笑止千番なにものでもない。

 こうした人間はそもそも最初から基本的政治理念など何一つなく頭にあるのは自らの議員になりたい、議席を守りたいということだけなのである。ゆえに当選できれば民主党でなくとも自民党でも良いし太陽の党だか維新政党だとかどこだって全く関係ないのである。

 思えば、民主党結党じたいが自民党から脱落した、いわば権力闘争の落ちこぼれ的な人たちが支持を失った旧社会党的な人たちと共に作った寄り合い所帯であって党の綱領すらなかった。ともかく選挙を戦い政権を目指すことだけが目的で共に集まった輩であった。そして自民党の敵失的勝利でようやく政権交代なってから今までの迷走と背任、公約違反の数々はいかにそのマニフェストすら政権奪取のための絵空事、絵に描いた餅であったか如実に示していよう。

 そして挙句に今民主党は完全に国民から愛想つかされ、野田首相の下で選挙は戦えないとはっきりすると他の政党に大慌てで擦り寄っていく。こうした奴らはどこにいてもまた同じことを繰り返す。その党が政権を握れば党の方針には唯々諾々と従い、その党の人気が落ち支持率も下がればまた次の居場所を求めてより当選できそうなところへ移っていく。そこには政治信念など何一つない。頭にあるのは保身だけである。国民のことなどまったく念頭にない。せいぜい支持者の顔色を伺う程度だ。

 そして今、そうした政治家ゴロの受け皿として第三極なる新勢力が脚光を浴びている。慎太郎、橋下、渡辺、河村各氏が一つの党にまとまればじっさい政権獲得もありえるかもしれない。しかしそれはまた第二の民主党政権であり、今は政権奪取のため大同小異で結びついてもまたすぐ権力闘争を党内で仕出かし負けた者は党を割って出る。そして民主党政権と同様の不手際と公約違反が続出していく。それは単に数合わせの政権獲得目的だけで集った野合そのものであるからだ。

 第二民主党と言うことは第三自民党でもあるわけで、いくら彼らが政治的に新しさを売り物にしても基本的には旧来そのままの保守反動であるのは変わらないし、民主党よりもより自民党に近いタカ派、右翼集団であることは言うまでもない。原発存続、TPP推進、安保条約の堅持と深化、憲法改定なのだからどこに新しさがあろうか。その道はいつか来た道、である。

 マスコミはまた面白おかしくこの戦の勝者は誰かと大騒ぎするだろう。しかし自民にしろ民主にしろ維新にせよ誰が勝とうと政治はまた何一つ変わらない。何故なら彼らはそもそも国民のことなど考えていないからだ。権力をいかに自らの手に入れるかだけが彼らの目的なのだから。
 戦国時代を舞台にした歴史小説ならばそうした武将たちの誰が戦に勝ってこの国の主となるかがテーマであろう。その主役は信長や家康などの武将たちであるのは仕方ない。当時も民衆はいたけれど歴史の表舞台に出ることはありえなかった。

 しかし今の時代は、そうしたどの政党のどのボスが国政を手に入れるかが興味の対象であってはならないはずだ。彼らを政治ゲームの主人公としてマスコミは持てはやすなかれ。今さら使い古された言葉だがあえて書く、もし政治の主役は誰かと問われれば「国民こそが主人公」なのである。その国民、大衆にとって誰がより良い安心の出来る暮らしを実現できるかがテーマであり、今度こそ間違いのないように誰に一票を投ずるか、選挙の争点とはそこにあることをマスコミは見失ってはならない。

  そうしたマスコミに踊らされないよう自戒を込めて有権者は賢くならねばならない。自民、民主、維新、三党のどこが勝とうが負けようが最終的には全く関係ない。数さえ集まれば彼らは大同小異、基本的に保守・右翼の一点で一致し憲法改定のため大政翼賛会を築く。そのときこそ国民はまたもや騙されたと気付くがもう遅いのだ。

衆院解散の日に思う。2012年11月16日 20時39分14秒

★政治の話はひとまず置く前に

 いよいよ国会も解散してこれから選挙戦の火蓋が切られる。
 二大政党制を目指して小選挙区制度を導入したはずなのに、14だか15もの政党が乱立するのはどうしたことか。要するに、政治家は離合集散が常であると同時に、自民も民主も個々の議員の意思は生かされないからだろう。それはとりもなおさず国民の意思である民意が政治に全く反映されていないことの証なのである。

 公約になかった消費税増税をやり遂げた野田民主党政権にいよいよ審判が下る。私感だが、おそらくこの総選挙後、民主党という政党はもう存在していないのではないか。それぐらいこてんぱんに負けてほしいと願うが、代わりに自民、維新の二大右翼保守政党相並び立つというのでは米国でさえも心配するアジア外交が不穏不測となる事態となろう。
 自民と維新、そこには政策上の対立軸は存在しない。安保にしろTPPにせよ、原発にせよほとんど主張に差異はない。中でも憲法改定については彼らは全く考え方を共有しているのだから。まさに慎太郎の言うとおり大同小異なのである。

 選挙後の政権の枠組みを今考えても仕方ないが、そうした保守&右翼大連合だけはあってほしくないと願う。政治とはそもそもバランスなのである。左右様々な個々の意見をうまく集約してできるだけ民意を汲み上げ政策に反映させていく。しかし今の選挙制度では、一票の格差以前に民意を大きく切捨てる死票の多い小選挙区だから結果として大政党と宗教や組合など組織政党に有利となっている。ゆえに一般大衆、国民の民意はなかなか反映されない。

 世の中には政治家達はまとまって一本化して国難に当ってほしいという声もある。それは全く正しいがその結果が救国大政翼賛会で、復興予算を全く関係ない事業にばらまいたりTPP推進、原発再稼動の容認、新たな原発の建設、沖縄の米軍基地固定化では国民は誰も救われない。そうした方向に異を唱える勢力もまた国会に存在しなくてはならないはずだ。そうした大政党の暴走や談合を批判しチェックするミニ政党にこそ期待するしかない。

 長くなった。どうせ誰にも読まれないと思うので、政治の話はここらでひとまずお休みして残すはあと一ヶ月半となった年内をしっかり乗り切っていきたいと願っている。
 幸い、選挙の告示日や投票日とウチでのイベントは重なっていない。無頼庵でのライブ企画、ぜひ多くの方々のご参加を待っている。

薪ストーブ日和2012年11月17日 21時37分20秒

★家の中に火のある暮らし

 季節は駆け足で進み、木々の葉は散り落ちてはいないがもう体感的には冬である。今夏はいつまでも暑く、夏が長かったので秋はすごく短く感じる。

 このところ雨や曇りの日や、木枯らしが吹く日は薪ストーブに火を入れている。火入れから二年目の今年、自分で言うのも何だが着火も火加減もずいぶん上手くなってきた。

 前にも書いたけれど、ウチのストーブは、オーブン機能も付いた業務用と言うべきか、本来の暖房のためのものではない。それもあってか基本的に暖房器具としての役割はほとんど果たしていない。
 それが設置してある一階のキッチンはちっとも暖まらないし、せいぜいお湯がふんだんに沸いて使える程度の利便しかない。ただ、煙突が通り温まった空気が上がっていく二階の部屋「無頼庵」の部分はストーブを焚くとほんのりと暖かい。
 うんと汗ばむほど暖かくなるのならば本体と工事費も含め百万円近くも出して導入した薪ストーブの意義もあるのだが、「ほんのり」では何とも心もとない。しかしそのほんのりだか、ほんわか程度の暖かさが何とも心地良く、個人的には満足している。

 ストーブの中にまず紙とか木っ端を入れてそれに火を着けてそれからじょじょに太い丸太のような固まりに火を拡大していく。最初はなかなか太い固まりに火が着かないから多少は煙も出て二階までも煙くなる。でも今ではその煙の臭いからいがらっぽさも含めて好ましく感じる。本来気管が弱い自分としてはタバコも含めたそうした「煙い」のは苦手だったのだが、薪の燃える煙の臭いというのは何とも懐かしく感じる。それはたぶん子供の頃の七輪で火を起こし炭に火をつけたときや練炭の燃える臭いに繋がるからだろう。祖父の部屋には火鉢もあったことを思い出す。
 
 そう、昔は家庭内にそうした「直火」の道具が必ずあった。それがガスや電気コンロの普及により、火は一箇所に管理されひどく簡便になった。つまりマッチもいらずスイッチ一つですぐに火は着きあっという間にお湯も沸くようになった。いや、今では蛇口をひねればお湯が出る。IHというのか、火を全く使わないコンロも普及している。

 しかし、そうした手間隙かけて直火を用い、火の道具が室内にあった頃は煙も煤も出たのだろうがその暖かさは今とは格別の感があった。火の価値というものはあり難かった。火鉢など暖房器具としてはほとんど役には立たないけれど、手をかざしたりお湯を沸かす程度でもそれが部屋にあることは有り難かった。つまり暖房とはそれだけしかなかったのだから。
 それがやがては狭い室内でも石油=灯油を使った芯を燃やすストーブとなっていく。これは相当に暖かかった。かなり灯油臭くはあったけれど。ストーブの上ではヤカンも乗せられたし餅も焼けた。昔は学校などには石炭ストーブもあったことを思い出す。暖かさではやはり石炭が一番であった。

 それがいつしか、面倒だということと直火は危険だということで家庭では火は直接見えないファンヒーター型式になっていく。空気も汚れないというのが売り文句だった。そしてマンションなどの共有住宅では最初から火災を怖れて直火のストーブは禁止され、代わって各部屋ごとにエアコンが付いた。
 そうして火鉢や練炭どころか灯油やガスのストーブも生活から消えて、今の子供はマッチの使い方すら知らない。焚き火もしないから火をつけて何かを大きく燃やしていく行為はキャンプでも行かない限り生涯することはない。今の時代は生活から火が失われてしまったのである。

 そして今、昨年から憧れの薪ストーブを家に導入して、当初はうまく薪に火を着けるまでやや苦労したものの、家の中に直火がある暮らしをしてみてこれは本当に素晴らしいと思える。暖房としてはあまり役立たないし、普段は天板に乗せたヤカンでお湯を沸かす程度のオーブンでもその存在自体が心強く、人を和ましてくれる。

 先だって新潟の築数百年という古民家に泊まって囲炉裏を囲んでお茶を飲んだりしたのだが、囲炉裏はウチの薪ストーブより当然ながらモット煙い。煙突がないまま薪を燃やしているのだから煙はそのまま室内に昇っていく。しかし燻されたような黒光りする梁や柱に囲まれた部屋で囲炉裏の火を見ているだけで気持ちは癒されいつまでも飽きることはなかった。
 今、自分も外は雨の日などは、薪ストーブの前でガラス越しではあるが、燃え盛る薪をただぼんやりずっと眺めている。上の鉄板に、ソーセージとかを乗せてちょっと焦がしてそれを肴に赤ワインなどちびりぢびり飲むのは至福のときである。

 慌しい世間や社会のことは外にして、そうしてただぼんやり火をみつめてぼーとしているのは逃避ではあろう。しかしおそらく原始人の頃から人間はこうした営みをしてきたわけであり、直火と暮らしは一体化していたのだ。今では野外キャンプ以外、こうした火のある暮らしは古民家でもない限り全く失われてしまった。だからこそもし場所と少しの金に余裕あらば各家に薪ストーブを置くことをオススメする。原発事故以降、オール電化神話はもう色褪せた。やはり昔ながらの直火のストーブが必要とされるのである。

 まあ、その前にウチの薪ストーブにあたりに来てください。囲炉裏ほど寛げないけれどそれなりの味わいがあります。

無頼庵年内の予定と開放日について2012年11月18日 22時40分56秒

★今年も残すは一ヶ月ちょっとであるが・・・

 無頼庵の今後の予定、年内の計画などをお知らせしたい。
 気持ちとしてはもっと稼働日を増やしてせめて週に1日か2日、曜日を決めて客が来ようと来なくても店として開けたいと考えているのだが、老親たちの体調がもう一つということもあり、その世話もある一人息子の身としてなかなか「開店営業」などほど遠いのが本音である。

 でも一応、先月から始めた「フォークソング・ワークショップ」はごく少数の参加者とはいえ月一で続いて今月も近く23日に予定しているし、12月1日にはようやく初の演芸企画、楽四季一生さんを迎えて、「バイオリン演歌ショー」が決定している。
 気持ちとしては自分が担当している「フォークソング講座」より本格ライブ企画となる12月1日のほうに頭がいっぱいというのが正直なところだ。毎度のことながらまだ予約者、参加予定者の数が少なくこれからが勝負だと思っている。
 先のオープニングライブのときみたいに超満席ということは望むべくもないが、企画したからには友人知人だけではなく外部からも客を集めそれなりに場をいっぱいにしたいと願っている。絶対楽しい面白いコンサートとなるだろうからバイオリン演歌師に関心がない方もぜひぜひお気軽に遊びに来てほしい。

 それと・・・クリスマスの頃には昨年と同じくまた忘年会コンサートを開催する予定でいる。12月の23日か24日のいずれにと考えている。参加希望者の都合を諮って12月1日に来られた方々と相談して日時を確定してお知らせする予定だ。また薪ストーブで丸ごと一羽チキンを焼くので楽しみにご参加願いたい。

 三留まゆみの「無頼庵映画塾」であるが、マス坊のフォークソング講座よりはるかに多くの参加予定者が既にいるのだが、諸般の事情から開催は来年1月からとさせて頂くことになった。その理由は、恥ずかしい話であるが、まだスクリーンとなるプロジェクター、もしくは大型壁掛け液晶モニターが手に入らないからで、その購入資金も含めて今調整中なのである。
 何としても心機一転、新年一月から月一回、彼女のオススメする映画を解説付きで上映する企画を始めたいと気持ちは燃えている。こちらも12月に入れば確定した曜日をお知らせできるかと思う。
 自分としてはこうしてウチでやる企画を次々いれていけば営業日、開店している日も増えていくので頑張りたいと思う。

 ともかく客が来ようが来なかろうがどんなことでも続けていくことだ。さすればふらっと気が向けば誰かが来てくれるだろう。そのためにもいつでも客を迎え入れられる準備竹は常にしておかねばならない。来年の課題はまずこれに尽きる。
 今月23日はともかくも、12月1日とクリスマスの頃の忘年会ライブパーティ、ぜひどなだてもお気軽にお越し下さい。心よりお待ちしております。

今年一番の冷え込み2012年11月19日 22時49分13秒

★風邪のひき始めっぽいので

 それにしても寒くなってきた。今日は一日どんよりとした曇り空。雨は降らなかったものの気温は10度にも届かず、一月の気温だという。
 寒いのとは関係ないはずだが、やや喉が痛く鼻も詰まってきてどうやら風邪のひき始めらしい。

 葛根湯でも飲んで一日寝ていれば治ると思えるが、今がいちばん忙しい勝負の時なのでそんな悠長なことは言っていられない。落ち着いてブログを書くヒマさないのだ。

 ともかく冷え込む。いよいよ本格的な冬が始まる。風邪がひどくならないよう今晩は早くねることにしよう。そんなこんなごく簡単なことしか書けず申し訳ない。

歳をとるということは2012年11月20日 20時30分55秒

★老人という生き物と暮らすことは難しい。

 風邪ひいて寝込むかと思ったが、きょうは気温も暖かかたこともあり今はまだ悪化していない。しかしともかく忙しい。はたして無事に年末まで乗り切れるかだ。

 まったく関係のない話。人は生まれて歳をとりやがて老いて死ぬという道筋をたどる。むろん若くして不慮の事故や病気でなくなる人もいる。が、たいていは皆歳をとって当たり前のこととして死ぬ。
 
 では、死ぬまでの間際、老人として生きるということはどういうことなのであろうか。今、筆者マス坊は、老いた老父母と暮らしていて、老人とは、歳をとるということはこうしたことなのかと深く思い至っている。これは親と同居して共に暮らしてみないとわからないことであろうし、同時にここまで歳とった老人と付き合った者でないとその実体はたぶんわからないことかもしれない。

 当たり前のことだが、まず年寄りというものは、記憶が続かない。認知症であろうとなかろうと皆記憶障害の仲間であるから、つい機能のことでも覚えていないし、言った事もしたこともまさに「記憶にない」。ゆえに話している最中に自分がなにについて話しているかすら忘れてしまうし、立って台所に来ても何のためにそこに来たか目的すら忘れてしまう。
 これは母の話で、マス坊の母は、八十までは記憶力抜群で呆けるタイプの人間ではないと当人も信じていた。しかしこの1年前から物忘れが甚だしくこちらが言ったことも当人が言ったりしたこともすぐに忘れてしまうことが増えてさすがに老化がはっきり伝わってきた。それは癌とか病気したせいではなく、やはり脳神経じたいが衰えてきたのだと思える。何しろ今年の12月で83歳、来年は年女なのである。

 思うに、老人といっても本当の年寄り本格的な老人とはやはり八十代からなのだと気付く。何だかんだいっても母も70代はほぼ中高年と同じく全てに普通の日常が過ごせていた。どこでも行けたし何でも普通にできた。それがちょうど八十歳になってから癌がみつかり、手術や入退院も繰り返すようになって一気に衰え、今は体はともかくオツムのほうがずいぶん老化が進んできた。
 もしてその母より年上の親父に関しては、肉体もだいぶガタがきているが、それいじょうに認知症、ボケが甚だしく、ほんとうの痴呆には至らぬまでも記憶力、判断力の低下は激しく歳をとるとはこうしたものかと新たな驚きすらある。今まではかつての人格ある人間として付き合ってきたけれど、もうこれは一種の病人、キチガイなのだと思うしかないのかと思うこの頃だ。

 性格自体はかつての延長線上にある。しかし、朝とかやたら機嫌悪いときが多いし、テレビを見ても何をするにしても基本的に全てに対して嫌悪感や侮蔑的な不規則発言を繰り返す。自分のことはさておき他人をこき下ろす。やたらたらたらと文句や愚痴をこぼすし、こちらが命じたことはしない代わりに余計なこと禁止したことは何度でも繰り返す。ある意味八十八歳の「子供」であり、自分のしたいこと興味のあることには囚われるが、大事なこと、しないとならない義務的なことは一切やらない。それは意図してしないのではなく、要するに頭も気持ちも回らないのである。年寄りとは昔から言われるように「二度童=にどわらし」、もはや子供に帰ってしまっているのである。

 昔話だと老人とは温厚な好々爺だと思われる。が、性格もあるのだろうが、ウチの親父は過激であり自分勝手であり、品性下劣といっても良い。ともかく口うるさくほっとくと何するかわからずやたら手がかかる。でもそれは自分=マス坊にもある素因であり、つまり歳とってそれが一切自制することなく全開になった状態なのだと思える。つまり人が歳をとるということはこうしたことなのだと気づく。

 たぶん世の中には年とった親と共に暮らす事無く親を亡くす人も多いだろうし、親が早く亡くなってしまう方もおられると思う。それはまた辛く哀しく悔いを残すことだと推察するが、逆にウチのように夫婦揃って八十過ぎて健在というのも有り難いことの反面まさに未知の領域に家族中で入っていく。それは良いことかめでたいことなのかいちがいには言えないと思う。老老介護という言葉もあるが、独身一人息子もやがて老親の仲間入りなのである。

 ともかく本物の年寄りとは当人にとっても家族にとっても辛く大変なものだ。まだ生きている。しかしかつての社会性ある自制心のある、自らを管理できる人格ではなくなってしまっている。まさに知能や性格年齢は小学生かそれ以下に近い。しかもこれから学年が上がるなら助かるがさらに下がり、いよいよもっと赤ん坊に近づいていくのである。長生きするとはこうしたことに他ならない。

 自分がそれが嫌だとか面倒だとか辛くてこれを書いてはいない。ただ、歳をとるということはたぶん誰しもこんなふうになるということだけは記しておきたい。じっさいこの身さえ日に日に不自由に、頭もどこもかしこもガタが出始めている。自分自身信頼に足り得ない。それが歳をとっていくこと、老化ということなんだと認めて受け入れていくしかない。
 だから老親に苛立ち怒ったって仕方ないのである。叱りつけたって改まりはしないし治りもしない。が、人間ができていない自分はついつい声を荒げてしまう。そのことで後から後悔することの繰り返しである。情けなく恥ずかしいことだ。

 歳をとる。どんどんダメになっていく。ならばダメの側にいる自分が何故それを肯定できないのか。ダメで仕方ないのだから許すしかない。受け入れるしかない。わかっているのにどうしてそれができない。老いるとは録りも直さずそうしたことであり自分もやがてそうなるのである。もっとダメになっていく。ならばだからこそ赦し受け入れ現実を認めていくことなのだ。
 つまるところそれが生きること、人の道なのであろう。