さよなら三月、今日から四月2013年04月01日 07時50分42秒

★今月の予定などを

 爽やかな朝である。気温は低いがカラッと気持ちよく晴れた。
 昨晩の「映画塾」の二回目、ともかくたくさんの方々が来られたので本当に良かったと今つくづく思う。どんなに良い集い、素晴らしい場であろうと肝心のお客が来ないのならばそれは失敗なのだから。

 と、同時に、もっと万全の取り組みで臨まないとならないとまた改めて痛感した。やる気が失せていたわけではないが、どうやらあまり今回は入らないかと高をくくっていた気持ちもあり、もてなし用のカップなどぜんぜん足りなくなってあたふたしてしまった。常に毎回反省しているが次回こそ本当に万全の態勢、準備万端でお客を迎えたいと思う。何にしろ「映画」はリピート率が高いのだから。

 映画のファンと音楽のファンはまた人種も性格傾向も違う。やはり映画のほうがオタク度、マニアック度が高いし皆さん基本的にマジメである。すべてにだらしのない中途半端な自分と異なる部分もややあるが、映画は映画、音楽(フォーク)は音楽と客層をはじめから分別して考えるのではなく、うまく双方融合してやっていけないものか。爽やかな気持ちの良い4月の朝に、気持ち新たに今後のことを考えている。

 さて今月の予定、確定していることを記しておきたい。

 4月 14日 無頼庵フォークソング講座 午後1時頃よりギター教室
                             3時頃より フォーク講座
    21日 三留まゆみの映画塾・3回目 ゲスト ブルース・リー研究家 瀧口氏 
※5月の映画塾は5/26日に開催決定。

    28日 楽四季一生 通し稽古 ※場所、時間などは後ほどお知らせいたします。

うんざり春の長雨2013年04月02日 23時25分20秒

西新井大師の門前街のおみやげやさん。
★ようやく画像アップさせている。

 昨晩から降り出した雨は今日一日降り続き、今も音たてて降っている。明日も午後まで予報では雨が続くとのこと。

 春は雨が多く天気が悪いのは常だが、さすがにうんざりしてきたし、おまけに薄ら寒いのには困惑する。これを花冷えと言うのか。

 ようやく一つイベントが終わり、その前日にも車で遠出したこともあり疲れが出て今日は雨の音を聞きながら昼寝してしまった。そしてようやくノートパソコンをテレビから外しネットにつないでカメラから画像を取り込みブログにアップし終えた。ご笑覧ください。

 今、パソコンは新旧3台稼働中のマス坊であるが、カメラのデータを記録しているSDカードがそのまま差し込み、読み取れるのはノートパソコンだけで、ビデオ上映のため広間のテレビに繋いでいたので画像アップできなかったのだ。
 今のテレビでもパソコンでもやたらUSBの口はいくつも付いているのに、他のメディアを直接つなぐ口は一つ、もしくはゼロで不便でならない。特に先日設置した大型テレビにはアナログの端子の口が一つだけなので、ビデオデッキ類は一台しか繋げられない。

 基本がアナログで、機材も生き方も考え方も骨の髄までアナログ人間である自分としては今の時代不便なことばかりである。まあ、カード類はカードリーダーを入手してUSBの口に繋げばすむことだと教示されたが、似たようにアナログの機材をいくつもつなげるセレクターのようなものもこの世にはあるのかもしれない。

 今希望しているのは、まずVHSもベータもデッキを起動させてみることである。ただ、今更そうした過去のもの、録りためたビデオテープをきちんと見直すこともそれをDVDなどにダビングすることもまずその時間が自分にはないだろう。そんなことにかまけている前にもっと果たすべき約束ごとが山積みなのだ。

 今生きているだけ、これからも生きていくだけでやっとなのだから。何事も「過去」よりもこれからのこと、「未来」が大事なのだ。過去はビデオテープのように戻せないしやり直せない。未来ではもしかしたらもっと素晴らしい出会いや出来事が待っているかもしれない。そう願ってまた雨の音を聞きながら眠ることにしよう。

インターネットはこの「文明」そのものを変えていく⑤2013年04月03日 18時46分33秒

★本でも音楽でも映画でもデータ化できれば「モノ」は消えていく

 ようやく雨は午後遅く上がった。

 今、拙宅の庭は子犬のベル子が退屈しのぎに穴をやたら掘るのであちこちに泥の山ができ、凸凹している。そこに雨が降り続いたので、もう庭は田んぼ状態で、昨晩はその穴に落ちて足はくるぶしまで浸かって泥まみれとなった。庭の手入れに精出す人は犬なんてとても飼えない。彼らは鎖が伸びる範囲はどこもかしこも破壊尽くす。植木はかじり引き抜き、アナグマでもないのに穴を掘り、夏などそこにすっぽり入ってしまうのだから。


 さて、書きかけのこと、間が空いてしまったが、実はまだ続いている。
自分の悪い癖で、間が空くと途中で書く気持ちは失せたり、何を書く気だったかそれすら失念して放擲しまうことが多い。もうそうした無責任はやめにしたいのでずいぶん間が空いたが前回の続きである。

 本や雑誌が売れないことを嘆いている。そして当然のこと「古本」だってますます売れなくなってきている。いや、正しくは値崩れを起こして商売として成り立たなくなってきている。しかし売れないのは本だけではなく、音楽CDだって映画などの映像ソフトだって同じように、いや単価が高い分だけもっと売れなくなってきている。これはモノとして実体ある物のことを言っている。

 その理由は説明不要だろう。今流行りの音楽など今やほとんどダウンロードして「購入」するのが一般化したことと、ネット上で配信されるものが増えたから、何もお店に行き、モノを買う、あるいはレンタルまでする必要がなくなっているのである。今は映画館に足を運ばなくてもネット環境があれば映画も観れる。

 本や雑誌、新聞の類だって今後、電子書籍端末で「購入」するのが当たり前となるはずだから「紙」の書籍類はますます姿を消していく。むろん週刊誌、週刊マンガ雑誌類は、大手の出版元が出し、今の値段でペイできている限りなくなることはないはずだが、それだってそこから「単行本・コミックス」が売れ補填できない限り先のことはわからない。大新聞や一部の女性誌のように広告収入だけで出せるところは別として。

 結局思うに、音楽にしろ本にせよ映画にせよ、モノとしての「実体」はなくても別にかまわないものなのである。つまり読めれば、聴ければ、観れればそれで良いわけで、その「現物」が手元にないと困るわけではない。今はそれがデータファイルとして流通している時代だから、せいぜいハードディスクやマイクロSDカードなどに取り込めば事足りるのである。
 人には所有欲というものがあり、過去には本でも音楽でも「実物」しかなかったから(音楽の場合は生演奏はあったが)、金さえあれば本やレコードをたくさん「所有」する者も多く、モノは大量に生産され流通していたのであった。自分も恥ずかしながらコレクターの端くれとしてレコードや古本を買い集めて今に至った。

 しかし、近年、特に今世紀に入ってからは、パソコン機器とインターネットの普及で、流通するのはデータファイルだけで事足りるようになった。じっさいモノは場所をとるし、管理が面倒だし地球資源、環境のためにもヨロシクない。だから手持ちの本をせっせっとスキャナーで読み取りパソコンに取り込んだり、長年若い時から集めたレコードも音だけデジタル化して保存して現物は処分してしまう輩が増えたのである。まあ、確かにそのほうがスペースはとらないから生活と人生はスッキリしよう。

 が、未だ欲深く、モノ好きな自分は、長年集めてきた本や雑誌、レコード類はデジタル変換し終えたとしてもそれらを処分する気はないし、モノとして実体あるものは、古いものほど大事に、自らが生きている限りは持ちえていたいと願う。
 むろんその本質は先に書いたように、聴けたり読めたりすれば良いだけのことだ。しかし、モノにはモノとしての価値があり、それ自体がすべてひっくるめて文化であり芸術作品だと信ずる。ただ、今の時代、この文明ではもはやモノとしての実体=外側はほとんど不要だということなのだ。それはそれで抗っても仕方ない。本が売れないことすらも。
 
 考えてみると、本にせよ音楽にせよ文化というものは、そのほとんどはインターネットで流通できる。それはそもそもがカタチ=実体のないものだったことに気がつく。うたや音楽、メロディーは人から人へその場で唄い聴き継がれていくものだったし、本=物語りもまさに、文字通りに古老たちが語るものであった。それが印刷技術や出版産業、録音技術、音楽産業の誕生と発展により本や雑誌、レコードなどカタチあるものにされて流通していったに過ぎない。そして今またそれらはモノとしてのカタチを失い、データとしてだけ流通しせいぜい場所をとらないハードディスクの中だけに残っていく。

 ではインターネットの時代にカタチあるモノとして何が残るのか。

インターネットはこの「文明」そのものを変えていく⑥2013年04月04日 10時22分09秒

マス坊の近所のファミレスPの山桜が満開であった。
★モノとして求められるは「衣食住」関連だけ

 今日、4日は久しぶりに朝からカラッと晴れて強い陽射しが戻り暖かくなった。いや、外にいると汗ばむほどで、マス坊は早くもTシャツ一枚でいる。風は強いが爽やかで気持ちいい。

 さて、前回の続き。思うことなどを書き続けていこう。

 かつて、とある落語の名人の高座噺に、「落語なんて、あってもなくても良いところか、なくてもなくてもちっともかまわないもの」という名言があったと記憶する。確かに、落語に限らず、芸能や芸術、文化全般のものは、生きていくのにどうしても不可欠なものではない。ある意味、ご飯やパンと比べれば「なくてもちっともかまわない」ものだ。
 しかし人生のスパイス役として、常にメインではなくとも副菜として常に必要であり、それがない人生は無味乾燥としたつまらないものであることは言うまでもない。

 しかし、そこに実物としてのモノが必要かというとそれこそなくてもかまわない。CDやレコード、カセット、ビデオから昨今のiPodなどの記録媒体、メディアがなくたって実演、つまり生のライブの場と機会さえあれば芸術や芸能はことたりる。つまり美術や演劇、音楽は自ら足を運べば出会い楽しむことができる。それこそがそもそも芸能、芸術の原点だったと気づく。
 むろん、映画芸術、レコード芸術という記録したもの=作品を機械での「再生」を目的にした芸術も存在するが。

 さておき、モノが物として、実物がないと役立たないものは、結局、「実用品」だけであり、それは何かと考えると「衣食住」のこと、つまり人が生きていくのにどうしても不可欠なものだけだとわかる。具体的には食品、衣類、生活用品、そして家、住居である。それらを入手するためには「お金」というモノが必要なのだが、今の時代果たしてお金はその実物が必要でじっさいに動いているかは甚だ怪しい。お金こそが現物がなくてもその信用取引だけであるようにもないようにも右へ左へ動く。

 そしてインターネットはそうした実用品、日用品の流通さえも変えた。今では、食品、日用雑貨でさえも街の商店で買うのではなく、インターネットで注文する人が多い時代なのである。紙のカタログ雑誌、テレビ通信番組も含めネット通販、通信販売が大流行りで、ネット環境にない老人はともかく若い人こそ家電から衣類までほぼ何でも「通販」で購入してしまう。
 これでは町の小売り商店はやっていけるはずがない。ヨーカドー規模の大スーパーなら週末ごとに大売出しの広告を撒き、一週間分の食材を買いにくる家族を車で迎え入れられる。それならば薄利多売で儲けも出る。他の細々とした不意に必要になったモノなどは、コンビニやドラッグストアチェーンで買えば済む。音楽や本、情報はダウンロードしてモバイル携帯で持ち運ぶ。
 もう町には本屋も雑貨屋も薬屋も酒屋もCDショップも必要ない。せいぜい求められるのは、生鮮食料品、つまり魚屋と八百屋、肉屋それに焼きたてのパン屋ぐらいだろうが、それだってスーパーが一つあれば事足りるのである。今はコンビニだって生鮮食品を扱っている。
 
 今の時代の今の人たちは21世紀、インターネットの普及でこうして生きていく。故山本夏彦翁はこう書いた。「すべては日々新たに、いったん出来上がったものは旧に戻せない」と。
 それは良い悪いではない。残念だけれどそういうシステムができてしまっている。ならば我々はその中でどう生きていくか。あるいはそのシステムをどれだけカスタマイズできるかだ。

インターネットはこの「文明」そのものを変えていく・終2013年04月05日 17時28分47秒

★物こそ全てが、モノズキなのである~今もカセットテープ愛。

 繰り返すが、政権が変わろうが、景気が良くなろうが悪くなろうが、文明の流れは旧には戻せない。SLも観光以外に走ることがないように、ひとたび新しいメディアが生まれそれが普及してしまうと旧いものは残れない。
 広い世界には、未開の部族でもないのに現代文明を拒否して、車も電話も水道、電気すらない19世紀的な暮らしを続けている集落と人々がいると聞いたことがあるが、むろんそれで自給自足でき外の世界とは関わらず生きていければ理想だと思うものの自分にはできやしない。
 何しろ生まれたときから現代物質文明にどっぷり漬かり、高度経済成長時代を消費することで通過してきた一家の出として、モノに対する執着心は人一倍だと認ずるし、モノ無しに自分が自分でいられる自信が正直ない。

 禅の語に、吾、唯足るを知る、という名言がある。まさに、少しの物でも満足しそれ以上求めないという心境にならねば人は悟りを得るどころか安らかに死ぬことすらままならないとつくづく思う。人は身一つ、何も持たずに生まれてきて何も持てずに死んでいくのだからどうしてそんなに沢山の物が必要なのだろう。

 頭ではわかっていても、モノとしての実体がごくごく小さくなって、データとしてのみハードディスクやマイクロSDカード、USBメモリーに収まってしまうと物好きは居心地が悪くなる。じっさいにモノとしての実体がないと不安でならない。

 マス坊は、近年、ライブなどの録音は、ICレコーダーを使うようになった。しかし未だちゃんと録れているか不安が常にあるし、だいいちあんな小さな機械の見えない内臓メモリやマイクロSDカードに音が録音されていく仕組みそのものが全く理解できない。つまり目に見えない限り、手にとれない限りそこには実体はない気がしているのだ。それこそがアナログ人間の証だと自分でもつくづく思う。

 思い返せば、中学生の頃、出始めたカセットテープに初めて出会い、そのニューメディアに本当に感激し夢中になった。まさにカセットテープは革命的でありそれまでの音楽環境を画期的に変えてしまった。当時はC-60のテープが1本定価1000円もしたけれど。
 その後、映像も録画できるビデオテープが家庭用に出てきたときも嬉しい驚きであったが、やはり、何より最初のカセットこそ個人が自ら録音も編集も出来る携帯のメディアとして今日の文明の祖であったと思う。

 それまで音楽メディアはラジオ放送とレコードしかなかった。むろんオープンデッキのテープは既に出回っていたが、それは放送局やごくコアなオーディオマニアのためのもので一般的ではなかった。何よりデッキは据え置き型で持ち運びはきかないし、テープの扱いもともかく面倒で持ち運びどころか簡単に貸し借りなどできるモノではなかった。

 それがカセットテープの登場により、またその普及にはラジオ付きの携行できるカセットデッキ、つまりラジカセの登場が大きく、当時の若者は全員、ラジオカセットプレイヤーで、深夜放送を録音したり、好きな娘には、自らセレクトした曲を編集録音したマイカセットをプレゼントしたりとカセットはまさに一世を風靡し大活躍したのである。

 カセットテープの意義というか価値とは、音楽や放送を自ら録音しモノ(カセット)として所有できることにあった。それはビデオテープも同様に、コピー、ダビング、複製文化であって、いっときレンタルレコード店が社会問題となったように、版権を持つ者、歌手らの著作権を侵害しその業界の人たちの生活を脅かす結果となった。しかし、それもまた文明の流れであって、ユーチューブに見るように、もうそれは誰も止められはしない。

 またカセットテープは、ソニーのウォークマンという大ヒット商品に至り、音楽を家庭から街へ野外へと連れ出し、据え置きスピーカーからイヤホーンで聴くものと変えた。カーオーディオも全部8トラからとって変わった。そしてカセットはその後、マイクロカセットテープというさらに小さなテープを生み出し、一部は電話機の留守電機能や会議の録音用に用いられたが、そこでほぼ役割を終えた。※一時期は「エルカセット」という肥大化をはかったモノも出たがすぐに見事失敗したことを知る世代はもういないだろう。

 そしていつしか気がつくと、ウォークマンはカセットテープの旧タイプは姿を消して、内臓のレコーダーだけのIC ウォークマンへと姿を変えて、電車内で若者が聴くのはその類の超小型のプレイヤーばかりとなってしまったのである。もはやカセットテープは国内では作っていないし、売っているのを見かけるのも稀となった。

 確かにそうした内蔵型プレイヤーならばカセットを入れた変えたりする手間なく何千曲も音楽を入れることができる。音楽ソフトの場所ももうとらないしいつでもどこでも持ち運べ、マラソンしながらも聴ける。しかし、自分はそうした携帯プレイヤーは持たないし、生涯使うことはないと思う。何故なら音質は良くてもモノがないものには馴染めないのと使いこなせないだろうからだ。今だって、車に付いているのはカセットデッキであって、長い運転のときにはお気に入りのカセットテープをセレクトして積み込む自分なのである。

 今ではCDだってなくなっていく時代なのだ。思うに、レコードがCDにとって変わられたとき、サイズが小さくなったように、やがてはモノとしての「実体」は不要となる兆しは見えていたのだろう。カセットテープは最後のアナログとして小さくともまだ「物」であった。しかし音楽がデジタル化されてしまえば、全てはデータファイルに過ぎないのだから、もうモノは不要となるのも必然の理であった。

 今、手元のICレコーダーのマイクロSDカードをたまに入れ替えるときがある。録音したライブなどのデータ自体は、パソコンに取り込んであるのだから消したって良いのである。が、パソコンもいつクラッシュするか定かではないので、そのカードも安いものなのでそのまま保存してある。
 しかし、取り出してそのごくごく小さいまさに爪の先ほどのチップを見て本当に不思議でならない。クシャミでもしたら吹き飛んで絶対みつからない。こんな小さなものに何十時間も音が入って記録されているのである。カセットテープのように、目に見えてその走行が確かめられ、それで録音していると安心できた世代としては死ぬまでこうした機器にはどうしても馴染めない。

 目に見えて手にとれるものだけが現実なのだと疑り深いトマスは思ったが自分もまた同感なのである。老いぼれの戯言はこの辺でとりあえず終わりとしておく。

近くなった横浜~神奈川近代文学館へ行ってきた。2013年04月06日 21時17分05秒

★土取利行・語りと弾き唄い~唖蝉坊・知道演歌の底流にあるもの~

 今日、4月6日、予報だと天気は大荒れで、関東は夜から豪雨と暴風が吹き荒れるから出来るだけ外出は控えるようとのことだったが、マス坊は昼前から遠路横浜まで出かけてきた。

 今、山手の神奈川近代文学館で、3月2日より添田唖蝉坊・知道展が企画展示中で、本日は記念イベントの一つとして、あの土取利行氏が、午後2時より登場する。相方であった故桃山晴衣からの縁で唖蝉坊子息とも極めて近しく、その貴重な音楽遺産を受け継いできた唯一の方であり、岡大介がらみでこのところ注目している方だから唖蝉坊展共々足を運んできた次第だ。※企画展は4月14日まで。一見の価値あり!

 悪天候の最中でも展示会一階のエントランスホールはほぼ満席の観客を集めた。午後2時から開始、予定では1時間半程度のイベントは、あろうことかその倍、閉館間際の午後5時直前まで休憩もなしに延々続き、こちらも気息奄々、土取氏の唄い語る貴重な唖蝉坊親子ワールドをたっぷり堪能してきた。

 詳細や感想はまた後ほどゆっくり記したいと思うが、今回は若き友岡大介も天候のため他の予定が消え急遽参加でき、最後にはかんから三線で「金々節」を歌い上げ土取師匠と競演するというハプニングもあり、最後まで残られたお客は嬉しい驚きであったかと思う。何より久しぶりに岡さんに会えて嬉しかった。ずいぶん逞しさを増していた。

 それにしても横浜、ヨコハマというと、自分のような奥多摩の山すそに住む山猿の類にとってはとてもつもなく遠い海岸沿いの異国のように思えていた。もちろん、葛飾柴又の方も遠いし、浅草だって行くのは一苦労、覚悟の上で出かける小旅行であるが、まだ都内、比べれば東京とはまったく文化圏の違うのは横浜である。
 時間的にはさほど変わらなくとも年に一度行くときがあるかで、誰それのライブとか、ジャグバンドフェスとか、どうしても行かねばならない用のない限りまず行く気もしない地域であった。理由はともかく遠いというイメージだ。

 行くときは、いつも南武線で下り途中東横線に乗り換えるか、ときに澁谷までいったん都心に出たり、あるいは、八王子まで行き横浜線で1時間揺られて行くことも多かった。ところが、今回は、南武線の武蔵小杉で総武線快速、横須賀線と乗り換えられることに気がつき、それを利用したら立川から一時間もしないで横浜駅に着いてしまった。何だか狐につままれた気分である。むろん、武蔵小杉に出来た新たなホームとの連絡に早足でも5分はかかる距離があり、気持ちとしてはここに一駅電車を走らせるべきだと思うほど構内を歩かされたがそれでも横浜まで南武線からあっという間感である。僅か二駅であった。

 今まで横浜はともかく遠い、異国の地という思いが多摩地区青梅線沿線に住む自分は抱いていたが、何だ、これならわりと気軽に行けるじゃないかと今回思った。中華街のある関内、石川町まで乗り換えも含めても約1時間半であろう。ならば両国方面や浅草に出向くのとさほど違いはない。いや、亀有や柴又より断然近い。東の果てまでよりも南下して海に出るのだから横浜の方が地図を見てもウチから近かったのである。これからは、もっと頻繁に、中華街や、元町、山手の近代文学館やゲーテ座にも顔出せる。

 港の見える丘公園にも登ったし、中華街も行きにちょこっとだけ覗いて肉まんかじったし、帰りは元町を散策して石川町に出て、そのまま横浜線直通の快速が来たので八王子まで一時間で戻れたし利便性が良くなったことを痛感した。そう、今では埼玉県からも直通で元町まで来れるのである。

 毎度傘は持たないので雨にかなり降られたものの唖蝉坊展のみならず示唆に富んだ収穫の多々あった一日であったことを報告したい。
 ぜひまた今度はゆっくり天気の良い日に横浜をのんびりぶらぶら散策したいと思う。そんなこと大昔ガールフレンドと遊びに来たとき以来だけれど。

土取利行・語りと弾き唄い~唖蝉坊・知道演歌の底流にあるもの~を見聞きして2013年04月07日 23時53分19秒

土取氏に請われ飛び入り登場した岡大介、右。
★総論賛成・各論異論

慌しく春は過ぎていく2013年04月08日 23時14分07秒

水ぬるみ、犬たちは小川で水遊び
★パソコンを修理に出す。

 何がいけないのか。日頃の行いの悪さのせいか。買ってまだ一か月の東芝のパソコンが壊れた。

 壊れたと言っても、完全にハードディスクがいかれたとかではなく、何となく調子が悪くなり、やたら起動に時間かかったり、マウスのカーソルがフリーズしたりと使い勝手が突然悪くなったので、サポートに電話し指示を受けてあちこちいじってみたら、マウスの異常だろう、一応本体も診てみるとのことであった。

 で、修理に一式全部持っていかれたという次第。むろんまだ無償保証期間中だからお金はとられないし、梱包も引き取りに来た日通の人が全部一切やってくれたから大した手間ではなかったものの複雑な気持ちである。
 やはり中国製はダメだなあという思いと、2万円ぐらい高くても国産、日本製を売り物にしていたやはり富士通のにすれば良かったかもという悔いである。
 パソコン、これで4台目なのだが、今までのはどれも修理に出したことなどはなかった。ヘンなサイトを観たせいかたびたび不調にはなったが本体自体は案外壊れないものだと信じていた。しかも今回は買ってまだ一か月、使い始めたばかりなのにだ。それともこれはウインドウズ8の脆弱性か。

 たぶん、マウスだけの異常、その修理でパソコン本体は異常なしとして戻ってくると思うが、もし全部リカバリすることになったら苦労して移した旧パソコンからのデータ移動の作業がまた全部やり直しとなる。想像しただけでうんざりである。

 まあ、禍転じて、と考えていくしかない。もっと使い込んで大事な作業の途中でフリーズやクラッシュでもしたら大惨事であった。今ならまだ使い始めたばかりだから移動させたデータ以外はろくにほとんど入っていない。向こうでメンテナンスし直せばきっともうこれからは盤石のマシンとなろう。

 というわけで、またノートパソコンで背中丸めてこれを記している。平でキーボードを打ち込むのは腕というか肘が疲れますね。そんなこんな予想外のトラブルが起きたりで、なかなかやるべきことに取り掛かれないし進んでいかない。
 もう花々の季節は通り過ぎた。これからは青葉若葉のシーズンだ。そしてすぐに夏がくる。
 季節の歩みに少しでも追いついていかねばと思う。

4月21日、三留まゆみの映画塾、ぜひご予約を!2013年04月11日 22時00分22秒

★回を重ねるごとに大盛況なもんで・・・

 何はさておき、今月の「映画塾」である。
 早くも二回目にして軌道に乗ったというべきか、第三回目となる今月はもう予約がかなり彼女のほうには入っていて、今回は10名はまず確実に来場が見込まれている。
 その会場、拙宅無頼庵では、音楽のライブとかなら立ち見も含めれば30名でも入れるのだが、大型テレビを一同で観る「映画塾」となると、立ち見や音だけというわけにもいかず、見やすい角度や座席の関係上、20名だとキツキツか、願わくば15名程度が楽に観れる限度かと思える。
 なので、入場制限というわけではないが勝手ながらできれば事前にご予約の一報を入れて頂ければ大いに助かる。

 まあ、ふらっと来られても別に支障はないのだけれど、毎度の終わっての「懇親会」の料理のメドが全く立たず、前回はかなり慌ててしまった。常に多人数マキシマムを想定して臨めばよいだけの話でもあるが、こちらも金欠、材料買出しも来客数を鑑みてギリギリで押さえている。むろん多ければその分、予算も組むが、これも「興行」のはしくれなのでできれば赤字は出したくない。

 儲ける気はハナから毛頭ないが、ご当人三留さんに収益を全て渡すためにもできるだけ予算は切り詰めていかねばならない。なので、事前に来場者数が把握できれば無駄なく支度ができるのである。もちろん、急に時間ができたからとか、気が変わって来られてもちっともかまわない。なにしろ「無頼庵」と名乗っているのだから、そんないちいち細かいこと、うるさいこと何も言わない。ただ、もう参加決めているならばたとえキャンセルになってもかまわないのでできればご連絡入れてもらいたいということだ。ご協力お願いしたい。

 今回は「ブルース・リー研究家」を招いての笑える!?ブルース・リー映画の大特集である。前回よりもさらにまた盛り上がることは間違いない。ぜひ今月も多くの濃い映画ファンとあまり映画ファンではない方もお気軽にお越しいただきたい。
 というのはあまりにディープな仲間内のわかる人だけわかる集いにはしたくないのである。何故ならそれだとこのマス坊自身がついて行けず楽しくないからだ。中庸が良いとは思わないが、何事もあまり深くマニアックかつディープな世界に耽溺したくはない。それでは広がっていかない。
 世界はミーハーで回っている。濃いも薄いも一堂に会してオタクとミーハーの癒合こそがAKBを見るまでもなく成功の秘訣なのである。なのでどなたでもどーぞお気軽に、汝の隣人を愛せよなのだ。

ここを過ぎて黄昏の国・22013年04月13日 22時47分54秒



 慌しい世相をよそに自分の体調のことについて書いている。けっきょく、今日は眼医者に行って診察を受けてきた。

 このところブログもろくに書けない、書く気が起こらないのは目の疲れと痛みで頭痛さえしてもう夜は目も明けられないからだ。

 前にも書いたかと思うが、男の老化は俗に、ハメマラ、つまり歯、目、マラ=男性器の順にダメになっていくと若いとき年上の人に聞いた。そして今自分がその黄昏に立ち、そのことを痛感、いや実感している。程度の差はあれ、たぶん大方の男性は皆心当たりあるかと思う。

 歯は、もともと若い時から弱かったからもうボロボロで、おそらく還暦の頃には総入れ歯となるかと予想するし、男性器は、EDとか性行為に使う用途のあるなし以前に、前立腺肥大なのか、やたら頻尿、つまり小便が近くて難儀している。そのくせ、出る量は弱弱しく勢いがなく、まだ夜中にマイオヤジのごとく、1~2時間ごとに目覚めることはないけれど、やがてそうなる日も近いかと思う。

 だが、今一番の悩みは目であって、若い時からのド近眼が老眼となってしまい、近眼の人は老眼にならないどころか、今では老眼の度も進んできてメガネかけても近くも遠くもみえなくなってしまった。
 おまけに先にも書いたが、右の目が特に疲れて痛みさえあり、何か目の病気ではないかと不安にかられて病院に行ったという次第だ。検査の結果は、今日のところは特に異常はなく、慢性疲労ではないかと言われて目薬を出してもらった程度で済んだ。が、しばらく通院は続く。

 職掌柄、パソコンに向かうことが多いせいなのかとも思う。早朝から起きて、そのまま午後になり夕方でも少しでも昼寝をすれば目の疲れもだいぶとれるのだが、仮眠できないときは、夜になるともう目が開けていられない。
 晩年の水上勉は目が衰えたので音声認識ソフトで、パソコンに向かって声で原稿を書いていたと何かで読んだ記憶があるが、そこまでしてブログを書き続けるか自分はわからない。

 眼医者から言われたのは、近眼の人の老眼は、普段日常的にかけて遠くを見たりするのに使うメガネ以外に、最低でももう一つ、本や手元を見るとき用に、度を半分程度に弱めたメガネが必要だとのこと。実は既に一つ、そうした手元用のは数年前に作って持ってパソコンなどには使っていた。今回それも持っていき調べてもらったら、それでも度が強く、要するに目に合っていないメガネだから目が疲れ痛くなるのではないかとの診断だった。

 まったく難儀なこっちゃである。遠近両用というメガネがあるのは知っている。しかし、近眼用で、一つのメガネの中に度の強弱があるメガネなんて作れるのか。
 近眼と老眼は原理が真逆であるから、理屈上は、ブレーキとアクセルを同時に踏むように力(度)が相殺されて近眼は治り、老眼にならないはずなのである。それが何故か近眼でも老眼となる。まあ、若いとき視力が良かった人ほど老眼が進むのだそうだから、これでも多少は老眼の度は軽いのかもしれない。
 しかし、外用のメガネだけでは、手元の細かい文字など何一つ読めないので、このところはいちいちメガネをはずして裸眼で見直し読んでいる。その手間こそが面倒で難儀なことなのである。
 先日の近代文学館もショーケースの中に展示されている昔の雑誌などの資料は、二つのメガネをとっかえひっかえしてもどちらもピントが合わなくてほとんど読めなかった。手に取って顔を近づければ読めただろうが、それはできない相談なのである。皆さんもそうですか。