7月の予定とこれからのこと2013年07月01日 14時08分36秒

★それでも人生にイエスと言おう

 今日から7月。曇りがちの晴れ、ややむしむしするが、吹く風は涼しい。
 マス坊の住んでいるところは東京でも西の外れ、奥多摩の入り口とも呼べるところだから山が近い。よって都心よりだいぶ涼しい。
 今は梅雨のまっただ中なのに、このところ雨も降らず晴れれば当然強い陽ざしで暑くもなるが、朝晩は北風が強く吹き窓を開けていると肌寒いほどだ。
 先の台風で一時かなりの雨は降ったが、全体的には春先から今年は雨が少ないと思える。このままこんな調子で梅雨が明けてしまうのなら今夏は水不足となるのではないか。

 ようやく心身ともに落ち着いてこれを記している。6月はともかくあれこれ忙し過ぎた。季節の歩みほどに自らのすべきことも進められたらと心から願う。

 今月の無頼庵の予定、確定しているのは、21日の日曜日、三留まゆみの「無頼庵映画塾」がある。今回は、ブルース・リー研究家をまたお迎えしてリーの命日でもあるので、その特集である。今、街の映画館でも彼の映画が上映され多くの人を集めているときく。劇場での企画展も大好評とのこと。今ブルース・リーが最も熱いのだ。
 よって今回はかなり盛り上がることは間違いなく、お早目の予約を入れて頂きたい。ただし、この日は、今後の日本の命運を左右する参議院選挙の投票日。もし棄権されるような方は、ペナルティを課す予定なのでどなた様も投票を済ませてからお越しいただきたい。
 「フォークソング講座」のほうは、確定ではないが、25日の木曜日を予定している。午後1時より。ギター教室の参加者はまずはこの日までにAmからのスリーコードを確実に覚えてもたつかず押さえられるようにしてもらいたい。

 今月は、参院選もあるので原発ゼロを訴える集会などに出向くつもりなのでちょっとまた慌ただしい。改憲勢力=原発再稼働をもくろむ勢力を絶対安定多数とさせないためにも自分はできることをなりふりかまわずやっていこうと思う。
 「政治の安定」を望む気持ちはわかる。しかし、その舵取りを安心して任せられるのが自民党、安倍政権なのかということだ。景気や雇用はもっとも緊急かつ重要な問題であろう。だがそれと同様にこの国の近い将来、そして地球環境のこともまた今を生きる我々に託された課題だと考える。

 自分は子孫もいないから死ねばすぐに忘れ去られこの世から全て消えてしまう。だから後は野となれ山となれという気持ちもあるけれど、核のゴミと新たな原発事故というツケを未来に生きる者たちに残してはならないと思う。そして戦争、武力によって紛争を解決する道を求めてはならない。先の大戦で何百万人もの人々が死んだ。そして、今日の平和と繁栄は彼らの屍の上に築かれてきたのだ。
 日本は戦後70年近くも戦争をしないですんできた。それは戦争ストッパーとしての現行憲法があったからだ。憲法が重しとなって日本は戦争ができなかったのである。それを自民党・高村氏らが言うように、このままでは自衛隊が違憲となってしまうから憲法を変える、国防軍として明記するというのでは、本末転倒でありその改憲の目的は明白であろう。

 すべての紛争は武力、軍事力では解決しないことは、3.11以後、アメリカが復讐として、中東で繰り広げた正義の戦争を見ればわかる。いったい何万人の民間人が殺されたのだろう。そのアメリカに倣い、この国も軍事力で再びアジアで紛争解決に当たるのならその先に何が待つか想像するまでもない。尖閣にしろ竹島にしろ日本固有の領土であることは疑いようない。ただその火種にいたずらに火をつけることこそ双方の国益を損なう。

 中国、韓国、そして北朝鮮だって本来「敵国」ではない。東アジアの最重要パートナーとして、漢字や儒教など同根同種の文化を持つ「親戚」として仲良く末永く未来永劫付き合っていくしかないのである。親戚が問題を仕掛けてきたとしてもその解決に暴力=軍事力であたるのは得策ではない。親戚なのだから敵にしては損をする。
 今や国際結婚が進み、小学校では各クラスに必ず数人は片親、もしくは両方が日本人でない子がいる時代なのだ。そうしたグローバル化している現代日本に、保守論客櫻井某女史のような論説は空虚に響く。

 「愛国、愛国心」とは日本や日本人、日本文化・伝統を愛することではない。日本の地に住むすべての人が戦争や原発事故などで死なずに平和で安心して暮らせることを望むことだと自分は考える。そしてそのことこそが政治のいちばんの課題だと信ずる。

 人生は誰にとってもつらく面倒なものだ。が、絶望もあきらめもしない。生まれてきたからには人には役目が必ずある。そしてできることがきっとある。

アベノミクスで物みな上がる。上がらないのは所得だけ。2013年07月02日 21時57分19秒

★値上げの夏が来た。

 各種世論調査では、今も安倍政権、経済政策アベノミクスについては高い支持が続いているようで、景気は緩やかに回復しているとマスコミは報じている。

 が、じっさいのところ、その実感、体感がある人は自分の周りには一人もいない。誰に訊いても毎度「あきまへんわ」なのである。自分の場合、ネットでの古本商売は相変わらず1円本の渦から抜け出せないままだし、注文も増えてきた気がしない。親父たちの年金もまた減らされるとの話であるし、そこに今月からまた食料品などかなり値上げされた。今までが安すぎたという声もある。が、だからこそ定収入でも何とかやっていけたのではないか。

 でもこれは、アベノミクスそのものの「効果」だそうで、こうして値上げ攻勢でインフレを進めれば、企業や儲かる人が増えて結果としてそれが庶民にも波及し全体的な収入の底上げになるのだと説いている。果たしてそうなるか。まずは賃金、年金などの所得を上げることが第一だと考えるし、首相らが言うようにインフレによる景気回復=庶民の懐も温かくなるとはどう考えてもありえないと思える。なぜなら大企業は蓄えた儲けを従業員に還元しないし、ましてこれからも非正規的労働者を雇いできるだけ労賃は低く抑えようとしていくからだ。理由は国際競争力を高めるためにさらに内部留保と大企業にはさらなる減税を、なのである。
 庶民には増税を、大企業には減税を、金持ちはますます金持ちに、貧乏人はますます貧乏に、これがアベノミクスの本質なのである。

 そしてそこにきて、来年からの消費税の税率アップである。実質収入が増えずに値上げと消費税で支出だけがますます増えればいったい人はどうやっていきていけば良いのだろうか。公明党が言っていた低所得者向けに何かセーフティネットはあるのだろうか。
 このまま、自公政権を信任し、アベノミクスを容認していく先に庶民の未来はあるのか。円高が悪いというのは、輸出に頼るトヨタなど大企業の立場であって、庶民にとって円安はちっとも良いことがないではないか。改革には、痛みを伴う‼? ならば何故庶民にだけその痛みを負わせるのか。大企業こそ身を切るべきではないのか。

 明後日告示の参院選は、国政のレベルで安倍内閣、自公政権の半年間を信任するかがまずいちばんの争点である。アベノミクスに期待しこの経済政策で自分の懐も豊かになると考える人は彼らに一票を投じてもらいたい。ただし、貴方のその「判断」が間違いでなかったか、今後10年間は忘れずに検証してもらいたく願う。棄権? それは彼らに全面委任することになることもお忘れなく。

続・アベノミクスで物みな上がる。上がらないのは所得だけ。2013年07月03日 21時49分53秒

★マス坊の場合、値上げされたものを挙げていく。

 自分は基本的に衣食住のうち、衣類は月によってはゼロという月も多々あるぐらい金使わないし、住も、一応は持ち家、親の家にいるので金はかからない。※借りている本の倉庫代などは別として。

 だから使う金のほとんどは、食費であってものすごくエンゲル係数は高いと思う。それも贅沢はしない。たいてい、夜の7時過ぎ、近くのスーパーで半額シールを貼られたものしか買わないから、一説に店員から「ミスター・ハーフカッター」と呼ばれているらしい。あとは雑費と医療費などだけだ。

 ただ、唯一の楽しみは、昔は古書漁り、今はライブ観覧、映画鑑賞ぐらいであり、それもこのところはめっきり外出自体減ったので、それもあまり金は使わなくなった。ただ、アマゾンなどでの「通販」で買い物は今もしてしまう。それもCDやDVDなど、オーディオ関連のものなのだけれど。
 本当は街の実店舗、新星堂とかディスク・ユニオンとかで購入すべきだと思う。が、自分の求める音楽ソフトなどはまずよほどの専門店でないと置いていないものだから都心に出ることが難しい今、結局アマゾンとそこからリンクするネットでの通信販売で購入してしまうのである。それは仕方ないかと思っている。

 アマゾンの場合、ほしいモノ、チェックした商品はとりあえずまずはカートに入れておく。そして経済的に余裕のある月は、そこからそのときもっとも欲しいもの、急を要して必要なもの、あるいは間もなく売り切れてしまいそうなものから注文していく。
 しかし、カートに入れておいても輸入品などは値段はかなり変動するからたまに価格変更の連絡が届く。昨日も確認したら月が改まったからかカートに入っていたかなりの商品の値が変わっていた。それもほとんどが値上げでその額もかなり大きい。唖然とした。

 •富士通 ESPRIMO FH56/JD シャイニーブラック (FMVF56JDB)=パソコンは、¥ 124,780から¥ 144,090に。
 •ヴェリー・ベスト・オブ・エルヴィス・コステロ [DVD]は、¥ 3,247から¥ 3,479に
 •Return of the Spectacular Spinning Songbookは、¥ 2,637から¥ 3,310に
 •On Stageは、¥ 1,503から¥ 1,784に ※以上3点はコステロのCD、DVD。

 •コロムビア創立100周年記念 中野忠晴とコロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ(CD)は、¥ 2,950から¥ 3,341に
 •トム・パクストンの(CD)Original Album Seriesは、¥ 1,016から¥ 1,616に
ベル・エポック~日本のシャンソン黄金時代は、¥ 2,330から¥ 2,455に 
 上記はCDアルバムだが、それ以外の雑貨的なものでも。

 •【国内正規品】 Martin マーチン アコースティックギター弦 M-150PK3 ミディアム3セットパックは、¥ 1,253から¥ 1,366に
 •Dunlop(ダンロップ) TRIGGERカポタスト Curved/BK 83CBは、¥ 1,580から¥ 1,680に

 もちろん逆に値が下がったものもなくはないがそれはごく一部でせいぜい数十円程度である。まあ、経済が円高から円安に変わったから輸入盤は上がっても仕方ないかと思う。わからないのは、国内盤の既に発売されて久しいものが急に値を上げたことで、例えば中野忠晴のこの企画アルバムは一気に400円も値上げである。便乗ではないのか。理解に苦しむ。※中野は、あの名曲「山の人気者」の作者兼人気シンガー。

 それでマス坊は、これらをどうするか。値段が上がっても買うのか。買うべきか。
 迷う気もなくはないが、ともかく今はもう買わない。諦めた。はっきりいってこうしたものは嗜好品であって、ないと生きていけない類の生活必需品とは違う。お米はないと生きていけない。味噌、醤油、油、塩も。トイレットペーパーも。でも音楽CDなどは、それがどれだけ貴重なものであろうとないと生活に困ることはない。まして市販されたものなのだからまたいつか手に入るであろう。今慌てて買うべき必要はない。

 むろん、経済活性化のためには、こうした値上げ商品もどんどん買ってインフレを進めていくのが望ましいと安倍ちゃんは言うだろう。だったらまずそれが買える賃金、年金、余裕ある収入にしておくれである。所得を上げずにモノの値段だけ上がっても人はますます金を使わなくなる。

 アベノミクスで景気が良い人はそれでも買うだろうし何も困らない。しかし、大部分の庶民は今のままではますます金を使わなくなる。だって使う金がそもそもないのだから。切り詰めていくしかない。
 必要最低限の生活物資をまず買って、文化や芸術のモノは後回しとなっていく。それは良いことではない。このままではますます本やCDは売れなくなる。自らもCDを作り売っている者として憤りを覚える。そんな日本にしたのはどの政党なのか。このまま彼らにこの国を任せて良いものか。

憲法「改正」という言葉の欺瞞2013年07月04日 22時39分54秒

★言葉は字面で受け止めてはならぬ

 言葉というものは実に面白くまた難しい。
 あるものに名前を付けなくてはならないとき、そのものをズバリ意味し評しているものも多々あるが、全く内実は伴わないのにごまかし、偽るためにあえて付けたものも実に多い。

 自然界の動物、地名など前者の例としてほとんどがそうであるのに対して、抽象概念、特に政治的に人間が付けた名称はまず実態を伴っていない。
 政党の名前などその最たるものであろうし、法案、例えばあの「障害者自立支援法」などは言葉だけ聞くと障害者のためにきっと役立つすごく良い法律など誰だって思う。が、じっさいは、真逆で、行政の支援を断ち切る、減らすことが目的で障害者の負担は増える。ゆえに結果として自立を促すという超悪法なのである。支援を減らせば障害者が自立するはず、自立できると考えるほうがおかしくないか。それで自立できるならばそもそも障害者ではないのではないか。

 今でいえば、原子力規制庁という機関もその仲間であって、活断層の存在が強く疑われ、未だ結論が出ていないのにも関わらず大飯原発の今後の稼働も問題なしとしたのだから、規制するどころか積極的に推進しているわけで、だったら原子力推進庁と名を改めなくてはならないはずだ。
 ただ、最初からそう名乗ると世論の反発をくらうゆえ、あくまでも規制する側だというポーズのためそう名乗ったのであろう。さらに「規制庁」、「規制委員会」が認めたのだから問題なし、安全だという再稼働へのお墨付きも与えることができる。

 言葉というものはこうして安愚楽牧場の和牛商法ではないが、詐欺、偽りのためにどのようにでも言いくるめて用いることができる。それを止めることはできないから、その言葉の裏にあるもの、実態に気付かなくてはならないである。その言葉をあくまでも額面通りに、言葉の字面の意味通りに受け止めては絶対にならないのだ。言葉をそのまま信じて騙されてはならない。言葉の裏に隠されたものを探るよう常に疑ってかかれである。

 では、今いちばんの言葉の詐欺、欺瞞は、というと、今もっとも喧しい「憲法改正」であろう。参院選の大きな争点であり、自民党などはしきりに憲法を「改正」「改正」と叫んでいる。そして残念なことに、世論調査などでは憲法「改正」についてはそれを了とする人たちが増えてきているのだ。しかし、憲法を変えるために、変えやすくするために先行してまず96条を変えるということには反対する人のほうが多いし、九条に関しても変更反対が圧倒的なのである。なのに何故「憲法改正」には賛成してしまうのか。

 それについては先日の東京新聞が興味深い特集を組んでいた。要するに、先に書いたように、言葉のアヤというか「改正」という言葉にまんまと人は騙されているのだと。
 改正とは、たしかに正しく改めるという意味だ。悪くするのではなく正しくしていくことは絶対に良いことのはずである。この自分だって憲法改正はどうですか、問われれば、平和憲法としてその理念をより徹底するため違憲の自衛隊は即解散させることができる権限強化のための「改正」ならば即賛成してしまうだろう。「改正」という言葉はちっとも悪くない。問題はそう叫んでいる輩のもくろむ「改正」なのである。それは護憲の立場の者からすれば「改悪」でしかない。要するに現行憲法の平和や人権の理念を削って、国防軍の保持、集団的自衛権を明記して、海外でも積極的に戦争ができる日本にしていくために彼らが願う「改正」なのだ。
 
 自民や維新の会の改憲主義者たちにとってはそれはまさに「改正」なのだからそう叫ぶ。我々としたらそれは戦争への道なのだから間違いなく「改悪」だと断ずるしかない。つまるところ改正にしろ改悪にしろ、それはそう口にする者たちの恣意的表現であって実態はそこにない。

 正しくは憲法「改定」、正しく改めるも悪く改めるも含めそのことは問わずまず憲法を今「改めて定める」ことの是非を問うと言うべきなのである。そしてその先の問題として、改めて憲法を定めるとすれば何をどう変えていくのか、何を変えるのか、変えなくてはならないのかという具体的なことが論じなくてはならない。
 自民党はその「本音」をオブラートに包みながらも示しているが、他の改憲を口にしている党、特に維新はそれすらも示さず、ただ変えやすくしたほうが良い、国民にとってそのほうが良いと曖昧なままである。その先を示さず「改正」を口にする者こそ無責任であろう。

 今日から参院選挙が告示となった。自民党の言う「憲法改正」とは憲法が「改正」されるのではない。文字通りにその言葉を信じてはならない。「改定」されれば憲法の平和理念は削られ「改悪」され、再び軍国日本が取り戻される。政治を旧に復してはならない。

 憲法「改正」という言葉に騙されてはならない。
 原発再稼働も含めて、3.11を経験した我々は歴史を元に戻してはならないはずだ。

梅雨あけて猛暑の七夕に2013年07月07日 21時27分22秒

★もう生きているだけで精いっぱい。

 今年の梅雨は、一時台風が来た時を除いて雨らしい雨はほとんど降らなかったが、早くも昨日、関東でも梅雨開けてしたという。

 この数日蒸し暑い日が続いていたが、昨日に引き続き今日は35度を超す猛暑となった。老親の体調維持も課題だが、それよりも老犬たちが暑さでヘタばり弱ってきたので一日彼らの世話に明け暮れた。昼間はまだ涼しく木陰もあるが午後は陽ざしも強く外は炎天下である。昨日に引き続き、下のクーラーいれた居間で犬たちはたっぷり午睡した。

 夕方の散歩も日暮れてからごく軽く済ませてまた室内に。先ほど夜なのに庭にホースで散水して、いくぶん外気温を下げて今ようやく犬全員外の小屋へ出したところだ。急に暑くなったので体調崩したのか餌を食べない犬もいるし、犬と老人たちの体調管理だけで気が休まらず一日が終わってしまう。

 が、ともかく一日一日生きているだけ、生かしていくだけで精いっぱいなのだ。うっかりして熱射病にさせたらたぶん即日で死んでしまうだろう。老犬たちは暑さに慣れることもないと思うので、気温30度以上となればすぐに室内に入れなくてはならない。これでは長時間の外出もままならない。
 コンサートなどいくつかお知らせとお誘いもあったのだが、この猛暑が収まるまで今夏はもう都心に出かけることなど諦めた。

政治に民意は反映されないものなのか。2013年07月08日 21時41分31秒

★自公大勝は原発再稼働への道

 参院選が始まった。早くもマスコミの先行予想では、与党自公両党の大勝が予想されている。確かに、自民党の支持率は今も40%を超えているし、野党側は民主党も含めてどこも10%にも満たないのだから結果は最初から出ているという見方もできる。
 また、衆参の勢力が異なる「ねじれ国会」の解消を求める人たちも多いのも事実だ。自公に対決し対立軸となる野党は微弱な共産党ぐらいしかない現実ではまたも敵失的に自公が大きく勝つのである。
 それにしても再度の政権交代から半年少しで、ここまで政治状況が大きく変わるとは誰が予測できただろうか。

 ウソつき公約破りの民主党には誰もが失望した。彼らに政権担当能力がないことは露呈していた。が、去年12月の衆院選では自民党には支持が回復していなかったのだ。得票率も得票数も大敗したその前の民主党への政権交代の時よりも減らしていたのに、政党乱立と低投票率に助けられてまさに漁夫の利でまんまと政権を取り戻したのである。
 そして以降日銀を巻き込んでの異次元の金融政策アベノミクスで株価は上昇を続け、これまでの円高から円安へと経済の流れは大きく変わった。景気は緩やかに回復の兆しが見えている、と言えなくもない。
 これはそれまで民主党政権ではできなかったことだ。ならば庶民には景気回復の実感はまったくないとしてももう少し彼らを信頼して政治を任せても良いようにも思える。

 しかし、自公が衆参共に過半数を大きく超える議席を持つということは彼らに無限の権限を与えるということでもある。
 原発稼働への新しい規制基準施行を受けて、電力会社は次々と一斉に再稼働申請に踏み切った。審査後認められればまず5原発10基がまたあのフクシマ原発事故などなかったかのように稼働していくのである。今も15万人の人たちが避難し故郷に戻れないでいるのにどうしてこんな暴挙が認められようか。

 様々な世論調査のどれを見ても国民の多勢が原発再稼働には慎重な立場を示している。積極的に稼働すべきと考える人はごくごく僅かだ。また、消費税の増税、そして憲法を改定しやすいようにする96条の改定にも反対論が保守派からも大きい。TPPにも慎重論が根強い。
 しかし、景気回復の兆しがあると景気と雇用の問題だけで今回の参院選で自公に一票を投じてしまえば、結局、こうした他の大きな争点、原発も憲法も消費税もTPPも国民全体の民意が定まっていない問題事案すべてが彼らの数の力で思い通りに強行されてしまうのである。

 議会制民主主義とは結局多数決でしかないし、それは国民から選ばれた議員たちによって決められる。だからそうされても法的には何も問題はない。が、自分は先の衆院選など、自公の大勝には国民の民意は全く反映されていないと考えるしそのことは拙ブログで繰り返し書いてきたからもう説明はしない。
 低投票率と多党乱立の間隙をぬって漁夫の利で運よく衆院で記録的大勝した彼らにまたさらに参院でも信任の票を投じてしまっては言葉は悪いが盗人に追い銭である。

 景気回復への期待で自公を信任することと、原発再稼働を許すことは同一次元で括れない。自分の住む東京選挙区では、定数は5で、おそらく自民2、公1は間違いなく確定しているから、残りの2議席どこが入るかだ。自分の気持ちとしては残りの2は原発ゼロを明確に掲げている脱原発候補が入ってもらわないと本当に困る。
 それにしても選挙を繰り返してもなぜに民意は常に反映されないのか。かといって失望して、またも棄権してしまえば、結果として先の都議選と同じく自公の完勝、歴史的大勝を与えてしまう。

 参院選の争点はねじれ国会の解消がなるかではなく、ねじれ国会が終わった後、自公独裁政権誕生後に彼らが何をするのかを見極めることだ。今の時点で、彼ら、特に自民党がやろうとしていることに一つでも反対ならばうかつに信任票を投じてはならない。
 原発再稼働と海外輸出、そして憲法改定と集団的自衛権の行使可能は、日本の破滅、亡国への道だと断言する。今度の参院選挙はこれからの日本の将来を決める最後のチャンスだと考えてほしい。

それにしても暑すぎる・・・2013年07月09日 15時56分53秒

★原発に頼らない電気がほしい。

 梅雨明け以降、連日猛烈な暑さが続いている。皆さんご無事ですか。
気温も高いが陽射しがものすごく強く、日中は外に出るたびに汗が噴き出す。犬たちも全員昼からは室内に入れて冷房を入れて暗くして外が涼しくなるまでひたすら寝かしている。
 親たちもそんなで昼食後は昼寝である。自分も寝たいのだが、今ベッドのある部屋にはクーラーがないので扇風機だけでは汗まみれで寝ていられない。
 まだ本格的夏の暑さに慣れていないこともあるのだろうが、それにしても今年の暑さは例年に増してきつい。半端ではない。それだけ歳とって体力がないからかもしれないが、こう暑いと何も手につかない。広い部屋なのでクーラーは大して効かないし、暑いだけで何か疲れて頭が鈍く痛くなってくる。日に何度も水風呂につかり、何とかしのいでいる。

 昨日は夕方から雷が近くで鳴りザーと夕立もあったので夜はいくぶん涼しかった。朝もまだ涼しかったが陽が上った途端また猛烈な暑さである。
 まだ7月の頭、これから8月の終りまではたぶん暑さは続く。その間、こうして日中は外出は控えて冷房入れた部屋に人も犬も集ってただひたすら息を殺して猛暑をしのぐしかない。
 昔から祖母は、36度以上の、人体よりも外気温が高くなると、人死にが出る、と言ってたが、じっさい連日全国で何百人も熱射病で倒れ搬送され死人も日ごとに増えている。これもまた地球温暖化による異常な事態なのだと思える。

 その温暖化を防ぐためにも原発稼働は必要という意見もあろう。結局、大震災の年、去年の夏までは電力会社が大騒ぎしていた夏の電力不足はこの猛暑でも今では全く問題ない。あのうさんくさい震災後何日間か続いた「計画停電」のような事態も起こせず原発が必要の理由としてきた電力不足の問題は今、大飯原発だけは稼働中だが、原発に頼らずとも十二分やっていけることは実証された。
 ただ問題は今の電力は火力発電に大きく依存している。ゆえにコストが高くかかり電気代は上げざる得ないと電力会社は国民を脅している。そして地球温暖化を防ぐためにも原発によるクリーンで低コストの安定した電力供給が必要だと言いたいらしい。
 3.11のフクシマは千年に一度の想定外の不慮の事態であって、世界最高水準の我が国の技術であれば起こりえないと電力会社は次々と再稼働申請中である。これもまた新たな「原発安全神話」の復活であろう。

 筆者マス坊は、この地震大国日本では、先の東日本大震災級の巨大地震は未来永劫数限りなく多発すると考えるし、大津波も含めそのときにどれほどの防災対策ができていようと絶対安全、絶対安心ということは有りえないと誰だって思うと信ずる。ただ、それがいつくるのか、どのようなトラブルが起こるのかは誰にもわからない。自分や今の世代の政治家たちが生きているうちに起こらなければ幸い、安心でもあるが、その先の事態については何が起きようがそのときの世代が体験することなのだ。

 今後原発事故が起きるか起こらないかという論議は不毛であろう。自分は原発はまた近く大震災によらずとも事故を起こすと考える者だが、推進側の人たちにとってはそんなことは全く発想にすらないはずだ。そして自らが生きている間に事故など起きなければ心置きなく安心してあの世へ行けるというわけだ。
 つまり事故が起こるから原発反対という意見は、また事故が起きない限り力を持たない。しかもじっさいに3.11の大事故があったのにも関わらずもう安全対策は成った、これから万全の対策をとる、ゆえに安全、安心という論に日本人の多くは胡散くささを感じつつも傾きつつあるようだ。本当に安全であるかはそのときが再び来るまで棚上げなのである。そして事故が起きればきっとまた「想定外」ということであろう。

 ならば、その問題の電気を、原発を稼働させて作る電力会社から買わなければ良いのではないかと考えた。
 今の時代、食品ならばその原材料、産地など必ず表示義務がある。それがどこまで信じられるかはともかく、自分なら保存料、着色料などの食品添加物はもちろんのこと、遺伝子組み換え食品や米国産牛は買わないし怪しい国が原産国の怪しい食べ物は極力買わないようにしている。いちばんの願いは自給自足なのだ。

 電気にそれができないものか。つまりまず太陽光などで自家発電し、自分たちが使う電気は原発電力会社から買わないようにしていく。あるいはオルタナティブなクリーンエネルギーの電力会社を利用していく。
 生協や農協だってやがて近い将来は電力も作り販売できるようになるかもしれない。そうやって今はまだ東電をはじめ巨大電力会社数社の寡占状態にある電気を彼らに頼らず自分たちで供給していく。そうして原発による発電する電力にNO!を突きつければ電力会社の経営方針すら変えられるかもしれない。
 食品に限らず、どの製品であろうとも、当社は原発による電力は使用していません、という表示のある製品を購入していく。これは夢物語か。

 いや、ともかく生きている間に、自分は自分が使う電気だけは原発企業東電から買わずにすむようオルタナティブな自家発電のシステムを作り上げたいと思う。原発反対、再稼働反対と今ある電力会社に望んでも無理だ。むろん声は上げていく。と同時にたかが電気、自分たちで作ってしまえ。
 ああ、この暑さ、これだけクーラー入れていたら電気代がどれだけになるかと思いつつ書いた。

「良き隣人」でありたいけれども2013年07月10日 21時43分07秒

★とかくこの世は・・・

 記録的猛暑が続いている。東京では四日連続での真夏日である。今、夜の9時過ぎても外気温はむっとするほど高い。皆さん大丈夫ですか、生きてますか。

 聖書の中にあるイエズスが語った「良きサマリア人」の喩えはご存知であろう。誰だって他者に対して、良き隣人でありたいと願うはずだ。が、現実の話、隣人、つまり隣近所のご近所さんとはなかなかうまく、仲良くやっていけない。

 齢18歳を超えた老犬バドが、高齢のためこの春から自力では歩けなくなった話は書いた。幸いにして状態は変わらずともまだ健在で、萎えた後ろ足を人間がストラップで持ち上げて介助して朝晩の散歩へ行っている。他にも犬がいるので、バドの散歩は基本、老母とアシストとして老父の老夫婦二人組にお任せすることが多い。

 以前ならば、表通りまで出て、ドラッグストアの生け垣や遊歩道などの草のある空き地や植え込みで用便は済ませていた。が、今では人間が腰を支えててもさすがに遠くまでは歩けず、ごく簡単にこの町内会を一周してごく簡単に散歩は終わらせている。当然、道路で小便、大便はしてしまう。
 本当はウチの前で用便は全部済ませてから歩きだせば良いのだが、犬というものは散歩の途中で急にしたくなるもので、溜まっていた小便大便を人様の家の前の道でいきなりしてしまうのだ。


 そのことについてこのところご近所さんから文句が出ている。曰く、汚い、臭くなる、必ず水かけて掃除しておけとあれこれ苦情が出ている。むろん大便などは必ず袋にとって持ち帰っているが、小便までは拾えない。よそ様の敷地内に入ってしているのではなく、あくまでも公道での糞便なのだから、とも思うし、高齢の障碍者となった犬を齢八十を過ぎた老夫婦が必死に抱えて散歩させていてもそんなのお構いなしの苦情申し立てなのである。

 特にお隣の婆さんが口うるさく、「ウチの前で小便した、必ず水撒いておいてくれ」、と騒ぎ、もたもたしているとご自分でホースで水撒いて、「ああ、やだたやだ、汚い汚い」と聞こえよがしに大声でウチを罵倒するが如くウルサイ。
 むろんこちらに非があることだから、我が老親たちはひたすら低姿勢でヘコヘコしているが、世知辛い世の中だと思う。大便も少しでもアスファルトに残っていると苦情が出る。たわしでこすれとも言われた。ご近所にはこうした方々がやたら多いのである。それが世間の常識なのだろうか。

 むろんそれをどうのこうのとは言えないし、こちとらが悪いことは承知している。しかし、他のこと、例えば秋の落葉の問題や、隣の家に伸びた枝ひとつでもあれこれ苦情を言い立ててくるのにはこちらもうんざりしている。まあ、このところの暑さでイライラしているのかもしれないが・・・。

 娑婆、という言葉は、ヤクザが娑婆に出る、とかで使うが、もともとは仏教の言葉で、サハー、意味は忍土であって、つまりこの世は苦界、耐え忍ぶところなのだと前に読んだ本にあったと思う。

 動物を飼うなんてことは今の時代、隣近所と軋轢を生むだけのことで庭に高木があることだって隣近所の迷惑以外の何物でもないのであろう。ペットや自然は今の時代不要かつ問題の種となる。しかし、またこうも思う。
 この娑婆、つまり我々が共に生きていることは、皆で満員電車に乗り合わせているようなものではないのか。混んでいる電車の中で、乗ってきた人、隣合わせになった人を憎み、文句言ったって仕方ない。犬や木々の落葉のことで迷惑をかけているかもしれないが、こちらはこちらで面と向かって言わないものの、やはりお隣からも迷惑は被っていることがある。つまり娑婆、この世は皆が満員電車に乗り合わせているようなものだと考えれば、生きるとは互いに迷惑をかけあうことであろう。ならば互いに我慢し耐え忍ばなければならないのではないか。

 まあ、じっさいの隣人、お隣さんというものは、自ら選んだものでもないしごく偶然の巡り合わせなのだからどんな人でも仕方あるまい。貴方のお隣の方が気の合う温和な隣人であれば幸いである。いや、宗教的に考えれば、だからこそ耐え忍ばねばならないし、隣人を愛さなくてはならないのである。何故ならそれが生きること、修行なのだから。

人はどこまで自由なのか・12013年07月11日 22時02分23秒

★自由について考える。

 連日の猛暑で夜になっても暑い。ウチも含めどの家もクーラーを入れないと暑くて生活できないからその室外機から排気の熱気が上がって夜になってもちっとも涼しくならない。窓を開けていてもむわーとした熱い風が吹き込むだけだ。
 室内を涼しくするためには屋外を熱くするしかない。結局、ますます全体的な気温上昇を招き、生きていくためにはクーラーに頼るしかない。その繰り返しでさらに暑さは増していく。。これが現代文明なのか。矛盾というか自家撞着というべきか、愚かであろう。が、都市部における住宅密集地ではそれ以外に猛暑を乗り切る術はない。
 昔、戦後のこと食糧不足で、国民全員が配給以外に闇で食料品などを手に入れて何とか生活をしのいでいた時、それを悪として拒否し結果、自ら栄養失調となって死んでしまった検事がいたときくが、今の時代、冷房を用いずに夏を乗り切ろうと試みることもそれに等しく、善行だと褒められるどころか、結果、暑さのあまり救急搬送され室内で熱射病死と報じられるだけだ。
 ならば、ヒートアイランド現象のないもっと人里離れた地に暮らせば良いのではないか。

 このところ自由についてよく考える。いや、昔から自分にとって関心のある最大のことは「自由」ということだけで、過ぎた人生の大半を自由気ままということだけを価値基準として生きてきたと言ってよい。お金よりも恋人よりも何よりもいちばん大事なことは自由か、つまり好き勝手できるかということであり、逆の事態、つまり制約とか束縛、この身を縛する出来事には常に抗い、拒否し抵抗してその環境から必死に逃れてきた。
 それは人としての務め、大人としての責務、社会人としての常識から逸脱することであり、ゆえに友人の少ない、妻子もなく老いて一人身の孤立した人生を送る羽目になったとも言えよう。それは自分でもわかっている。

 では、本当にお前はどこまで自由なのかと問いかけてみると、金がないどころか、定収のある儲かる仕事にも就いていないし、今は老親たちの世話もあるので旅行などの出かける時間もないのだからちっとも自由ではない。身動き取れないのだから不自由のどん底にいるようにも思える。きちんと就職して出世したり、ベンチャー企業を立ち上げ成功した方々のほうが経済的にも時間的にもよほど自由だと想像する。

 しかし、全て自らの裁量で時間を管理し、嫌な満員電車に朝から乗らなくても良いし、好きな時に昼寝もできるのだから、それは経済的自由よりもよほど自分にとって価値がある。好きな時に好きなことが好きなようにできる。そのことはごく小さい世界の中だとしても大切な自由であり、これからも一日でも長くそれができることを願っている。

 さて、愛する日本国憲法には思想信条の自由のほか、さまざまな自由が保障されうたわれている。そのことについてふれる前に、そもそも人はいったいどこまで自由な存在なのか考えてみたい。

 人はこの世に生まれてくるが、生を受けるだけで、何一つ選べないことに気づく。
 性別も親も環境も国籍も国家も時代もそこに選択の自由は全くない。体一つでともかくこの星に生まれてくる。そしてそこからどこまでどれほど自由に生きられるか、なのだ。
  【この項、随時書き足していきたい。】

連日の 命あっての暑さかな2013年07月12日 18時19分48秒

★生きているだけで精いっぱいの猛暑

 連日猛暑が続いている。さすがに少しは慣れてきた感もなくはないが、それにしても異常な暑さである。特に熱せられた地面のおかげで夜になっても気温が全く下がらないのが困る。

 自分のように基本家で仕事して出かけない者がアツイ、アツイとこぼしていては、日々ネクタイを締めて痛勤電車に何時間も往復かけて会社に通う皆さんに本当に申し訳なく思う。通勤、通学の皆様のご苦労を思いやるしかない。大丈夫ですか。

 例年、このところの真夏は猛暑、酷暑は当然のことであるが、それにしても今年は梅雨明けてすぐ連日の真夏日である。熊谷、館林に続く最高気温名所のニューカマー、山梨県甲州市=勝沼では、四日連続して39度を超えたと報じられている。山梨に関わりを持つこととなった者としてちょっと心配だ。

 問題は、まだ7月の初旬であることで、常識的に考えて夏は9月頭まで続くわけだから、まだ残り二か月も真夏、つまり猛暑は続くかもしれないのが思いやられる。連日、熱射病で救急搬送される人は何百人にも及ぶし、じっさい死亡する人も毎日後を絶たない。
 こんな暑さだと野外作業、建築現場や特に焼けたアスファルトの上で誘導など交通整理の仕事などされる方は生死に関わるかと思う。気温が40度近くまで上がれば基本、外では日中炎天下では何も仕事はできないかと案ずる。まさに人は生きているだけ、生命を維持するだけで精いっぱいの夏なのだ。

 自分も以前はクーラーは使わずに、節電の夏を送ろうと試みていたのだが、老親たちを抱えて、またこの体力なしのこの身も思うと暑さを我慢して早死にしても意味がないと考えを変えた。原発事故以降、電力消費については思うところ、考えるところ大であるが、ともかく御身大事でまずは夏を乗り切るしかないと割り切っている。
 しかし拙宅はやたら広いのと部屋もどこも境目がなく一階、二階も含めて巨大なワンルームのような造りなので、冷房がなかなか効かない。設定温度を20度近くまで下げてようやく涼しくなっていく。これは間取りを失敗したと思う。

 これほどの猛暑でなければ庭木もあるし東京でも郊外なのだから窓を開ければ風も抜けて涼しいはずであった。しかし昼も夜ももわーと隣近所各家ごとにクーラー入れている現在、ウチだけ窓開けて冷房なしでは生きていけないことに気がつく。仕方なく窓を閉め切って昼からは冷房をきかしている。しかし電気代ばかりかかってもなかなか冷えない。
 冷房に限らずエアコンとは狭い気密性の高い部屋でこそ意味がある。ウチのようなだたっ広い空間のある部屋と部屋との境があいまいな家はほとんど意味がない。なので、例年のことだが、今の自分はほぼ裸族、パンツ一枚で、首から濡れたタオル下げて時折それを水で冷やして何とか凌いでいる。それでも少し動いたり外に出ると汗が噴き出す。その都度、水風呂に浸かり体温を下げていく。それでも暑い日は頭痛がしてくる。

 当然作業能率は落ちる。家事や犬の世話程度でほとんど何もできずに一日が終わってしまうが情けないがそれも仕方ないかと思う。暑いと頭も回らないし、すぐ疲れてしまう。たかがこの程度のブログを打つのにもパンツ一枚でも汗まみれである。
 この異常な猛暑も人類の文明のツケだと考えれば嘆いても怒っても仕方ないが、悩みは犬たちの散歩である。早朝、太陽が高く上る前はまだいくぶん涼しいから早起きして朝の散歩は問題ない。問題は、夕方で、陽が落ちて暗くなってもアスファルトの道はいつまでも熱を持ち暑さは続き涼しくならない。犬たちもすぐにへたばる。かといって散歩行かないと家の中で粗相をする。どうしたら良いものか。

 ともかくこの猛暑、家族皆で無事に乗り切れるかだなのだ。生きているだけ、命を維持していくだけで精一杯なのは仕方ない。働き者の皆さん、どうか無理せずご自愛ください。ここを乗り切って良い季節を迎えましょう。その前に参院選の投票日がありますが。