今日から秋・9月2013年09月01日 06時25分10秒

★気持ち奮い立たせてガンバロー アクセスランキング: 221位

 この数日暑さがぶり返して家族全員体調を崩し気味である。その世話に追われて慌ただしくしている。が、月も変わったことだし秋から冬へ向けて自らを鼓舞してがんばらねばと思う。

 今年も残り三分の一。少しでも成果を上げていきたい。もたもたしているとすぐに今年も終わってしまう。暑さや家庭内の雑事に囚われて忙しいとか疲れているとか「停滞」の言い訳にしてはならない。

 ただ、老親たちは回復したわけではないし、さすがに今夏の猛暑で老犬バドもこのところ弱ってきてしまった。これから涼しくはなっていくので何とか夏は乗り切れたと思っていたが・・・

 様々な思いがわいてくるが、自らの「生活」=家庭という日常の暮らしをまず第一に維持、運営しつつ、傍ら無頼庵での活動も続けていかねばならない。
 今年こそはまたCDアルバムなども出していきたいしスタジオワークというか積年の夢である、手作り出版作業のほうも少しでも目鼻をつけたい。
 どこまでできるかわからないが、一つ一つ「生活」の合間に少しでもやっていくしかない。始めれば進む。それを続ければいつかは終わる。やがてこの「家庭」も皆が死にすべてが終わり「破滅」の日が来るだろうが、その日まで一つでも成し得た「成果」を積み上げたい。

 ★無頼庵 9月~10月の予定

 22日(日) 三留まゆみの映画塾 「ブライアン・デ・パルマ監督特集」※業界きってのデ・パルマニア、三留が熱く語るデバルマの魅力!!
 
 フォークソング講座~ギター教室は参加者と日時調整のうえ近く発表します。※ギター教室は個人レッスンもあり。

 10/5(土) 無頼庵フォークソングライブ~館野公一の世界

 時間など詳細はまた別記いたします。ぜひ、お気軽にどなたでもご参加を!!!

異常気象の世紀をどう生きるか、何ができるのか2013年09月02日 22時50分37秒

★地球は確実に破滅に向かっている。  ランキング: 157位

 昨日は関東大震災から90年で、防災の日であった。テレビでは巨大地震に備えるべくあれこれ特番が流れていた。
 が、一夜明けて埼玉から千葉にかけて巨大竜巻が発生し幸い死者はでなかったもののあちこちで甚大な被害が起きている。大地震だけではなく、ゲリラ豪雨、記録的な雨量の集中豪雨、雷、突風、そして竜巻と自然災害は多発する一方である。

 今ではほぼ連日全国各地で異常な豪雨への注意を呼び掛ける警報が出ているし、北の海で南の魚が獲れるようになったりと地球規模での「異常気象」は枚挙にいとまない。
 日本は今夏記録的な猛暑に襲われたがそれは海面温度の上昇が大きく関係している。よって南極、北極の氷は溶け出す一方で、海面上昇と生態系の破壊は深刻な問題化している。世界各地で異常気象により豪雨、干ばつ、猛暑が起きている。

 つくづく我々は今大変な時代、いや、大変な世紀に生きていると誰もが自覚するはずだ。筆者マス坊は今50代半ばだから長く生きてもあと30年ほどでこの世から消えていく。しかし、その頃、21世紀半ばの世界はいったいどんな状況かと今と照らし合わせても暗澹たる気持ちになってしまう。こうした自然災害は収まるどころか、さらに多発すると多くの学者、科学者たちが予想している。自分もまたそう思う。

 今よりさらに気温が上昇し、台風や竜巻、豪雨が多発する世界で人類は、いや、生物は生きていけるのであろうか。そのとき食べ物や水は十分にあるのだろうか。TPPの問題をさておき、その先の「未来」に不安が大いに高まる。そう考えない人はよほど楽観主義者かバカ以外の何物でもない。

 自分は子供もいないからこの先行きさほど案じることはないが、子子孫孫を残し託すべき世代を持つ人たちは我が子たちが生きる未来に対して大きな恐怖に近い不安を抱いているかと想像する。
 そのときはそのとき、と、未来に生きている人たちが何とか対処するだろうという考え方もある。しかし、全ての結果には原因があるならば、未だってライの原因となっているのである。ならば今でさえ2013年の段階で我々今生きている地球人が何かできること、すべきこと対策はあるのではないか。

 そういう自分も今夏は冷房をがんがん入れて電気を使いまくった。電気代がどうなるか請求書が怖いぐらいだが、そうしないと人も犬も死んでいたと考える。こうした文明が、地球温暖化に繋がりまた拍車をかけていると自覚している。しかしこのジレンマから抜け出せない。
 もはや東京都下、緑が多い西多摩地区でも冷暖房機器なしでは生物は生きていけなくなっている。その現代文明が人類を、いや地球を破滅に追いやっている。

 人口が増えすぎたということもある。また、人々の生活が全体として豊かに、便利になりすぎて電気や水の使用量が増えすぎたということもある。そして時間が元に戻せないように、文明は過去に戻せないのである。

 ならばいったい我々21世紀に生きる者たちはどうしたらよいのか。このまま漠然と被害に備えて、、警報が出たら公民館とかへ避難すれば良いだけなのか。

 もはや一国、一つの政府、および先進の国家間だけでこの問題は対処できない。全人類が一つになって、国境を取っ払い環境問題の根本解決となるよう新たなライフスタイルを模索、構築していくときではないのか。
 個人の豊かさだけを追求していけばきりがない。大企業=金持ちは蓄えている分を吐き出して、持たない人たちの次元へと少しでも近づくべきではないのか。万人が平等に貧しくならなくても良い。ただもうこれ以上、先進国ではモノはいらないし経済成長も必要ではない。
 過剰なまでの生産性を低くし金や経済性だけではない価値観を人類は持つべきときが来たと考える。

 一つだけ確実と思えるのは、今何の対応もしなければ、人類は、いや生物は今世紀末には死滅してしまうだろう。いや、一部の先進国の大金持ちたちだけは快適な安全巨大ドームのような世界の中で生きていけるだろうが、そこにはもう「自然」など存在しない。そんな手垢のついたSF世界が現実になる前に、今生きている我々ができること、すべきことは何か考え続けていきたい。

カセットテープよ、さようなら&ありがとう!2013年09月03日 22時54分49秒

★カセット文化終焉す。  アクセスランキング: 148位

 平成生まれの若い人は、レコードよりカセットテープに馴染みがないかもしれない。レコードは今もクラブシーンなどで一部の先端若者のアイテムなのだから。
 現在ではMDだって、シングルCDだってもはや過去のものなのである。音楽を聴いたり録ったりするのに今では実態ある個々のモノ、テープなどの記録メディアなどは必要ない。自分ではやったことはないけれど皆すべてダウンロードしたりファイル交換でやりとりするのであろう。そうやってpodなどのごく小さなメモリーやハードディスクに取り込むことが「録音」ということなのか。
 まあ、それが21世紀の音楽事情なのだと昭和の世紀、1960年代から音楽を聴きだした者として諦観のような思いと様々な感慨がわく。

 カセットテープなど今も使っている人はいったいどれぐらいいるのだろうか。海外、それも東南アジアなど第三世界では今も現役かもしれないが、間もなく需要も供給も終わりを告げる。今日でもまだ町では見かけるから演歌などカラオケのレッスンではまだ使っている老人もいるかと想像するが、たぶんこの数年のうちにコンビニでも100円ショップからもカセットテープは姿を消すだろう。まして若者はそんなの使うはずがない。ニューメディアという言葉があるならばレトロメディアと言うしかないものなのだから。

 筆者、マス坊は、カセットテープが一般に登場した頃から今日までずっと使い続けてきた。自分の記憶から換算すれば40数年使い続けている。さすがに最近では、ライブの録音などはICレコーダーに移行してしまったが、それも2年前ほどからで、つい最近までソニーの小型ステレオカセットレコーダーにステレオマイクをつけて生の音を録っていた。そのテープ業界の老舗メーカーTDKがついに磁気テープ事業から撤退するのだそうだ。

 先日の東京新聞の朝刊、特報欄に、「TDK 磁気テープ事業60年余年で幕 カセット栄枯盛衰」と題した記事が載っていた。

 同社は今もCD-RやDVDなどの記録メディアを生産しているが、知る限りもともとは「東京電気化学工業」と称し、その頭文字をとってTDKと名乗っていた。こうした発想はNHKと同じで現代では有りえないから時代を感じさせますね。

 カセットテープは、オランダのフィリップ社の特許で、小型かつ手軽な記録媒体として、知る限り60年代末から70年代、そしてソニーのウォークマンが世界的ヒットした80年代にかけて世界中でまさに一時代を築いた音声記録メディアであった。
 じっさい、その以前には個人が音を録るマシンとしてはオープンリールのレコーダーしかなく、それの家庭用のもなくはなかったが、テープも高価だったこと、扱いが面倒でオーディオマニアならともかくも子供にはまず縁遠い。だから家庭で誰でも気軽に音楽、放送やレコードなどを録音できる機械は待ち望まれていた。※前にも書いた、8トラというテープも登場していたが、カーステレオなどに向けたあくまでもソフトの再生専用で、録音機能はない。

 そういう自分も思春期に入り、中学入学のときだったかソニーのオーディオシステムを親にねだって買ってもらった。自室に入らないほど大きな当時話題の4チャンネルシステムだったから(スピーカーがフロントの他にリア2つの4つもある)、応接間に置いてあった。
 が当初は赤井のオープンリールデッキを秋葉原で買ってしまい、面倒だと思いつつもそれでエアーチェックとかしていた。そのデッキの話は依然拙ブログで書いたのでパスする。

 カセットテープは出始めた当時はC-60の、片面30分、表裏往復で60分のテープしかなかった。それが確か1本1000円もした。だから気軽には買えないのでラジオ放送などを録音しては消して使いまわしていた。
 それが、70年代に入るとラジカセの登場と共にごく一般的に普及していく。怪しげなブランドもいくつも登場し一気に値段も下がる。しかし、TDKとソニー、そして富士フィルムはカセットの三大ブランドとして、いや、日立マクセルも入れて四天王として、長らくカセットユーザーの厚い信任を得ていた。

 ご存知のようにカセットテープとは、ごく単純な仕組みでできている。テープを左から右へ巻き取って動かし磁気ヘッドで磁気テープに録音し聴くのは再生ヘッドで音を再生させるだけだ。
 当初、業界の人たちはあんな細い幅のしかも薄いテープで音楽なんて録音してもたかが知れているとバカにしていた。が、技術は日進月歩、ノイズ除去のドルビーシステムも普及し家庭用のオーディオシステムとしては申し分のないレベルまで進化していく。

 出始めた頃の無名ブランドの格安カセットには、あきらかに8トラのテープを流用したと思われるひどいテープもあった。また単純なのに、上記のブランドカセットメーカー以外の機種だとすぐ回転ムラや巻き込みが起こる。
 個人的に一番信頼を置き長く愛用したブランドこそTDKであった。そのテープの多くは今再生してもきちんと聴くことができる。管理状態が良かったこともあるけれど、40数年過ぎてもこうしたシステムのものが動くこと自体メーカーの技術力の高さ、メイドインジャパンの実力なのだと感心してしまう。

 この話、もう一回だけ続く。

続・カセットテープよ、さようなら&ありがとう!2013年09月04日 22時21分36秒

懐かしいTDKのカセットテープ。これはパックイン・ミュージックへの投稿者に送られる特別仕様。
★ アクセスランキング: 137位

 迂闊に家は空けられない。今日は敬愛するソウルブラザー、さこ大介兄いのライブが小田急線鶴間であり、お誘い受けて行くつもりでいた。が、親たちの体調がまだもう一つのことと、天候が不安定で、家を空けるのが心配でお詫びのメール送って行くのは断念した。

 日中は晴れていても突然曇ってザ~と雨が降ったりするので迂闊に窓など開けていられない。夕方、暗くなってから断続的にかなり強い雨も降り出し、今も雷が鳴っている。ブログも外の様子を見ながら断続的に書いている。犬たちは全員室内に入れたから安心ではあるが、やはり今晩は出かけないで良かったかと今思う。

 さて、カセットテープについて書いている。前回の続き。

 1966年に国産初のカセットテープを発売したのがTDKだとその記事は写真入りで報じて、その老舗メーカーが磁気テープ事業から来年、2014年の3月で完全に撤退するのだという。※TDKのテープ事業自体は1953年に開始、従来のカセットテープも国内での生産は既に終っていたはずである。
 東京新聞の記事によると、同社は2007年にカセットテープの販売事業を米国の会社に譲渡。業務用の大容量バックアップデータを記録する磁気テープ事業は継続していたが、「磁気ヘッドなどの中核の電子部品事業に集中するため」撤退することになったと報じられている。

 カセットテープといえば代名詞でもあったTDKからその磁気テープ事業が消えてしまうことにも時代の流れだと感慨を覚えるが、記事では一方、今でもカセットは、カラオケ用などに低価格のラジカセも中高年中心に需要が高く、カセットテープ人気もまだ高いことを報じている。

 確かに、カセットの利点とは、記事にもあるように「(演歌のカラオケなど)歌を覚えようとして、短いフレーズを繰り返し聞くにも向いていて、メリット」がある。
 ⅰPodなどいじったこともないのでわからないが、おそらくデジタルでの再生機器だと、そうした細かい再生は難しいのではないか。自分の持っているICレコーダーでは録音は問題なくても再生機器としては全く役に立たない。パソコンではともかく、その部分だけ繰り返し随意に聴くことなんてできるのかわからない。ゆえに、自分はずっとカセットテープを何十年も愛用していた。

 テープの利点とは、ともかく全て目に見えることだ。録音されていることはテープが動くからすぐ判別できる。また編集もたやすい。音質はデジタルに比べ劣っていても曲間のタイミングなども含めて自在にマイテープが作れた。フェードイン、フェードアウト、音量の調節も自由自在。
 おそらく自分と同世代に生きた、かつての若者たちは、恋人に、友人に自らが選曲し録音したマイカセットをプレゼントしたり、そのテープをカーステレオから流して夜更けのドライブしたものだった。

 今でも手元にはそうしたラベルさえも手作りのテープが山ほどある。そうしたテープで片思いの女の子の心を射止められたかはともかく、今でもカセットテープがゴミに出ているのをみつけるとつい拾ってしまう。たいがいは松田聖子とかユーミン、サザンとか当時の人気アーチストばかりでどれもオリジナルのレコードなどで持っていてもカセットだとなぜか心惹かれる。それは、きっと「録音」という手間暇をかけて「手作り」したものだから愛おしく思えるのではないだろうか。手書きのインデックス、曲名リストも含めて。

 さて、そうした手元のアナログのテープ、いくらまだ再生が可能と言っても半世紀を過ぎれば当然テープのみならず細部のパーツも劣化してしまう。一回は聴けても最後まで来るとテープが切れてしまったりもする。なのでこのところ特に貴重なテープから順にタスカム社のカセットテープをCD-Rに焼くレコーダーでデジタル化作業を少しづつ進めている。本当はカセットデッキはティアック社の最高級機で再生させてそれをデジタル化させたいところだが、まだ修理から戻ってこないし果たして直るのかわからない。仕方なく先年買っておいたそのタスカムの一体型機でその作業をやっている。

 おそらく自分の他にもカセットテープに深い思い入れがある御仁はいるかと信ずる。お急ぎでなければそうしたテープをデジタル化する作業を代行してもかまわない。
 しかしそれよりも以前に自分にとってはカセットはまだ現役なのである。そうして拾ってきたテープを時間あるとき聴いたり車のオーディオで流している※マス坊の車のオーディオはCDなどかけられずカセットだけなのである。

 問題は今はそうしたカセットを再生する良いデッキがまず手に入らないということだ。今も新品で買えなくもないようだが、ラジカセに毛が生えた程度のカセットプレイヤーではカセットの実力を再現できないのである。かといってそんな高級機はもうどこにも残っていないし手に入らない。自分の夢はティアックの最高級機で、TDKの昔野外録音したテープを再生させることだ。1970年代に大阪天王寺で録った春一番のテープなどもある。でもそれってオーディオマニアでは絶対ないですね。カセット至上主義であろうか。
 カセットテープよ、さようならと書いた。が、さよならするのはTDKであった。そのメーカーには今も深く感謝している。

大気が不安定だと心も気分も不安定2013年09月05日 22時09分11秒

★昨夜は東京でもついに豪雨となった。  アクセスランキング: 49位

 昨夜はかなりの雨が東京地方、自分の住む西多摩地区でも降った。おまけに一晩中遠くで雷も鳴り、ピカピカ明け方まで光って、その地響きのような音と光、断続的に強く降る雨の音でよく眠れなかった。犬たちも予め室内に入れておいたので特に被害もなかったが。

 今日本列島には台風崩れの前線が停滞し、大気は不安定、これからしばらくはまだ全国的に大雨や強風、竜巻に対しての警報が出続けている。ようやくいくぶん涼しくなってきたが、こんな気象ではいつまた豪雨が起きるかわからない。実に憂鬱である。

 自分には幸い有り難くも全国的に知人、友人が各地にいる。島根の、まだお会いしたことはないがネットで知り合った方に豪雨お見舞いのメールを送ろうと考えているうちに、今度は名古屋方面でも洪水的豪雨。北海道の師匠にも連絡をと考えていたら北海道でも。九州には妹たちの一家がいるが、昨年も洪水に見舞われたのにまた。もう全国どこでもいたるところ記録的豪雨、自然災害に襲われている。
 よく梅雨の終わりには一部の地区、和歌山や山口、九州北部でそうした被害が起きていた。が、今ではどこだってそれは起きる。都市部だってゲリラ的に突然集中豪雨に見舞われる。注意を呼びかけたって、竜巻でも同じだが、室内の一番奥の部屋でただじっと布団でも被って通り過ぎるのを待つしか対策はない。どこに避難するにも避難先には人数の限界があろう。
 問題は台風シーズンはこれからなのだ。

 雨は有り難いし、日本は雨の多い国ではあるが、昨晩のように不穏な地響きのように雷を伴って断続的に繰り返す豪雨には心底まいる。
元よりメマイ体質で三半規管が弱いのかもしれないが、そうした天候の日は耳が詰まるというかヘンな耳鳴りがして頭がぼーと痛くなる。
 早く天気が安定し、回復してカラッと爽やかな天高い秋空が来ないものか。そうしたら頭もスッキリしてブログ内容ももっと中身ある、書きたいことがじっくり書けるのに。

 記録的豪雨など異常気象はどこにでも起きる。どうか皆様ご自愛を。自らの暮らしと日常は自らの手で守らないとならない。

そんなに戦争がしたいならば、オバマよ、ノーベル平和賞は返上せよ!2013年09月06日 22時22分25秒

★アメリカのシリアへの軍事介入に思う  アクセスランキング: 183位

 日本は今近づく五輪開催地発表を前に、東京に決定するかと大騒ぎしているが個人的にはそんなことは関心外である。それより気になるのは緊迫するシリア情勢だ。

 人はうんと過去の出来事はともかく、わりと直近の苦い出来事はしっかり「教訓」として記憶に残っているから当然のこととして他国への軍事侵攻には反対する。反対しないまでも慎重論が強くなる。それがイラク戦争で戦闘に参加した国の国民の率直な気持ちであろう。だから英国は議会が否決し、今回の「参戦」は断念したし、米国内にも反対論、慎重論が今も根強い。いや、何よりも多くの国民がまた新たな戦争が始まることに反対を唱えている。

 が、一人、「国際法に違反し化学兵器を使用したシリアへの制裁を‼」とひときわ声高に叫んでいる御仁がいる。他ならぬノーベル平和賞受賞者、オバマ大統領である。国連安保理決議を得なくてもどうやらフランスとはかって、あるいは単独でもイラクへの攻撃、つまり戦争をまたも仕掛けようとしている。
 国連の安保理決議なしでの攻撃もまた国際法に違反しているということは米国には通用しないようだ。なぜなら米国は世界の保安官であり、自由と民主主義を守るという旗印で、これまでもベトナムをはじめ世界各地で断続的に常に戦争をしてきた国だから今度もシリアの非道を見過ごすことはできないらしい。

 繰り返しとなるが、筆者マス坊は、どこそこの国のようにシリア政権の肩を持つつつもりは全くない。早くアサド政権は退陣すべきだと考えるし民主的政権の誕生を願っている。しかし、ここでまた米国が軍事介入すれば、シリア政権が倒れるかはさておき、逆にさらに紛争は広域に拡大し長期化する可能性が高いと予想している。米国の同盟国イスラエルにシリアがまた報復攻撃を仕掛ける可能性も指摘されている。そうなればさらにいくつもの国を巻き込んで戦争は中東全域に拡大していく。

 潘国連事務総長が言うように「軍事的解決は有りえない」と自分もまた考える。シリアの現政権がどれほど非道であろうともアメリカの好む軍事介入的手法では、紛争は簡単に解決するとは思えない。逆に一般国民、民間人にさらなる被害者を生み出し、国外脱出をはかる難民は増え事態はさらに混迷し長期化していく。

 経験とも照らし合わせれば常識的に誰もがそう考える。ところがリベラル派を標榜し、核廃絶に功労があったとしてノーベル平和賞を受賞したオバマ大統領自らが戦争をしたくて今自ら米国議会を説得中なのだ。これはいったいどうしたことなのだろう。そこにアメリカの国益が絡んでいるのか。

 その謎はおいおい見えてくるだろうから今は断言も断定もしないが、一つだけ言えるのはアメリカとアメリカ人の特質である。

 基地の町で育って、米兵やアメリカ人とも長年付き合った経験から考えると、アメリカ人とは非常に「正義」ということにこだわる。「卑怯」を忌み嫌う。そしてアメリカの男性はそこに「勇気」「男らしさ」というものを常に試され求められている。彼らにとって、臆病者、卑怯者ということは一番軽蔑されバカにされる。男と生まれたからには常に雄々しく、どんな逆境でも悪に対して立ち向かわねばならない。それこそが正義。男らしい。それは彼らが好む「西部劇」の世界そのものなのである。

 ひとたび、弱虫、臆病者という烙印を押されてしまえば、その男は米国社会には居場所がない。ブッシュも同時多発テロで米国本土を攻撃され雄々しく「正義の戦争」の名の下に、アフガニスタンへイラクへと真犯人かどうかも定かではないテロ組織の首謀者を求めリベンジの戦争をしかけ夢中になった。国民はそんなブッシュを高く支持した。

 今また、オバマもまた彼の男らしさが試されている。つまりここでシリアの非道な政府、無法国家があるのに、世界最強の大国としてこのままじっと見過ごすことができるのかと問われている。むろんそこに影で暗躍する「戦争の親玉=軍需産業」の存在も大きい。しかしそれとは別個に彼の内面の男らしさがこう囁いている。「お前は世界最強の国のリーダーなのだ。このまま何もしないでいることは臆病者だと国民は思いお前を見限るぞ」と。国内に内在する諸問題解決のためにも強いリーダーシップを国際的にも見せつけないとならない。

 しかし、オレに言わせればそんな「男らしさ」なんて糞くらえだ。真に立派な指導者は、どのような挑発にも乗らずに、これ以上の犠牲者が一人でも出ないよう、敵国の者でさえも人命第一で、軍事力に頼らない解決を図るよう精いっぱい努力すべきではないのか。もし、オバマの判断でシリアとの間で戦争がはじまり一人でも新たな戦闘による死者が出たならば、すぐさまノーベル平和賞は返還すべきだろう。彼はそれを首にかける資格はない。彼にそれを与えた賞の選考委員会は全員不明を恥じて辞任しろである。

 そうよ、わたしゃ臆病者でけっこう、女の腐ったのでかまいませんよ、なのだ。人を殺すことが「男らしさ」でも「正義」でも絶対にあってはならないのだから。

間もなくオリンピック開催地が決定するが・・2013年09月07日 17時05分57秒

★東京はどうなるか今固唾を呑んで待っている人に     ランキング: 156位

 こんなことを書くと大勢に、いや体制に楯突くようでまたあれこれ怒られるかもしれないが、筆者マス坊はオリンピック東京招致に反対である。
 人を励まし元気にさせる、スポーツの力は確かにあると信ずるし、自らはスポーツは一切やらなくてもスポーツ好きな人を嫌いも批判する気もない。また、オリンピック招致に懸命になっている人たちに対しても何も思うところはない。自分のように、1964年の東京オリンピックを観た記憶のある者はともかく、今の人たちはやはりこの目でこの東京で生でそれを観たいのだろうと理解できる。

 反対する理由はただ一つ。決定する、しないに関わらずそんな招致合戦に何億円も使うよりもっと東北の震災被災地復興や被災者支援のために金あるならば使うべきだと考えるからだ。
 そして福島の原発から漏れ続ける汚染水の問題も全く解決の目途が立っていない。今、東京に決定したとして8年後だからその頃にはフクシマも解決しているはずというのは極めて楽観的な想定で、自分はともかく何より先にこの問題が解決に向かってからでないとオリンピック騒ぎはできないと考える。それはそれ、これはこれ、なのか。

 東京での開催が決定したらまたぞろオリンピック景気で東京は騒がしくなる。そしてそこに土木関連予算が組み込まれる。しかしそれはゼネコンを喜ばせるだけで果たして日本全体の景気、まして東北復興にどれほど効果があるというのか。

 思うに、東京に決まれば、これで景気回復の実感の伴わないアベノミクスにははずみはつく。早晩、消費税導入後に失速が本格化していくアベノミクスなるイカサマ経済政策に一定のカンフル剤とはなるだろう。
 しかしそれも一時的なもので、開催までの数年間はあちこち東京都心部がまた工事工事で騒がしくなるだけで、儲かるのはゼネコンだけ、全国的にはほとんど関係がない。景気回復や雇用にどれほど影響があるのか。
 むろんオリンピックは人心高揚させ、この国を元気にさせる効果はあろう。そのことは否定しない。また、東京に決まれば開催までの間はタカ派政権も近隣アジア諸国とのトラブルに対して慎重にならざる得ない。領土問題から偶発的でも紛争が起きてしまえば、モスクワ五輪のように近隣諸国はボイコットしてしまう。だから決して悪いことばかりではないと考える。

 それでもやはり今の日本は、まだオリンピックどころではないのではないか。一方に収束のメドの立たない重大な原発事故を抱えて帰宅困難者がたくさんいて、東京オリンピックに大騒ぎするマスコミとそれに踊らされる人の気持ちがよくわからない。そんなに金が潤沢にあるならばもっと東北復興や被災者支援にまず使うべきだと考える。そして復興が成ったとき、胸を張って世界中に日本でオリンピックを、完全に復興した日本を観に来てくださいと誘致に名乗り上げれば良いではないか。
 オリンピックに浮かれる前に日本と日本人にはまず今やるべきことがあるのではないか。

 余談だが、NHK朝ドラ「あまちゃん」にも大いに失望した。震災による津波被害はあんな甘い軽いものではない。むろんたかがドラマなのもわかっている。NHKだからあまり厳しいリアルな現実は見せられないのも理解できる。誰一人死なないのも。しかし、自分がこの目で見たいわきの浜の惨状を思い出すとき、三陸岩手で3.11後の状況があのぐらいの軽い程度で大して問題なく描かれたことに憤りさえ覚えた。

2020年のTOKYO、「未来」を見据えて生きていこう2013年09月08日 08時49分28秒

★7年先の「未来」を思う。 ランキング: 159位

 何はともあれ2020年のオリンピックは東京に決まった。これで暴走老耄前都知事も安心してあの世へ行けるだろう。なにはともあれ良かった、と人並みに記しておく。
 オリンピックの弊害も多々あるはずだし、基本的に反対の立場であっても決まったことは仕方ない。心から歓迎賛意しないとしても東京は、日本はそれに向けてこれから大きく動いていく。ならば受け入れるしかない。そして注視していきたい。

 さて、2020年、今が2013年の秋なのだから7年後の夏に行われる東京でのオリンピック、その頃の東京はどうしているだろうか。かつての「21世紀音頭」の一節ではないが、♪そのとき二人はどうしているの、やっぱり愛しているかしら、という気持ちになる。
 1年なんてこのところあっという間に過ぎてしまうから、7年、8年先だっておそらくすぐにその時が来るだろう。

 ただし、我がこと、我が家を考えると、おそらくそのときはウチはもう誰もいないだろう。老親ともさっき話したが、その二度目の東京オリンピックは二人とも観ることはかなわない。常識的に考えても父は100歳近くとなるし、母も90過ぎとなる。今の体調からするとそれはまず難しいしありえない。自分一人で、犬猫もいなくなり還暦過ぎの老人=自分が「オリンピックはもういいよ」とぶつぶつ言いながらチャンネルを廻す、いやリモコンを切り替えている姿を想像できる。

 それよりもそのとき世界はいったいどうなっているのだろうか。地球規模の異常気象は収まってせいぜい今と同じような気候のままで世界各国そろって無事に開会式を迎えることができるのか。世界を二分するような新たな紛争や戦禍は起きていないか。もしそれが可能ならばぜひとも自分はその場に立ち会いたいと願う。今の状況から推測する限りきわめて難しいように思えるからだ。
 
 いや、それは自分が元気に生きているという想定での話で、もしかしたらその前にこの身も病に倒れ、誰より先にあの世へ行ってしまっているかもしれない。我々の年代はかなりガタが来ていて、還暦前後で亡くなる人も実に多い。自分が無事健康で2020年まで生きられる保証はどこにもない。このブログだって続いているか存在しているか全くわからない。
 またさらに、近づく首都直下型大地震もある。もしオリンピックの前にそれに見舞われたら、どれほど被害が少なくてもまず中止となろう。そして自分がその被害に遭わない、無事だという自信もない。

 つまりたかが10年足らず先の話だが、本当にそのとき自分も含め東京が、この国が、この地球全体が無事で平穏平和の裡にオリンピックを迎えられる確率はかなり低いように思える。
 ならばこそその東京オリンピックが無事に迎えられるよう自分も含め我々は心してしっかり生きなくてはならないと思う。

 21世紀を迎える前、1990年代は、人々は2000年ミレニウムという新世紀を意識して一年一年を生きていた気がする。あと○年で21世紀、という意識が、一つの指標として人の心を強く支配していた。つまりカウントダウンである。20世紀のうちに、とそのゴールに向けて人はあれこれ動いていた。
 そして今21世紀も始まり、気がつけば漠然と10数年が過ぎてしまった。21世紀はまだまだたっぷりあるし、何かの目安、区切り、マイルストーンとなるような年も見当たらない。自分も含めてただ漫然と一年一年をただ生きている。

 しかし、2020年の東京オリンピックという確定した目標、目安ができた。人の心は何かの到着点、目的地がない限りなかなか動いていかない。そしてそれがバラバラだと力は弱い。オリンピックはある意味人心を一つにまとめるゴールなのである。
 2020年の東京、果たしてそのときまで皆が無事で平穏に生きていられるだろうか。異常気象や大地震も含めた災害に見舞われていないか。この国の原発はまだ稼働しているのか。フクシマは・・・米軍基地は・・・。

 オリンピックに批判的な自分であったが、今はある意味2020年という近未来のゴールを与えてもらった気がしている。まずはそこまで何としても生きていきたい。そして平和の祭典オリンピックが成功するためにも全世界から紛争がなくなり核兵器が、化学兵器が廃絶されるように心から願う。

 この地球上に生きる者が、全生物が誰もが安全平和のうちに2020年を無事に迎えられますように。
 その「近未来」に向けてしっかり生きていこう。皆様もどうかご一緒に。

漠然とした不安と違和感と・・・2013年09月10日 06時17分18秒

※この画像はあとですぐ消します。
★東京オリンピック決定狂騒に感じたこと  アクセスランキング: 168位

 自分は元より天邪鬼であり、世間の人たちとは常に相容れない考えと立場に身を置く者と自認していたが、日曜早朝の2020年オリンピック東京決定の報からあけて一日、この国はその喜びに包まれ大騒ぎ、それを見て何だか内田百閒先生的に言えば、気持ちはむにゃむにゃしている。どうしても大喜びする人たちの立場に同感同調できない。早くも「オリンピックはもういいよ」である。

 株価もGDPもまた上がったし、経済に弾みもついて良いことばかりではないかと思う。一説に、このオリンピックで3兆円の経済波及効果があると誰かが語っていた。テレビで見る限り街の人たちはその誰もが良かった、よかったと大喜びである。自分も一緒に喜びたいし喜ばないとならないのかと自問する。しかしその人々の喜色満面、狂騒的喜びを見るたびにますます醒めていく自分がいる。

 今の気分は逆に、これでますますこの国は自分が望まぬ恐れていた方向に進むのではないかと危惧というか漠然とした不安に襲われている。「2020年東京オリンピック」という錦の御旗を得て、安倍自民党政権はその強大な国家権力をより盤石な体制へと仕上げていくのではないか。つまりオリンピックがあるのだからと異論反論は全て抑え封じられてブルドーザー的に彼らが望む国家が完成していく。国民世論もそれを後押ししていく。例えば、オリンピックを無事に成功させるために治安維持、安全管理名目の新法をこしらえていく。誰もそれに反対しないし反対できない。

 つくづく安倍晋三という男は強運だと思う。陰りが見えだしていた、いや、そもそも実体のないバブルでしかないアベノミクスという経済政策がこのオリンピック決定で持ち直した。強いカンフル剤となった。じっさいの経済効果はそんなにあるのか自分は信じないが、国民に希望と期待感を持たせることには成功した。
 これでまた黄金の60年代のときのような経済成長の時代が来るかもしれない。あちこちでドシンドシン、ガーガーと道路やビルを作る公共工事の音が聞こえてくる。建設、不動産、観光、ホテル業界は大喜びである。一般大衆にもそのおこぼれがきっとあるはずだ。景気浮揚には間違いなくなろう。それがどうして悪いことなのか。

 東京でのオリンピック開催は間違いなく良いことだが、マスコミが大喜び、大騒ぎするほど本当に良いことばかりなのだろうか。これで消費税増税もお墨付きを得たし、オリンピックがあるからと全てがゆるされ、強行されていく。その絶対的善の前にはそれに抗う者は、異端者、異常者、治安を騒がし乱す者として糾弾されないか。批判的な意見や記事は白い目で見られはしないか。迫害されないか。

 オリンピックは絶対的に良いことである。だからそれが困る。しかしモノゴトには常に光あれば影もある。その2020年まで国中が大騒ぎしている間に、オリンピックを成功させよう、失敗させてはならないという名目に乗じて怖ろしいことが起こるのではないか。国家権力が膨張していく。
 まあ、一番の効果は、人心を一つにまとめて、これから2020年に向けて全てが良くなっていくと大きな希望と期待を抱かせたことだ。国力がつかなくても国全体は明るくなっていく。それは歓迎すべきであろう。日本はこれで大震災から立ち直れる。オリンピック景気でこれから良くなっていく。ひねくれ者、異端の自分はそうは考えないがそう期待する人たちの気持ちは否定しない。

 敬愛する水木しげる先生の近作、ビッグコミックに載っていた「ゲゲゲの家計簿」を読んでいたら、1964年の東京オリンピックの前の世相を描いていて、主人公である氏が、建築工事にわく東京の街を歩きながら「オリンピックだというので、街が騒がしいな。オリンピックなんて建設業界と旅館に儲けていただくために、全国民が騒いでいるようなものだな」と呟くシーンがあったことを思い出す。それが当時の一般大衆の実感であった。もちろん様々な波及効果はいっぱいある。国民は元気になるだろう。でもその裏で、大衆がオリンピックに目が向き浮かれている間に安倍独裁政権は何を目論み野望を仕上げていくのか。ヒトラー政権下のベルリンオリンピックがふと頭をよぎるがオレが頭がおかしいのか。
 うかつなことを書くと弾圧され、むにゃむにゃむにゃ・・・。

本日は子犬のベル子満一歳の誕生日2013年09月11日 16時47分55秒

★これからどれだけの歳月を共に暮らしていくのだろう。  ランキング: 162位

 今日は9.11、あの米国の同時多発テロの日。大震災から二年半の節目の日でもある。
 記録的猛暑に襲われた今年の夏だったが、ようやくこの数日秋めいた涼しい日が続くようになった。明日はまた暑さがぶり返すとの報だが、もう人死にが出るほど気温は上がらないだろう。何とか烈夏を乗り切れた感慨がわく。

 さて個人的なことだが、ウチの若い雌犬、ベルは今日が誕生日で満一歳となった。昨年の暮れ、栃木県佐野市まで人の伝手頼りに貰いに行った。そのとき訊いた誕生日が9.11だからようやく一歳。ウチへきて8か月ちょっと。でもあっという間であり、ずいぶん長くも感じる。またかなり大変でもあった。
 
 来た当初はおどおどと家人の顔を見上げては不安で落ち着かずとてもおとなしかったが、それは猫ならぬ犬を被っていたからで、やがては本性が出た。若いこともあるがともかくやんちゃで、やたら元気がよく、噛むの咥えるのが大好きでひと時もじっとしていない。家に上げれば、ありとあらゆるモノを咥えてガシガシ噛み砕いてしまう。何十本もペンやボールペン、本までかじられた。歯が鋭く、噛みたくてしょうがないらしい。
 室内に入れたままうっかり留守にしておくとそこは被災地のような惨状となってしまうほど暴れまくる。だから他の犬たちも彼女には恐れをなして逃げだすほどだ。それに来た時からだがかなり大きい犬なのだ。しかも空き地で紐から放すと、いくら呼んでも絶対返って来ない。何十匹も犬は飼ったがこんな犬は初めてである。

 老雄犬、黒犬ブラ彦の嫁さんとして来たわけだが、実は夏前に早くも交尾あった。それも無理やりブラが襲いかかってしまったのだが、そのときは数か月、その後偽妊娠で食欲がなかったが、妊娠はしなかった。やはりまだ体が成犬になっていなかったのだ。その間は食欲もなく医者にかかったりだいぶ心配させられた。

 そして今、ようやく満一歳の大人になり、もしかしたら近く秋口にまたかかってしまうかもしれない。そしたら早ければ年内に子犬が産まれる。その可能性はあるが、ブラも歳とっているので、性交しても子ができない可能性もあるし、また偽妊娠に終わるかもしれない。

 今、自分の気持ちを告白すると、ブラの嫁さんとして子孫を残そうと貰ってきたベルだったが、その子犬出産はもうどうでも良い気がしている。むろん、代々子犬が産まれ血が続いてきたブラの子がやっと産まれるのはとても嬉しい。しかし、それも結果であり、できなければできないで仕方ない。何も無理やり子ができなくても、ベルはベルであり性格にやや難あってもとてもかわいいし、それだけで十分なのだ。
 ブラが老いて死んでもベルだけでもあと10年以上生きるはず。その頃自分は早や70歳近いのである。子犬を産ますということは、貰い手があったとしてもウチでもさらにまた新たに一匹は飼うことであり、先のことを思うと彼らの面倒を自分一人でみれるのか不安もまたある。

 だけど、今すぐ避妊手術させる気はない。だってブラの嫁さん候補としてあちこち探しまくって佐野まで出向いて迎え入れたのだ。子犬ができるかできないか、それは神の御心のままに、という気持ちで今いる。ただどちらになろうともベル子を、今いる犬たちも含めて最後までとことん面倒を見る気持ちに変わりない。ベルには手を焼き噛まれまくりではあるがカワイイのである。体は大きいがまだ子犬であり、これですぐ母親になるのはかわいそうな気もする。

 18歳を超した老犬バドもこの猛暑は絶対乗り切れないと覚悟していたが、どっこい無事に生き延びられた。かなり注意して少しでも暑いとクーラーの効いた部屋に避難させたり、夜中でも起きて大小便の介助したことも効を奏した。それに何より食欲はしっかりあり、当人も生きようとする意思が強い。

 そして永遠の問題児ブラ彦も相変わらず手がかかるが、それはそれだけ彼らが人間に近しい知的なしるしでもあるので、人格を尊重しながらうまく付き合っていくしかない。機嫌が悪いと飯食べなかったり抗議や要求の遠吠えもよくするが、犬には犬の都合があり、人には人の都合もある。人間もうまく彼らと付き合っていかねばならない。無理もできないが。

 先のことはわからない。すべてその時はそのときだと思う。犬や猫、ペットに関心ない人はこんな記事を読んでも興味外どころか不審に、いや不快にさえなるかもしれない。たかが犬の話なのだ。しかし、自分にとっては犬猫、特に犬は、ペットなどではなく人と変わらぬ家族の一員、人生のパートナーなのである。彼らはこちらが面倒を見ないとならないし世話もやける。しかしそれ以上に大きな役割があり、大きな慈しみや癒しを常にこちらに与えてくれるのだ。彼ら無しでは自分は生きていけないだろう。彼らの世話をしている自分が実は彼らの世話になっている。

 人間との関係が下手で、人との縁がうすい自分には、犬猫こそが大事な家族なのである。かといって、人より犬猫が好きだとは言わない。人は人、犬は犬、猫は猫でしかない。そう、たかが犬である。されど犬なのだ。