値上げの秋に思う2013年10月01日 08時25分19秒

★自民党政権を再び選んだ庶民に倍返し。 アクセスランキング: 178位

 10月。新しい月に変わった。
 また台風が来ているらしく、明け方ざーと強い雨が降った。今はやんでいるが、とび起きて雨の中、庭先のずぶ濡れの老犬を抱きかかえ小屋前の庇の下に押し込んだ。
 下半身がマヒしているので自らは小屋の中へも雨のあたらないところにも動けないのである。うっかりすると豪雨の中、びしょ濡れでほっておくこととなる。それでは溺れないまでも確実に弱ってしまう。犬でも人でも老人とは手がかかるものだが仕方ない。生きている、生きていくということはこうしたものだ。


 さて今年も残すは三か月。年が明けて寒いとか暑いとか騒ぎつつブログを書き連ねているうちにもう今年の終わりが見えてきてしまった。オレはいったい何をしてきたのか自問している。

 安倍首相は、今日1日、予定通りに消費税増税決定の会見をするらしい。復興税は大企業には前出しで撤廃。共産党の謂いではないが、大企業、法人には減税、庶民には増税である。おまけに年金も今後段階的に減らされていく。給料は上がらない。
 誰かこのブログの読者でもアベノミクスで景気が良くなった、所得が増えたという方はいないものか。そうした景気の良い話がぜひ訊きたい。

 消費税増税とは別に食料品なども上がってきている。自分は今一切の買い物も任されていて、ほぼ日々近くのスーパーなどに通っている。あきらかに徐々にだが数か月前よりほぼすべての食料品が値上がりしていることを実感する。
 そして今月からまたさらに油や清酒などさらに値上げとなるそうだ。

 政府の経済政策はまず物価を上げて、それからそのことで所得も上がっていくというシステムらしいが(つまり企業は儲けを給与で還元するという)、実質的に所得は未だ上がらず、ましてこのままで来年の4月に消費税がまず3%も上がってしまえばいったい庶民はどう生きていけば良いのか。ましてウチのようにほぼ年金生活でやりくりしている世帯は所得が増えるどころかさらに減るのである。

 消費税というシステムは、消費に応じ誰にでも平等に課税されるから公平だと言われる。しかし、庶民というべきか、ウチのように低所得者層は食費、日用品などに収入の大半を使っている。そもそもやたらエンゲル係数が高いのだから、所得と支出の全体をみれば金持ち層より負担は間違いなく大きくなる。まさに弱い者いじめの政治である。

 こうしたことは自民党が政権を奪還した時から誰にでも予想されていた。震災復興といってもあちこちにハコものを作ったり要するに大手ゼネコンが儲かる公共工事なのである。儲かるのは大企業、大金持ち、ほくそ笑むのは官僚だけなのだ。そして原発も当然なくならない。日立や東芝など家電業界はもはや自社家電製品では内需は期待できない。企業存続のためには原発輸出に頼るしかないのである。

 民主党より自民党がマシだったわけではない。ただ漠然とした期待感、景気が回復するのではないかという願望希望だけで人々は愚かにもまた自民党を選んでしまった。歪んだ選挙制度というマジックもあったがやはりそれは民意だった。

 そして今国民はそのツケを負わされる。先の衆院選、そして参院選で自民党政権に一票を投じた方々よ、この痛みこそ自らの選択の結果だと納得できるのか。
 一時期の橋下氏、維新の会に熱狂した人にもその選択が正しかったか問いてみたい。彼らに府政を任せて何か良いことがあったのか。

 なにはともかくさて、10月。これから自分にとっての生活防衛の戦いと生活再建の一歩が始まる。すべてにがんばらねば。そうここからだ、何事も。がんばらないけど諦めない。

「商売」と「商売でないもの」との間に2013年10月02日 08時53分13秒

★「無頼庵」の収支状況について書く。 アクセスランキング: 209位

 大変な時代がやってくる。
 昨日、消費税増税が確定しこれからさらに生き辛い時代がやってくる。そう考えるのは自分だけではないだろう。入ってくる金は減り続け、嫌でも出る金は増えるのだからおそらく誰でも今後の生活防衛に腐心せざるえないはずだ。
 これで社会保障やこの国の将来を見据えて「良くなる」「良いこと」だと歓迎する人がいるならぜひその理由を聞かせてもらいたく思う。
 さて、これからどうやってやりくりしていくか。どううまく生きながらえていくかだ。

 今、拙宅では古本音楽ハウス「無頼庵」として、月に1~2回、金をとって一般客を招いてイベントを続けている。その代金はイベントそのものは千円ほど。そしてその後に「懇親会」と称して、やはり千円ぽっきりで飲食食べ放題で当日のホストを抱えて歓談の場を設けている。つまり通して二千円ほどで数時間思う存分観たり聴いたり話したりして食べて呑むことができるのである。

 それで儲けが出るのか。もちろん出るはずがない。イベントそのものの参加費はそっくり全額そのまま三留まゆみの映画塾なら彼女に手渡す。ライブならば唄い手たちに支払う。
 では懇親会で儲けが出るかといえば、千円内で提供できる食べ物、飲み物はたかが知れている。結局、いくら持ち出してしているのか毎回確認してはいないが常に赤字、自腹を切ってやっている。
 それができるのは、ここが本当の店舗ではなく、自宅で、店賃など不要であるばかりではなく、そもそもそこで採算、利益を得ようとは考えていないからだ。つまり「懇親会」はウチでやるホームパーティーだと考えて来てくれたお客に満足してもらいたい、だからアルコールも含めて存分に提供しているのである。
 しかし、それが回を重ねてくるとさすがに苦しくなってくる。儲けなどでなくてもいいが、今のご時世、できるだけ出費は押さえたいと誰でも願う。自分に余裕があり、本業でも何でも良いがきちんとした収入があれば、こんな出費は道楽として痛くもかゆくもないだろう。それが今とことん喰えなくなる一方で、これを続けていくことがどうにも難しくなってきた。

 まあ、元から映画塾などの企画は、「三留エイド」として、やはり困窮されている彼女を救う一助になればと思って始めたものだ。本来自分にきちんとした定収があり、生活にも余裕あれば、直接彼女にパトロンとして援助しても良いのである。モノ書きなどは浮き草稼業で彼女に限らず生活は不安定、ならばどうにかできないかとこの企画を思いついた。そして来られた方々が続けて来てもらうためにも「泣いた赤鬼」的にお茶やお菓子を豊富に用意して迎えているのである。幸いにして毎回大盛況なのは嬉しい展開である。

 で、前回、映画塾の参加者にアンケートをお願いした。今後の要望などもだが、一番は参加費、懇親会費の値段についてである。かなりの回答は、内容に比べて安すぎるから値上げしても良いというものであったが、中には生活が苦しいので上げないでほしいという回答もあり、思わずうーむと唸ってしまった。まあ、自分としてはこのアンケートを元に、では次回から予定通り値上げさせてもらう等と某首相のような厚顔さは持ち合わせていない。いちおう予定の一年間、来年の1月の回まではこのままでやっていくつもりである。

 しかし、いくら「商売」でやっていないとしても長く続けていくためには維持するためにもできるだけ赤字額、自腹を切っていくのは押さえたいと願う。それはどんな運動体でも同じことで、けっきょくそれが終焉を迎えるのは主催側、事務局運営側が経営体力的にやっていけなくなるからだ。そうした失敗は数限りなく見てきた。せめて赤字が雪だるま式に増えていく事態だけは避けねばならない。

 また、逆に「商売でない」ということは言い訳にはできまい。してはならないと思う。プロとアマも同じ。金がとれない、金をとらないから、この程度で許されると言うことはあってはならない。モノゴトの一番大事なことは、「金」が動くかではない。金の価値とは別なところに本質はあるべきだ。つまり、売れる、儲かるという一基準だけでモノゴトを判定してはならないということだ。

 芸術は喰えなくて当たり前だとは考えないしそれは言い訳でしかない。かといって売れたもの、経済的に成功したものが良いものだとは絶対に思えないし思ってはならない。
 ただ、ある行為の対価としてできるだけ正当に、ヘンな表現だが「良心的に」お金は動いていくべきだと考える。正しい対価のことを言っている。それこそが儲かる、儲けるという資本主義的な価値観を覆す価値基準なのだから。

 やや書き足らないのでもう一回だけ書き足したい。

親たちを連れて湯治に行く2013年10月03日 06時59分45秒

★山の秋は駆け足で過ぎていくので
アクセスランキング: 130位

 ようやく朝から晴れた。台風が続けて来たりとこのところ梅雨時のようなスッキリしない蒸し暑い日が続く。10月に入った。

 あれこれ思うところや書きたいこともある。明後日、5日のライブも控え慌ただしいのだが、この木、金と山梨の古民家へ一泊する予定で出かけることにした。たぶん親たちも連れていく。これから出て、明日は早めに戻ってくる。
 予定では先週末に行くつもりだったが台風が襲来したりと天気も悪く腕を痛めたこともあり断念したのだ。

 少しでも向こうへ足繁く通って、建物の中にまだ残っている前に住んでいた人の荷物を片付けなくてはならない。近くに住んでいる継承者の方の休みが金曜日なので、来てもらい、いるものと不要なものを確かめて処分、分別していく。でないとこちらでは勝手に捨てることができないので、部屋の中もいつまでたっても片付かない。つまり自由に使えないので困るので何とかしようということだ。

 ウチのボケ老人を連れて行っても騒いだりウロウロするだけで大いに邪魔なのであるが、一人で残しても火の始末などとても心配だ。また勝手に柿をとろうとかして高いところへ上がったりして転落し倒れているのを発見されたりする。だから一人にしておけないし、目が離せない。
 そんなで犬猫たちもいるので今までは無理してでも日帰りで戻ってきた。しかしそれではのんびり温泉にも入れない。今回は夏の疲れをとる湯治も兼ねて増冨のラジウム鉱泉まで足を延ばそうかと考えている。

 実は転んで打撲した右腕が未だしびれたように鈍く痛い。モノを持ったり箸やペンを使うことは問題なくできるのだが、腕を自由に上げたり廻したりすると痛みが走る。だるいというか力が入らなく困った。ぬるい温泉でマッサージしてみようかと思う。

 というわけで、勝手ながら本の移動も兼ねてちょこっと山梨へでかけてくる。今老父はまたゴネて行きたくないと叫んでいる。理由は簡単で、猫を残していくのと、自分に運転させてくれないから拗ねているのである。しかし、米寿を迎えた認知症の老人にハンドルを握らせ高速道路を走ることは自殺行為でしかない。毎度の「いやいやえん」状態の父をどうなだめすかすか。
 現地に行くまでが大変なのである。

明日の無頼庵でのライブ、ぜひお気軽にどなたでもご参加ください!2013年10月04日 20時23分49秒

山梨で買ってきたキノコや山菜たち
★山梨の山菜キノコ汁他用意してお待ちしております。 アクセスランキング: 99位

 夕刻山梨から帰ってきた。湯治というか、慰安を兼ねて一泊二日で行ったわけだが、老犬も含めて犬三匹と老親を抱えての移動はそれだけで疲れた。正直今メマイがしている。睡眠不足で頭の芯がしびれたように鈍く痛い。が、明日のライブの支度もあるので、まだすぐに寝るわけにもいかない。

 父の認知症の度が進み、古民家に連れて行ったわけだが、昨晩は環境が変わったこともあったのだろうが、畳の広間に早く寝かせたつもりが、深夜にハイカイしていて大騒動になった。夜中に気がついたら布団は空である。

 昨日は昼頃着いて、犬たちを残して近所の温泉でのんびりした。古民家には電気、水道は使えるが、まだガスは繋いでなく、古いテレビはあっても地デジ化してないので映らない。晩飯は麓のスーパーで弁当を買ってきて、簡単に夕食にした。
 テレビも観れないので夜は何もすることはない。自分は日頃の疲れもあって、7時過ぎには布団にもぐった。が、玄関の土間に繋いだ犬のベルコがいつまでも騒いでいるので深く眠れない。うるさいので零時前頃に起きると母は寝ているが、父の布団は空だった。探すと彼はメジャーを持って建物の中をあちこち計測しては図面をひいたりあれこれ計算して記している。ベルコは家に上げてほしくて父が台所の明かりをつけてウロウロしているからずっと吠えていたのである。

 この古民家は台所の奥にある二階に上がる階段が古く急でハシゴぐらいしかない。だから近く大工を呼んで別の場所に新たにしっかりしたハシゴに架け替えようと考えていた。で、父はその図面をひいてはどこに階段をとりつけるか頭を痛めていたのだ。そんなことは大工の仕事であり彼には頼んでいないのに真夜中にその作業にセンネンしていたのである。驚き呆れ果てた。彼は頼まれたことはまずしないが、頼まれないことは勝手に熱中しコーフンしてしまう。若い時からの気質がボケの相乗効果で激化し、一つ何か思いつくと深夜であろうが勝手にすぐ始めて熱中してしまうのである。
 今何時だと思ってるのか、とやめさせて、抗る親父を抱きかかえて布団に押し込んでブレーカーを切って真っ暗にして寝かせた。そうでもしないと彼はまた作業を再開する。犬たちは車の中に押し込んだ。

 父はしばらく騒いでいたが、やがて寝静まるまでこちらも眠れなかった。夜中にどうせまたトイレに何回も行くはずだから、その頃にはまた常夜灯は付けておかねばならない。

 近くの小川の水の流れる音だけしない真っ暗闇の中、いろんなことをじっと考えた。遠くでたぶん鹿の鳴き声だろう、ピーという野生動物の哀しい遠吠えが聞こえた。これからどうしていくか。いったいどうしよう。

 父が完全に寝息立てて眠るまで待ってからブレーカーを上げて、彼がまた尿意で目覚めてトイレに行って戻るのを確かめてから自分も眠った。今朝は6時頃から起きているのだからたぶん熟睡したのは数時間だろうか。

 実は今回、江草の古民家に親たちも連れて行ったのは、元の持ち主の娘さんに来てもらい、まだ残っているこの家に住んでいた人たちの衣類や持ち物をウチの母と一緒に分類、処分作業を頼んでいたからだ。アルバムや手紙、書類など大事な思い出の品などもかなり残っているのでこちらで勝手に全部処分することはできない。継承者として残すもの、とっておく物は持って返ってもらい不要な衣類や布団などはゴミとして処分していく。
 自分は衣類や着物などはわからないので、まだ未使用のタオルやシーツなどは捨てずにここで使うことにするとかの分別をウチの母に任せたのである。※父は今朝も一人でメジャーで畳のサイズまで測ってはノートに記していた。もう相手にしない。

 そんな作業に午後1時までかかってそれから戸締りして山を降りた。須玉インターの近くの中華料理店で昼食をとり、韮崎の農協の市場で地元野菜などをあれこれ買って帰ってきた次第。
 寝不足もあり、片づけ作業もしたので何かもう疲れていて、普段は帰りの高速は休憩によらず直帰するのだが、今回は居眠りしそうで初雁のSAでいったん休んでから戻った。

 まあ今回親たちを連れて行って、持ち主の娘さんも来てくれたので、だいぶガラクタ類は片付き部屋は二つほど空にできた。この調子で一部屋づつ片づけていけばどんどん自分で自由に使えるようになっていく。成果はあったが、明日のライブの準備は何もできていない。そしてかなり疲れている。どうしたものか。

 と、私ごとはともかく、現地の野生のキノコとかも買ってきたので、明日の館野公一ライブ、懇親会では秋の味覚オンパレードとしたい。珍しい秋の野菜もいろいろ出す予定なので、どなたでもお気軽にご参加ください。三留のカレー番外編もあるとのこと、楽しみである。そう、スペシャルゲストも登場する。

久々のライブ終えて充足感、満足感2013年10月05日 23時28分53秒

楽四季・公一、豪華な初顔合わせ!
★館野公一、無頼庵ライブ大成功で終了す。
ランキング: 143位

 先ほど、拙宅無頼庵での久々のフォークライブ企画、「館野公一語りうたの世界・第一章」は無事に終了した。
 ゲストにバイオリン演歌師・楽四季一生を迎えて、冷たい雨がそぼ降る秋の夜のフォークソングのライブ、今終えて深い満足感がある。久々に、本当に久々の満足できた良いライブが持てたと思う。しいて課題を見出せば観客がもう少し多ければという思いもあるが、ほぼ理想的な入りではなかったか。関係者も含めれば10名を超す良い素晴らしい仲間たちが集ったのだから。

 ウチだけではなく場所を借りたりしてライブの企画に関わるようになり何年もたつ。その関わり方は単なる一要員であったり手伝い、裏方他、ときにはイベントの資金すべてを背負う責任者の立場であったり様々ではあるが、なかなか心から満足のいくライブに出会うことはごくごく稀だ。
 客はまあ入っても、アーチスト側の出来がもう一つだったり、あるいは逆に演者側はとても素晴らしいのに客が全然入らなかったり(このパターンが一番多い)、はたまた客が入ってもその客の質が悪かったりとその三者、それぞれの立場全てが良い出来となることはまずないと言ってもよい。
 関わり方の度合いにもよるが、総体として良いコンサートだったとしてもたいがいは常に何かしらの不満があり、もやもやとしたスッキリしない気分で家路を急ぐこととなる。
 ライブというものは、そもそもの「企画」、アーチストのそのときの「出来」、そして客の「入りと質」が密接に関わり成り立っていると自分は考えている。

 前置きが長くなったが、本日の館野公一の無頼庵での初の単独ライブ、氏のうたの世界にどれだけの人が関心を持ちわざわざウチまで足を運んでくれるか、かなり不安もあった。以前なら友人知人に、同報メールを送りまくり、お願い、ぜひ来てくれと頭下げて、動員をかけることもした。しかし、そうしてお義理で、興味はないのに来てもらってもこらちとしてはあまり嬉しくない。またそうした人はそもそも関心が薄いので真剣に耳を傾けてくれない。よって客は入っても緊張感が欠けてしまう。

 一番理想的なのは、このブログを読んで、あるいはこのマス坊の「宣伝」を通じて皆が関心を抱き足を運んで頂くことで、果たしてどうなるか今回はあえてメールなどで宣伝活動はしなかった。むろんチラシは作っていくつかお店に置かしてもらったり、そのチラシをフォーク好きな方に郵送もした。ただ、それとこのブログだけで果たして観客は来てくれるものか、まったくわからない。まあ10人でも観客がくれば大成功だと位置づけた。

 結果は参加予定で病欠の方もいたのでやや及ばなかったが、自分としては大いに満足のいくライブとなった。というのは、館野氏は毎度当たりはずれはほとんどない実力者だから何も案ずるところはない。しかし、今日はさらに熱がこもり、またそれが空回りすることもなく、聴き手は皆しっかり集中して彼の長いうたに真摯に耳を傾けてくれたからだ。
 またこの企画じたいも、当初は「うた」だけではなく、彼のライター、社会活動家としての一面も示せるように「講演」の要素を取り入れ一部をやってもらおうと目論んでいた。しかし、ビデオとの接続が上手くいかず、今回はうただけ、うた1本でお願いすることにした。そして中入り後のゲストにほぼ初顔合わせのバイオリン演歌師、楽四季さんをお願いし、二人ともぶっつけ本番で、楽四季さんとのバイオリンと館野氏のマンドリンの初競演と相成った。それもすごくかみ合い成功した。

 そして後半は、館野氏はギターであますところなく、彼独自のうた世界を熱く、鋭く、ときにユーモアを交えて語りうたい尽くした。彼のうたに長く親しむ自分も堪能し大いに感動したのだから今回の観客は皆感心、感動したことは間違いない。女性客のほとんどが感涙していたのがその証だろう。
 ライブ企画の醍醐味とはいかに自分が良いと思い強くお奨めるアーチストに観客が集まり感応してくれたかであり、今回は、館野氏だけでなく楽四季さんも最上の出来で、あまり接点のなかったお二人を引き合わせたこと、良い観客に紹介できた光栄さを深く噛みしめることができた。つまり今回のライブこそ、自分が考えるライブとしての良い理想的条件をすべて兼ね備えていたのだ。

 館野公一という素晴らしきうた唄い、残念だがまだ世間が着目していない実力者を今回のお客様に紹介し知らしめることができたことが本当に嬉しい。おかしな謂いだが、ようやく「恩返し」が少しはできた気がしている。こんな素晴らしい魅力ある唄い手を招きウチでライブが企画できた。そのことは自分に誇りとなり自信になる。

 久々に確かな満足感で今これを記している。自分が考える「うた」の今を観客に示せたと信ずる。ぜひ次回の「館野公一・第二章」へご参加ください。予定では来年早春にやりたい。ようやくこれで無頼庵の「フォークソング」復活なるかである。

アルコールについて思ったことなど2013年10月06日 07時51分35秒

★禁酒記録更新中
アクセスランキング: 135位

 ライブから一夜明けた。曇り空、雨は降っていない。これから天気は回復していく。

 ウチでやったライブの翌朝は、いつもたいがい宿酔気味でどんなに成功し楽しい集いであったとしても幾分の悔恨のような気持ちが残る。だるさと祭りの後の淋しさ、そして不快感、それが酒の後味である。

 しかし、昨日は一滴もアルコールは呑まなかったので、今朝は疲れは残るがスッキリ起きられた。いつもある寝起き前の足の痺れなどはない。夜中にも起きなかった。気持ちも屈託していない。要するに自分の鬱とはアルコールによってかなりもたらされていたのだと今思い至る。
 
 ただ、酒が入っていないと、時間がなかなか過ぎていかない。ライブ自体のことではなく、料理など作っていてもイライラしてくる。酒が入っていると何をするにしろいつの間にか時間が過ぎていく。それは楽だ。ある意味、辛い現実から逃避できる。それがアルコールの効用だろう。ぼうっとしているうちに何時間も過ぎていく。いつの間にかモノゴトは終わる。

 飲み食いだけで2時間も3時間も人はなかなかできやしないが、そこにアルコールが入れば、だらだらとあれこれ話も盛り上がりあっという間に時間が経つ。昔は夕方に居酒屋に入り、終電の頃まで呑み続けたこともあった。およそ6時間。基本、ビールなどならばマキシマムには至らない。小便に出してまた呑んでの繰り返し、しかし弱いアルコールでもしっかり酔ってはいるのである。

 もうそんなことはやめたしもはやしないと今は思えるが、となると長い夜をどう過ごしていくかという不安もある。現実はつらく厳しい。しかし、人生はもう残り少ないのだから大切に使っていくためにもアルコールで陶然自失として浪費するのはモッタイナイ。
 様々な辛い現実、大変な人生に素面で向き合うのはしんどいことだが、アルコールでごまかし逃げるのではなく真摯に見つめないとならない。それが正しく生きることだと信ずる。楽しく酔っ払って人生を浪費してその終わりの日が来れば自分は必ず後悔する。

 昨日も酒を奨められて、少しなら呑もうかと心動いた。呑んでも大したことはないと思えた。しかし、特に固い決意ではないが、今の自分はそこからまた転落していくような気がする。酒は習慣性と依存性を誘発する。いちど堰を切るとしだいしだいにまたとめどなく呑むようになっていきそうだ。程よく呑める自制できる方はいい。節度守れれば。

 自分にはそれができない。とことん何事も破滅へと突き進む。基本破滅願望もあるのだろう。意志薄弱でだらしなくそれで後悔ばかりする人間にはそもそもそんなものは嗜む資格がないのである。

 と、朝起きて犬たちと散歩しながら考えたことを朝飯前に書いた。今日はそんな大酒呑みの若き友、岡大介の浅草木馬亭ライブに行く。

岡大介は誰に向けて何を唄うのか・木馬亭独演会20132013年10月07日 08時36分39秒

★岡大介がフォークソングに別れ?を告げた日    現在のアクセスランキング: 170位

 好漢岡大介が毎年秋に浅草木馬亭で催している「独演会」が今年も昨日10月6日行われた。早や5回目である。5年前、オフノートの神谷氏と「岡が木馬亭でソロで公演やりたがっているんだけどどうでしょうかね」と電話で話あってからもうそんなに時が経ったのかと改めて驚かされる。
 その独演会の報告をしていく。

 記憶に間違いなければ、自分はその岡大介が木馬亭で毎年この季節に行う「独演会」に確か一回だけは欠席したが、初回からずっと通い続けて見続けてきた。
 当初は、その頃彼が親しくしていた超絶的二胡奏者の「ラッパ二胡」小林寛明と二人での「二人会」の趣で始めて、やがて「かんから楽隊」なる、熊坂るつこらCD作成時のバックバンドを率いての回もあったし、昨年は演歌の鼻祖・添田唖蝉坊親子のオーソリティと呼ぶべき芸術音楽家・土取利行をゲストに招いて唖蝉坊特集の回を行った。

 そして5回目となる今年は、初めて岡大介たった一人ソロでの「岡一人会」、まさに本当の「独演会」となった。客の入りは何と過去最高の超満員で、椅子席は満席どころか、通路全てにパイプ椅子で補助席を出しても座り切れず、後方で立ち見の観客も多勢でるほどだった。おそらく200人近く入ったのではないだろうか。新記録だ。今の岡大介の人気、人脈の豊富さ、動員力を知らしめたと言えよう。正直、脱帽感服した。

 しかし、興行的に成功したことは大いに喜ばしいが、果たしてライブとしてその内容はそれに見合ったものであるかである。忌憚なく書けば、失望はしなかったが大いに戸惑った。不満あると言うよりもファンとして長い付き合いある友としてこれからに危惧を強く覚えた。

 そもそもこの木馬亭での独演会、岡大介にとってその時どきの「今」をファンや支持者たちに示し報告する、発表の場であったと思う。つまり毎年、岡が今どこにいて、何をやっているのかその「報告」を木馬亭でファンに定点観測的に披露していたと言える。

 よしだたろくろうに憧れてフォークソングの世界に足を踏み込んだサッカー少年が、ストリートミュージシャンとしてギターを手に唄いだし、やがてかんから三線と出会い、高田渡らにも強い影響を与えた唖蝉坊にたどり着く。そして近年はそのユニークな楽器で、若いのに旧い明治大正の演歌をうたう奇特な若者としてマスコミで注目され広く取り上げられ小沢昭一に請われ武道館にも出るほどの人気者となっていった。

 そして現在では、フォークシンガーとしてではなく、かんから三線を手にした「演歌師」として寄席から演芸会、居酒屋、喫茶店、各地のイベント、路上と所選ばず全国各地を廻って唄い続けている。「うた」一本で喰えているのはその世代で彼以外にいるのか自分は知らないが実に大したものだと思う。
 その彼がソロで2013年秋の今、我々旧知のファンの前に示したのはチラシの表題にある「フォーク発~演歌行き」であり、私感では、今回のライブは近年かんから三線での演歌活動に重点を置く彼の「フォークソング決別宣言」だと受け取れてしまった。それぐらい今年の木馬亭は演歌寄りとなってしまった。

 もともと岡大介は、フォークシンガーとして出発し、筆者にとって彼の演歌やかんから三線は、適切な喩ではないが、タイガー・ジェットシンの「サーベル」、フレッド・プラッシーの「尖った入れ歯」、ザ・シークの「火炎」のごとき「ギミック」だと思っていた。何のことだかわからない方もいるかと思うが、要するに観衆の耳目をひくための小道具である。つまり本当は才能あるフォークシンガーである彼が話題を呼ぶために用いているのがかんから三線であり、昔の演歌だと考えていた。いわば聴衆を彼のフォークソングへと誘う手段として「演歌」もやっているのだと理解していた。

 しかし近年彼の活動の軸足は、フォークよりもかんから三線での「演歌」により重きを置くようになってきていて、それは土取氏との出会いによって決定的となったようだ。理解はしていた。それもまた仕方ない。だが、それでも昨年の独演会までは、演歌とフォークが半ば混然一体と化していて、これまではたいがい最後はギターで〆るというパターンで岡大介はやっぱりフォークシンガーなのだとかろうじて矜持を示していたと思える。
 だが、今回は休憩なしと本人は言いつつも、一部二部とに分ければ、一部はギターでの彼のフォークソングを45分。短い衣装替えのタイムを挟んで、いつもの半被姿で演歌を1時間とアンコールも含めてかんから三線の比重がついに大きくなった。

 と書くと、それが悪いと言っていると思われるだろうが、じっさいのところ出来は圧倒的に演歌のほうが良かった。フォークのほうは、声がフラット気味で上ずって聞き苦しかったし、ギターもあまりよくなかった。つまり今の彼の心は既に演歌のほうに移っていると図らずも知らしめたようだ。それが哀しいかと、同行して頂いた楽四季一生さんに訊かれたが、哀しいとか残念だという以前に困惑、戸惑う気持ちが強くあるだけだ。
 逆にかんからでの演歌のほうが彼の技能的精進ぶりがはっきり伝わってきたし出来もよく観客の多くもそちらを期待していたようだ。というのも今回の聴衆は圧倒的に老人、それも七十代以上の老婆が目立っていたのだから。

 マス坊は、開演前に入れてもらったが、館内から早くから来て道で開場を待つ人の列を見ると、まさに祖母世代の高齢者がやたら目立つ。次いで多いのは自分ぐらいの初老の中年男性で、あとはその連れの女性がちらほらといる程度で、若者と呼べるのは皆無と言ってよかった。
 岡大介のファン層とはそもそもそうした高齢者がやたら多く、そうしたお爺ちゃんやお婆さんに岡は強く支持されかわいがられている。なのにそうした人たちを前に、ディランやたくろうを熱く語り臆面なく唄うのは実に無謀というか勇気あることではないか。
 だから当然一部より二部の演歌のほうが観客の反応はよく、周囲では終わって、「やっぱり演歌のほうが良かったわね」という囁きがあちこちから聞かれたし自分もまたそう思えた。

 ただし、帰りの電車で一緒になった、古くから彼を知りフォークシンガーとしてずっと応援してきたのみ亭の知人の話だと、まず彼の成功を心から喜びたいと前置きしながらも「ともかく今回は中途半端、いったい何がやりたいか自分でもわかっていないのではないか。今までずっと応援してきたけれど、もう売れる軌道に乗ったわけだし、もういいかって感じ。たぶん来年は木馬亭に行かないだろう」とのことであった。

 マス坊も基本同感である。つまり、岡大介の二大要素、彼自身のオリジナルフォークソングと、唖蝉坊らの演歌とその支持層は大きく異なる。フォーク好きなのは、昔売れない無名の頃から彼を知る筆者も含めた主に中年男性たちであり、演歌は彼の祖母世代の後から彼のファンとなった老人たちなのである。今回の独演会、岡はその二つの層を意識して、一部にフォーク、そして二部に演歌を配置し二つを完全に分けて結果として演歌をメインにライブを進行させた。それが成功したかは判断できない。ただ、結果としてたぶんどちらの層にとっても物足りなく不完全燃焼感を与えたのではないか。

 こうしたコンサートはつくづく難しい。それぞれ観客が求めているもの期待していることは違う。その双方を満足させることはとても困難だ。
 自分は彼の演歌を否定するどころか高く評価している。こうした演歌復興、啓蒙活動はバイオリン演歌師楽四季一生氏と共に自分も大いに協力していく。しかし、基本、フォークソング研究家、愛好家として、岡ファンとして友人として、岡大介がフォークから軸足が離れていくことをとても残念に思う。

 今回のライブ、いみじくも第一部冒頭でいきなり彼の自伝的ソング、十数分にも及ぶ長い曲「よしだたくろうが岡大介に与えた影響」をしみじみと披露したが、それこそがある意味、彼にとってのフォークソングへの今の気持ちの吐露、決別の告白だったような気がする。じっさい、金、金、金の世の中で、フォークでは売れず、かんから三線の演歌で今や売れっ子になった彼なのだから。

 たぶん来年の木馬亭では、彼はフォークソングは唄わないか、唄ったとしてもサービスでほんの数曲に留めるだろう。それはそれでかまわない。多勢の高齢者のファンは彼の演歌を求めている。それにしっかり応えれば良い。ただし、のみ亭などごく少数のコアなファンが集う場ではこれまで通りしっかり彼の素晴らしいオリジナルフォークをメインに唄い続けてほしいと願う。軸足を戻せとは言わない。中途半端はやめてもっと良い意味で優柔不断であれと言いたい。元来テキトーな人間なのだ。自分勝手でかまわない。ただ根が生真面目だから皆に応えようとして今回のような結果になってしまうのである。

 岡はフォークから演歌に向かった、気づけば行きついた先が演歌だと言いたいのだろう。だが筆者マス坊はいつだって今もフォークソングに向かっている。それでこんなきついことを書いた。演歌は原点、行きつく先は演歌ではなくフォークだと信ずる。

 好漢岡大介はこれからどこへ向かうのか。だぶんあれこれ言いつつもオレはこれからもずっと彼を見続けていくのだろう。自分にとって岡大介こそ日本のフォークソングの星、救世主だという思いは今も昔もずっと変わらない。

ディランにこんがらがって2013年10月08日 23時42分40秒

★頭の中に低く鳴り続けている音楽    アクセスランキング: 202位  

 さすがに先週木曜からあちこち出かけたり人が来たりあれこれ連日慌ただしかったのでどっと疲れが出てきている。今日はついに日中も起きてられず夕方まで寝込んでしまった。まあ、何であれそれができること、できたことは良いことなのだから疲れは疲れとして仕方ないとして何であれ全てを肯定していきたいと思う。

 二日続けてのライブで、館野氏も岡君もボブ・ディランのカバーを唄った。そしたら以来、頭の中はディランが鳴り響いて止まらなくなって困った。ディランというのは、習慣性のある麻薬のようなもので、自分もかつてその中毒患者であったから、うっかり一度に大量に摂取するとまたその発作が出て例のディラン節がうねうねと24時間中脳内で鳴り響いて大変なこととなる。

 今日も寝ながらもずっとディランはまだ唄っていたが、先ほど、大音量でマディ・ウォーターズやらハウリン・ウルフやらソニーボーイ・ウィリアムソンら自分のもう一つの中毒、古いブルースのオムニバスを聴きこんでようやくディランを追い払った。毒には毒である。いや、ディランにしろブルースにしろ口に苦い良薬なのだが、今はできるだけ一度に摂らないよう意識して控えている。
 
 というのは、自分の場合、音楽を聴くとそれがそのまま頭の中に一時的ではあるがコピーされてなかなかそれが消えない。良い音楽でも嫌いな音楽でも同じで、うっかり牛丼屋とかツタヤなどに入って、そのときそこで流れていた下らぬJ・ポップでも頭に取り込んできてしまい以後しばらく苦しむこととなる。だから基本的に音楽は自らでもほとんど聴かない。ウディ・アレンの映画に「カメレオンマン」という佳作があったがあれの音楽版ともいえる。異常に感応性が強いのかもしれない。

 実はこれでも自分の中には自分の音楽、メロディーというべきものが常に静かな音で流れていて本当はそれに耳を傾けたいし大事にしたい。ところが、外から別の音楽が入ってくるとその元々の音楽がそれに強く染まってしまう。これでも曲作りをしている者として、それがいちばん困る。

 特にディランという人の音楽は実に強力で、まるで呪術のように頭の中に深く入り込んでくる。だから吉田拓郎をはじめ、ディラン好きな人の曲は皆ディラン節となってしまう。カントリーもまた同じで、その世界にハマルと頭の中がそのメロディーライン、コード進行で洗脳されてしまう。自分で楽曲を作っているつもりでも実は既にある、そのメロディーラインをただ踏襲しているということになってしまうのである。そこには個々人それぞれのオリジナリティはなくなってしまう。

 実は音楽に限らず、人は一人づつ、その人だけのメロディーやリズム、言葉を持っている。いや、持ってこの世に生まれてきた。しかし、学校の音楽教育やその時々の流行っていた音楽、生活環境により外からの影響を強く受けてその最初にあったものはやがて消えてしまう。いや、消えはしなくとももう当人自身が忘れて記憶の底に閉じ込めてしまう。
 それは絵画でも同じで、幼児教育に関わった人ならご存知のように、子供はうんと幼いときは、クレヨンなど与えると自由に色彩中心で素晴らしいのびのびとした絵を描く。それが少し成長し、マンガなど見て影響を受けると突然、人物画などへたくそな少女マンガみたいに線で輪郭をとりお目目ぱっちりの塗り絵のようなものになっていく。

 どんな音楽が良い、悪い、どんな絵が良い、悪いとは誰にも決められないから今ここでは問題としない。しかし、いつの間にか画一化された音階、リズムパターン、決まったメロディラインというものばかりとなるとそれはオモシロクナイ。面白くないだけでなく息苦しいしそこには自由も冒険もない。学校では異端は許されない。それが行きつく先はナチスが進めたような健全芸術となる。

 日本人には日本人の古来からあるメロディ、リズム、間合いのようなものがあったはずだ。また心象的な言葉、言霊も持っていたはずだ。それが外国文化、特に米国のテレビや映画、ラジオから流れる音楽でほぼ完全に欧米化されてしまった。それは元には戻せないし、今さら雅楽でもない。まして自分のように、基地の街で、子供のときから米軍ハウスの白人と暮らしていたような日本人はもう頭の中も生活様式も100%近くアメリカ人である。
 いや、だからこそ、わずかにまだ脳の奥底に残っているおそらく自分だけのオリジナルメロディーを枯らさぬよう大事に育てていきたいと願う。
 ディランは今も昔もものすごく好きだ。ただ今はできるだけどんなものにも感応しないよう、頭と心をニュートラルに、フレキシブルにしていきたい。それこそが自分らしくある、ということではないだろうか。

 ヘイトスピーチで外国人や外国文化を追い出したって意味がない。日本人にしろ誰であれ、まず自らの心の奥深くにある音楽や言葉に耳を傾けていくことだ。民族の文化や本質はまず自らに問うべきであろう。そこにどんなメロディや言葉がみつかるかである。

Don't Think Twice,It's All Right

続・「商売」と「商売でないもの」との間に2013年10月09日 23時26分53秒

★人には誰にも役割としての「仕事」がある。 アクセスランキング: 197位

 台風のせいなのか、日中はやたら強い南風が吹き荒れていた。爽やかな秋風というものではない。曇りがちでも雨は降らなかったが何だか蒸し暑い。

 さて、この前、古本稼業撤退に向かってその作業を進めていると書いた。その報告から。
 まずはまさに山を成していた、長く出品中のままいつまでも売れないでいた「不良在庫」を再度Amazonマーケットプレイスでの市場価格を確認し、1円本化して絶対に売れない、売れたとしても儲けのでない本は即処分し、売れれば少しでも利益が出る本は値段を下げて再出品した。そうした分別・再出品作業に時間をみつけてはこのところ専念していた。当然のことだいぶ本の数は減ってきた。

 そうした地道な作業で、不良在庫に手を入れていったらようやくこのところまた注文は回復し、前回の支払いでは久々に売り上げはプラスに転じてきた。しかし、それは出品の値をどこよりも安く下げたから注文が再び届くようになっだけのことで、まさに薄利多売、一冊売れても儲けなどは雀の涙なのである。ただ忙しくなっただけのことだ。このところほぼ連日注文は入る。

 例えば、昨日、Amazonから二冊、ウチに注文が来た。
 その一冊、仮にその本を「CD付 宅建主任者に面白いほど合格する本」としておく。 打ち明けを公開すると・・・・
 状態は
コンディション: 中古商品 - 可
コンディション説明: 2001年第3刷・CD未開封附属。お断りしておきますが、水濡れ感があり、カバーに薄シミ、本文にもシワ、たわみ感があります。使用には問題ないと思いますがご理解の上で。お安く致しました。
価格: ¥ 363
Amazon手数料: (¥ 214)
配送料: ¥ 250
振込金額合計: ¥ 399

 この振込金額からヤマトのメール便で発送するとして、配送代が¥160 つまり、純粋な儲け、ウチの手取りの利潤はわずか233円ということとなる。そこに封筒やガムテープなどの経費もこちらの手間賃も含まれている。わずか230円そこらのために発送に行くまでの時間もいれると一時間近くかかる。時給ではいったいいくらになるのであろうか。

 まったくバカバカしいとも思う。これで送った本に不備などがあれば相手方はまたこちらに文句言ってくるし、その対応処理にも追われる。売れてもこれぐらいしか儲けが出ないなら人は商売などしないだろう。手間と気苦労だけの、まさにくたびれ損の骨折り儲けの感がある。

 もうこのぐらいしか儲けが出ないならこんな本は出品せずにゴミとして処分すれば良いとも思わなくはない。しかし、単なる儲け追及の商売、ビジネスとしてだけ考えずに、古本稼業としてみれば、とにもかくにも古本が売れること、その本を求めているお客に本が行き渡ることは喜ばしい。つまり本の再流通が古本屋の役割だとするならば儲けは二の次だという考え方も成り立つ。それに、たとえ微々たる儲けであろうとゴミとして処分するのではなく売れて本が減っていくのは良いことではないか。

 自分は若いときから働くのが嫌いできちんと就職もしなかったし、今だって不動産や田畑あるような不労所得で願わくば働かずに遊んで暮らしたいと切に願う者であるが、近年ようやくこの歳になって「仕事」とは何なのか、人はなぜ働かなくてはならないのかようやく少しだけわかってきた。
 手短かに書けば、要するにこの社会に生きる者全てには役割があり、各々の「仕事」もまたその役割の一つなのである。それは草木鳥、全ての動物だってその役割を担っている。極論言えば、そこに生態系のようなものが成り立っている。

 世の中には、かなり辛い、汚かったり面倒かつ大変な仕事がある。例えば、今もまだ地方には存在する、汲み取り屋さんなどもそうだし、道路工事での車輛誘導の仕事などもかなりしんどい。しかしそうした仕事は好きとか嫌いとか以前に誰かが担当しないことには社会は動いていかない。今ならばフクシマでの原発作業員もそうだろう。他に仕事がなく仕方なく金のためにそれをやっている人がほとんどだとしてもともかく誰かがそれをやらない限りこの社会は日本は、そして地球は動いていかない。

 仕事と言うのは個人の儲けるため、生活のため金を得る手段に過ぎないが、実は同時にどんな仕事でも他者ため、社会のためになっている。公務員などはその関係が見えやすいが、バスなどの運転手、オペレーター、ウエイトレス、新聞配達、建設作業員などだってすべて同じで、そうした役割を担っている人たちがいるからこの世はうまく動いている。マンガだって小説だって、結果としてそれを書く人がいて読み手は楽しむことができるのである。

 ならばある仕事が儲かる、儲からないという個人の基準だけで安易に仕事や商売をやめてはならないのではないかと気づいた。むろん、ほとんど誰も来ない金物屋で、近くに巨大ホームセンターができて、客の多くはそちらを利用するようになってしまい、店舗の家賃すら払えないような状況では店を閉めざる得ないだろう。しかしそこに役割があり、求められる限りは人はその応分の仕事、役割をできる限り続けていくべきではないのか。

 実業だけではない。音楽家には音楽家の役割、仕事があるし、詩人には詩人の、画家には画家の役割、仕事が確かに存在する。そしてそれは様々な形で社会のため、他者=皆のため、地球全体のために役立っている。いや、仕事とは本来そうあるべきだし、詐欺師や資本家のように人を騙しピンハネして金を得るような仕事は本来あるべき仕事ではない。

 仕事とはどんな仕事であろうとも結果として世のため人のためになっている。古本稼業だってそう。「商売」として成り立つかは当然問われるし続けていくためにも問題にしないとならないいちばん大事なことだが、「商売」こそ、商売でないもの、商売としない大事なことが何であるのか問い続けなくてはならない。でないと、金になる、金のためならば人は自らの肉体も売るしやがては金になるのなら人殺しでさえするようになる。

今後のこと、年内の予定などのお知らせ2013年10月10日 10時02分56秒

★ギター教室、フォーク講座も細々と アクセスランキング: 253位

 今日も晴れて朝から強い陽射し。秋10月も半ばとなるのにともかく暑い。朝から犬の散歩行って汗かいている。北陸のどこそこでは季節外れの記録初の猛暑となったと報じられていたが、やはり異常気象のなせるわざか。今頃になって真夏日が来ても困るが、それも地球の都合なので生き物は受け入れていくしかない。

 さて、景気が良くなっているはずの世相だが、いっこうに自分の周りでは景気のいい話は聞かれない。また誰かが入院しているとか、妻の具合が悪い、検査で腫瘍がみつかり再検査で憂鬱だとか届く知らせは歓迎できないものばかりだ。

 まあ、人生の黄昏どき、季節で言えば秋も深まる頃になってしまった我々世代では、今も元気いっぱい、バリバリやってるという人こそが「季節外れ」の異常なわけで、今はともかく静かに来たるべき冬にただ備えることしかできないかと思う。もう無理はできないし、無理すればすぐにツケがくる。

 今年も残すはあと二か月半。暮れになるとただ慌ただしいだけで何もできなくなるので、実質あと二か月と考えてどれだけ何をやるか、やれるかである。

 まず、今月10月の予定であるが、三留まゆみの映画塾9回目は、月末の日曜27日。素晴らしき八ミリ映画の世界とか言ってたと思う。時間などはいつも通り。残り少なくなってきたのでぜひお気軽にご参加頂きたい。

 そしてフォーク講座とギター教室。参加者が一向に増えず、結局確実に来てくれている方は一名という有様ではあるが、今月も19日、土曜日の午後、まずはギター教室をやってます。この日は公開日として、度棚でもお気軽に遊びに来られてもかまわない。また、今からでも誰でも気軽に新たにご参加大歓迎だ。

 そして、11月は、3日の文化の日、日曜に、初企画「無頼庵秋の詩朗読会」が開催される。東京近郊在住の気鋭の詩人たちと、ふぉーくシンガーも交えたポエトリー・リーディングの夕べである。果たしてどういったものとなるかまったく想像もできないが、まずは軌道にのせて季節ごとに年4回は続けていきたいと予定している。
 11月の映画塾の日程はまだ出ていないが、確定次第お知らせする。

 そして12月。今年もまたクリスマスの前後に、高齢の、いや、恒例の無頼庵年忘れフォークライブ忘年会を開催する。うたを唄ってくれる方は無料で飲み食いし放題なので、ぜひまたどなたでもご参加頂きたい。日程確定したらすぐ告知いたします。

 またその他、12月には恒例手作りキムチの会も予定しているので、まだ担当者と相談もしていないが、キムチづくりに関心ある方はこちらもご参加願いたい。
 それと、古民家再活用プロジェクトもある。来週またマス坊は山梨へ行ってくる。ヒマな方ご同行もかまわない。

 何だかんだ、あれこれいろいろあるが、無理せずに進めていけたらと願う。来年4月の消費税率アップ導入前に手に入れておきたいものもいろいろある。いずれにせよ必要備品のものは早く買っておかねばと考える。

 がんばりたい。

★どの企画も関心など少しでもある方は、このブログのコメント投稿し、貴方のメルアドかお電話番号などお知らせください。非表示ですので公開はしません。こちらから折り返し即連絡いたします。