変わるもの、変わらないもの、終わるもの、始まるもの2014年01月13日 22時05分46秒

中川五郎氏の手にしている楽器に注目!変わらぬ男の小さくとも大きな変化が見られよう
★人も町も含め改めて「時代は変わる」           アクセスランキング: 155位

 年が明け10日過ぎ、このところすごく冷え込む日が続く。
 夏の猛暑に厳冬というのが近年の傾向だから、ある程度予想はしていたが、この冬はいつもに増して寒い。この連日朝は氷点下、毎日この冬の最低気温を更新していた。
 ウチでは幸いにして家族は今のところ風邪ひいていないが、そろそろかという気がしている。まずこの自分が外へ出かけて風邪ひいてきて、しばらくして老親たちに伝染るというパターンである。まあ、ヘンに暖かかったりの後また急に寒くなるような寒暖の差が大きいよりも寒いなら寒いと安定しているほうが対処も覚悟もできよう。北国に比べれば、いや、古民家のある山梨の山郷に比べればこんなの寒いとは言っていられない。

 できるだけ人混みのところは避けてはいるのだが、昨晩のように、狭い濃密な空間で多くの人と過ごすことも時には避けられない。中川五郎氏をはじめ多くの人たちと出会えたその「新年会」は体調ももう一つだったので打ち上げでは長居せず、居合わせた楽四季さんと今後のことの打ち合わせも兼ねて早退させてもらった。遅くならないで帰れたのは正解だったと思える。

 が、久しぶりに付き合いで、ついアルコールを呑んだら、量は大したことなかったのにかなり酔ったようで、昨晩は眠りながら不安な思いにかられてうなされ不快な気持ちで今朝は目覚めた。
 のみ亭で、焼酎のお湯割りを2杯、その後、楽四季さんとラーメン屋でギョーザ1皿と枝豆つまみながら、ハイサワーを1杯。以前と比べれば地ならし程度の量でしかないが、体がアルコールを受けつけなくなったのか、付き合いだとしても呑んだことを後悔した。

 眠りながらもどこかに忘れものしたのではないかとか、何か失敗したことや気にかかる人間関係のことやらあれこれ眠りながらも次々考えていたようだ。この小心な不安神経症的内心は、どうやら酒が入ると一気に悪いほうへと駆られるようである。別に二日酔い的体調の不快感などは何もないのに、今朝方の精神的不快感と不安感は耐え難いものがあった。アルコールとは、そうした病む心には高揚させるどころか逆にダウンさせダメージを与えると気づく。

 こうした楽しい集まりの席だとしてももう体がそれを望みも受け付けもしていないのならやはり付き合いで勧められても断るにしくはない。クリスチャンとなったある方がやはり書いていたが、信仰生活に入るとどんな酒飲みでももうアルコールが欲しなくなるのだそうだが、果たして本当にそうなったか怪しくも思うところもなくはないものの、確かにもうこの体はそれを求めていないようなのである。たった三杯で夜もよく眠れなくなるのでは自分の酒飲み人生もやっと終わりを告げたようだ。少し残念な気持ちもしなくもないが。
 
 さて、そんな私ごとはどうでもいい。万物は流転する。すべては移り変わっていく。人も変わるし町も変わる。よって時代すら変わる。生物は生きていくため、生き続けるためには常に変わらないと生き永らえられない。環境の変化に対応できなければ、恐竜のように死に絶えていく。だからすべては嫌でも望まずとも変わる。赤ん坊は子供に、子供は少年に、少年は大人に、大人は老人へと誰もが常に変わっていく。
 ならば国も国民の意識も時とともに変わっていく。常に正しい良い方向へモノゴトは変わっていくとは限らない。逆により悪い、誤った方向へ加速度的に変わっていくことのほうが多いようにも思える。しかしそれもまた「変化」であり、その変化の先にまたさらなる変化が待っている。ならばその時々の変化に一喜一憂しても意味がない。
 
 振り返れば、自分は昔からほとんど何も変わらなかった。客観的に傍から見れば、若い時に比べ太ったり老けたり白髪やシワも増えたりもしたと思うが、環境も含めて内面、つまり心や考えは何一つ変わらなかった。それは変わらない、変わりたくないと自ら誓ったからではない。何事も非常に遅く、バカだから反応も鈍く、深い海の底のシーラカンス的に変化が遅く変わらなかったのだ。そうして何も変わらないまま、年だけはとって、あたかも玉手箱を開けた浦島太郎のような気持ちでこのところ生きていた。そしてやっと気がついた。やはり変わらなくてはならなかったのだと。
 このまま変わらずにいたら死んでしまうとようやく気がついた。むろん変わりたくても変わらない、変えられないことはいくらでもある。何だって思い通りにそう簡単に変わるはずもない。しかし、やはり全ては変わり人も変わるのだから、この自分も変わらねばならない。
 それは変わっていく時代に迎合ではない。適応と同時にもっと積極的に関わっていく、加担していくことでなくてはならない。そのうえでそのことからすべてがまた変わり意味をもってくる。そして個人的に「変わる」ということは、経済的「進歩」や「発展」はもちろんのこと、それ以前に人間としての進歩と上達であることは記すまでもない。

 長期的に見れば時代は良くも悪くもなりはしない。ただスピードを速めて大きく変わっていく。人類の歴史はまだこれからも続いていく。地球を破滅させてしまうか、世界をどう変えていくかはわれわれ一人ひとりの「変化」しだいなのであった。

 そして今様々なものが終わり、そしてまた新たに始まる。そうした時代にまだ生きている自分は今年こそ「変化」をテーマに新しい年に新しい人生をしっかり生き抜いていきたいと思う。
 全てが「終わり 始まる」。