1月の終りの暖かい朝に2014年01月31日 09時42分01秒

ここがマス坊の終の住処となる江草スタジオ(予定)
★「寸暇を惜しむ」の寸暇がとれなくて         アクセスランキング: 133位

 雨上がりの暖かい朝である。手袋もいらないほどの春の陽気となった。が、まだ明日から2月、立春を迎えようとも寒さはまだ厳しいかと思える。しかし、陽も強く陽射しも伸びて太陽さえ出ていればもう寒くはない。気が早いと言われようともこの冬も何とか乗り切れたという喜びがわく。

 今日で1月が終わる。大したことは何もできなかったが、ともかく忙しく慌ただしくいったい何をしていたのか一月が過ぎてしまった。このところブログも書いていない。書くことと書きたいことがないわけではないのだが。親たちがちょっと吐いたり下したり調子を崩したり、出かけることや来客もありあたふたしているうちにあっという間の一か月だった。
 寸暇を惜しむ、の「寸暇」がうまく作れず、腰据えてパソコンに向かえない日が続いていた。思うに、拙ブログは、そもそもツイッターの延長版のようなものであって、基本的に思い付きで書き出し、ときにそれが長くも膨らみもする。最初からテーマや内容がきちんと決まって書き出すわけではない。
 だから、そもそも発端が私的「呟き」のようなものであって、対社会的なことは何一つ視野には入っていなかった。しかし、さすがにこのところ人様にご迷惑おかけした先の「失敗」から学び、気軽に何でも思い付きで書いてはならないことと、書くからにはそれなりに吟味して慎重に書かねばと思うようになった。となると、以前はともかく今は「寸暇」があったとしても気軽に書けなくなった。つまり最低でも1時間は集中する時間がないことにはブログは書けない。そしてそれが今は作れない。

 まあ、下手な鉄砲を数撃つのではなく、もっと内容ある、真に発信すべき意義あることをしっかり書いていくべきだということなのだろう。基本バカだからいくらでもだらだら書ける。書くことが苦だったこと、ツライときなどまずありえない。もしブログ書いて金が入るなら一日中書き続けたっていい。故に、本当は毎日だって1年365日書き足すこともできなくはない。しかし、そんな当たらぬ散弾銃よりも、きちんと的に向けて狙い定めて乾坤一擲、渾身の一発を撃つべきであろう。自分も忙しいし、読み手である方々ももちろん忙しいはずなのだから。

 私ごとであるが、年が明け、春を迎えようとしている今、老犬バドは無事生きながらえて間もなく19歳にならんとしているが、人間たちのほうが老親二人ともまた癌が動き出したようで今年はまた慌ただしくなるような気がしている。
 昨年暮れの検査の結果、マーカー数値が上がってきていると連絡があったのだ。歳も歳だし、今さら再手術も含めて新たな治療などできないと考えるが、今まだ動けている状態が悪化していけば世話が増えこの自分の負担がさらに大きくなろう。
 まあ二人とも世の親たちよりずいぶん長く生きているわけだから、そろそろついに年貢納めのときが来たとも思うし、それが果たして年内の話か、来年なのかもまだわからない。来週、双方の医師と話して今後の「治療法」について相談してくる。
 いずれにせよ「最後」は癌によるものなのか、老衰によるものなのか渾然一体となり、人はともかく死ぬのである。願うのは当人も看る側も苦しまずあまり面倒な事態にならないで終われば幸いであろう。

 それと、先に記した、先週の日曜に予定していた山梨へトラック借りての本の大規模な異動は、けっきょく、天気が悪かったり諸般の事情が重なって中止となり、明後日、2月2日に決行することになった。が、またまた天気予報では雨とのことで、トラックの手配はしたが、どうしたものかと様子見ている。いちおう「社員」は声かけた。

 ともかく、今の気持ちとしては親たちが生きている間に、今まで中途半端な状態のまま抱えてきた「人生の不良在庫」のようなものは全部片づけてしまいたい。一人で生きていくためにも少しでも何事もスッキリさせたいと切に願う。そのためにもまず借りている倉庫を早く全部引き払うべく中の本類を山梨県北杜市へ「移動」させなくてはならない。

 たぶん、まだ先の話だが、自分は親たちがいなくなったら、その山里へ住まいを移して犬猫と共に一人で暮らしていこうかと思っている。
 そのためにも向うを快適に暮らせるよう手を加えないとならない。このブログなどはそうした「状況報告」となっていくかと思うがどうか宜しければお付き合い願いたし。