都民は都知事選へ必ず行こう!2014年02月01日 18時07分16秒

★何はともあれ選挙に行こう           アクセスランキング: 192位 

 都知事選の投票日が近づく。選挙のことなどあれこれ思うところ多々あれど、誰それがどうのこうのとふれないでおこうと思う。が一言だけあえて記す。

 自分の考えは告示前、先に書いた通り変わらない。ただ、週刊誌が騒ぐように、原発ゼロか推進かと原発問題を「争点」にしてしまうと、自公の推す候補が当選した場合、都民は原発推進を認めたと言い出す輩が必ず出てくるだろう。繰り返すがあくまでもこれは都知事選であり、原発の是非を問うための都民投票ではない。

 むろんのこと大都市東京から原発ゼロの都知事が生まれその流れを主導するようになれば日本も大きく変わっていく。そのことを期待し周りに投票を呼び掛けているが、都知事選の結果と原発に対しての都民の意志は同一と考えてはならない。都知事は都民の様々な願いの信託であり、都政の課題を担っていく。それができるふさわしい人を選ぶ。それだけのことだ。

 まして今回の選挙では、原発ゼロを掲げる有力候補が二人も出ている。そのどちらが本家かはともかく、その二人を前にして自公の推した候補が当選したとしても都民は原発推進を望んだという判断は成り立たない。これは先の名護市長選のような基地移設の是非だけが争点となったような構図ではそもそもないのである。

 政策論争に、原発問題を加えることは望ましい。しかしそれだけを唯一の争点のように考え扱う人たちの良識を疑う。その一点だけで都知事を選び他の課題、問題は一切フリーハンドで新知事に任せてしまうつもりなのであろうか。東京から発信していくべきことは原発問題以外にもたくさんあろう。

 何はともあれ、国政選挙は今後何年もまずないのだから、都民といえども「民意」を示せる機会がまたできたのだ。原発是非の判断よりも安倍自民党政権に対する審判という視点からも貴重な一票を無駄にすることなく投票所に向かおうではないか。
 都政と国政は違うという声もあろう。しかし、政治とはまず身近なところから意識を向けない限り大きな世界は変わらない。選挙とは義務ではないが権利であり、一人一人の意志を示すチャンスなのである。それを行使しないで人任せにしてしまうなんてモッタイナイ。

 こうした代理人型民主主義システムについては選挙制度も含めていろいろ思うところもなくはないが、とにもかくにも一人一人の一票でしか政治は動かないのだから、誰もが投票してきちんと「民意」を示そう。
 そのうえで動き出した政治の結果を負うべきは有権者であり、棄権者が多ければその政治はそもそも信任信託されていない。そうした国家的規模の「無責任」が今の異常な政治体制を作り出したのだ。ゆえに自公政権は国民の願いをことごとく無視し、異常な暴走をし続けるのである。
 今ならまだやり直せる。ともかく棄権することなく、考えてよく考えて本当に信頼できると思える候補者に貴方の一票を投じてほしい。

インフルエンザ家内蔓延中2014年02月04日 10時20分51秒

★寒さまだ厳しき折、皆様もご自愛ご注意ください     アクセスランキング: 213位

 2月に入って妙に暖かい陽気が続いていた。
 昨日は、今年一番気温が高くなり20度を超す5月の陽気とのことだった。が、今日は一転して、朝から冷たい雨がそぼ降り、予報ではこれから気温が下がって東京でも雪となるとのことだ。

 久しぶりにブログ更新する。私ごと、特に家庭内のことなど書きたくもないし書くべきではないと考えるが、実は今ウチは、親父に始まりどうやら皆インフルエンザに罹ったようで慌ただしくブログも書けなかったことをまずお詫びする。
 親父はこの数日、咳が出て騒ぎだし、もしかしたらまた誤嚥性肺炎かもと先の日曜日に立川のかかりつけ医院に急患扱いで連れて行った。熱もややあった。
 で、点滴入れて検査したところすぐにインフルエンザと判明し隔離され薬だけ出してもらい帰宅できた。幸い話題の特効薬タミフルが効くタイプのインフルエンザで咳がある以外、熱もさほど高くはなくひたすらじっと眠らせてようやく快方に向かっている。夕方になると微熱が出るが朝はもう平熱に落ち着いた。
 が、今度は母に伝染ったのか、今朝から下痢と脱力感で元気がなく、熱はまだ出ないもののとりあえず安静に寝かせたところだ。こういう自分もずっと軽い頭痛と怠さが続き、インフルエンザではないと思うものの風邪気味が続いている。

 先にも書いたが今年の我が家は病気の当たり年といった感じで、親父に至っては年明けからもう三回も急患扱いで病院にかかっている。最初は、餅ではないが食事中に何かが喉に詰まって、咳が出て苦しいとのことで、慌てて病院に行き掃除機のようなもので鼻からパイプを入れて吸い取ってもらった。それはすぐ解決して帰れた。
 二回目はノロウイルスではなかったが、生の牡蠣に当たったらしく、まず母が食べた晩にすぐ吐いて下して、次いで一日おいて父が同様の症状でやはり病院に連れて行き二人とも点滴するはめに。父のほうが回復が長引いた。

 そして、今回のインフルエンザ騒動である。まだ年明けて一か月が過ぎた段階で三度も病院通いが続くとはさすがにうんざりもする。ほぼ毎週その立川の病院へ、しかも体調崩すのは日曜に限ってのことで近所の系列の診療所が休みなので毎度急患扱いで行っている。
 寒いこともあるが、老犬バドの長引く介護などで老親、特に母も疲れが溜まってきて体調が弱ってきているのだろう。自分も心身に疲れが溜まってきている。まさに「辛酸佳境に入る」という気持ちになるときもあるが、まあ、人も犬も生きていること、そして老いて死に臨むということとはこうした経過をたどることなのだから大変だと嘆いても仕方ない。むしろ老親たちと皆共に暮らせていられられるのだから有難いことだと考えるべきであろう。

 さておき、今テレビなどでさんざん注意を呼び掛けていたインフルエンザ、まず親父が罹ったわけだが、予想外に症状は軽かった。熱も39度とかの高熱にはならないで、38度前後であったし、症状も咳以外は喉が痛くなるとか鼻が詰まるなどの風邪特有の症状は何もない。ただタミフルを朝晩呑ませてひちすらこんこんと眠らせておけば良いので介護側としては楽だった。ただ、周りにも感染るのでともかく安静に5日間は熱が下がっても薬を飲み続け外出は控えるよう医師から強く釘を刺された。

 ブログも更新できていない日は、いちおう書く予定のことについてタイトルだけは非公開で書き込んである。落ち着いたら書き足して公開したいと考えるものの、果たしてそんな「過去」に戻って書き足す時間がとれるだろうか。いつだって今とこれからだけで精いっぱい、アップアップの自分が。

 なにはともあれ、寒が戻ろうともう立春、春はもうすぐ。情勢も含めていろいろ大変だけれど気持ち新たに元気に頑張りましょう。

北の向い風よ我が頬を打て2014年02月05日 23時30分39秒

★誰も裁かない。もう何も怖れない      アクセスランキング: 155位

 昨日午後から降った立春の雪は大して積もらなかったので、今朝がたは道が凍るのを心配したが無事であった。しかしともかく寒い。今も室内で吐く息が白く見える。外には残雪が溶けずに残っているから仕方ないが風が冷たく今日は寒さが特にこたえた。
 一昨日が夏日を思わせる動くと汗ばむほどのバカ陽気だったのでこの寒暖の差で仕方ないが、ついに母まで夕方から熱が出てきた。父のインフルエンザが特効薬タミフルのおかげで治まってきたと思ったらやはり母に感染ったのである。

 この数日、親たちがそんな有様で、看護と家事に追われて自分まで疲れからか頭痛がして怠く、もしかしたらインフルエンザか?と案じていたが、今朝のあまりの寒さに逆に気持ちが引き締まって体調が戻った。やはり自分は妙に暖かいよりこのくらい寒いのが好きなのだ。

 この数週間、いろいろあってちょっと気持ちも萎えて心身ともに不調であった。「なにをやっても俺はダメだ」という気持ちにまた苛まれていた。でも今はようやく気持ちも立ち直ったと思える。
 俺の人生なのだ、ともかく全力で好き勝手に生きてやろうという気持ちが戻った。むろん、他者を傷つけたり裁いたりは二度としないと心する。何事にも常に慎重に細心でありたいとも思う。

 しかし自分の気持ちを欺き、高まる気持ちを抑えつけ自ら自分自身を無理に抑え込むようなことはしまいと誓った。誤解もされよう。バカにもされる。相手にもされず、たぶん誰からも無視されよう。嗤われ、全面的に否定され、愚か者どうしようもないやつ、あきれ果てたと詰られよう。誰からも相手にされない。

 でも自分だけはそんな自分を否定してはならないし誰からも愛されないならばこそ自ら愛さなければと思う。自分の味方は自分しかいないのだ。その自分までが自らに呆れて失望し見放してしまえばもうどこにも味方はなく、後は死ぬしかない。しかしそれでは自分が生まれてきた、生きてきた意味がない。どうしようもない人生だとしても最後の最後まで生き抜くことこそが使命だと信ずる。

 嘘偽り、隠しごとはしまい。愚直なまでにまず自らに正直にありたいしそうならねばならぬ。思ったこと、考えたことは自ら責任の範囲内で何でも発していく。行動していく。自分こそが正しいとか正義だとは考えない。ただ、人として「当たり前」だと考えることをやっていく。社会の趨勢には合わせないし関係ない。元より守るべきものなど何もない。

 もう何にも囚われない。何にも拘らない。何も怖れない。あれこれ不安に何も考えない。起こること全てを受け入れたうえで自らの信ずるところをやっていく。自分のような人間ができることはそれぐらいだ。死ぬまでの人生、悔いのないように生きたい。最初からイレギュラー、ならば死ぬまでイレギュラーを突き通せ。小器用に大人しく立ち回ろうなんて考えたってできるはずがない。

 冷たい北風よ、我が頬を強く打て。怠け呆けて安閑とした心に活を入れろ。これが今日、雪の残る朝の町を走って天から降りてきた「啓示」だ。

あえて書く、ならば私は宇都宮2014年02月06日 00時23分45秒

★皆さん、まずは投票へ、そして己が信ずる候補に一票を!     ランキング: 184位 

 他県に住んでいる方には関係もあまり関心もないことだろうが、東京都知事選もいよいよ終盤となった。今回の選挙では「革新」候補が統一できず、結果として自公政権が推す候補が優位に選挙戦を進めているとの予測である。そうした情勢にどうしても気分は沈みがちともなる。選挙に関して何かを発することはある意味、仲間内を批判、攻撃することにも繋がりかねず、選挙が終わるまで沈黙すべきかと考えていた。

 が、やはり思うところを出さないと気持ちがすっきりしないし悔いが残ると思える。他者の批判ではなく今思うところをそのまま書いていく。ご批判やご意見あればコメントをそのまま掲載します。これはあくまでもオレ、マス坊の私見である。

 日本弁護士連合会前会長・宇都宮氏と細川元首相という共に脱原発を掲げる有力候補が、政権与党の自公が支援する舛添氏と戦うという図式となった今回の都知事選、宇都宮氏に遅れて細川氏が立候補を名乗り出たときから「一本化」を求める動きが出ていた。そのことは当然であり理解できる。
 しかしそれが不調に終わったからといって、脱原発集会で宇都宮氏と共に壇上に立ち前回のときは氏を支持していた文化人、知識人の多くが今回は細川元首相支持に傾いたのが自分には不思議でならない。猪瀬前知事の圧倒的得票に対し百万票近くを得て次点となった宇都宮氏が今回も立っているのに何故に細川氏なのだろうか訝しく思う。

 元総理を支持する方々には彼らの思惑や算段もあるのだろうが、二者択一とした場合、要するに宇都宮氏より細川氏のほうが知名度があり、おまけに国民的人気のある小泉元首相もバックに付いているから当選しやすいと考えたのであろう。まあ、脱原発という観点のみ考えれば理解できなくもない気がする。東京から原発ゼロを発信できれば確かに日本の政治そのものが確実に変わる。脱原発論者たちの気持ちとしてはこれが最後のチャンスという危機感もあったのだろう。

 しかし、だからといって、原発ゼロを表明しているから細川氏の「過去」を不問にして良いものか自分はどうしてもできない。そもそも彼は首相経験者といっても非自民非共産の連立政権時代に剛腕小沢一郎に担がれて家柄の良さで総理大臣となった人物である。それもわずか一年足らずで佐川急便からの献金疑惑というスキャンダルで政権を投げ出している。では彼の首相としての「実績」は何かといえば、現今の自公政権を築いた小選挙区制という極悪選挙制度を導入した「政治改革関連法案」であり、民意が反映されず死票が多く大政党に有利という現行の選挙システム、および国民から税金として無理やり徴収し政党に与える「政党助成金」などはいわば彼の手によって成ったものなのだ。
 そんな人物はスキャンダルで失脚後、あっさり政治の表舞台から去り、最近では皇族に近いような華族、本物の「セレブ」である優雅な趣味人として知られていた。その人物を小泉元首相が都知事選へと口説きまたしても担がれて出馬となったのだ。

 小泉氏もだが、彼らが過去の自分の悪行を反省し悔い、真に回心しての「原発ゼロ」ならばマス坊も彼らを支持するのにやぶさかではない。今日の貧困と格差を生み出した「構造改革路線」について何ら反省もないのであれば、いくら脱原発を叫ぼうとその一点のみだけでは彼らを支持することはできやしない。それがまっとうな考え方ではないのか。過去のことは「過去」として過ぎたことだからとすべて赦されるものなのであろうか。

 脱原発都知事が誕生するかは確かに大きな争点であろう。しかしその一点だけで問題のある人物たちを担ぎ支援を呼びかけるのはやはり間違いだと自分は思う。これは彼らサヨク文化人、知識人たちの根本的判断ミスではないか。
 聞くところによると、細川氏が立候補を表明してすぐに、宇都宮氏側に立候補をとりやめるよう動いた方々がいたそうだ。細川氏側からそう申し入れしたとしても失礼な話であり、前回も立って次点となった方に一方的に降りろというのではなく、まずは二人で会談の場を設けてまず当事者間で妥協できるものか話し合うべきであった。そうしたセッティングもせずに、当選できそうだからという理由のみで細川氏支援を表明し一本化できなかった責を宇都宮氏側に負わせるとは理解に苦しむ。

 また、告示後選挙戦が始まり終盤となった今頃になって両候補に「一本化」を求める動きがあるようだが、正気の沙汰とは思えない。もしどちらかが今降りたとして期日前投票を済ませた者の票はどうなるのであろうか。これもまた有権者をとことんバカにしている。万が一でもそんなことが起きたら受け入れた候補は政治生命を絶たれるだけでなく後世まで批判されるだろう。
 脱原発という一点のみだけで選挙戦最中にどらちかが降りろと申し入れするとは、宇都宮、細川両候補に対して失礼であるだけでなく、まさに山積する都政の問題を投げ捨てて「原発問題」だけに都知事選を矮小化する異常な思考だと思える。この申し入れをした文化人たちは軽蔑されても仕方ない。

 細川氏を支持する文化人・知識人を代表してか、瀬戸内寂聴さんが2月4日の東京新聞夕刊紙上で、有力候補を支援者が語る「この人に託す」という欄に応じて「勇気と情熱に感激」という見出しで「細川候補を推薦」と写真入りインタビュー記事が載っていた。

 要約すると、彼女は原発事故後、「脱原発」を目指す市民運動にかかわってきたが特定の人の選挙を手伝うことはなかった。が、細川さんの決断に心を打たれて応援演説に駆け回っている、とある。
 付き合いのきっかけは、細川氏が震災後に立ち上げた財団法人から講演を頼まれたことで、同じく被災地の支援活動をしていた彼女も喜んでと無償で引き受けた。その後、しばらくして京都の自宅に細川氏がひょっこりお礼に来てその気取らない紳士的人柄に魅せられた。
 そしてその彼が突然、人もうらやむ生活をなげうって選挙に出た。それは「このままじゃ日本が不幸になる」という思いに突き動かれされて、人の幸せ、国の幸せのために、だと言う。その勇気と情熱にすっかり感激した。
 そして彼の年齢についての批判には「でも私なんて91歳、現役で仕事している。76歳の細川さんはまだ若い」として「私の命は細川さんにささげます。細川さんが勝てばきっとお子さんやお孫さんまで幸せにすごせる日本になる。私が保証します」と結んでいる。

 なるほどと思う。元首相細川氏は政治家としての過去の経歴はともかく人間的にはとても立派な人なのだと窺い知れる。あの寂聴さんが感激してそこまで保証するならば細川氏しかいないような気がする。高貴な方がやむにやまれず日本を救うために立ち上がったのであろう。

 しかし、ならば人間として人柄をみた場合、他の候補はどうか。
 自分の推す宇都宮けんじ氏は、細川氏のようにお殿様の家系に生まれて何不自由なく優雅な趣味に生きてきたわけではない。人権派弁護士として長らく弱者救済のためにその生涯を費やしてきた人だ。「反貧困ネットワーク」の代表や「年越し派遣村」名誉村長としても知られているしサラ金や多重債務者救済活動、地下鉄サリン事件被害対策、オウム真理教被害者救済などの弁護団長としても活動してきた。様々な市民運動の先頭にはいつも彼がいた。ほんとうに弱者の痛みがわかる立派な人だと頭が下がる。都知事にはそういう方になってもらいたいと自分は望む。

 思うに、文化人や知識人という人たちは思想は左だとしても知名度もあるのでそれなりに食えて仕事もあり本当の貧乏はしたことがないのであろう。誰がどの候補を支持、支援し推薦しようともそれはその人の考えで尊重すべき自由でとやかく言うべきではないが、本当に弱者や貧困層、庶民のために働いてきたのは誰であるかは貧乏に喘ぐこの自分がよく知っている。「人柄」だけ見ても過去の実績も含めて誰がもっとも庶民のために働いてきたかだ。
 寂聴さんの呼びかけの影響力に比べればまさに月とスッポンであろうともマス坊は、憲法と平和を守り、脱原発も含めて明日の東京を託せるのは宇都宮氏しかいないと保証する。
 しかしご判断と選択は皆さまご自身のお考えで。

 まあ、ともかく誰に入れようとまずは投票に行くことからすべては始まる。大切な一票を無駄にすることなく、よく考えて必ず投票に足を運んで頂きたい。一人一人の思いが集まって「民意」となるのならばあなたの思いをいちばん託せる候補は誰かということだ。民意が反映されない政治こそますます誰も選挙に行かなくなる。今、民主主義の危機的状況なのである。

今の日本人の知のレベル、人としての品位の低下を憂う2014年02月07日 10時53分28秒

★自分には他者をあれこれ言う資格はないのを承知で書く    ランキング: 135位

 筆者、マス坊もバカで愚かであるのだから他者の愚かな選択や誤った行動、おかしな発言を嗤ったり論うことはすべきではないと心している。しかし、今の日本の文化人、知識人、言論人、そして政治家のレベルはあまりに低すぎると思える。レベルが低いのは「知」に関することだけでなく、人としてのレベル、つまり人間性がちょっと異常なぐらい低くなっていると思う。
 昔の日本人ならば公人として、人前で絶対に口にできないようなことを臆面なくまさに罵詈雑言としか呼べない言葉を大の大人が公言している。しかもそれが教育を受けていない市井の人が酔ってくだ巻き仲間内で放言しているのとは違う。聴衆を前に公人として堂々と聴いているこちらが恥ずかしくなるような異常な、汚い言葉を発言している。

 こんなことを書くのは、近年、政治家、要人たちからの失言、妄言が目立っていたところに安倍政権誕生後、その公人としての立場を度外視した異常とも思える発言や行動が相次いでいるからだ。

 先のNHKの籾井新会長の1月25日の就任記者会見の席での「慰安婦は戦争しているどこの国にもあった」と容認するような発言は後ほど取り消したものの、常識的に考えても、個人的見解であったとしても公共放送の会長としてあの場で絶対に発してはならないものであった。一度口から出た言葉は、慌てて取り消したとしても映像に、文字に残り世界中に発信されてしまう。海外メディアもさっそく大きく報道しNHKの報道姿勢に疑念を持たれることとなってしまった。

 また彼は、特定秘密保護法についても「通っちゃったんでしょうがない。政府が必要だと言うんだから、様子をみるしかない。昔のようになるとは考えにくい」とNHKがこの悪法について報道しない理由を述べ、さらには「政府が右と言っていることを左と言うわけにもいかない」と放送法で記されている「放送の不偏不党、真実及び自律を保証することによって、放送による表現の自由を確保する」という理念をも放棄し時の政権に寄り添い従う姿勢を語っている。

 思想信条の自由とか個人的な意見や考えなのだから何を話してもかまわないという論は成り立たない。居酒屋や家庭内で仲間うちでの会話ではないのである。そういう考えの持ち主がNHKのトップにいるということが偏向を排し公平を第一に求められる公共放送では異常な事態であろう。まして就任の会見の場でそんな「私見」を語るとはこの人の常識と人間性さえ疑われよう。こうした異常な事態が今NHK周辺では相次いでいる。

 百田尚樹氏という昨今話題のベストセラー作家がいる。作品はあいにく未だ読んだことはないのだが、彼もまた昨年の11月にNHKの経営委員に就任した「公人」のはずなのに、先にツイッターで「私が都民だったら田母神俊雄氏に投票する」と書き込み問題となった。その行為もまた「放送の不偏不党」という理念に抵触すると思えるところに、あろうことか当人がその都知事候補田母神氏の応援演説に登場しマイクを握り演説の中で他の都知事候補を「人間のクズ」と評して新たな問題となっている。※2月3日、新宿西口での田母神候補の宣伝カー上での応援演説。

 ネットで流れていたそのときの演説動画はすぐに消されたらしくなかなか今は見れないのだが、三回?彼がした応援演説のうち候補が登場する前に約30分、彼の演説を見ることができた。内容は「放言」に近いようなもので思いつくまま好き勝手に彼の持論を興奮気味に語っている。彼の歴史観にも問題は多々あるが今はさておき。田母神氏を持ち上げ支持を訴えるのは当然のことだが、話の合間に何度も他候補を、実名は出さないものの「日本の(人間の?)のクズみたいな奴に投票するな」、(他の候補は皆)「テレビを見ているだけで人間のクズだとわかる」と言った「クズ発言」が口をついてくる。
 ちょっと耳を疑った。いやしくも作家の方なのである。そしてNHKの経営委員という「公職」に今いる人が、特定の候補者の応援演説にのぞみ他候補を何度も「クズ」と言い放っているのだ。非常識とか以前にどうかしていると思う。公衆の面前で他者を「人間のクズ」と断じることは許されるのか。恥ずかしくないのか。放言だとしても度が過ぎよう。

 また、この候補を支持しているやはり作家である元都知事も同様に他候補に対してあきれ果てるような罵倒を応援演説で発している。
「五輪を中止するというバカが都知事選に立候補している。もう1人、それを支えている、頭のおかしい元総理大臣。これは原発を全廃するという。どうやって原発をつぶすのか。つぶしたらどうなるのか。《略》 風評被害か何か知らんが、人間、センチメントに弱いから。感情的論で『原発が怖いからやめろ。全廃する』と。やめろ、やめろとバカが2人そろって。こんな人間に日本を任せたら、みなさんを養っている企業は死ぬ。電気は経済産業の血液だ。血液が止まったら心臓、頭も止まる。そして企業が死んだら人間が死ぬ。こんなことを東京の問題として持ち出して選挙をやるなんてバカな話だ」と、まさに「バカ、バカ、バカ」のオンパレードである。

 この男は以前からこうした「放言」を臆面なく繰り返してきた前科があるので今さらだとも思えるが、しかしいったいいつ頃からこうした「敵」と目した相手に対して罵倒としか呼べない汚い言葉を人前で平然と日本人は口にできるようになったのか。
 先日の国会では、共産党の志位委員長の質問のときに、ここで文字に出せないような非常識な野次、ヘイトスピーチに類するものが「共産党」である故に、与党?側国会議員の間から投げつけられていた。国民の代表、良識ある国会議員の品位はどこにいってしまったのか。少なくとも昔の政治家は対抗する敵方の士であっても礼をもって敬意を示して相対していた。クズとかバカとか、これは常識ある大の大人が、まして政治家が発する言葉ではない。子どものケンカとしか呼べない。

 いっとき「国家の品格」とか「女性の品格」とかいう言葉が流行ったが、思うに、今の日本人に一番欠けているのは他者に対する当たり前の礼儀、言葉に出すときの敬意であろう。まさに「品格」と「常識」が皆いい歳して足りなさすぎる。だからといって教育の場でまた「道徳」とか「愛国心教育」を押し付けろと言っているのではない。たとえ「敵」だとしても礼をもって接する。そんなことは世界中どこだって同じでかつての日本人はその美徳を当然のこととしていた。それがいつしか消えて厚顔無恥として嫌いな相手を汚い言葉で罵る。「愛国心」とかを口にする作家自らがそうした言葉を平然と使っている。作家こそがもっと言葉というものを大事に丁寧に使わねばならないはずなのに。
 彼らの発言は自ら人間性の低さを露呈し品位、品格を自ら貶めている。

明日2/9日は、無頼庵「春の詩朗読ライブ」2014年02月08日 10時35分07秒

★「詩」を今こそ生活の中に       アクセスランキング: 157位

 明け方から東京では珍しい粉雪が降り続いている。もうかなり積もった。一面の銀世界、静かだ。そして氷点下の寒さである。

 つい先日も今年初の少し積もるほどの雪が降ったばかりだが、今回は本格的で平野部でも明日朝まで20㎝を超すとの予報されている。今日は土曜日で出かけなくて良かったと思う方が多いことだろう。
 道路も一面の積雪で、車の数も少ないこともありチェーン巻かないととても走れない。この雪の影響が明日はどこまであるかわからないが、明日9日は、予定通りまたウチで、第二回目となる「詩朗読ライブ」がある。生活の中で「詩」をうたう活動に精力的に取り組まれている詩人たちが集う場となろう。飛び入りも歓迎。詩に関心ある方も門外漢もぜひ無頼庵へお気軽に遊びにきてください。

 ★春の詩朗読ライブ at無頼庵 

・日時:2014年2月9日(日) 開場午後3時 開演3時半
                           終演6時頃※休憩有り

・出演:無頼庵の詩人たち

・参加費:詩朗読ライブのみ¥1000.
 その後、午後6時頃より参加者皆での懇親会・飲食フリー ¥1000.

・会場:古本音楽ハウス 無頼庵 ※場所、行き方などは拙ブログにコメントください。非公開で確認後メールなどで返信します。JR青梅線で立川から10分、歩7分。

・問い合わせ&申し込み:無頼庵マスダ 090-8175-8479 ※繋がらない時は  宅電 042-541-6245

★では明日、足元も悪いかもしれませんが、どなた様もお気軽にお越しください。心よりお待ちしております。

都知事選の結果に思う2014年02月09日 23時57分07秒

★宇都宮氏と細川氏、どちらに大義があったか      アクセスランキング: 157位

 都知事選は予想していた通りに舛添氏が当選となった。今、開票率98パーセントの段階で彼は200万票を超えている。そして次点に宇都宮氏が97万、そしてその後を細川氏が93万で追っている。自分が支持してきた宇都宮さんの当選はならなかったが、低投票率を思えば実に健闘したと言えよう。今思うところを書く。

 今回の都知事選は、先に出馬表明していた宇都宮けんじ氏に遅れて細川元首相が突然出馬し、脱原発票が二分されてしまったことは言うまでもない。原発に反対する人たちが即革新とは言えないまでも再稼働を容認する自公側が保守だとすれば彼らは左翼であり、そこに対立の構図と争点は確かにあった。
 しかし、その革新陣営側が、宇都宮、細川と二手に分裂してしまった段階で、舛添氏の当選はまず間違いなく確定してしまった。何故なら今も高い支持率を誇る安倍自民党と公明党の盤石のタッグの前には、無所属を言いながら彼らの全面的支援を受けた舛添氏に各々個々で勝てるわけがない。せめてどちらか一人が降りたとすれば、勝てたかはどうかは仮定の話で意味がなくも、良い勝負にはなっていたことだろう。だから一本化を求める動きはある意味当然でもあったとは思う。

 しかし、一部のサヨク文化人、知識人たちは、細川氏の立候補を受けて何をしたかというと、まず宇都宮氏に、都知事選から降りることを求めた。このままでは脱原発票が二分されて舛添氏を利するだけだからと。
 理屈はわかる。しかし何故に宇都宮氏側が一本化のために降りねばならないのであろうか。前回の都知事選にも出て次点にもなった人が後から出てきた人に唯唯諾諾従わねばならない理由はない。

 そして、宇都宮氏が応じないとなると、彼らは「苦渋の選択」だとして、「細川氏のほうが知名度もあり、あの小泉元首相の応援もあるので宇都宮より当選しやすいから」と元首相を支援することに動いた。今その彼らの名前は出さないが、一年前の猪瀬氏が当選した時の都知事選では宇都宮氏を支持してきたはずなのである。反原発集会では共に壇上に座っていたと記憶する。何故に細川氏が出てきたとたん、宇都宮氏に降りろと言い、通らぬとあの小泉元首相がバックにいる細川氏を推せるのか。自分にはまったく理解できなかった。その選択、判断が正しかったかは、この選挙結果に現れている。彼らの理屈に倣えばどちらがより当選しやすいかだ。

 それこそ、この大雪後の投票日となり低投票率の中でも前回のときよりも得票総数も増やしている宇都宮氏だけで「革新」勢力が一本化できていたらもしかしたら互角の勝負となり宇都宮都知事が生まれていたかもしれない。後から突然ひょっこり原発ゼロを掲げて出てきた元首相さえいなければと考えてしまう。元首相を当選しやすいから、有名だからとそんな理由だけで「脱原発」のみで無条件に支援したサヨク文化人には猛省を望む。あるいはこれも小泉元首相の舛添氏を当選させるための田舎芝居だったのかとさえ勘繰ってしまうのは俺だけか。
 あまり自民党内でも人望も評判も良くない舛添ではもしかしたら当選は覚束ないかも。ならば「泣いた赤鬼」的に、細川さんには噛ませ犬になってもらい、出馬させれば「革新」票と組織は分裂するから安泰となる。そう深謀遠慮彼のことだから、偽脱原発というオレオレ詐欺を働いたのである。

 と、迂闊なことを書くとまた誰が読むかわからない。冗談はさておき、先にも書いたように自分は今回の都知事選の争点は「原発の是非」だけだとは考えてはいないが、少なくとも脱原発を掲げた有力候補二名の合わせた票が、当選した舛添氏とほぼ同数のところまで接近しているのだから、その「民意」を政府は重く受け止めなければならない。田母神氏はともかくも舛添氏は再稼働は公言していない。自民党のエネルギー政策をそのまま肯定もしていなかった。彼が争点にしなかった原発論争で、脱原発候補が二人合わせてここまで肉薄したのである。

 あまり大手マスコミでは取り上げなかったが、今月3日、「このままでは共倒れになる」と脱原発陣営の分裂選挙に危機感を抱く「脱原発都知事候補に統一を呼びかける会」なる作家や弁護士、ジャーナリストら19人が宇都宮けんじ候補と細川護熙候補に一本化を求めるアピールをし日本プレスセンターで記者会見を開いた。※選挙戦も終盤となって投票日直前にそんな呼びかけをすること自体正気の沙汰とは思えないがそれはさておく。

  会見では老ジャーナリスト、むのたけじ氏が開口一番、「社会党関係者、共産党関係者、組合関係者いませんか? おかしいな? おかしいよ」と声を張り上げ「人民の幸せのためにまとめることができない政党は(選挙後)、吹っ飛ぶと思います」と、批判したと、あるニュースサイトで読んだ。いったい何様のつもりなのだろうか。その言葉を彼らにそっくり返したい。
 「都民の幸せのためにまとまることができないサヨク文化人・知識人は(選挙後)、吹っ飛ぶと思います」。原発ゼロを掲げたからといって「小泉氏がバックにいる元首相を担ぐなんて おかしいな? おかしいよ」と声を張り上げて。

続・都知事選の結果に思う2014年02月11日 09時56分58秒

★98万票の「良識」が示す、僅かでも確かな希望        アクセスランキング: 129位

 都知事選が終わり、その結果について様々な動向分析や意見が飛び交っている。改めてもう一回だけ今回の、2014年の都知事選について思うところを書いておく。この選挙は今後の日本の原発問題も含めた「革新」勢力の運動のあり方を問う試金石となったと思うからだ。

 東京新聞の今日2月11日一面に、安倍首相が国会で、集団的自衛権の行使容認ついて「法案を提出」すると答弁したというトップニュースに並んで、東海村前村長で、「脱原発をめざす首長会議」の世話人を務める村上達也氏が都知事選の結果について都民を批判した記事が載っている。
 それによると氏は、東京新聞の取材に応えて、「極めて残念、都民は目先の経済だけを追い、歴史的な大きな間違いを犯した」「都民は東京電力福島第一原発事故を忘れ、平和憲法の精神を壊そうとする安倍政権を支持した。東京が日本を駄目にしていく」と強い口調で都民を批判している。

 自分も都民の一人として彼の言葉を重く受けとめるが、一点だけ諾することができない点がある。記事によると氏は、都知事選では、同じく脱原発を訴えた宇都宮氏を「脱原発の正統派」としながらも、「好き勝手しようとする安倍政権の暴走にブレーキをかけるには、勝てなければ意味がない」と細川、小泉両氏の元首相連合を支援した。
 宇都宮氏に「脱原発票が分裂した2012年の衆院選のように悲しませないでほしい」と訴えるメッセージを送り、「歴史的決断」を求めて、細川氏への一本化を要請したことを明かした、と記事にある。

 これもまた解せないというか、先のサヨク文化人たちの行動と同じく何度考えてもこうした「発想」が自分には理解できない。自分がバカで理解力が不足しているのかと自問さえしてしまうが、ならば誰か了解できるようにわかるよう説明してもらえないだろうか。

 選挙の結果が出た今も、舛添氏の大勝となった今回の都知事選について、宇都宮氏側に責を負わせる論が飛び交っている。むろん脱原発陣営が分裂したことが最大の敗因であることは間違いない。が、そういう意見を言う人は、細川氏が次点にもなっていないこと、宇都宮氏に約3万票も劣ったことに目が行かないのであろうか。
 これが、宇都宮氏が後から出て来て、先に出馬していた細川氏の足を引っ張り、さらにその得票が細川氏より劣っていたならばその意見も説得力を持つ。が、事態は真逆で、逆にどちらの勢力が後から足を引っ張ったのか、こんな分裂する事態を招いたのかわからないのが不思議であり不快でならない。

 むろん、脱原発候補が一本化でき、仮に細川元首相が「革新」陣営の統一候補となっていれば、ブームが起きかなりの確率で当選できていたかと思わなくもない。が、そのためには、まずすべきことは、一方的に宇都宮氏に「歴史的決断」を求める行動ではなく、脱原発以外の公約についてできるだけ一致点をみいだすため、両者の会談の場を設けるべく三顧の礼で足を運び「調整」すべきであった。本来それはこうした村上氏のような立場の方がすべきではなかったのか。

 宇都宮氏と細川氏、脱原発では一致していても他の政策では共通点はほとんどないように思える。もし「一本化」するとしてそのためにはまず双方がとことん話し合い「政策協定」が結べない限り「脱原発」一点だけではそれはできないしすべきではない。仮に脱原発と「安倍政権の暴走にブレーキをかけるには、勝てなければ意味がない」との理由だけで宇都宮氏が降りて、細川氏が当選し都知事となったとする。

 しかし都民の暮らしが石原・猪瀬都知事時代と何一つ変わらず、医療や福祉を切り捨てていくのであれば、宇都宮氏は断腸の思いであろうしその「歴史的決断」は未来永劫批判されよう。自分もこんな都民をバカにした話はないと憤る。だって都知事には原発をゼロにする権限はないのである。せいぜい道筋を示せるかどうかでしかない。脱原発論者であり都民の一人として、都知事選は原発の是非を論ずる前に、いや並んで喫緊の都民の暮らしの問題を争点とすべきだと考える。

 「一本化」のためには、原発以外の争点で両者がどこまで政策が一致ができるかが課題であり、その一致点をさぐることから始めるべきであった。それもせずに、脱原発は同じだからという極論だけで、お前、宇都宮が降りるべきだと言われたら、自分だって絶対に降りない。そんな無責任なことは人として、まして弁護士としてしてはならない。
 「脱原発」と安倍政権にブレーキをかけるということはとても重要な争点であったと思うが、都知事は脱原発も含め「都民の命と暮らしを守る」という義務がある。「一本化」を求めた方々はどうしてそこを詰めていかなかったのであろうか。その思考法が不思議でならない。脱原発という錦の御旗の前には都民の暮らしは二の次三の次だと考えるのか。

 マスコミの論調には、都民は原発問題を回避したというものもあったが、論戦としてすべきは「原発の是非+都民の暮らし」であった。それを小泉元首相的に東京新聞も含めてマスコミはワンイシューで脱原発だけを争点だと報じるから天候もあって投票率は伸びなかったのだと自分は考える。
 舛添氏の大勝はある意味、そうした政策のバランスが程よく、原発問題も含めて都民の信託を得る理由もあったと思う。しかし、10日付東京新聞夕刊の見出しに大きく踊ったように、宇都宮、細川両氏を合わせて『原発「即ゼロ」193万票~再稼働「待った」の民意』は舛添氏の得票に約17万と迫ったわけでとても重いものがある。安倍政権はこのことをはっきり認識すべき責務があろう。

 前回も書いたが、予想外の宇都宮氏の健闘を心から喜びたい。実際のところ私的予測では、前回の他の対立候補がない状況で得た得票と次点の位置よりも今回は細川氏と競合することもあり、まず票も減らし細川氏より下位となっても仕方ないとも考えていた。しかし結果は得票も率も前回時を超えてしかも細川氏を上回り再び次点となって「脱原発の正統派」としての「大義」を世に示せた。記録的豪雪の翌日という極めて悪条件の低投票率の中で98万余りの人々が示した「良識」を大いに歓迎したい。

 今回のような脱原発・革新的勢力が分裂した状況の中で、約百万人の都民が示した真に良識ある民意はこれからの都政と日本の政治を変えていく礎となると信ずる。ゆえに自分は今何も失望していない。結果としては舛添新都知事の誕生という結末となったが、日本のサヨク文化人、知識人の迷走で彼らの「本質」が露呈したことは今後の運動のあり方を考え直す契機ともなったので逆に良かったとおもう。自分も彼らに対して幻想や期待が消えて目が覚めた。この運動にリーダーはいらない。一人ひとり自らが動いていくだけだ。

 また田母神俊雄氏が得た61万票という得票を危険視、問題視する論調もあるようだが、自分は投票せずに棄権する輩よりはよほど彼に投じた方々を高く評価したい。ネット右翼だか何だか知らないが、これまで政治にはあまり直接的関心がなかった若者たちがこうして投票所に足を運ぶのはとにもかくにも良いことなのである。
 どのような主張であれ、まずは政治に関心を持ち投票に行くことからすべてが変わる。政治は動いていく。世界は変わる。この世でいちばんタチが悪いのは、政治的関心はあっても漠然とした不安や不満は抱えつつも政治的に冷めて、どうせ政治は誰がやっても同じ、自分には関係ないと嘯き常に棄権する人たちだ。結果としてこの国の民主主義はどんどん風化、劣化していく。そのことを一番憂う。

 熱くもなく冷たくもない。左でもなく右でもない。聖書にもそうしたどうしようもない者は神は口から吐き出すとある。

今月の「月刊 中川五郎」のお知らせ2014年02月12日 23時28分51秒

★ぜひどなたでも中川五郎の熱きライブへ      アクセスランキング: 152位

春はそこまで、あと少しの辛抱なのだけれど・・・2014年02月13日 09時19分25秒

超高齢犬バドおじさんは何思う
★辛酸佳境度の増した近況を記す        アクセスランキング: 135位

 今日もどんより曇り空。今にも雪が降り出しそうなほど寒い。週末はまた雪との予報である。
 この国に生まれ長く生きても来たので、冬とは二月が一番寒く雪も降ることはわかっていたし覚悟もしていた。が、この冬は、2月初旬に春一番が吹く頃のような暖かい日が続き、雪も降らずにやり過ごせるかとおもっていたところに、先日の何十年ぶりかの記録的積雪となり、おまけに以後ずっと天気も悪く気温の低い日が続いている。雪も公道はともかく庭や畑はまったく溶けていない。これでは冷凍庫の中で暮らしているようなもので当然寒い。大雪の後、連日ものすごく冷え込む。

 マス坊の寝室にはエアコンなどがない。昨晩は寒くてよく眠れなかった。山梨でもないのに、顔や頭が冷たくてどうにも熟睡できない。むろん電気あんかは最強にして、腹に抱きかかえたりして暖はあるのだが、布団から出て外に出ている部分が気温の低さで耐えられない。鏡を見ると花や耳たぶが赤くシモヤケ状態となってすこし痛かゆい。こんなことは久しぶりである。あまりの気温の低さに風邪でもないのに鼻水がだら~と垂れてばかりだ。

 このところ選挙のこととか公的なことばかり書いていたので私的なことを少し書きたい。
 親たちの風邪というか、インフルエンザ騒動は無事治まった。大して寝込むこともなく、一回病院で点滴打って、後は薬飲んでひたすら寝かせておいたら、わりとすぐに熱も下がり元通り食事もとれるようになった。ご心配おかけしましたが、たぶんこの冬はこれで乗り切れるかと思える。
 が、一年でいちばん年寄りの死ぬのが多いのは、二月、八月と言われるように、ウチと親しくしていた栃木の郷土史家の訃報が入り、本当は葬式に出向くべきところだが、親たちもまだ本調子でなくおまけにこんな気候なので断念した。香典は参列する親戚に立て替えてもらい弔電だけ打っておくことにした。

 その方、Hさんは、栃木藤岡町の町議会議員のかたわら、「旧中村の遺跡を守る会」の代表として長らく活動を続けてこられた。まあ、88歳というお歳であったから天命かとも思うが、残念でならない。自分の母方の出は、日本の公害闘争の原点、足尾鉱毒事件と田中正造で知られる、廃村を余儀なくされた谷中村であり、今も祖先の墓石は渡良瀬遊水地の岸辺に残っている。そうした遺跡を保存し過去の「闘争運動」を記録に残し語り伝える活動を続けられてきたのが彼であった。ずいぶん長らくお世話になった。あの世で田中正造翁からねぎらいの言葉を頂いていることと思う。かの地での様々な思い出と感慨が湧いてくるがそれは私的なことだから記さない。

 誰もが必ず死ぬ。自分は「生まれ変わり」などは信じないが、「来世」はあると思うし、「あの世」というか「天国」はあると信ずる。だから肉体は滅びても魂は永遠だと考えるのでこの世での別離は哀しく残念でもそれはそれとして受け止めていこうと思っている。大事なことはこの現世で、自らのためだけではなくどれだけしっかり、他者=隣人のため、世のため社会のために生きたかであろう。
 しかし、死に臨む者を抱える側としてはなかなか「死ぬ」だけでも一苦労というか簡単なことではないと思う。それは生=生きていることがともかく面倒なことだという証なのかとも考える。

 ウチの老犬バドが今年は19歳となろうとしている。去年の春ごろから自ら歩けなくなって、もうその夏の猛暑は越せないものと誰もが観念していた。ところが、夏を越し、秋が過ぎ、そして年が明けまた冬が終わりに近づく今もまだ生きながらえている。人間にすれば百歳は超えている。レトリバー種の大型犬の家系だと考えればまさにギネス級だと思う。すごい生命力だと感心している。
 この冬はともかく寒いので、暖かいぽかぽか陽気の日は外に出し日向ぼっこはさせてもあとは基本的に室内か玄関の中で毛糸のショールをかけて寝かせている。もう食事時以外はほぼ一日うつらうつら眠ってばかりだが、まだ歯もあるし何より食欲だけは旺盛で毎食しっかり食べる。それが長寿のヒケツだとわかるが、問題は下の世話である。

 以前は、朝夕、自らは歩けなくても人間が犬の腰にベルトを回して後ろ足を持ち上げてごく簡単に町内を一周させて用便を済ませていた。が、この寒さと雪も残る天候では外での散歩もままならないし、当人もこのところさらに体力が衰えてきてろくに歩かなくなってきた。
 仕方なく、一日に何度も様子を見計らっては室内から庭先へ、抱きかかえて連れて行き小便をさせる。当人も家の中でしてはならぬとわかっているので、したいときはもじもじ徘徊するのでそれとわかる。
 問題は大便のほうで、お尻もゆるくなってしまったのか、どこまでが当人の意志なのか、寝ていてもいつの間にか出てしまうのである。それも外に連れて行ったときにするならまだしも、室内で真夜中に小便と共に垂れ流したり、玄関に入れて寝かしておくといつの間にかウンチもしてあることがよくある。しかも当人はその上を這いまわったりしてしまうので体についたり床になすりついたりと大変な事態となる。
 正造翁は谷中村の苦境を評して「辛酸佳境に入る」と言ったが、このところウチもまた「辛酸佳境」度が増してきた。バドの体を拭き、濡れた床を雑巾で拭き、玄関のこびりついたウンチを削りとるときそういう思いがわいてくる。老ニンゲンもこのところ、謎のロシア人「クソチビリ・モラシェンコ」と呼ばれる有様なので、今は家中どこもかしこも糞尿臭が漂っている。情けない困った状況である。

 今、バドは夜は親たちと一緒に裏の部屋で、デロンギの効いた暖かい部屋で夜は過ごしている。しかし必ず明け方、用便に騒ぎ出し、親、つまり母が起きられれば外に連れ出すこともできるが、まだ暗いうちだとそのままにされてしまうので、糞尿まみれで朝を迎えることが多い。
 日中でも室内から外へ抱きかかえて連れていく途中で小便を垂らしたりとさすがに今までよりもさらに介護の手がかかるようになってきた。人間ならば施設に入れたり、アメリカ人なら安楽死させるレベルとなったという感慨がわくが、ともかくまだ意識もあり、当人もけんめいに生きているのだからこちらも頑張らねばと思う。もう20年近く共に暮らしてきた大事な家族なのだ。最後までこの家で面倒をみてやるべきであり、それができることは幸福なことであろう。

 しかし、反面その介護で人間も老人なのでかなり疲労困憊している。一番若いこの自分だって、腰痛と右腕の痺れが慢性化している。山梨の温泉に行ってゆっくり雪見ながら湯治をと願うが、バドとボケ人間の世話もあるのでなかなか出かけられなくなってしまった。
 いや、そうでなくても今行きたくても天候のせいで何回もキャンセルが続いている。いろいろ天候の都合もあって行きたくても行けないのだ。
 山梨の元の管理人と電話で話したが、向うは50センチの積雪だとのことで、急こう配の山道を上っていくその古民家へは怖くて行けないとのことだった。たぶん、チェーン巻いてても道は凍っていてかなり危険だと推測する。そんなで年明けに一回行ったもののこの冬は行きたくても行けないでいる。

 そんなでもう雪が解けて春にならない限りその北杜市須玉の古民家へ行くことは難しいのかなあと嘆いている。これでは、まさに「山小屋」である。雪の前に戸締りして春が来て雪が消えるまで行けないのでは半年間近く使えない。これでは本当に困る。しかし、そういう場所を選んでしまったのだ。それもまた仕方ない。
 逆に、無理して行って、大雪に見舞われたりしたら、春が来るまで古民家に閉じ込められて映画「シャイニング」状態となろう。それも困る。あれもこれもモノゴトがうまく進まず焦り苛立つがともかく春はすぐそこまで来ている。そう考えてあと少しの辛抱だとも思う。暖かくなればバドも外に出せるのでその世話ももう少し楽にもなろう。

 厳しき寒さはあと少し、どうか皆様もご自愛ください。