続・都知事選の結果に思う2014年02月11日 09時56分58秒

★98万票の「良識」が示す、僅かでも確かな希望        アクセスランキング: 129位

 都知事選が終わり、その結果について様々な動向分析や意見が飛び交っている。改めてもう一回だけ今回の、2014年の都知事選について思うところを書いておく。この選挙は今後の日本の原発問題も含めた「革新」勢力の運動のあり方を問う試金石となったと思うからだ。

 東京新聞の今日2月11日一面に、安倍首相が国会で、集団的自衛権の行使容認ついて「法案を提出」すると答弁したというトップニュースに並んで、東海村前村長で、「脱原発をめざす首長会議」の世話人を務める村上達也氏が都知事選の結果について都民を批判した記事が載っている。
 それによると氏は、東京新聞の取材に応えて、「極めて残念、都民は目先の経済だけを追い、歴史的な大きな間違いを犯した」「都民は東京電力福島第一原発事故を忘れ、平和憲法の精神を壊そうとする安倍政権を支持した。東京が日本を駄目にしていく」と強い口調で都民を批判している。

 自分も都民の一人として彼の言葉を重く受けとめるが、一点だけ諾することができない点がある。記事によると氏は、都知事選では、同じく脱原発を訴えた宇都宮氏を「脱原発の正統派」としながらも、「好き勝手しようとする安倍政権の暴走にブレーキをかけるには、勝てなければ意味がない」と細川、小泉両氏の元首相連合を支援した。
 宇都宮氏に「脱原発票が分裂した2012年の衆院選のように悲しませないでほしい」と訴えるメッセージを送り、「歴史的決断」を求めて、細川氏への一本化を要請したことを明かした、と記事にある。

 これもまた解せないというか、先のサヨク文化人たちの行動と同じく何度考えてもこうした「発想」が自分には理解できない。自分がバカで理解力が不足しているのかと自問さえしてしまうが、ならば誰か了解できるようにわかるよう説明してもらえないだろうか。

 選挙の結果が出た今も、舛添氏の大勝となった今回の都知事選について、宇都宮氏側に責を負わせる論が飛び交っている。むろん脱原発陣営が分裂したことが最大の敗因であることは間違いない。が、そういう意見を言う人は、細川氏が次点にもなっていないこと、宇都宮氏に約3万票も劣ったことに目が行かないのであろうか。
 これが、宇都宮氏が後から出て来て、先に出馬していた細川氏の足を引っ張り、さらにその得票が細川氏より劣っていたならばその意見も説得力を持つ。が、事態は真逆で、逆にどちらの勢力が後から足を引っ張ったのか、こんな分裂する事態を招いたのかわからないのが不思議であり不快でならない。

 むろん、脱原発候補が一本化でき、仮に細川元首相が「革新」陣営の統一候補となっていれば、ブームが起きかなりの確率で当選できていたかと思わなくもない。が、そのためには、まずすべきことは、一方的に宇都宮氏に「歴史的決断」を求める行動ではなく、脱原発以外の公約についてできるだけ一致点をみいだすため、両者の会談の場を設けるべく三顧の礼で足を運び「調整」すべきであった。本来それはこうした村上氏のような立場の方がすべきではなかったのか。

 宇都宮氏と細川氏、脱原発では一致していても他の政策では共通点はほとんどないように思える。もし「一本化」するとしてそのためにはまず双方がとことん話し合い「政策協定」が結べない限り「脱原発」一点だけではそれはできないしすべきではない。仮に脱原発と「安倍政権の暴走にブレーキをかけるには、勝てなければ意味がない」との理由だけで宇都宮氏が降りて、細川氏が当選し都知事となったとする。

 しかし都民の暮らしが石原・猪瀬都知事時代と何一つ変わらず、医療や福祉を切り捨てていくのであれば、宇都宮氏は断腸の思いであろうしその「歴史的決断」は未来永劫批判されよう。自分もこんな都民をバカにした話はないと憤る。だって都知事には原発をゼロにする権限はないのである。せいぜい道筋を示せるかどうかでしかない。脱原発論者であり都民の一人として、都知事選は原発の是非を論ずる前に、いや並んで喫緊の都民の暮らしの問題を争点とすべきだと考える。

 「一本化」のためには、原発以外の争点で両者がどこまで政策が一致ができるかが課題であり、その一致点をさぐることから始めるべきであった。それもせずに、脱原発は同じだからという極論だけで、お前、宇都宮が降りるべきだと言われたら、自分だって絶対に降りない。そんな無責任なことは人として、まして弁護士としてしてはならない。
 「脱原発」と安倍政権にブレーキをかけるということはとても重要な争点であったと思うが、都知事は脱原発も含め「都民の命と暮らしを守る」という義務がある。「一本化」を求めた方々はどうしてそこを詰めていかなかったのであろうか。その思考法が不思議でならない。脱原発という錦の御旗の前には都民の暮らしは二の次三の次だと考えるのか。

 マスコミの論調には、都民は原発問題を回避したというものもあったが、論戦としてすべきは「原発の是非+都民の暮らし」であった。それを小泉元首相的に東京新聞も含めてマスコミはワンイシューで脱原発だけを争点だと報じるから天候もあって投票率は伸びなかったのだと自分は考える。
 舛添氏の大勝はある意味、そうした政策のバランスが程よく、原発問題も含めて都民の信託を得る理由もあったと思う。しかし、10日付東京新聞夕刊の見出しに大きく踊ったように、宇都宮、細川両氏を合わせて『原発「即ゼロ」193万票~再稼働「待った」の民意』は舛添氏の得票に約17万と迫ったわけでとても重いものがある。安倍政権はこのことをはっきり認識すべき責務があろう。

 前回も書いたが、予想外の宇都宮氏の健闘を心から喜びたい。実際のところ私的予測では、前回の他の対立候補がない状況で得た得票と次点の位置よりも今回は細川氏と競合することもあり、まず票も減らし細川氏より下位となっても仕方ないとも考えていた。しかし結果は得票も率も前回時を超えてしかも細川氏を上回り再び次点となって「脱原発の正統派」としての「大義」を世に示せた。記録的豪雪の翌日という極めて悪条件の低投票率の中で98万余りの人々が示した「良識」を大いに歓迎したい。

 今回のような脱原発・革新的勢力が分裂した状況の中で、約百万人の都民が示した真に良識ある民意はこれからの都政と日本の政治を変えていく礎となると信ずる。ゆえに自分は今何も失望していない。結果としては舛添新都知事の誕生という結末となったが、日本のサヨク文化人、知識人の迷走で彼らの「本質」が露呈したことは今後の運動のあり方を考え直す契機ともなったので逆に良かったとおもう。自分も彼らに対して幻想や期待が消えて目が覚めた。この運動にリーダーはいらない。一人ひとり自らが動いていくだけだ。

 また田母神俊雄氏が得た61万票という得票を危険視、問題視する論調もあるようだが、自分は投票せずに棄権する輩よりはよほど彼に投じた方々を高く評価したい。ネット右翼だか何だか知らないが、これまで政治にはあまり直接的関心がなかった若者たちがこうして投票所に足を運ぶのはとにもかくにも良いことなのである。
 どのような主張であれ、まずは政治に関心を持ち投票に行くことからすべてが変わる。政治は動いていく。世界は変わる。この世でいちばんタチが悪いのは、政治的関心はあっても漠然とした不安や不満は抱えつつも政治的に冷めて、どうせ政治は誰がやっても同じ、自分には関係ないと嘯き常に棄権する人たちだ。結果としてこの国の民主主義はどんどん風化、劣化していく。そのことを一番憂う。

 熱くもなく冷たくもない。左でもなく右でもない。聖書にもそうしたどうしようもない者は神は口から吐き出すとある。