三留まゆみの映画塾終了式2014年02月23日 14時08分44秒

卒業写真で塾長を囲んで勢ぞろい
★また次の「物語」へと繋がっていく       アクセスランキング: 146位

 今日は日中は穏やかに晴れてボカボカ陽気。日向にいると汗ばむほど暖かい。ようやくこれで一気に残り積もった雪も溶けるかと期待する。

 昨年2月から月一開催で始まった無頼庵での「映画塾」は今日でとりあえず予定していた1年間が終わった。事情で一回休止した月もあったので、今日を入れて一年分12回が終わった。長いようにもあっという間のようにも思えるがともかく予定通り続いてそして無事盛況のうちに終わって本当に良かったという感慨がわく。いくぶんの寂しさと共に。
 今ざっと場の後片付けを終えて零時近くに記している。

 自らの過去を振り返れば様々なことをやってきた。どれも金にならない趣味道楽の類であるが、たいがいが思い付きで始めて楽しそうだからがきっかけなのだが、たいていが苦い思い、それも人間関係での失敗で終わる。もし続いていることが「成功」の証だとするならば、成功したことはまずほとんどない。仕事も恋愛も道楽も含め自分の過去はそうした「失敗」の墓場、死屍累々、振り返れば苦い思い出ばかりが並んでいる。※たぶんその原因は自分の性格破綻だと思うし、どうして人とうまくやっていけないのかと悩みもするが、今さらそれを苦にしてどうしようとかあれこれ悩みはしない。それこそが「自分」なのだ。仕方ないではないか。生まれてすみません、である。
 
 常に結果は「失敗」となるのならば、もうそうした他者との、他者をも巻き込んでの活動行為は一切やめにして、一人で山里の古民家にこもって、誰にも会わずに好きな音楽をレコードで聴いたり、下手なギター弾いたり好きな本を読みふけったりして残りの人生を費やそうとも考え、じっさいに今その方向にレールを架け替えつつある。
 ただそれは社会的にも認められ家庭も築き終えた者ならば経済的にも家庭環境的にも可能なわけで、今はまだ老親がいるが、やがては一切の係累を持たないこの身としては野たれ死は覚悟したとしてもやはりこれからも、いや老後こそ他者と嫌でも関わるしかない。そう、人は一人では生きていけないのである。

 孤独、寂しさというものは群衆の中に居ても感じるものでもあるが、やはり現実的に誰とも会わないと人恋しくなって頭もおかしくなっていく。奇人永井荷風も人間関係を厭い、晩年はその発見された孤独死まで一人暮らしを続けていたが、浅草に通ったりそれなりの道楽、享楽は「外」から他者との交わいから預かっていた。
 これが木彫りとか陶芸、版画など、一人で時間かけて打ち込む芸術ならば、山奥で一人でいる環境は望ましい。が、自分のやりたい趣味、道楽はそうした類ではなく、あくまでも他者とのコラボのようなものなのだ。まったく矛盾している。
 人間嫌いのくせに寂しがりやというのは頭がおかしいのであろうか。

 映画塾は、そんな自分が思いつき、始めたことで唯一成功した企画であった。興行的には、トントンどころか、基本的に持ち出しではあったが、最後のほうは毎回アルコール類も奇特な参加者からは差し入れもあり、まあ何とかやりくりはできた。有難いことである。そもそもが自宅で商売でなくやっていることなのだから多少の持ち出しは覚悟の上だった。※これが毎日、いや、たとえ周一でも家計は破たんしていただろうが・・・

 それでも塾長である三留まゆみさんにもきちんと毎回参加者に応じて参加費分のギャラは全額払えたし、何よりも毎回常時十数名の参加があることはすごいことだった。それは彼女のコネクションと人気人柄に負うことは間違いない。自分ならばどれほど豪華な顔ぶれを集め必死に宣伝しても木馬亭程度のスペースをも満席にできないのであるから。ろくに宣伝も告知もしていないのに、「三留まゆみの」と謳うだけで人が集まる。それは素晴らしいことだ。よってこの企画は珍しくも「成功」した。ならばもっと続けていけば良いではないか。

 だが、さすがに毎月一回でも必ずとなるとやや疲れのようなものが溜まってくる。他にも別の企画が入っていると月に2回、時にそれ以上の回数の来客があると迎える側としては心身共にしんどくなっていく。
 映画塾の場合、単に場を空け設営さえすればあとは何も関わらず料理だけ作って提供するだけとなるから他のイベント、自分が進行役までも兼ねる企画に比べ格段に楽であった。それでも家というものはすぐにゴミやガラクタが溜まり薄汚くもなるので、人を迎え入れるためには当然ながら掃除したりあれこれ後片付けも含め事の前後に作業が伴う。買い出しもしないとならない。当日は楽できても準備には相応の時間もかけなくてはならないしかなり時間とられる。もっと構えずに自然体でやれたらと願うがこればかりは毎回愚図の大忙しで開催の当日になって慌てふためく。

 まったくの悠々自適で、暇を持て余している身ならともかく、親や老犬たちの世話やその他の道楽も抱えていると月一でも定例が続くとなるとやはり一年間が限界であったかと思う。まだ気持ちは何も屈託するところないが、そもそもが「道楽」とは捉えていない企画としてうんざりや憂鬱になる前に終えられて良かったのではないか。そう、ある意味自分にとってやりたい「道楽」とは違ってしまったからこそ逆に続いたのかと今思える。人間関係も個々に深くならなかったから面倒に至らないですんだのかもしれない。

 すべてのことは実際にやってみないとどうなるか、どういうものなのかはわからない。「結果」は事前に想定はできてもその通り同じには絶対にならない。
 映画塾も自分が当初目論んでいたものとはだいぶ違ったカタチになってしまったが、それはそれで仕方ないし逆に良かったと心から思う。願わくば三留以外のルートで、つまり自分の関わりの方からもっと参加者があってほしかったがそれも我が身の不徳、致し方ない。全ては終わり良しである。

 何よりも嬉しいのは映画塾という企画から、ここ無頼庵が出会いの場として参加者同士が結びつき、また新たな活動の芽が出てきたことだ。参加者が自ら率先してまた別の場所を舞台にスピンオフ的に映画塾をやっていこうという動きも出てきた。むろんゲストとして三留も関わり既に先日下北沢のスナックでそうした集いがあったそうだ。これは本当に嬉しい。
 また、三留自身もこの映画塾が話題になってまた人脈も広がり地方から呼ばれて出張映画塾に出向いたり、仕事も増えてきたようだ。
 とりあえず一つの役割を終えた気もするし成果も確かにあったと言えるのではないか。ちょうど良い潮時であった。テレビドラマでもどんなに人気があろうと番組改編期には「あまちゃん」でさえも終了する。ならば当初からともかく一年間は、という目安で始めた映画塾がここらで終了というのは最良の結果での頃合いであろう。むろんまた不定期に「特番」は企画して超マニアックな映画オタクたちの元気な顔をまたみたいと願う。

 薪ストーブを使うようになって三年目の冬。もう火加減も含めてどう調整するか自在に火を使えるようになった。それでも今もいちばん苦労するのは最初の火付けの段階で、紙屑から割り箸などの小枝、そして薄い板、さらに本格的な太い薪へと段階的に火を大きくしていくことにもっとも苦労、腐心する。紙はすぐ燃えるが、そこから木材へ火を移らせるのがなかなか難しく、一回ではなかなかうまくいかず数回紙屑に火をつける。小枝に火が移りそれが燃え出し薪の塊まで火が移ればもう安心。薪は自ら燃え続けあとはこちらは減った薪を加えていくだけで何も心配いらない。
 何事もすべての「運動」もこれと同じだと思う。最初はなかなか火がつかない。下手すれば火がつかないうちに根気切れで断念する。商売だってそうだ。始めたものの三か月もしないで撤退する店が後絶たない。

 自分が三留まゆみと謀って火をつけた映画塾は幸いに今、火が付き燃え始めたところだ。もう自分はここでその管理をしないで良くなった。あとはこの火が消えることなく更に大きく燃え盛ることを願うだけだ。そしてたまには自分もその火に当りに行こうと思う。また、薪が必要となれば薪を持って駆けつける。

 とにもかくにも一つの物語が無事終わった。参加者の皆さん、ご支援頂いた方々、ありがとうございました!