改めて⒈から出直し、やり直し2014年04月01日 20時34分12秒

★今日から4月、誓い新たに。        アクセスランキング: 154位

 消費税8パーセントの新しい世界が始まった。
 近くのスーパーに夕方寄ったが、昨日までの賑いは嘘のように客は少なくガラガラで、陳列ケースには売れ残った食べ物が山積みであった。まあ税率アップ前の異常な駆け込み需要の直後だから当然であるが、果たしてこうした状態がどれほど続くかだ。
 とうぶんの間こうした消費の落ち込みは続くだろうし、家計を預かる自分としても冷蔵庫の中も食料棚も満杯なので今月は買い物などしなくともやっていけるかと思う。だいいちあれこれ買い溜めに金を費やしたので生活費が尽きた。米とかインスタントラーメンなど乾物、麺類も食べきれないほどある。人を集め、料理を出すイベントさえなければ夏まで老人三人家族は家にあるものだけで生きていけるような気がしている。全てが新しい段階に入った。もう金など当分使わず爪に火をともすようにしてわずかな蓄えを増やしていくつもりだ。

 さて、4月。
 毎年新年になるとそれなりの誓いを立て、今年こそはと意気込むが1月は正月という弛緩しきったスタートから始まるせいか、なかなかエンジンがかからず寒いこともあって何もできないまま誓いはすぐに頓挫してしまう。そして気がつけば春となって早くも今年も四分の一が過ぎてしまっていた。
 そして、新年のときよりもここですべてが終わり、すべてが始まりすべてが変わった今、今日からこそが真のスタートだという気持ちでいる。もう去年から引きずっているものは何もないし不安も心配事ももはやなくなった。今心は、波のない海のように亡羊、いや、茫洋とした静かなものとなった。哀しみや怒りははその海の底に沈めた。
 やるべきことは多々あるしやりたいこともいくらでもある。が、もう焦りも諦めも苛立ちもしない。ようやくもうすべてが見えてきたしわかってきた。
 今までずっと何がしたいのか何をすべきなのかもよくわからなかった自分だが、もうようやくそれもわかった。
 これまで人と関わり人に振り回され人の都合で常に動かされてきた。これからはまず一番に自分のことを考えて真に自分勝手に自由にやっていこうと誓った。
 むろん他者から請われればできることならば何でもしよう。人の為に生きてこそ人。その気持ちは何一つ変わらない。ただそろそろ自分の人生をきちんと確立しないことには自分もこのままでうっかり死んでしまう。そうなったら死んでも死にきれない。
 全ては親たちを看取ったらと考えていたが、下手すれば自分のほうが先に逝く可能性もあるように思えてきた。ならばそんな悠長なことは言ってられないので早く自分の人生をカタチにしないとならない。

 恥ずかしい話、自分は何もしていないのだ。きちんとした就職、社会人、結婚生活、子育て・・・これから世間並みにできることと言えば親を見送ることぐらいで、けっきょく他のこと、世の人たちがしてきた、わかっていることは何一つ知らずに、つまりわからないままなのだ。そんな人間が何ができる。何がわかる。何も知らず何もわからないままではないか。
 そう気がつき、自問してまず自らの無知を知った。そしてそのうえで、そんな人間ができることとすべきことを考えてみた。

 これまではずっと試行錯誤、無計画と気の赴くまま、収拾のつかない混乱の最中で一人で大騒ぎしてきた。そこから何かが見えてきた気もしていた。だが、何一つモノにならず誰からも相手にされず金はないのに金を使いまくり人を傷つけ、自らもまた傷ついて手痛い目にあい自らを苛んでいた。
 そんな風にして気がつけば何一つできずわからないまま歳だけとって老人の域となってしまったのだ。人生をやり直すにはあまりにも歳をとりすぎた。それでももう昨日までの自分にはうんざりなのだ。そして人生をやり直すよりも生き直したいと願う。
 今さらだが今日、四月一日から、また⒈から出直し、やり直したいと強く思う。エイプリルフールの嘘話ととられてもかまわない。どこまで本気か、行動で示していく。

 何も知らない、何もわからない、何もできない人間が、何ができるか。それを見せていく。
 そうでもしないことには、先に逝った仲間たちに申し訳ないではないか。いつも思うのは本来真っ先に死ぬべきは自分なのだ。

青息吐息でも生きていける2014年04月02日 21時44分30秒

★三年目の丸山ワクチンと癌治療        アクセスランキング: 177位

 ちょっとまた私ごとというか母のことを書く。先にもふれたことなのでその報告である。
 
 マス坊の母は、3年前の3月3日、卵巣が原発と目される癌の部位の摘出手術をした。とったのは大腸の一部で腸が結着してしまっていて、それで下痢や便秘となって物が食べられなくガリガリに痩せてしまっていたのだった。そうした経緯も確か拙ブログでは過去に「報告」してきたはずだ。

 幸い手術は成功し、あの3.11は立川の病院の入院ベッドで迎えた。というわけで手術後もう3年が過ぎたということになる。
 癌の部位は外科的に摘出したはずだったが、もうかなり進んだ癌でもあったので、全身にもちらばってしまっていたので担当医も言ってたが、とても全部はとりきれなかった。だから手術後の対策が問題とされた。
 案の定、すぐに三か月後ぐらいでまた再発。そして抗がん剤を月一で投与して幸いにしてそれは効果があり、癌マーカーの数値も下がり今に至っている。
 以前、PETという、最新の癌などの異常細胞はカラーで映し出される検査もしたが、やはり白く点々と癌の部位は肺とか内臓のあちこちに今もあることは確認できたが、それらはあっても活動していないということであった。

 これは自分の考えなのだが、癌というものはそもそも病気だと考えてはいない。それは単なる悪性の細胞の異常であり、正常の働きをしない細胞が歳と共に増えていくだけのことだと思える。
 おわかりのように細胞というのは常にコピーされてその情報を次へと伝えていく。が、紙のコピーでも、長い間コピーを繰り返し重ねていくと、途中で汚れが入ってオリジナルのそれとは違ってしだいに汚くなっていくのは誰でもわかる。つまりそうして細胞の情報が狂って伝えられたものが癌だと考える。
 じっさい、癌ではなくても、老人は耳から毛が生えてきたり眉毛が異常に長く伸びたりおかしな容貌を示す。それらは若い人はありえないから要するに間違った情報が旧い細胞から次のコピーされる細胞に綿々と伝えられてそんなことになるのだと思える。じっさい耳に毛が生える意味は全くないのである。老人特有の皮膚のシミなども同様ではなかろうか。
 耳毛やシミでは人は死なないが、癌細胞は面倒なことに一度大きくなると血液の流れに乗って全身に転移していく。そしてその地でまた肥大していく。癌は正常な細胞を犯し、しかも正常に仕事しないから結果として人は機能不全で死んでしまうのである。

 丸山ワクチンという「薬」がある。癌治療にきくとされているが、正しくは癌を退治する特効薬ではなく、単にその人の持つ免疫力を高めて異常細胞を小さくさせていくという効果があるとされている。マス坊の母は、再発後、抗がん剤治療と並行して同時に今までその丸山ワクチンを続けている。
 立川の医師たちの反応では、おそらく今も「丸山ワクチン」の効果は半信半疑で、果たして癌に効いているのか怪しく思っているように思える。じっさいこの薬の「効果」については未だきちんと認定されていなく今も臨床実験の途中とされている。が、現実の話、癌患者の多くがこのワクチンによって癌が縮小したりと「効果」がはっきりあり、ウチの母もおかげで今も無事生き永らえているのだと断言する。

 病院から勧められた抗がん剤の投与が終わり、毛髪は抜け頭はつるつるになったものの、母は無事退院でき日常生活も送れるようになった。そして以後も週に3回、つまり月火水、もしくは火木土と、その立川の病院の関連した診療所に通ってはワクチンを注射してもらっている。※このワクチンは病院では処方してもらえないので、患者自らで毎月注文して病院に持っていき、注射だけ看護婦にお願いして打ってもらうのである。

 そんなふうにして2011年から2014年へと三年の歳月が過ぎた。母は以後、丸山ワクチン以外の「治療」は何一つしていない。が、定期的な検査では再発した癌の部位は縮小しエコーなどの検査では確認できないまでになった。が、癌は手術後、一時期は消え良くなるが、約3年ぐらい過ぎるとまた活動を開始し、そうなると結果としてもはや手術もできず薬も効かず、清志郎をはじめ多くの貴重な命を奪ってきたのは周知の事実でもある。
 その危惧は漠然とあったが、やはり去年暮れの定期検査でマーカー値が少し上がってきたと担当の女医から知らされ、今年に入って血液の再検査とCTを撮って結果を待っていた。マーカー値が上がったというとはまた癌が動き出したことを意味しているのである。どこかに転移しそこで大きくなってきたのではないかとあれこれ考えてしまった。

 結論だけ言えば、幸いにして、血液の数値は暮れの検査と変わらなかったので、以前よりは上がったのは同じであるが、このまま特に新たに何か治療はせずに、様子見ですむこととなった。CTによる画像検査でも特に新たに確認できる癌はみつからなかったとのことである。ほっとした。
 最悪の場合、今年はまた定期的に入院して抗がん剤治療を再開となりまた新たに忙しくなることも覚悟していたので、裁判で言えば、無罪放免ではないが、執行猶予のついた判決が下ったようなもので、ひとまずは安心である。次回の検査は6月末とのことだ。そのときも新たな異常がないことを願う。※新たに何かあればまた記していく。

 丸山ワクチンは開始して3年目以降は、週に2回へと減らされていく。じっさいのところ、今のほぼ隔日ごとの病院通いは大変で、病院が混んでいるときなども多々あり下手すれば午前中はそれだけで潰されてしまう。そのワクチン注射で生き永らえているわけだから文句は言えないが、病院通いも週に2回になればずいぶん楽になる。
 いずれにせよ、とりあえず今のまま母の件は現状変更はなくなった。ただ、老犬の介護の問題もあり、真夜中に起こされたりと睡眠不足でまさに気息奄々、疲労困憊なのも事実であり、どうしてものかと頭を抱えもしている。しかし、青息吐息でもとりあえずはまだ生きていけることが今回確認できた。ならば自分のこれからの予定も組み直せる。父の方、ボケも甚だしいが、それもともかく現状維持でやっていける。

 長くなったが、という「報告」だけしておく。ご心配をおかけしました。これでまたがんばります。そのうえで、丸山ワクチンの効果は確かにあることを改めてここに記しておく。むろん、効く人と効かない人も、効く癌と効果の現れない癌もあることも確かだとしたうえでの話である。

今月は詩朗読ライブが29日にあります。ぜひご参加を。2014年04月03日 15時47分28秒

★詩朗読デビューも果たしたい。       アクセスランキング: 213位

 昨夜からの雨がしとしとと降り続いている。花冷えというのだろうか。少しうすら寒い。夜には薪ストーブを焚こうかと思う。

 親たちはデイサービス、今一人で家にいる。こんな雨の日は気持ちも萎える。そんなとき亡くなられた、先に逝かれた人たちのことが誰彼と思い浮かぶ。自分よりも年上の方はともかくも思い出すのは皆年下の、突然の訃報に驚愕した人たちばかりだと気づく。
 あの世があろうなかろうと、彼らとはもうこの現世では会えないのだから、哀しみは哀しみとして残念だがそれはそれで仕方あるまい。自分ができることは彼らの分までもしっかり生きて、もし再会できたときは「それからのこと」をあれこれしっかり語り示したいと思う。ならば鬱々としてはいられない。生きているかぎり精いっぱい頑張らねばならない。

 今月の無頼庵の企画は、29日の火曜日祝日、昭和の日に、三回目となる詩朗読ライブを予定している。
 詩の朗読というと、うたや音楽のライブに比べてなかなか一般的関心は低く、参加者と出演者の度合いが限りなく近くなる。つまり普通のライブでは、出演者<観客であるわけだが、詩朗読の場合は、常に、出演者>観客という図式となってしまい、ときには出演者=観客の場合も多々起きる。つまり出演側=詩人たちしか集まらないということも日常的であるようで、それはそれで無意味ではないと思うが、願わくば一般的観客、つまり聴衆が何人かはいてほしいと強く望む。

 むろん詩と詩作、そして詩朗読という行為について関心のない方が来られてこのイベントを通して刺激を受けてやがては自らも詩作を始められたらいちばん理想的でありそんなことがもし可能ならばと夢想もする。
 実はかく言う自分も詩に関しては読むのはともかく、朗読という行為について以前は全く関心がなかった。だが、京都在住のオーラル派詩人・有馬敲氏と関わりを持つようになり、そうした場に出くわして詩朗読会という形式に興味を抱いた。
 そして彼から紹介された東京在住の詩人たちとはかってウチ無頼庵でも定期的にそうしたイベントを開催していこうと考えた。次回で三回目となるわけだが、まだ軌道に乗るどころか試行錯誤の真っ最中でもあるし、どうしたらもう少し観客を呼べるほどエキサイティングなライブにできるか課題も多い。が、何事もじっさいにやってみて、続けていく中で動きも出るし見えてくるものもあるはずだから、観客の多寡にとらわれることなく続けていきたいと考えている。

 そして前回のフォークソングライブでの唄い手デビューにも懲りずに、私、マス坊も詩朗読デビュー、つまり詩人デビューを今度こそ果たしたいと考えている。何であれ場数を踏むことが肝要だとアドバイスも受けた。拙い者ではあるが、いくつかの自作詩も用意して人前で詩を読むということはどういうことなのか、まずはこの身で実体験してみたいと考えている。

 乞う、ご期待!とはとても言えないが、ともかく拙い身だが 自分の今 を示せたらと考えている。ぜひお気軽にご参加ください。ご笑覧たまわりたい。

またすこしだけお休みします。2014年04月04日 22時39分52秒

このところ思い考えることがあれこれあって、心の処理がおっつかない。心療内科にかかろうかとも考えもしたが、せいぜい薬出してもらうしか手はないのはわかっているので、行っても仕方ないと考える。だったらアルコールに頼るほうが安上がりだろう。
 特に鬱々とはしていないが、あれから妙な苛立ち、焦燥感が常にある。そこに睡眠不足と頭痛、倦怠感にさいなまれている。なので家庭内でも些細なことについ声を荒げてしまう。いったい自分は何に怒っているのか。どうしたことか。

 やるべきことは山ほどある。何をすべきかもわかってはいる。心静かに、粛々とやっていけば良いだけなのだが、頭ではわかっていても心は簡単においそれと割り切れない。

 さいわい今月は前半はわりと暇である。しばらく一人家にこもって心の整理をしていきたい。人とはどう関わるべきであったか、何をすべきだったのかもう一度自問したい。
 申し訳ないがブログさえも書くの辛いときもあるのだ。ご容赦願いたい。

死者は生者を裁きはしないが。2014年04月06日 11時41分20秒

★死者に対して生者が抱く罪悪感について考えた。   アクセスランキング: 146位

 変な夢を見た。昨晩は、例によって午前2時頃に、しかもうなされて目が覚めた。よく覚えていないが嫌な不安な思いだけが残る悪夢を見ていた。昔付き合いのあった、先年病死した後輩の女性が出てきた。それからしばらく暗澹たる思いで(そう、この「暗澹たる」という言葉は生前のT氏がしばしば電話で口にしていた言葉だった)、その夢の示すことを考えたりしてしばらく起きていた。死者はまだ自分を赦してくれていないと思えた。

 それからまた寝直し、断続的に目覚めてはまた寝ることを繰り返し今朝は日曜ということもあり8時過ぎまで惰眠を貪っていた。
 その明け方頃に見た夢では、何度か訪れたことがある東村山のT氏のアパートに自分は来ていて、並んでいる郵便受け口の名札を見たらまだ彼の名前があった。それは301とか310とかで、なんだ、彼はまだ生きてここにいるではないか、部屋が変わったからハガキが届かなったんだとと安堵し、その部屋をたずねようと考えた。

 夢の中のことだから変なのは当然だが、現実の彼のアパートの部屋は昔ながらの外に鉄製の階段がかかっている二階建ての軽鉄筋の二階角部屋で三階なんかない。が、夢の中では新たに立て替えられたような小綺麗な高層のマンションのような建物で明るいエントランスを入って内部の階段で各室へ上がっていくようだった。で、各部屋のドア横にあるルームナンバーをたどったのだが、まるでガウディの建物のように各室ごと段差が不揃いについていて、らせん状の階段を上がっていくらしいのだが階ごとの差がその建物にはきちんとない。しかもナンバーの順番もランダムすぎてどこに目当てのT氏の部屋があるのかもわからない。
 結局、探したが彼の部屋301だかはみつけられないまま夢から覚めてしまった。しばらくベッドの中でその夢の意味を考えた。そして思った。おそらくそこは今彼がいるところ、天国かどうかはわからないが、死者がとりあえず入る待機する部屋なのではないかと思えた。だから訪ねても会えるわけがなかったのだと悟った。むろん夢の話でしかない。

 よく大災害とか大きな事故、戦争などで多くの人が死ぬと、生き残った者が死んでいった者たちに対して負い目を感じて申し訳のなさ、すまなさで自らを苛むと聞いてはいたが、確かにそうした気持ちは誰でもが持つのだと知った。
 冷静に考えれば不思議な心理だと言うしかない。死とはたいがいが不慮の突発的な出来事であり、殺人事件のような直截的関わりの時以外は人は他者の死に責任は負わないはずだ。人の生き死とは個々の事情でしかなく関わりもまたそれぞれの事情が優先される。ある人生が死によって終わったとしても他者はそこに何の責もおうべきではない。むろん悲しみや驚きは当然あるがそれは付随してのことで生者は死者に煩わされてはならないはずだと考える。そう理屈では割り切れる。

 が、自分の場合、いや、これは自分だけでないと思うが、普段はお気楽にすっかり忘れているのだが、亡くなった人たちは自分をまだ赦していないという思いがずっとしている。むろん、此方に対して何か憎しみや恨みがあるのならおそらく枕元に立ち恨みつらみを述べたり祟ることだってしてくるはずだろう。そうせずに、何一つこちらにその「存在」を示すことがない死者たちは、あっけらかんと現世から去ってしまったとしか思えない。もう何もこの世に思い残すことはないのだと思いたい。

 しかし、人の気持ちとしては、生前の果たせなかった今も悔いている不義理や彼らが死に臨んでいたとき、苦しんでいた最中に、何もできなかった、何一つしてあげられなかったという苦い思いが古いワインの澱のように心の底のほうに溜まるばかりだ。そして彼らは死に、この世にはもういないのに、彼らより無価値な自分が臆面なく未だ生きながらえているという申し訳なさが膨らむばかりでどうにもやりきれない。ほんとうに申し訳ない。

 死とは常に他人の問題であり、当事者にはなれないとよく言われる。「当人」になったときはもう死んでいるのでこの世にはないのでもはや関係ない。その意味で人は生きている限り死なないし、死とは常にヒトゴトでしかないわけだが、だからこそこうした死者に対して「後ろめたさ」と申し訳なさ、遺された者の「罪悪感」を感じるのであろうか。
 いや、やはりもっと精一杯、真剣に彼らと関わるべきであったのだと思わざる得ないし、そうしなかったからこそ遺された者たちは常に、もっとあれこれしてあげれば良かった、何かもっとできたことがあったのではないかと悔い思い悩むのではないか。理屈では割り切れても気持ちはなかなか収まらない。それは時だけが癒すことができる。

 過去は戻せないし死者たちも戻らない。ならばこそこの苦い思いを抱えて教訓としてこれからの死者に臨むしかない。やがては誰もが死に、地上は誰も知らない誰とも関係のない人たちだけとなる。そのうえで今はささやかな関わりが持てた人たちと丁寧に、関わりを大事に大切にして余生を生きていきたいと願う。

 誰もが老いた今、これからも永遠の別れと葬式が続く。いつかまた皆であの世で出会い再会を喜ぶ時もあると信ずるが、まずはこの現世での出来事と関わりを大事にしてあの世へとつなげていきたい。
 誰に対しても思いを残すことのないように、自分自身もまたせいいっぱいじんせいを生きていこう。それしか道はない。そしてこんな我をも憐み心配してくれる人たちがいる。実に有難いことだ。
 生者にも死者にも幸多かれ。魂の平穏を。

書くことでしか救いはなく道もない2014年04月07日 18時14分03秒

★改めてお付き合い願います。       アクセスランキング: 198位

 結局、今さらだが、自分には書くより他に救いはないことを改めて思い知った。ブログは少しお休みすると書いたことを撤回したい。

 人それぞれ何を生きる糧、術とするかは違うだろうが、自分の場合はやはり「うた」や音楽、本などの以前に、こうしてブログでも何でもともかく「書く」「書き記す」ほかに自らを律し気持ちを整える術はない。書くことでしか救われない。
 むろんそれは個人的に日記でもよいのだが、やはりこうして誰かに、不特定多数でも「読み手」を想定し書く、発信するという行為こそが心の安定、魂の平穏には欠かせないと気づいた。読み手がいようといまいと書けば楽になるのであった。
 また勝手な、どうしようもないことをだらだら書いていくことになるとは思うが、そうした次第なのでお時間のあるときで構わないので今後ともぜひお付き合い願いたい。

 そして、様々な事態を受けて今思うことは、やはりどのような形であろうと人と関わりを持つことは良いことだという確信だ。どんな結末になったとしても他者と関われたことは良かったのである。
 もとより、人のために何かできるとか、してあげるなんて思うのはおこがましく、僭越至極であろう。人のためには基本何もできないと知るべきであった。しかしだからといって自然界の動物のように人間一人一人が個々別々に自分のことだけしか考えないのであれば人は人でない。人のために何もできない、役に立たたないことを知ったうえで、人と関わっていくしかない。そしてそのうえで、起こったことは良い結末も苦い結果でも関われた点それだけで良かったのである。

 正直な気持ちを書くともう誰とも付き合わず関わらず一人きりで古民家にこもって残りの人生を費やそうと思うときも多々ある。しかし、友人の死を受け止めて今思うのは、改めて人ともう一度きちんと関わっていこうということだ。いや、関わらねばならない。何もできない、何の役にも立たない自分であるが、請われたり何かの折には良き「隣人」としてできるだけのことはしていきたい。

 そうしたことを経緯も含めて拙ブログで書き記していく。長いようで短い人生、袖振り合うのも他生の縁、ならばどうかどのような形でもお付き合いください。関わりをもっていきましょう。

日帰りで桜満開の山梨へ行ってきた。2014年04月09日 20時47分30秒

★全てを吐き出して再スタートだっ!       アクセスランキング: 200位 

 今日は桃と桜満開の山梨へ行ってきた。また大工のカワムラさんのトラックを借りてだ。
 実はそのトラックが間もなく廃車となるので、使える日数が少なく、この火水なら空いてると急に連絡があった。で、急きょまた茨城から「社員」氏を招いて昨日の夕方から荷積みして今朝早く出て向うには泊まらず今回は温泉にも入らず荷物だけ下ろして早々に帰ってきた。社員氏は昨晩ウチに泊まってもらった。
 で、駅前の居酒屋で彼と久々に呑んだ。二人で焼酎のボトルを1本空けた。彼はすぐ寝て酒もまったく残らなかったそうだが、自分はかなり酔い久々のアルコールということもあってウチに帰ってからもとことん吐いた。

 先にも記した亡くなったT氏とは数年前に茨城県笠間の里山カフェ「どんぐり」がオープンした時にウチの車で遊びに行ったことがある。向うでは社員氏の家に泊めてもらった。だから、T氏とは直接の友人ではないが、彼のことを社員氏も存じていて二人で思い出を語り彼を偲んだ。そうしてとことん呑んで酔っぱらって思いのたけを全部吐き出してようやくすっきりした。
 社員氏を寝かせてから犬たちと近くの公園に行き、公園のベンチで少しだけ泣いた。泣きながらまた吐いた。これでようやく気持ちは収まったと思う。

 ゆく年くる年があれば行く人来る人もいる。生きていても疎遠になる人もいれば死んで久しいのに今も身近に感じている人もいる。様々な関わりがあり、我々は同時代を共に生きている。どのような形であれ、彼と関われたのは良かったし有難いことであった。それもまた縁であり定めであったのだと今思える。
 そしてそれが残念な結果の別れとなってしまったわけだが、時間は戻せない限りそれもまた仕方のない、どうしようもないことなのだとようやく心は定まった。彼のことは忘れてはならないし自分も生涯忘れることはないはずだが、それはそれとして徒に心を苛みあれこれ思い悩むのは意味がない。あの世でT氏自身もそれを望みはしないはずだ。 

 前を向いてやるべきことを粛々とやっていく。ときに迷い立ち止まるときなどはTさんのことを思い出し、彼ならばどう思うか、アドバイスしてくれるか問いかけていこうと思う。そんな風にして人は生きていく。彼らの分も遺された者はさらにしっかり生きて行かねばならないのであった。

 春爛漫。今がいちばん穏やかな良い季節。暑くもなく寒くもない。世の中は日々悪化していくが、人生も今がいちばん良い候として丁寧に大切に味わっていきたい。

たかが3%、されど3%、消費税増税を憂い憤る2014年04月10日 18時08分55秒

★この税金はそもそも欠陥がある  アクセスランキング: 194位

 4月1日から、消費税がとうとう8%に上がってしまった。むろんこの増税に自分は心から反対であるが、今さら某政党のポスターのように、増税ストップと叫んだってまったく意味がない。何しろ政治の場で決まってしまったことなのである。それは再度国会の場でない限り覆せない。それよりもこの増税に賛成した政党に鉄槌を下すべく増税勢力、それはつまるところ改憲や原発推進勢力と同類なのだが、彼らの非道を強く糾弾していくべきだと考える。

 さておき、増税前の駆け込み需要、買い溜め、買い置きで消費はかなりがくんと冷え込むかと思えたが、街のスーパーなどでは見る限りさほど変化はない。それはモノの値段とは別に+消費税というカタチで別に支払う形式が多いからあまり物価が上がった実感がないのだろう。
 報道によると、高額な買い物はかなり落ち込みが目立つそうだが、食料品などはさほどではなく、コンビニなどではほとんど変化はないとのことである。コンビニ利用者などの層では3%の増税など生活様式に影響を及ばさないということなのか。

 ただ個人的には、レジでの支払いでは以前予想出来た額より当然ながら支払総額が増えて、慌てて財布の中をかき集めることとなる。買い物する身としてざっと総額を考えてレジに並ぶのだが支払いは千円程度の買い物でも感覚としては常に+100円ほど余計に払うようになった気がしている。まあ100円につきたかが5円+3円増えたに過ぎない。しかしそのわずか3%がかなり面倒かつ大変な事態となってもいる。

 自分はネット古本販売業として本の発送ではヤマト運輸や郵便局を利用しているのだが切手代など郵送料、配送料はけっきょくこれまでの消費税を込みにしていた額に新たに数円~10円単位で3%分が加算されるようになり煩雑かつ面倒で仕方ない。
 切手も数円単位で値上がりしたのはご存知かと思うが、郵便局から450円で送れた本が460円に、500円のレターパックなども510円となった。格安で本が送れるヤマトも、80円のメール便が82円に、160円が164円にと、常に1円玉を用意して行かねばならなくなった。むろん、Amazon側が支払う配送料も増税分アップして、本ならば250円が257円になったが。

 まあ、こうして外側に増税分が付くのなら面倒でもまだ理解も納得もいく。問題はJRの切符運賃のように、あきらかに便乗「値上げ」というやり口もありパスモやスイカ利用者にはきちんと円単位で対応しているのに、自分のようにそれを使わない者だけが常に過分に消費税を支払うことになったのが納得できない。本当にバカにしている。
 近くのラーメン専門店は650円のラーメンが4月から680円になっていた。そもそも飲食店はたいがいが内税方式でやっていたから、増税分を1円単位で加算は難しい。結局、10円単位で便乗?値上げとなっていく。

 ただそうして値上げが簡単にできる店は良い。あるいは外税方式に変えられるところは。近所の安売りが名物の団子屋は、4月からも増税分は売値に加算されなかった。つまり値段も支払う額も前のままである。こりゃ助かると思い、先日、みたらし団子を買った。あの、しょうゆと砂糖の甘辛いタレがかけてある焼き団子ですね。
 そしたら何か前と違う。何か物足りない。気がついたのはそのタレがかなり減っていてだから味が物足りなく感じたのであった。前はたっぷり余るほどそのタレがかかっていたのだ。確かに値段を上げないとならばどこかで原価を削らねばやっていけない。その店がやったのはそうしたことで、たぶん鯛焼きのようなものならば中のアンコを減らすとか、あるいはサイズをいくぶん小さくしていくとかしか策はない。

 増税後も値上げできない、つまり増税分を価格に転嫁できない小売店などではそうした工夫をするしかないのだった。 しかしそれでは顧客は離れてしまうだろうし、かといって、いちいち1円単位で新たに出費を客に課すことも面倒至極である。つまるところ小売店では泣く泣く自腹切るしかないのではないか。一方、便乗的値上げや、総額表示をやめて外税方式に変えたところも多々ある。

 いずれにせよ、この税金は国民一人一人が支払うわけだが、正しく徴収されているとはとても思えない。アベノミクスバブルで浮かれて金回りの良い一部の層はたかが3%は痛くもかゆくもないだろう。しかし、その3%で悩み苦しむ人たちも多々いるのである。ともかくも街の商店、弱小の小売業などでは価格に転嫁しずらいし、生活保護、年金生活者層はこの増税でさらに生活は苦しくなっていく。

 いったい政治家とは誰のタメに誰の得になるように政治を為しているのか。本当に国民が目覚めない限り、貧乏人は餓死していく。この国の政治は弱者をイジメ、金持ちたちのタメに動いている。まあ、自公政権、および 民主党らに一票を投じた人たちは自業自得だが、そのツケをこちとらは共に支払いたくない。

超悪質な詐欺メールにご注意を2014年04月12日 10時39分45秒

★一見、誤送信の善良なメールに見えるが  アクセスランキング: 239位

 マス坊は、以前迂闊にもブログ上で自らのメルアドを公開してしまったので、日々膨大な量のスパムメールが送りつけられている。
 あらゆる胡散臭い商品や怪しい金儲けの情報、健康器具類、健康法、もしくは赤の他人のこちらに高額な遺産を相続してほしいなどという詐欺の手口から雑多限りないメールが日々届き心底うんざりしている。
 が、今さらメルアドを変えてもまた面倒なので確実に時間とられつつも日々消去に追われている。溜まると大事な連絡も不明となるしスパムを消すだけで何時間も時間が奪われる。いろいろな対策ソフトも試したが、あまり厳しく除去してしまうと今度は必要なメールが届かなくなったり後で迷惑メールのフォルダを確認したりとまた面倒なことになる。だからこれはネット社会では仕方なくついて回ることなのだと諦めている。
 が、以下のようなメールが届いたら貴方はどう思うだろうか。

隆文へ

元気にしてますか?お母さんです。突然のメールでごめんなさい。
あなたの携帯がつながらなかったので、川口君に連絡先を聞いて
メールしました。

お父さんが仕事中で事故に合い、今記念病院に入院してます。
仕事忙しいと思いますが、よかったらお見舞いに来て、顔を見せて
あげてください。

左足の骨折ですんで本当によかったです。ただもうお父さんも歳
なので元気づけてあげてください。きっと喜びます。

あと佐々木君が来月に結婚するそうです。招待状を送りたいので
あなたの新しい住所を教えて欲しいと言ってました。

とにかくメールをみたら一度お母さんに連絡ください。

平日はパートに行ってるので、17時には家にいます。


 題名は、「母さんです お父さんの件です」とあり、どうも息子の隆文君へ、連絡取れずにお母さんが困ってメールを送ったのが何ゆえか当方に誤送信されたと考えてしまう。

 当初、相手方に、マスダというものですが、ウチに、隆文君あてのメールが間違って届いてますよ、と知らせる返信をしようかと考えた。郵便ならば誰だってそうするだろう。が、冷静に考えれば、どうしてこれがウチに届くかである。その友人の佐々木君がマス坊のメルアドを教えるとは考えにくいし、まあ、お父さんのケガも大したことないようなので、気になったがほっておいた。
 そしたら本日また文面が全く同様のメールが届いた。差出し人は下の名前は同じだが、苗字が違う。ゆえにメルアドも異なる。タイトルも少しだけ違う。ようやく確信した。これは超悪質な、人の善意に付け込んだメルアド集めのスパムメールだったのである。うっかり「返信」すれば向うからまた何か送りつけられるし貴方のメルアドは売買されてしまう。

 一度貴方のメルアドが世間に出まわれば当方と同じく日々わけのわからないスパムメールが大量に届くようになる。この世の中は詐欺といかさまでできていると説いてきたが、どうかこれ以上、安倍政権とアベノミクス同様さらに騙されないようご注意願いたい。とりあえずこのことだけ記しておく。
 本当にこの世の中は悪意に満ちている。無辜なる善意の者がこれ以上騙されないことを心から願う。

ようやく見えてきた。すべてがわかった。動き出していく。2014年04月13日 21時35分56秒

★今日でようやく解き放たれた。       アクセスランキング: 120位

 年明けてから三か月と半月。厳しい冬と死に囚われていた陰鬱な日々を抜けてようやくだが今日から人生が動き出した感がある。

 これからの予定が出そろった。ただでさえ生活が苦しいところに消費税増税でますます大変な時代となったが、気落ちすることなくこれから精力的に動いていこうと思う。ようやくすべてが出そろった。皆さまご心配とご迷惑をおかけした。

 まず出かけるライブ等の予定であるが、今月4月は、

・18日の金曜に、西荻のみ亭でのさこ大介ソロがある。時間は午後8時から、マス坊は打ち合わせ兼ねて出向く。

 それと今月の「月刊 中川五郎」は、最近の雑誌傾向に倣い前回に続いてさらに豪華付録が付き、何と「シバ&西島寛二」が共演となる。本誌よりも見応えがあるかも(笑)。これは必見だ。
・「月刊 中川五郎・4月号」は27日の日曜日 @青梅線河辺駅南口駅前W・サルーンで。

 さらに何の宣伝もしていないが、拙宅無頼庵では29日(火・祝)に、「春の詩朗読ライブ」がある。自分マス坊も拙いながら詩朗読デビューを性懲りなくカクサクしている。果たしてどうなることやらだ。※今回の三留カレーは、「映画塾」のスピンオフがその日、下北沢の赤星氏の店であるとのことで出ない。そちらに関心ある方は彼女にアクセスしてほしい。

 そして風薫る5月は、無頼庵の目玉企画、そのシバの無頼庵初登場ソロライブが17日の土曜日に決定している。当日は、彼の焼き物の展示販売も行う予定なので、新進陶芸家三橋氏のワークスも見られるかと思う。おそらくフォークシンガー初の「焼き物フォークライブ」であろう。マス坊は彼のうたの大ファンであるが、それを差し引いてもその陶芸作品は素晴らしい出来だと断言する。ともかく一度お気軽に手に取ってほしい。
 
 日時は前後するがその前の5月6日には、南武線谷保駅前のかけこみ亭で、おなじみ館野公一とさこ大介の初の共演ライブがある。これまで無頼庵ではちょくちょく顔合わせていた噂の二人がついに本格的にステージに並ぶ。長い歌を歌わせれば他に比類のないお二方、これはとても楽しみだ。物語歌の達人の共演堪能したい。ぜひ多くの方々に観て頂きたい。

 そしてそしてそのさこ大介が、無頼庵で本格的にソロライブシリーズをスタートさせる。
 ・6月29日の日曜日。題して「さこ大介大全集」、今回はその序章である。天才ソングライターかつ、渋い喉で観客を魅了する超絶ブルースシンガーであるさこ氏の全ワークスを記録していくためこれから定期的にお願いすることとなった。そして今回の共演サポートは、前回の館野公一のときに引き続き、人気バイオリンの路上の音楽隊みほこんである。これもとても楽しみだと言っておく。※マス坊は謹慎中。

 予定では、シバ&さこ大介のブルーズ対決も考えているし、まだ確定ではないが、今年は北海道から、マス坊の酒の師匠兼シンガーソング・マンガ家の鈴木翁二を招いて都内でツアーをやれたらと夢想している。オフノートと相談した上で果たして実現できるか諸般の事情で微妙だが、大変な時代だからこそあれこれ仕掛けて行かないことには何一つ新しいことは動き出さない。閉塞した状況に風穴を空けたい。がんばりたいと思う。

 ぜひどなたでもお気軽にご参加願いたい。

 それとフォークソングワークショップ&ギター教室は今月から再開する。
参加者の都合で平日4/22日木午後であるが、どなたでもご参加かまいません。また、他の曜日でも参加希望者のご都合にあわせます。ただでさえ少ない「生徒」が一人先日亡くなったので改めて今期から仕切り直しでスタートさせていきたいと思います。

 明日はまた山梨へ。下水工事の業者が来るのでその立会いに。もしかしたら泊まってくるかも。イベントの詳しい時間など詳細は戻ったら告知発表します。ではまたヨロシクお願いします。
 久々に気分は高揚している。どうしたのかマス坊?