ひがしのひとしさんの訃報 ― 2014年06月02日 13時26分39秒
★また一人唯一無比の歌い手がステージから去っていく 現在のアクセスランキング: 138位
人の死というのはもっともプライベートなことだから迂闊に誰彼に読まれるかわからないブログなどに上げて良いものかと今も迷う。これがその死がすぐに配信されマスコミをかけ回るほどの著名な有名人ならまだしも無名というわけではないが市井の人として生きられた方だと遺族のお気持ちもあろうから公表を望まない場合もあるかもしれない。
実は先だってオフノートの畏友、神谷氏より電話でひがしのさんがこの連休明けに亡くなられたという報があった。彼を知る人たちに伝えてくれとのことであったが、ブログにも書こうかと考えたが先の理由で思いとどまった。しかし、どうやらネット上でもその訃報が流れ出したようなので自分も遅ればせながらひがしのさんのことについて書き残しておきたい。
以下、神谷氏から届いた訃報メールを転載させていただく。
歌手・ひがしのひとしさんが5月14日、肺炎のため、逝去されました。
無頼のシャンソニエ、享年65。
ひがしのひとしさんは故・高田渡さん、中川五郎さん等と並ぶ関西フォークの草分けの一人。歌手/詩人のジョルジュ・ブラッサンスの歌世界に深く傾倒し、静かだが熱い彼一流の歌い口を自家薬籠中のものとし、その土台の上にさらに彼独自の歌唱を創出し得た稀有な歌手でした。また、金子光晴の言葉とブラッサンスの旋律を邂逅させるなど、歌作りにも非凡な才能を発揮しています。
ひがしのさんの「経歴・業績」については神谷氏が上に載せたように的確に記しているので今さら蛇足を加えるべきではない。が、彼についてマス坊が思うところを少しだけ書いておきたいと思う。
彼の生のステージは生前一回だけだがその神谷氏が招聘した、新宿ゴールデン街での「都市の音」コンサートで観た。たった一回でも実に強烈な印象を残し驚かされた。
昔から、アルバム「関西フォークの歴史」などで「鼻毛の~」などで知りユニークな歌うたいという印象を持っていたが、近年もずっと京都拾得での毎年恒例のギネス級長寿コンサート「七夕コンサート」で、かつての盟友たち豊田勇造、古川豪氏らと活動続けられていたのは知っていたのでその訃報に言葉を失った。
彼がどうユニークかと言うと、自分が観たりライブ音源を人から借りて聴いたかぎりではあるが、基本的に彼は唄わないうたうたいなのである。世に語りが長く巧みで、その語り自体が芸になり楽しみに通うシンガーもいよう。メジャーではさだまさし、マイナーでは高田渡が双璧かと思う。しかし彼らは基本歌の間に語りがある。ひがしのさんは逆で語りの後にうたが少しだけとなる。※これはあくまでも私見、私感であって、じっさいのワンマンライブでは語りなど入れずに唄いまくるのかもしれないから間違っていたらご指摘願いたい。
彼の場合、うたよりも語りのほうが長くひたすらしゃべるのである。あるときの「七夕」のテープでは、持ち時間30分~のうち、話してばかりで2曲しか唄わなかったと記憶する。知る限りこんな唄わない唄うたいは彼しかいない。お客は彼の語りにじっと耳を傾けようやく彼の十八番、彼のシャンソンを聴いて満足されて帰るのである。待たされたからでもあるがそのうたが実に素晴らしく心揺さぶられた。
そうしたスタイルに、彼を昔から知る某女性シンガーは「話してばかりいないでもっとしっかり唄えよ!」と怒って?いたが、いつからそうなったのか知らないがそれがひがしのさんのスタイルと思え大いに感心させられた。語りも決して巧みだというわけではない。話芸というほど達者でもない。ただ日常的なあったことなどをひたすら自ら面白がって話してようやく最後にペナペナの安そうな小型の音の出ないギターで彼のシャンソンをじっくり聴かせる。すべてに驚かされたがごれもアリだと思った。
世の中には、持ち時間あれば1曲でも長くたくさん自らの「うた」を唄いたいと考えるシンガーが多いかと思う。また逆に語りに重点を置く人も。しかし、唄わなくてもその語りも含めてその持ち時間すべてがまさに彼のステージ、独自の表現の場であるならば話もまた彼の「うた」なのである。
自分の考える音楽、うたとは楽曲だけを指していない。ましてフォークソングとはその歌い手自身の生き方や考えのスタンスまでもそこに反映、投影されて然るべきものなのだ。うたとはその人自身の生き様なのである。そう考えるとき唄わないで専ら話すばかりというスタイルを築いたひがしのひとしという「歌い手」は、詩を書かない詩人、絵を描かない画家と同じく、その道を究めた本物だったのではないか。
そして直接面と向かってお話したことはなかったが、ご当人は滋味あふれる暖かいとても人好きな方だそうで、ようするに人間とうたが大好きな人だったと想像できる。だから観客を前にすると彼はたくさん話したかったのだろうか。こらちも彼の懐に飛び込めばもっと親しくなり、師匠として仰ぐことも可能だったと今にして思えるが、それは今さら言っても仕方ない。残念でならないがそういう縁だったのである。近くあの世でお会いした時きちんとご挨拶するつもりでいる。あの世の話をたっぷり聞かせてくれるだろう。
とにもかくにもあのユニークな唯一無比のステージはもう聞けない。また、当初から5人の同一メンバーで70年代より40年以上も続いてきた京都夏の名物ライブ「七夕コンサート」もこれで一人欠けてしまった。
あまりたくさん唄わなくても彼のうたは本当の本物であった。素晴らしき歌い手ひがしのひとしさんのご冥福を祈ろう。彼の魂の安らかなることを!
なお、彼のうたはオフノートから出ている下記のアルバムで聴くことができる。関心持たれた方はぜひ聴いて頂きたい。以下、神谷氏のメール再転載。↓
ひがしのさんの歌声は下記オリジナルアルバムと共同作品で聴くことができます。
●on-42 水の記憶-この世の涯の泉のほとりで/ひがしのひとし \2800(税抜き)
●on-45 瓶のなかの球体/フォークパルチザン[2CD] \3500(税抜き)
また、下記2アイテムにもゲスト参加し、ユニークな歌声を披露しています。
●on-44 アンダーグランド・リサイクル/渡辺勝 \2800(税抜き)
●on-47 逃避行/藤村直樹 \2800(税抜き)
※いずれもオフノートより
ひがしのひとしさんのご冥福を心よりお祈りいたします。
オフノート 神谷一義 拝
人の死というのはもっともプライベートなことだから迂闊に誰彼に読まれるかわからないブログなどに上げて良いものかと今も迷う。これがその死がすぐに配信されマスコミをかけ回るほどの著名な有名人ならまだしも無名というわけではないが市井の人として生きられた方だと遺族のお気持ちもあろうから公表を望まない場合もあるかもしれない。
実は先だってオフノートの畏友、神谷氏より電話でひがしのさんがこの連休明けに亡くなられたという報があった。彼を知る人たちに伝えてくれとのことであったが、ブログにも書こうかと考えたが先の理由で思いとどまった。しかし、どうやらネット上でもその訃報が流れ出したようなので自分も遅ればせながらひがしのさんのことについて書き残しておきたい。
以下、神谷氏から届いた訃報メールを転載させていただく。
歌手・ひがしのひとしさんが5月14日、肺炎のため、逝去されました。
無頼のシャンソニエ、享年65。
ひがしのひとしさんは故・高田渡さん、中川五郎さん等と並ぶ関西フォークの草分けの一人。歌手/詩人のジョルジュ・ブラッサンスの歌世界に深く傾倒し、静かだが熱い彼一流の歌い口を自家薬籠中のものとし、その土台の上にさらに彼独自の歌唱を創出し得た稀有な歌手でした。また、金子光晴の言葉とブラッサンスの旋律を邂逅させるなど、歌作りにも非凡な才能を発揮しています。
ひがしのさんの「経歴・業績」については神谷氏が上に載せたように的確に記しているので今さら蛇足を加えるべきではない。が、彼についてマス坊が思うところを少しだけ書いておきたいと思う。
彼の生のステージは生前一回だけだがその神谷氏が招聘した、新宿ゴールデン街での「都市の音」コンサートで観た。たった一回でも実に強烈な印象を残し驚かされた。
昔から、アルバム「関西フォークの歴史」などで「鼻毛の~」などで知りユニークな歌うたいという印象を持っていたが、近年もずっと京都拾得での毎年恒例のギネス級長寿コンサート「七夕コンサート」で、かつての盟友たち豊田勇造、古川豪氏らと活動続けられていたのは知っていたのでその訃報に言葉を失った。
彼がどうユニークかと言うと、自分が観たりライブ音源を人から借りて聴いたかぎりではあるが、基本的に彼は唄わないうたうたいなのである。世に語りが長く巧みで、その語り自体が芸になり楽しみに通うシンガーもいよう。メジャーではさだまさし、マイナーでは高田渡が双璧かと思う。しかし彼らは基本歌の間に語りがある。ひがしのさんは逆で語りの後にうたが少しだけとなる。※これはあくまでも私見、私感であって、じっさいのワンマンライブでは語りなど入れずに唄いまくるのかもしれないから間違っていたらご指摘願いたい。
彼の場合、うたよりも語りのほうが長くひたすらしゃべるのである。あるときの「七夕」のテープでは、持ち時間30分~のうち、話してばかりで2曲しか唄わなかったと記憶する。知る限りこんな唄わない唄うたいは彼しかいない。お客は彼の語りにじっと耳を傾けようやく彼の十八番、彼のシャンソンを聴いて満足されて帰るのである。待たされたからでもあるがそのうたが実に素晴らしく心揺さぶられた。
そうしたスタイルに、彼を昔から知る某女性シンガーは「話してばかりいないでもっとしっかり唄えよ!」と怒って?いたが、いつからそうなったのか知らないがそれがひがしのさんのスタイルと思え大いに感心させられた。語りも決して巧みだというわけではない。話芸というほど達者でもない。ただ日常的なあったことなどをひたすら自ら面白がって話してようやく最後にペナペナの安そうな小型の音の出ないギターで彼のシャンソンをじっくり聴かせる。すべてに驚かされたがごれもアリだと思った。
世の中には、持ち時間あれば1曲でも長くたくさん自らの「うた」を唄いたいと考えるシンガーが多いかと思う。また逆に語りに重点を置く人も。しかし、唄わなくてもその語りも含めてその持ち時間すべてがまさに彼のステージ、独自の表現の場であるならば話もまた彼の「うた」なのである。
自分の考える音楽、うたとは楽曲だけを指していない。ましてフォークソングとはその歌い手自身の生き方や考えのスタンスまでもそこに反映、投影されて然るべきものなのだ。うたとはその人自身の生き様なのである。そう考えるとき唄わないで専ら話すばかりというスタイルを築いたひがしのひとしという「歌い手」は、詩を書かない詩人、絵を描かない画家と同じく、その道を究めた本物だったのではないか。
そして直接面と向かってお話したことはなかったが、ご当人は滋味あふれる暖かいとても人好きな方だそうで、ようするに人間とうたが大好きな人だったと想像できる。だから観客を前にすると彼はたくさん話したかったのだろうか。こらちも彼の懐に飛び込めばもっと親しくなり、師匠として仰ぐことも可能だったと今にして思えるが、それは今さら言っても仕方ない。残念でならないがそういう縁だったのである。近くあの世でお会いした時きちんとご挨拶するつもりでいる。あの世の話をたっぷり聞かせてくれるだろう。
とにもかくにもあのユニークな唯一無比のステージはもう聞けない。また、当初から5人の同一メンバーで70年代より40年以上も続いてきた京都夏の名物ライブ「七夕コンサート」もこれで一人欠けてしまった。
あまりたくさん唄わなくても彼のうたは本当の本物であった。素晴らしき歌い手ひがしのひとしさんのご冥福を祈ろう。彼の魂の安らかなることを!
なお、彼のうたはオフノートから出ている下記のアルバムで聴くことができる。関心持たれた方はぜひ聴いて頂きたい。以下、神谷氏のメール再転載。↓
ひがしのさんの歌声は下記オリジナルアルバムと共同作品で聴くことができます。
●on-42 水の記憶-この世の涯の泉のほとりで/ひがしのひとし \2800(税抜き)
●on-45 瓶のなかの球体/フォークパルチザン[2CD] \3500(税抜き)
また、下記2アイテムにもゲスト参加し、ユニークな歌声を披露しています。
●on-44 アンダーグランド・リサイクル/渡辺勝 \2800(税抜き)
●on-47 逃避行/藤村直樹 \2800(税抜き)
※いずれもオフノートより
ひがしのひとしさんのご冥福を心よりお祈りいたします。
オフノート 神谷一義 拝
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