男らしいってわかるかい・32014年06月04日 20時10分14秒

★男らしさの文化が政治と戦争に結びつくとき     アクセスランキング: 158位   

 マチスモという言葉があるがご存知か。
 巷間、「マッチョ」という言葉はよく耳にされよう。シュワルツネッカーとかS・スタローンとかの筋肉モリモリの男性を思い浮かべてしまうが、実はマッチョとはそうした表面的なことではなく「男らしさ」に拘る思想、信条を指している。そのマッチョの語源とも呼べるのがマチスモであり、このスペイン語はスペイン、ラテンアメリカの男性のみならず広く日本も含めて西欧社会の男性の深層意識に根ざしている。

ちなみにネットの辞書でひくとこう説明されている。

マチスモ【machismo】 世界大百科事典 第2版の解説

ラテン・アメリカのメスティソ社会において男らしさを強調する言葉。マチョmachoは雄を意味するスペイン語であり,男性の力,勇気,誇り,性的能力に言及する言葉であるが,ラテン・アメリカに入るとインディオ的解釈が加わり,植物や物の大きさ,状態,力,その他の属性における優位性をも意味するようになった。マチスモは男らしさを強調する生き方を意味し,メスティソ社会の価値観を代表する。ヨーロッパ地中海世界に共通にみられる,家族や社会的名誉をになう男らしさを重視する傾向が,主としてスペインを通じてラテン・アメリカに入り,定着したと推測できる

 まあ、男性優位主義とでも訳される言葉であるが、それ自体は別に悪いことではない。男は男らしくあって何で悪いのかと言われれば返す言葉がない。
 しかし、ことそれが政治の世界においては、おそらくどんな国家であろうともときの指導者が、男らしくない、臆病だ、と国民から見なされてしまえば政治家として失格の烙印を押されたことに等しい。特にそれが有事の際、紛争のような事態逼迫状況において、あいつはチキン、つまり臆病者だと、国民からも他国から思われてしまえば支持率は急落して退陣するしかない。ならば政治家は常にこと有事においては「男らしさ」を求められる。それは女性だって同様で、かつて1982年のイギリスとアルゼンチンとの間で起きたフォークランド諸島の領有権をめぐる戦争、いわゆるフォークランド紛争でも「鉄の女サッチャー」は「我々は武力解決の道を選択する」と決断した。その戦争を辞さない毅然とした男らしさで大いに国民の支持を集めることに成功した。
 フォークランド紛争について解説した記事はこう結んでいる。
 
 多くの艦艇を失い、255人の戦死者を出したものの勝利したイギリスでは、戦前不人気をかこっていたサッチャーの人気が急上昇した。それまで不人気だったサッチャーは続投し、戦勝によって勢い付いた新自由主義的な改革はイギリス経済を復活させた。※ウィキペディア・フォークランド紛争より

 また2001年9月11日のアメリカを襲った同時多発テロでは、テロリストへの報復を誓ったブッシュ二世大統領は、八割を超える米国民の支持を背景に、対テロ戦争の一環としてまず首謀者たちが潜むとされたアフガニスタンに侵攻、タリバン政権を転覆させ、さらには大量破壊兵器を隠し持っているとして「悪の枢軸国・テロ国家」イラクにまで戦争は拡大波及したことは記憶に新しい。
 結果としてその一連の戦争で民間人も含めればいったい何十万人の犠牲者が出たのかはさておき、やはり不人気であったブッシュ大統領の人気は大いに高まった。「世界の警察官」アメリカがテロとの戦いとして始めた戦争にどれほどの大義があったのか今も問われるだろうし世界は9.11の前よりも平和に、良い世界になったとは自分は思えないが、正義と自由を標榜する米国社会では彼の「男らしさ」は必然的に求められたのである。

 特に他国から仕掛けられた戦闘行為、つまり売られたケンカに対しては、政治家は立ち止まって「まあまあ、まずはゆっくり話し合いましょう」などとは言ってはいられない。そうした敵国と理性的話し合いに委ねたり、国連決議にかけてなどともたもたするより即対抗手段、つまり戦闘行為で報復したほうが国民の支持は高まる。それは古今東西歴史が示している。男性の中には今も昔も男らしさ信奉、強さに対する願望があるのである。弱虫と逃げ腰は「男らしく」ないと蔑まれる。

 今日、我が国を取り巻く国際情勢は確かに自民党首脳らが言うようにかつてないほど緊迫していることは同意できよう。大国中国の覇権主義はさらに加速していくだろうし、朝鮮半島も含めた東アジア情勢は何が起きるかまったく予想もつかない。
 そしてそこに、日本のフォークランドとも呼べる、尖閣や竹島に、他国の軍隊が侵攻し占領する場合も想定としては考えるべきだと自分も思う。ただ、そのときに、安倍首相はサッチャーのように、「武力解決の道を選択する」と決断するのであろうか。民主党政権下ではそれは考えられないし憲法の制約上できなかった。その場合は同盟国米国の力を背景に粘り強く交渉して国際社会に訴えていくしかないであろうしおそらく国民の多くは「弱腰外交」と政権を糾弾したはずだ。

 しかし、憲法を実質的に解釈改憲して、これからは世界中どこでも国民の利益と命を守るために積極的平和主義と称して戦争をしていくと公言している自民党安倍政権は、有事の際はブッシュのように世論を背景に戦争を仕掛けていく。やられたらやり返せ、それが男らしい国家、真の日本人だと。そして島を巡って敵の軍隊と日本の軍隊との間で戦闘行為が起きればそれは国家間の「戦争」となる。しかしその先、その後に何が待っているのか、男らしさに狂喜したとしても国民は何もわかっていない。国と国との戦争はサッカーの試合のように終わればすっきり相手を讃えられるものでは絶対ない。さらに本格的に本土戦へと長期化拡大していくことはあり得ないと考えているのであろうか。それはかつての日中戦争、そして太平洋戦争という過去の歴史を知らない愚か者であろう。

 世界は昔も今も「男らしさ」で動いている。ゆえに世界から紛争も戦争も絶えることはない。が、真に賢い為政者は、その見せかけの「男らしさ」=マチスモに囚われることなく、時に臆病者と見なされ罵られようとも武力での争いに解決を委ねることなく平和的手段によってことを収めなければならないと信ずる。
 なぜならば「戦争」という力では何一つじっさいは解決しないからだ。戦争とは常にすべての人々に禍根を残す。※もう一回書き足していく。