新しい月、新たな季節を、新たな気持ちで2014年09月01日 17時48分40秒

★2014年の9月に入りました。         アクセスランキング: 115位

 あれほどの猛暑はどこに行ったのか。今年の夏は8月下旬から急に涼しくなって天気も悪く曇りや雨の日が続いている。
 今日から9月。外は冷たい雨が音たてて降り続いている。今の気温は20度ちょっと。10月上旬の陽気だとテレビで予報士が言っていた。
 涼しいのは楽で有難いと思うが、まだ9月に入ったところなのだ。また暑い日もあるかと信ずるが、この気温の低さはこれもまた異常気象ではないのか。涼しいのを通り越してうすら寒い。親たちはコタツがほしいと騒いでいる。
 大雨と異常気象の天候不順の夏であった。何だか落ち着かない気持ちで迎えた秋9月である。

 今日から9月。ということは今年も残すは三分の一、四か月となった。
それにしても先月8月はいろいろあって大変な月であった。

 まず7月後半、我が身に久々のギックリ腰が勃発して身動きとれなくなって難儀したところに老犬バドもついにその天寿を全うした。その後は哀しみにひたる暇もなく老親たちが次々夏風邪に倒れ、それも長引いて病院通いに追われていた。父は肺炎にもなって心配されたし、そこに拙宅での大きいイベントも重なったのでまさにてんやわんやであった。

 ようやく親たちも回復のメドも見えたと思ったら、今度は親しくしていた女性との関係に、我が身の不徳の致すところからトラブルのようなものが起きてしまい連絡取れなくなったことから気が動転してパニック状態となってしまった。
 幸い関係修復となったと思えるしそもそもが自分の早とちり、不安神経症的考えすぎであったと今は気持ちも落ち着いたが昨日まで精神的にかなり追い込まれていた。
 
 今はもう気持ちも吹っ切れたというか、もとに戻ったのではなく、やっと新たなところに至ったという気がしている。この数日のブログに書いたように、自縄自縛的にいろいろ悩まされたが良い経験を得た。愛とは何なのか深く考える機会となった。
 そもそも愛に見返りや期待を求めるのならそれは愛ではなく、取引やビジネスでしかない。愛とは損得とは別のところになければならない。ゆえにかの人からどう思われようとどう扱われようとそれはそれで全く構わないのである。もう何も囚われないし考えない。大切な人を大切におもう自分がいるだけだ。

 そう、誰もがみなそれぞれの隣人を愛し助け合い、自分がしてほしい望むことを他者にすれば良いのである。そうすれば世界は愛と平和に満ちるであろうしそれしか世界に、この病んでいる地球に救いはない。
 夢物語って言われるだろうけど僕一人じゃないとジョン・レノンは唄った。でも一人でも多く誰もがそう望めば世界は変わるし一つになるのである。

 昨日は我が家の上空をオスプレイが不気味な爆音を立てて飛んで行った。今横田に飛来していたのだ。こうして戦争のハイテク兵器、しかも墜落の危険度の高い飛行機が日本のどこでも我がもの顔で飛び交う日が来るとは数年前は想像もしなかった。様々な思いと感慨がわくがそれはまた別の機会に書く。

 何はともあれ振り返ればかなり大変な危機に見舞われた8月であった。よく生き延びたと今は思える。ともかくも人生のその難所を何とか我と我が家は無事に乗り切れた。そして新しい月へと入り、季節も移った。まずは喜びたい。イベントで誰かが持ってきて残った新しいワインを開けよう。

 そしてこれから秋本番、冬が来る前に、やるべきことを終わらせてまたやってくる新たな年2015年へとつなげていきたい。

 人生は誰にとっても楽なものではなく、生き続けるだけでもかなり大変な苦しいものだが、だからこそその中に光るものや得るもの学ぶものがある。老犬バドの介護は我に豊かな飽くことのない慈しみの心を与えてくれた。そして自らの愚かさと迂闊さからさえも学ぶものがあった。何よりも自分をよく知ることができた。

 そして今声を大にしてこう書き記す。人生は素晴らしいと。泣きたいぐらいに素晴らしい価値があると。生きているだけでまず良いのである。そしてそのうえで人は人のために生きて行かねばならない。自分の損得と都合しか考えない人間は外道なのである。かつて自分はそれであった。
 多くの善き隣人と出会い学び諭され今の自分になった。今の自分が死なずにあるのは多くの善き人たちの支えと励ましと神の御心によるものだ。そのことを忘れずに、新しい月、新たな季節を、新たな気持ちで生きて行こう。

 皆さまにも神のご加護を、そしてご自愛ください。亡き清志郎も叫んでいただろう。「愛し合ってるかい!?」と。

気持ち新たにまた風邪ひいたが2014年09月04日 06時58分33秒

★大変な時代に成すべきこと、今できることを進めていく       アクセスランキング: 109位                   

 9月に入りまた暑さはやや戻ってきたが、朝晩はめっきり涼しくなってきた。東京多摩地区は幸い曇りがちながらも晴れて穏やかな日が続いている。暑くてももう熱中症になるほど30℃は越さない。
 このまま大きな台風などに見舞われずに全国的に無事に一年が終わればと願う。もう豪雨災害はうんざり、たくさんである。

 マス坊はどうやらこの夏の疲れが出たのか、この数日風邪ひいて寝込んでいた。といっても高熱や腰痛が出たわけではない。何か体がだるくぼうっとして夜は起きていられず夕飯食べたら後片付けもそこそこに倒れこむように寝てしまっていた。
 喉が痛く軽い咳と痰もからむので風邪だと思うが、そんな本格的なものではない。が、また親たちに伝染るとその世話で面倒なこととなるのでいいかげん負の連鎖は何としても避けたい。まあ、ようやくあれこれあって超慌ただしかった8月も終わり気も緩みここらで風邪でもひいて休もうと体が求めたのであろう。

 先にも書いたが早く寝ても結局夜中に、しかも明け方ならともかくもまだ真夜中3時ごろ、外はまだ真っ暗なのに起きてしまう。それから寝なおせるときもあるが、もうどうにも眠れず犬たちと早朝の町を散歩したり、ベッドの中で聖書解釈の本を読んだりして時間つぶす。

 その早朝の時間を有効活用してもっと有意義にひと仕事できなくもないはずだが、真夜中でもあり音たてると親たちも起きてしまうのでせいぜいブログを書き込むことやメール連絡ぐらいしかできやしない。
 が、先日のイベントで、ブルーレイディスクを読み取るために普段使いの最新パソコンをネット環境から外して移動させてしまって以来、もとに戻してなくそれもなかなか難しい。そんなでメール連絡も遅れている。

 今日木曜は老親たちは二人でまる一日デイサービスへ行く。母などは一か月ぶりとのことだ。時間はできるので今日こそ先のイベントの後片付けを終わらせてパソコンの環境設定しなおしてこれから秋の活動に備えたい。
 今月9月は拙宅無頼庵での館野公一さんのライブも加えると、出掛けるライブが何と8つもある。その全てに行けるか家族の都合もあるのでまだわからないが、できるだけ行けるだけ行くつもりでいる。どれも趣味や道楽ではなく、そこに人間関係がありお世話になっているので行かねばならない義務のようなものもある。

 世の中には他人様のライブには行かないのに、自らのライブには来てくれと宣伝や要請をしてくる輩がたくさんいるが、それは如何なものか。むろん宣伝告知の活動は必要だし大事なことだからそれも構わない。
 が、狭い世界なのである。特に自分のような者はいろいろ無理言ってお願いする立場なのだ。ならば融通しあい、都合しあい助け合って応援しあってやっていくしかない。
 狭い世界で少ない観客、参加者を奪い合ってもしかたないではないか。聴いてもらいたいと望む者はまず他者のそれにも耳を傾けないとならないのではないのか。それはどんな世界でも同じであろう。

 むろんツイッター的な気軽な関わりもあろう。そこに何の責任も制約も発生しないような。しかし、ライブに行く、見聞きするという行為はそれ相応の時間的経済的負担が発生する。それが楽しみ、娯楽だとしてもある意味他者から何かを奪うものだ。むろんこちらも与え、返すわけでもあるが、だからこそ一方的なものであってはならないはずだし、そこに人間的相互交流がなければならないのではないのか。

 我々、というのはたいそうで語弊があるが、自分たちがやっていることはビジネス、商売ではない。商売とはAKB商法のようなもので金儲けのためには何でも工夫して営利目的最優先にやっていくことだ。かといって、芸術でもない。芸術というのは、そのビジネスの対極にある個人的衝動の発露であろう。そこには基本的に他者は存在していない。儲けは関係ない。
 うまく説明できないが、対人間的なある意味共同作業的、共犯関係的な何かだと考えている。言い換えれば一緒に同じ夢が見れるか描けるかだ。ならばこそ一方的に、「俺のうたを聴け」と望む前に、もっと他人のうたを聞かなければならないのではないのか。

 これ以上ノートパソコンに顔つけて屈んで書いているとまた腰が痛くなる。もう限界。せっかく治ったのだ。このへんでこの件は終わりにしておく。中途半端だがわかる人には通じるだろう。

 さあ、これから、大変な時代だからこそ成すべきこと、今できることを少しづつでも進めていこう。

これから11/30日の詩朗読ライブの会場下見に2014年09月05日 17時37分18秒

会場イエロービジョンの店内
★京都の有馬敲氏を迎えての詩朗読フォークライブその後報告
 
 何か喉痛く、風邪っぽいのは相変わらず。また蒸し暑くなってきた。
 もう気分的には回復して何も思い煩うことはないが、これから慌ただしくなっていく現実に体がまだついていかない。

 今晩は、今回のイベントプロジェクトの仲間たちと下見かねて会場決定のため阿佐ヶ谷に行く。個人的には、谷保のかけこみ亭でもどこでも良いのだが、音録りの関係上、最良の場所を考えないとならない。
 早く決めてチラシ作って、そのための準備を粛々と進めていく。

 たぶん今日で会場は決定となると思う。決まり次第報告したい。

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 というわけで、先ほどウチのプロデューサーD氏と、録音担当をお願いしたF氏、それにデザイナー嬢と会場候補のお店を実際に訪れて店内確認してきた。
 場所はJR中央線阿佐ヶ谷駅北口徒歩1分のライブスペース「Yellow Vision」というジャズ系のライブスポットで、さほど広くはないが静かで地の利も良く落ち着いた良い店で、全員が賛成し決定となった。

 ただ一つだけ思案するは、椅子席がどう並べても30入るかどうかというスペースの問題で、せっかくの記念すべきライブイベントだが、残念ながら多くの観客は入れられない。立見席をつくったとしても少数限定のライブとなる。
 近くチラシなど作る予定だが、予約者優先で即ソールドアウト=入場制限となるかと思う。ご関心お持ちの方はぜひお早目に予約をお奨めする。

 まだ時間も含めて詳細は検討中だが、たぶん予約2500円、当日3000円、開演は午後4時頃からとなるかもしれない。
 先にも書いたが、出演は有馬敲御大、それに中川五郎、岡大介ほか豪華フォークシンガーが多数絡む。

 京都から関西詩人協会会長有馬氏を迎えておそらくこれが最後となる詩朗読とフォークソンガー共演の夕べ、大成功とすべく当ブログ読者の方々にもご協力お願いしたい。

本日は川越で、新潟のたっつあんのレコ発ライブへ2014年09月06日 10時26分15秒

JUNホールの外観
★本日午後2時より、川越市府川「みんなのおうちJUNホール」にて   
アクセスランキング: 97 位

 いや~かなり遠かった。ちょっとした小旅行で今腰がまた鈍く痛い。かなりバテた。おまけに帰りはゲリラ豪雨に降られ泣きながらびしょ濡れで家まで走る羽目に。

 川越だと聞いていたので、ウチからはローカル線の極み、八高線一本で行けると思い、こりゃ楽だと安易に考えていた。が、どっこい蔵の街川越からバスでまた30分以上もある桶川に近い鄙びた街道筋に今回の会場のホールはあって車で来た方が楽だったかと後から気がついた。バスも一時間に1本しか走ってなくしかも帰りもかなり待たされた。

 場所もコンサート自体もとても心温まるものがあって、行って参加して良かったと今心から思うしその「報告」もきちんとせねばならないが、今日のローカル線を利用しての日常生活からちょこっとだけ離れた「小旅行」について思うところを記す。

 川越が小江戸と呼ばれ、旧い建物が多く残り、今はその通りが観光地として話題になっていることは知っていた。昔のモノ、旧いモノなら無条件になんでも好きな自分としては足繁く出掛けて当然だと思うし、浅草に行くよりはるかにウチからは近いはずなのだが、なぜか今まで一度もきちんと訪れたことはない。どこそかの帰りに車で通りすぎたことはあってもそこを目的に行ったことは一度もなかった。

 思うに生来の出不精と近くだから故いつでも行ける、いつか行こうと思い結局行かないのである。本でもレコードでも何でも買ったからこそいつでも読める、聴けると思いそれをしないのと同じ心理であろうか。

 今回、新潟のフォークソング運動の首領(ドン)、たっつあんが埼玉に出てきてこちらで彼のCD発売記念のライブイベントをすると知らされ先年いろいろお世話になり彼の家にも泊めてもらったこともあるので何はさておき行かねばと考えていた。
 が、あれこれ家庭の諸事象やら何やらで気が付いたら当日となり、たっつあんを知るこちらのフォーク仲間たちと誘い合わせて午後1時に川越駅のバスターミナル集合ということで出掛けたのだ。

 八高線はウチからは一駅で、拝島から川越までは途中高麗川で分岐するが、今は基本乗ればそのまま川越まで乗り換えず1本で行ける。ただ本数が少なく昼間でも一時間に1本ぐらいしかなく、乗りくれるとライブに間に合わない。拝島駅まで自転車で走り午後零時20分頃の川越行に乗った。約50分。横田基地の真横を過ぎれば後は大自然の中をひた走る。特に、東飯能に至るまでは高台を走り抜群のロケーションであった。昼間だったから窓の外の風景に目を奪われ良い気分転換となった。

 午後1時ちょっと過ぎたが、川越に着き、待ち合わせたO氏と共に東部バスのバス停に。ギリギリ15分に出るバスに間に合った。それに乗らないと次まで一時間待つ羽目となる。バスは本川越を過ぎ、蔵造りの建物や洋館など戦前の建物が並ぶ趣ある、観光客でにぎわう狭い街道筋を通り過ぎた。。面白そうな店もたくさんありそうなので時間あれば寄り道したかったが今回はたっつあんのライブに来たのだ。

 で、約30分田んぼや畑、墓石屋、修理工場などしかない田舎の街道をひた走り目的地のバス停で降りた。そこからはすぐで、元何かの工場を改装して作ったという話題の「JUNホール」に着いた。思ったより遠く想像してたより広くゆったりしたスペースであった。

 ここは埼玉が生んだ人気フォークシンガー、たかはしべん氏のファンの方が、彼を迎えるために自分たちで作ってしまったというユニークなホールで、つい最近できた。地理的には不便な場所だが、既に地元の人たちの様々な活動、催しの場としてかなり知られ活用されているようだった。。※ホールの利用受付・管理などもべんさんの事務所がやっているとのことである。

 がらんとした約60畳は軽くある、パイプ椅子だが50人は楽に入る広さがあり、田舎だからできたこととはいえ、こうした安く誰でも気軽に自由に使えるホールがありそこから様々な文化が発信できることは羨ましく思えた。
 新潟のたっつあんと埼玉のアマチュアフォークソング音楽活動をされているグループとはかねてより長い付き合いもあって、今回この地で彼の記念ライブが企画されたという経緯であった。

 自分も先年、新潟でのフートがあったときにO氏らと参加したので、その埼玉のフォーク仲間たちも顔見知りの方も多かった。

 けっきょくライブの後の打ち上げで地元の野菜をふんだんに使った手料理をごちそうになり、ほろ酔い気分で6時半頃辞去したのだが、バスはちっとも待てど来ないし、帰りはかなり苦労した。
 何も考えず、行きと同じく八高線で帰ろうとホームに降りた。少し待って電車は来たのだが、それが高麗川止まりで、どうしようかと少し迷った。が、そこから八王子方面へ連絡もしてるかと考えて来た電車に乗ったのが間違いで、けっきょく高麗川では30分ひたすら待たされて何のことはない次の川越発の八王子行きが来るまで雨のホームで佇むはめとなった。
 東武線などでいったん武蔵野線に出て帰る手もあったかと後から気づいたが後の祭り。しかも拝島からは雷と豪雨が激しく、自転車を留めておいたスーパーマーケットまでは駅で拾ったビニール傘で何とか歩けだが、自転車でどしゃぶりの雨の中濡れネズミになって必死の思いで帰宅した。
 6時半に向こうを出たのに、家に着いたのは9時過ぎ。毎度ながら考えの甘さを嫌でも噛みしめるしかなかった。やはり川越は近くて遠い。

 しかし関西のフォークシーンを新潟の地に伝えた先達であり、功労者かつ今も現役のリーダーであるたっつあんのうたを今回たっぷり聴けて満足できたし、様々な出会いと新たに得たものも多々あったので悔いはない。
 
 鼻風邪がこれ以上ひどくならないよう暖かくして早く寝よう。

新潟の「たっつあん」の川越でのレコ発ライブに出向いた話2014年09月07日 09時34分55秒

★残念ながら彼の二枚組アルバムは金欠でまだ買えず申し訳ない・・・・     アクセスランキング: 111位

 新潟のたっつあんが埼玉県川越はずれの手作りホールで、彼のベスト盤的二枚組CD完成発売の記念ライブがあると元新潟県民の藤しんいちろう氏から知らされ昨日出掛けてきた。その報告をしている。

 たっつあんとは数年前、情念のアコーディオン弾き・熊坂るつこ嬢の新潟ツアーに同行させて頂いたとき、現地巻町で出会い知り合った。新潟にはアマチュアながらかなりレベルの高い音楽活動を長年活発に続けているグループがあって、それは「新潟フォーク村」という名称こそないけれど、その素晴らしさと実力に大いに驚かされた。そこから関わりが出来、多い年は年に数回も出向くようにもなった。

 きけば、そもそもそこのリーダー的中心人物であるたっつあんは1960年代、学生の頃に京都の大学で関西フォークムーブメントを体験していたとのことで、あの中島光一氏のグループにもいたとのことであった。ゆえに有馬敲さんもよくご存じであったので話も弾み、もう数年前となるが、有馬さんを新潟に招いて詩とフォークソングのイベントを企画したこともあった。それらのことは拙ブログでも逐次報告してある。

 そのときの有馬さんの言葉で、新潟には今も関西フォークの精神がしっかりと残っていると語られたのが印象的であったが、要するに京都から新潟に戻ったたっつあんが、持ち帰った関西フォークの種がその地に蒔かれ育ち今があるということに他ならないのであった。

 そうした機縁がある方なので、当然ながら人柄も素晴らしく音楽的にも感性が近しくすっかり魅了された。が、彼のうたをしっかりたっぷり聴く機会はなかなかなかった。彼はリーダーとして企画者、裏方的存在に徹することが常に多かったので、唄ってもほんの数曲で留めていたからだ。
 が、今回、ついに思うところあったのか、彼の音楽活動人生の一つの締めくくりとなる二枚組ベスト盤を北海道のクニ河内氏のスタジオで、クニ氏のミュージシャンらと作り上げた。そしてそれを引っ提げてのレコ発ライブをあちこちでツアー中で、今回の川越登場となったわけだ。

 そして休憩も含めて約二時間、新潟から連れてきた、気心知れた仲間たちをバックにたっつあんの素晴らしい音楽世界をたっぷり披露してくれた。そして思った。かつて古川豪氏が指摘した京都独特のメロディーラインが彼にはしっかり受け継がれていることも確認できたし豊穣かつみずみずしい彼のうたこそが新潟の地で、マイルスストーンのように後進の歌い手たちの目標として支え導いてきたことであろうと。
 彼はおそらく年代的にはかなり歳上だと思われるが、いつまでも若々しくちっとも偉ぶらない。元気溌剌としてその歌声とうたの世界は良い意味で若々しいアマチュアイズムに満ちている。けして老成することなく煮詰まることのないみずみずしい彼のうたと歌声はこれからも続くことであろう。

 世の中には自分たちが楽しむことを前提として集い群れて聴き手を意識しないアマチュアも多々いるが、新潟のシンガーたちがそうでないことはひとえに関西で青春を過ごした、たっつあんという稀有な指導者がいたから故だと今回改めて確認できた。

 うたとは、つまるところ日常生活と問題意識の融合ということなのだが、書き出すと長くなるのでここまでとする。ともかくたっつあんと再会できたっぷりうたも聴けた良いライブであった。と、鼻水たらしながら腰かばいつつ書き上げた。

これからのこと、年内秋口のこと2014年09月07日 21時10分23秒

たっつあんとその新潟の仲間たち
★改めて簡単に今後の予定など記す

 昨晩帰り道、ゲリラ豪雨で全身濡れたこととまた気温も下がりうすら寒くなってきたせいか、今日は喉がかなり痛く咳も出てきて風邪の症状が現れてきたので無理せず出掛けず昼食後は薬飲んでひたすら深く眠った。
 
 予定では所沢で、今晩はよしだよしこさんとソウルブラザーズのライブがあり、今後の相談したいことも種々あって、伝えてはなかったが行くつもりでカレンダーには印をつけてあったのだが、そんなで断念した。
 やはり連日の埼玉方面は今の自分の体力では無理があるし昨日さほど疲れなければ行けたかと思うが、気持ちも萎えてしまった。申し訳ないがここでまた無理して体調崩すと今後のイベントに大きく影響してくるはずだ。

 予定では、まず来週明け、火曜日にまた社員氏を招いて二人で山梨へ行って一泊してくる。洗濯機などウチからいろいろ運ぶものと向こうの片づけ作業も多々あり、涼しくもなってきたので精力的に作業進めに行く。10日水曜夕方には戻る。

 それと14日は四谷コタンでのみほこんのライブ。
 さらに19日には谷保かけこみ亭で豊田勇造ライブ。
 そして翌日20日は拙宅無頼庵での「館野公一」定例ライブ。

 どれも重要なライブを終えて、23日(祝日)には古民家片づけ隊一行として皆で山梨古民家ツアーが日帰りである。

 さらに27日土曜日は、タイから「カラワン」来日コンサートがある。
そして翌日28日は河辺での「月刊 中川五郎」9月号ライブが。

 それらの合間塗って、早めに11/30日の「詩人有馬敲&フォークシンガーライブ」の宣伝チラシを作成していかねばならない。今月内には完成させて広く配布していく。何としても10月5日の岡さんの浅草木馬亭には間に合わしたい。

 ウチ無頼庵でのライブは今のところ9/20日土曜日の館野公一さんだけだが、そんなこんなで慌ただしく宣伝もろくにできていない。が、いつも通り落ち着いた充実したステージを披露してくれるものと期待している。今さらだが宣伝強めて行こう。まだ席はかなりあります。どなたでもお気軽にウチに遊びに、聴きに来てください。

 先に記した、たっつあんの二枚組CDアルバムは、藤しんいちろうを通しても購入可能とのことなので、関心ある方はマス坊へ連絡ください。彼に手配いたします。たっつあんの40数年にわたる音楽活動の集大成、地元と生活に軸足を置いた確かな良い歌がいっぱいであろう。しかもアレンジャー・録音はあの天才クニ河内さんである。
 ※マス坊も早く手に入れて聴きたいのだが、いろいろ出費がかさんで今月を乗り切るだけで四苦八苦という有様で今回は断念してしまった。金は出る一方で入る当てがない。アベノミクスも色あせて本当に何とかしないとならない。

 そんなこんなでまたこれからかなり慌ただしく忙しくなっていくが、無理せず体調様子みつつどれもうまくこなしていきたいと願う。まずはこの鼻風邪早く追いやってからだ。季節の変わり目、皆さまもご自愛ください。お元気で。ごきげんよう。

うたを唄い継ぎ、時代を語り継いでいく2014年09月08日 21時51分31秒

★雑感2014,9月              アクセスランキング: 119 位

 今日は午後から親たちがデイサービスに行ったので、昼食後、思う存分昼寝してようやく風邪は癒えてきた。目覚まし時計が鳴るたびに一時間づつ先延ばしにして結局夕方までひたすらだらだら寝た。

 慌ただしいが、これから残りの年内のすべきことが見えてきたので今気持ちは燃えている。
 今日の夜のNHKのニュースでは、また安倍政権の支持率が回復したとのこと。どうやらこの内閣改造が評価されたらしい。
 じっさいの話、給料がいくらか上がったとしても、物価は高止まりで、実質賃金は変わらずずっと下がっているのだから、何一つこの政権は国民のためになることはしていないのに、今も支持する人たちがいるのだからその真意を疑ってしまう。が、まあ要するにそういう方たちは今は幸せで満足し現状を肯定できているのだろうからそれはそれで良いことであり批判も否定もしない。
 幸せな人に、実はあなたは幸せではないんだと忠言したとしても意味ないし聞く耳は持たないであろう。眼覚めないヒトが不幸だと思うのは僭越であり、人の幸、不幸は絶対的なものでも相対的なものでもなくただその人の気の持ちよう、心の在り方でしかない。当人が満足しそれで良ければ良いのである。

 今の時代が良いと思う人はそれでかまわない。が、自分にとっては決して生きやすい、良い時代だとはとても思えないし、このままの流れが続けばやがて我のような異端かつ反体制的思想、行動をとる者は非国民として弾圧され疎外されていくかと予想する。そして国家は戦争で再び破滅していく。
 しかしそれは時代の流れであり大勢がそうであるのならむろん抵抗はするが、その流れにあえて掉さす気持ちはもうなくなった。カエサルのものはカエサルに、とナザレのイエスが言ったように、時の政治とはまた別になすべきこととできることはあるのではないか。

 ずっと聖書を旧約から新約まで読み続けてきてわかったことは、これはユダヤ民族の破滅の歴史、その記録だと気がつく。つまり彼らの神話的昔から様々な預言者が現れ、ユダヤの民に悔い改めるよう常に何度も説いてきた。が、彼らは改めず、ときには善き王様と自らの国家を得たときもあったがやがては滅亡し民族は離散しイエスという救世主が預言通りに現れてもあろうことか彼をも殺してしまうのである。
 そして残念なことにその歴史は今も続き、悔い改めることなく彼らは自らの国家は超大国を後ろ盾にやっと成立できたものの今も過ちをずっと続けている。

 本来迷えるユダヤの民を救うために生まれたイエスの教えは結果、異民族のものとなり求める異邦人たちの救いとなっていく。

 歴史というものはそうしたもので、永久に本来の姿、神の意思が反映し実現するときなどないのではないか。世界平和は誰だって望む。しかし、人間の欲望は果てしなく、その人間でできている民族、国家はその欲望実現のために戦争さえも繰り返す。そして人は目覚めない。
 荒れ野で、悔い改めよと叫ぶ者の声に耳を傾けはしない。そればかりか彼らを捕らえて石もて殺してきた。

 バッシングの時代である。今は手ごろなマスコミの生贄の羊がみつからないから、朝日新聞という大新聞を標的に、全マスコミが束になって叩きまくっている。個人的に、朝日嫌いの我であるけれど、ここまで糾弾されるほど朝日新聞は悪行を重ねてきたとはとうてい思えない。公平であるべきマスコミの在り方として本来批判されるべきは安倍政権の悪行のお先棒を担いできたフジサンケイ、読売だと考えるが、今は彼らは肩で風切る勢いだから我が身はさておき「非国民」「売国奴」の朝日を叩きまくる。
 今は右翼の時代だから、左翼及び、左的色づいた意見はそれだけで耳貸すことなく頭ごなしに否定され「アカ」だと蔑まされる。原発反対すらもアカの戯言と聴く耳持たれずやがて弾圧されていく。そうして日本人はまた一億皆で戦争の時代へと突き進んでいく。歴史はこうしたことを繰り返してきた。

 自分ができることは何だろうかとこのところ考える。悔い改めよと叫ぶ者には自分はなれない。改めるべきはまず自分であろう。ならば、せめて愛と義に重きをおいて、うたや音楽、文字という行動で自らのためではなく他者のために、外の世界のためにできる、なすべきことを一つでもしていくしかない。

 日和見主義にはならないよう、まして悪のお先棒を担がないよう、自らも含めた弱者や障害ある者が疎外されることなく当たり前に生きて行けるよう共に手を携えていく。声をあげていく。そしてこれまでもこれからもどんな時代であったか、記録に残し語り継いでいく。

 神の国は祈りただ待ち望むものではなく、自らが求め行動し作り上げていくものではないのか。それはともかく行動で示していくしかない。今ならそれができる。まだできる。
 自分ができる、なすべきことを少しでもやっていく。

多事多忙の合間を縫ってまた古民家の片付けへ2014年09月09日 03時25分31秒

これは八月末に、明野のひまわり祭りの会場で撮った。富士山が遠くに見える。
★冬が来る前に               アクセスランキング: 126位

 自分にとっては2010年の、フォークロアセンター40周年記念ライブ以来の久々の外部での大きなライブイベントが決まった。11月30日の京都から詩人有馬敲氏を迎えての「有馬敲の詩とうたのコンサート」(仮)である。会場も阿佐ヶ谷駅前のライブスペース・イエロービジョンに決定した。
 これから詳細をつめて告知宣伝し、チラシ・フライヤーも作って来月頭には配布できるようにしていきたいと考えている。今そうした調整、連絡作業に追われている。今週中に全出演者なども確定させたいと考えている。

 そんなこんなで気が急いてはいるが、山梨の古民家のほうもほったらかしにしてはおけないし今秋のうち、また冬が来る前には、いいかげんに先の住人たちの荷物ガラクタの片付け作業は終わりにしたいと切に願う。今のままではサマーキャンプどころか、ウチの一家だって落ち着いて寝泊りできない。

 滞りなく日常生活ができるためにも冷蔵庫を始め元々向うにあった家電類はほとんど使用できないのでやはりこちらから持っていくなり新たに買い揃えねばならない。
 山のキャンプのようにただ行って買ってきた食料をそこで食べて即帰るならばそこには「生活」はないので基本何も不要だが、やはり日帰りではなくある程度の滞在を考えるとテレビはいらなくとも炊飯器をはじめあれこれ生活道具が必要となってくる。

 当初は水道もトイレも使え電気も点くし布団も残っていたので即生活できると考えていたが、じっさい住んでみるとやはりいくつかの家財道具は必要だとわかってきた。
 まあ家電は増やせば普段使わないものまでキリがないので必要最低限にとどめるつもりでいるが、洗濯機はないとやはり不便で困る。幸いご近所から二層式の旧いがまだしっかり動く洗濯機をもらったこともあり、今回はそれを運び設置しに行く。
 外の水道にジントギの流しも据え付ける。そして室内のゴミ類をまとめていく。9/23日には、「古民家片付け隊&下見に森の音楽隊」の人たちも来られる予定なので少しは掃除もしておかないとならない。

 そんなこんなで忙しいが、人生はやるべきことがありそれができることは有難いことだと思わないと罰が当たろう。やがてまたやってくる冬が来る前に、なすべきことをやっていく。

商売と人生これからのこと2014年09月10日 21時23分35秒

★ともかく少しでも食えるようにしていかねば          アクセスランキング: 131位

 貧乏暇なしなのは若いときからずっと変わらないが、特にこのところますます困窮の度は深まり金は出る一方で、入る当ては全然なく僅かな貯金は底をつき始めている。
 先にアベノミクスで、3月、4月と消費税増税のかけこみ需要とそれで火が付いた購買意欲の高まりがあったことは書いた。こんなネット古本屋でもこの春から6月前半頃までは売り上げ好調で、このまま消費は回復したかと期待もした。それで少し余裕もできた。

 が、ご存知のように、多少の給与所得は上がったとしても増税に加えてもろもろすべての価格が上がり、結果実質的収入は下がり続け、多くの人が購買には慎重となってきた。それで夏口からはバタッと注文が減った。
 つまりようやっとアベノミクスというイカサマの皮が剥がれてきたわけだが、その安倍政権は財界と愚民の支持で未だ居座り続け、こちとら小口商売人はいよいよもっとますます食えなくなってきたという次第だ。
 さすがにどうしたものかこのところ考えている。

 むろん食えないのは今も昔も相変わらずだったわけだが、贅沢はしなくとも本業とは別にこれから秋口からのイベントやプロジェクトなどで出掛けたり打ち合わせしたり事前投資的なことで出費がかさんでついにマイナス収支となったわけだ。
その他、山梨へ行けばガソリン代高速代などで一回ごとに一万円は軽く飛ぶ。向こうで何だかんだ野菜やら買ったり食事したり金も使う。そんなでまた一万円。まさにそんなで飛ぶように金は使ってなくなるのに比して入ってくる当てがない。

 もっと古本商売に励めば良いわけだし、じっさいどこかアルバイトにでも行かない限りそれ以外の収入の道はない。なんでこのところは売値が安い本、つまり純利が低い本でも構わず出したり、状態があまり良くない本、古かったり売れてもトラブルが起こる可能性のある本でも背に腹変えられず無理してAmazonマーケットプレイスに出品していた。
 そしたら、案の定、クレームがつき、購入者がつける出品者の「評価」が下がってしまった。情けないが自業自得しょうがない。

 そもそも今回のその本はかなり発行から歳月を経た高等数学の専門「古書」で状態は良くないことは事前に説明はして出品していた。が、注文が届き、梱包前に詳しくページを繰って内部を確認したら一部ペンによる下線引きがあることに気が付いた。出品時には気づかず見落としていた。
 その時点で発送せず一度相手方に、状態説明して判断仰げは良かったのだが、あれこれ心労で疲れていたこともあり、相手に本が届いてから改めてメールして返金なり相談すれば良いかと考え、その旨だけ送り状に記して発送してしまった。

 そしたら今日、さっそくその方から「説明と違い状態に偽りあり」としてお怒りからすぐに低評価が付けられたという次第であった。こちらからメール送ろうとした矢先、ついもたもたしていたのが失敗、失態であった。人は頭にくると行動が素早い。

 さっそく相手には詫びて、メールして返金するのでその低い評価は何とかしてほしいと頼んだが返答はない。まあ、それが確定しても今の気分としては苛立ちも嘆きも悔やみもない。これもまた起こるべくして起きたこと、招いたことであろうか。そもそもこうした通信販売というのは、現物が見えない物を言葉の説明だけで売買しているわけで当然双方にイメージの食い違いが生ずる。
 こちらは発行からの歳月のわりには状態は綺麗で良好だと思い、「良い」と説明してもそれが届いた相手は、かなり古い薄汚い本だとしか捉えないことも多々ある。向こうは現物を見ていないからつい準新品同様の綺麗な本だと思うのである。

 逆にこちらが状態悪いと思っても向こうはそう思わない場合もある。通信販売だから、こうした食い違いは日常茶飯なわけで、まあそれでもかなり細かく事前に出品時に説明はして事なきを得てもやはり百冊に一冊ぐらい売ると、つまり百人に一人は届いた本にクレームがついてくる。
 が、今回はそれ以前に、そもそも当初の説明にない不備があったのだからもっと事前に早め早めに手を打っておくべきであった。まったくどうかしていた。相変わらず迂闊であった。

 と、山梨から戻ってそんな失態が待っていたが、今回は向こうではかなり働いた。こちらから洗濯機や流しなど運んで設置したし古い洋服ダンスも社員に壊して分解してもらったし、先にカワムラさんの倉庫から運んできて畳の部屋に山積みにしてあった雑本類もとりあえず場所作って収納できた。

 実は山梨のその古民家を入手したのも、古い雑誌類と文庫などの倉庫、物置、分別作業場としての目的であった。もうAmazonのほうでそうしたクレーム付きそうな専門書を売るのは正直やめにしたい。単行本などコミックも含めてごく一部の専門書以外は今はほぼすべて1円本なのだから、出品できる本を探すだけでも一苦労だ。それで売れてもクレームがついたり心休まる暇もない。まさに労多くして実少ないというのがネット古書店なわけで、どこそこの三面広告のように、セドリで貴方も気楽簡単にお小遣い、なんて、まさに嘘偽り、デタラメでしかない。

 そんなわけでこれからは自店舗で、雑誌や古い漫画雑誌に特化した古本屋を始めようとこの何年も考えている。
 そう何年も企画だけはしてそうした本を一か所にまとめ溜めてはいるのだが、ちっともその店がオープンできない。今年こそはと決意しつつ、日々の雑事に追われて気が付くと一年がまた終わってしまう。

 しかしこう食えなくなると、そろそろ本気で商売に新たに取り組まないことには先はないしやがては困窮死しか待っていない。

 とにもかくにも親たちがまだ生きているうちにこれからの道筋をつけないとならない。今回の件で、ようやくまた人生が動き出した気がしている。これでやっと煩悩から目が覚めた。

9.11~3.112014年09月11日 21時47分11秒

★故郷を追われ死んでいった者たちの魂は・・・         アクセスランキング: 125位

 今日は世界のカタチを大きく変えるきっかけとなった米国の同時多発テロの日であり、東日本大震災から三年半の節目の日である。

 ところがその日に、朝刊には、大きく「川内原発規制基準適合」と、これから再稼働を進めることの決定が載っていた。
 いまだに約24万人もの人が震災と原発事故などで故郷を追われ仮設住宅などで避難生活を強いられ、原発事故関連死が少なくとも事故後千百人を超す(東京新聞の調べ)というのに、また臆面なく原子力発電所をこの国は稼働させていくのである。

 テレビのニュースなどでは、その地元の住民の声として、稼働を求め歓迎する意見が多く紹介されていた。確かにろくに産業もない町では原発こそがほぼ唯一のいちばん金が入る、地元に金を落とす根幹産業なのであろう。しかし隣接する周辺自治体の住民からは今も火山が噴火した際のことも含めてその安全性に大きな不安があるとの慎重意見が多数出ていた。そうした現実の中、原子力規制員会は、新しく定めた規制基準を満たしていると審査「適合」としたのである。

 また米国では、ノーベル平和賞受賞者オバマ大統領は、9.11の同時多発テロ報復戦争の教訓はどこ吹く風で、本日その9.11にまた中東シリアにテロリストの拠点をめがけて空爆を指示した。

 この世の中は全て何らかの関係があり、仏教で言えば因果応報なのだろうが、今日のこの二つのニュースには複雑な思いを抱いた9.11であった。9.11とその半年後の3.11、そこには深い意味があると思える。込められたメッセージをどう受け取るかだ。思うに、人はいつまでたっても何一つ過去から学ばず、また新たな過ちと選択を繰り返すのだと。

 つまるところ歴史とは過去の死んだ人のたちのものではなく、今ある、生きている我々のものなのだからどうにもいかようにも好き勝手に動かせるものなのであった。
 しかしそうだとしてもその「過去」のできごとから何も学ばないとするならば、先の戦争で死んだ者も含めて、その出来事で死んでしまった人たちの気持ちはどうなるのであろうか。
 原発事故で住み慣れた家、故郷を追われて体調を崩し心を病み結果として命を縮められてしまった人たちの思いはどこに向かうのか。
 怨霊などというものは信じないが、望まずに死ななくてはならなかった、殺されてしまった人たちの魂は今どこにあるのだろうか。あの世で今の我々の姿を見下ろして何を思うだろうか。

 今生きている我々は我々だけの人生や生活を享受するだけではなく、そうして死んでいった人たちの「無念」に思いをはせる義務があるのではないか。
 歴史とは過去に目を閉ざせばまた結果同じ過ちを繰り返す。まして大昔の話ではない。だれの記憶にもあるつい先日のことだ。だのに、そんなことはなかったように、今も避難生活を余儀なくされている方々が多数いるのに、再び安全性及び避難計画に疑念ある川内原発を稼働させる決定がなされたのだから本当に罪深いことだと嘆ずる。またもや原発は神話的に絶対安全であり、もし万が一のことが起きればそれは想定外の未曾有の出来事なのであろう。

 それもこれも安倍自民党政権のアベノミクスという怪しげな庶民には何の恩恵も実体もない景気浮揚策の一環で、世界各地に原発を輸出し外貨を大企業が稼ぐためにはまず日本国内で原発を稼働させ安全性を内外に示さないとならないからだ。
 経団連など大企業から堂々と献金を受けて、彼らのために、彼らが儲かるための政治を今後も続けていく。

 米国が戦争国家として、世界の安定平和のために、それを口実に永遠に戦争を続け、仕掛けていくように、過ちを過ちとして認めることは決してしないのが政治家とその取り巻きなのであろう。

 そうした政治家たちを選び許してきたこの日本人。秘密保護法と憲法解釈の変更でもうギリギリの待ったなしのところまで来てしまった。その先にあるのは米国に倣った強い国であろうともこの国は今地滑り的に破滅へと突き進んでいる。

 思いを遺して死んでいった人たちのためにも過ちの歴史は絶対に繰り返してはならない。そのためにまだ我々にはできることがきっとある。
 今日誓い新たにこれからできること、すべきことを真剣に考えている。