10月秋本番、慎重に丁寧に、より確実に2014年10月01日 18時45分37秒

★10月に入りました。今思うことなど少し。          アクセスランキング: 133位

昨日は、標高700mの高原の山里から戻ってきたら東京は妙に蒸し暑くて閉口したが、今朝からはまたどんより曇って小雨がぱらつくうすら寒い天候となった。
 今日から10月である。今年も残すはあと三か月。実に一年なんて毎度のことながらあっという間だとつくづく思う。

 それにしても今年の夏は慌ただしく、9月もあれこれ出掛ける用事がやたら続いて今ようやく一段落した気がしている。今月もいくつかライブの予定は入っているが、先月のように責任ある関わりはないことと拙宅のイベントもないのでずいぶん気が楽だ。
 ただ、今年の秋の目玉は、11月30日の、阿佐ヶ谷のライブハウスで催す「有馬敲の詩とうたの世界」コンサートであって、それを盛大かつ無事に成功させて終わらせないことには今年が終わらない。
 まだチラシ、フライヤーはこちらに届いてはいないが、いよいよこれから宣伝活動開始して、今月中にほぼ予約だけで満席にできたらと考えている。基本拙ブログと、私マス坊が宣伝告知と「予約受付」担当なので、どうかご関心お持ちの方は、お早目に申込み願いたい。

 それにしても、ギックリ腰から、老犬の死、その他いろいろ不徳のいたすところの諸事情からのトラブルとその対応、心労のところにあれこれ出掛ける用事も重なって限界状況の中、よくまあ無事にここまで「生きて」これたと自分でも感心する。
 むろん生きているからこうして振り返り、あれこれ思い返すこともできるわけで、事故や突然死などに襲われていても自分の場合、もう年齢的なこともありちっとも不思議でもおかしくもない。
 疲労は慢性的なところに、睡眠不足のうえで曲がりくねった高速道路を猛スピードで車を走らせたり、無理を通すとか以前のしっちゃかめっちゃかなことをこの夏から何度も繰り返してきた。

 幸いいつだって神のご加護と恵みがあり、単に運よく今まで死なずにすんでいるに過ぎないと自分でも思う。実は今日もかなり危険かつ面倒なトラブルに巻き込まれるところであったが、寸前にそれをうまく切り返し「衝突」を避けられた。交通事故の類ではないが、思い返してもかなりやばかった。詳しくは書けないがまさに危機一髪であった。
 判断が的確だったわけでも特に運が良かったというわけでもない。まさに一瞬のタイミングと僥倖、神のご加護、はからいで幸い救われた気がした。

 そしてこんなことを繰り返していればいつかは、ではなく、近く間もなく、自分は事故やトラブルに巻き込まれ、いや、トラブルをしでかし警察に捕まるなり、病院に担ぎ込まれたりする。そしてときに、ブログは何日も更新されず、やがて風の便りに「死亡」の報が流れることであろう。

 今願うのは、その11月末の大きいコンサートを無事に大成功とさせるためにも、無理せずにともかく何事もまず慎重に丁寧に、より確実にと、今強く心して決心したところだ。この自分がこけたら、そのイベントは頓挫し、実現することなく即中止となるであろう。

 むろんこの世は縁であり、様々な人間関係もあって、請われれば自分のできることは何でもしなくてはならない。しかし今はこれからに繋げるためにも、来年からのことも見据えて長期的展望で行動するためにも目先のことに囚われるのではなく、ともかく慎重に安全無事第一にやっていこうと思う。そして一つ一つをきちんと確実にしていくことだけだ。

 自分はバカだと繰り返し書いてきた。しかしバカだからと開き直り、良しとするのではなく、バカだからこそより慎重に丁寧に、何事も確実にしていかねばならないわけで、あとこれから二か月、それがとこまで徹底できるか、勝負なのだと思える。

 人生は長く、まだまだ続くという気もしているが、ほんと先のことは誰にも自分でさえまったくわからないし検討もつかない。同世代で会社勤めしている方なら定年後の老後の生活設計なり、年金生活のプランもあろう。後を託す子や孫もいよう。老後を語り合う妻もいよう。
 自分はそれは何一つない。何一つ持っていない。つまり今も昔も若いときと同じく永遠のフリーランス、フリーハンドの状態にいるわけで、だからこそ常に無謀的に無理を通してきた。しかしもうそれはすべきではないとようやく気づく。自分だけでなく周り、関わる人たちにまで迷惑や危険が及ぶ。

 つまりだからこそより慎重に丁寧に人生に向き合わないとならなかったし、誰にも頼ることも任せることも託すこともできないぶん、自分一人で自分を頼みやっていくしかない。正直それはしんどいことだし、真剣に考えると絶望的な気持ちにすらなる。
 しかし、それもまた自業自得で、誰にも頼れないからこそ、我を信じ我を鍛え我に任せるしかない。後は天の計らいに任せ委ねるだけだ。

 今年もあと三か月。年末に振り返って、とにもかくにも今年はこれだけはやり終えたと自分を納得させることをまだ何一つやっていない。がんばらねば。そのためにも自分を大切にしていかねばならない。

 そう、皆さまも大変な時代、どうか無理せずご自愛ください。そして無事に来年を喜びと共に迎えましょう。

11/30の詩とフォークソングコンサートのチラシ完成!2014年10月02日 20時23分30秒

チラシの表面
★当ブログで、先行予約始めます。           アクセスランキング: 131位

 本日10月2日、友人のデザイナーの方にお願いして、印刷屋に発注していた今回のイベントのチラシ、つまりフライヤーが完成してウチに届いた。コンパクトながらも中身の詰まった良い出来ではないかと自分でも思う。 
 そもそもキャパは椅子席30~程度のイベントなのに、本格的にデザインして印刷に回すのは度が過ぎている気もしないではないが、それだけ気合いが入っているとご理解して頂きたい。
 そう、自分としては外部でやる大きい規模でのライブイベントは、あの2010年に浅草木馬亭で催した「両国フォークロアセンター40周年記念コンサート」以来のことで、二度と興行的失敗はしでかさないよう万全の準備と気合い入れてのことなのだ。

 今回のイベント、京都よりご高齢の有馬御大をお招きするのはもちろんのこと、マス坊のコネクションでもっとも信頼かつ敬愛する素晴らしい仲間たちを揃えてかなり豪華な顔ぶれとなったかと自負している。
 しかしいくら多彩かつ超豪華な顔ぶれであっても先の40周年コンサートのように、何故か客は入らず大赤字となるのが今の情勢であり、気を緩めたり驕ってはならないと心している。
 入場料はやや高めに設定したが、京都からご高齢の名高い詩人をお迎えすることも鑑みご理解願いたい。また、当日扱いとなるが、障害者、若者割引も考慮するので、受付でお申し出頂きたい。

 何であれ、席に限りがある。ご参加頂ける方は、まず当ブログのコメント欄に、まずご氏名とメルアドなど連絡先を記入し送信してもらえればおってこちらから返信し確認とります。むろん非表示扱いとするので、ご安心ください。
 またここでは公開できないが、私マスダのメルアド、電話など連絡先をご存知の方はそちらから連絡してくれてもかまいません。

 当日は予約者優先で入場してもらうこととなるかと思う。まずはお早目に予約申し込みお願いいたしたい。

11/30のコンサートのチラシ裏面2014年10月02日 21時57分44秒

チラシ裏面
★クリックすると拡大されます。

男と女の更年期2014年10月03日 21時37分20秒

★いつまで続くこの不具合と不調は アクセスランキング: 121位

 ああ辛い。このところどうにも自分を律することが出来なく辛い。なんぎなこっちゃ。

 夜は、大して疲れたことはしていないのに、目がしょぼしょぼで、昔なら深夜まで起きてあれこれひと仕事作業できたのに、晩飯喰うともう眠気と疲労感で起きていられない。
 そんなで早く寝てしまうのだが、そのまま朝まで深く眠れるならともかく、下手すると午前1時、2時という、まだ真夜中も真夜中に起きてしまう。それからが眠れず、ベッドの中で本など繰って悶々として朝になって寝なおしたり、ときにはそのまま一日起きてるのでともかく一日が長く辛い。そしてそんなで日中常に眠いし調子がすぐれない。下手すると午後また深く昼寝もしてしまう。
 歳と共に早起きになるとは聞いていたが、もうこれは早起きではない。長く眠ることができていない。眠るのにも体力がいると、年上の友人に諭されたが、まったくその通りだと思う。疲れていても常に眠りが浅く、長時間しっかり眠れないのである。これでは寝たことにならない。疲れが取れない。

 女の人の更年期というものがどういうものか自分は男なので良くわからない。しかし、これもまた老人への道筋、男の更年期ではないかと思う。辛いのは、心もやたら苛立ち、いや、若いときから変わらぬ心と変化していく体、体調が巧く噛み合わず、どうにも自ら我が身を律することができないことだ。

 心の海は荒れて苛立ち、うまく制御できず戸惑っているのに、それに輪をかけて我が身が我が身でないような不全感、不調が続いている。頭は痺れたように頭の芯がぼーとして常に鈍く痛く、体は睡眠不足で常にだるい。よってしじゅう疲れている。
 そしてあえて言えば、辛いのは、こうした感覚は同世代の人なら共有し共通のものとして多少は理解共有できるはずとも思うのが、年下の若い人たちには伝わらず、訴えることも言い訳にもならないことだ。

 むろん自分が昔年上の人たちと付き合ってもまったくそうした不如意、不具合には頓着しなかったし、こうしたことはそのとき、その歳にならないことには絶対にわからないし伝わらないものだとも今にしてわかる。
 また、年上の人たちもそんな苦しさは年下の自分には訴えずおくびにも出さなかったはずで、ならば自分がそうしたことを年下の人たちに伝えても伝わらないし意味がない。それはフェアではないだろう。
 しかし若い人たちの身勝手さ、頓着のなさが、今の自分にはけっこうこたえる。それに伍して昔のようにしっかり応対できないしすべてが辛く感じる。

 老いるとはこうしたことなのか。そしてその先にいったい何が待っているのか。やがてはさらに呆けて何も思わず感じず、わからなくなっていくのならそれもまた良いことだろう。その頃にはウチの親爺のように暇さえあればこんこんと居眠りし続けられるだろう。

 若いときからどうしようもない自分であったし、もとより信頼も重きもこの肉体にはおいていなかったが、まさかこんなに肉体と体調に振り回されるとは思ってもいなかった。ここを通り過ぎればやがてはもう少しは気持ちと体がうまく合致し、ダメはダメなりにうまく体調管理もできるのであろうか。

 それとも何かうまい処方や健康法、食生活の改善などで、この危機を乗り切ることができるのか。女の人は生理が終わればそこから新たに快適な人生がまた始まると何かで読んだが、男の場合はいったいどうなるのか。

 ただ一つ確かなことは、人は常にそのときになって体験してみないことには何一つ本当のところはわからないということだ。そしてこんなことを書き記してもたぶん若い人には何も伝わらないであろう。しかし、だからこそ人が常に通る道ならば、50代には50代の体験と感慨が、60代には60代のそれが待っているのだと思える。
 愚痴や泣き言、世迷言の類ではあるが、自分は隠すことなくそうしたことを書き記しておきたい。男らしくないけれどそれが自分のやり方なのである。

 今辛いのは、心と体の齟齬というか、そのギャップであり、心、つまり考えや感情はたぶん歳とってもあまり変わらず老い朽ちることはないのであろう。そのことにも驚かされるが、問題は肉体だけが経年と共に老いさらばえて維持管理できなくなり、全てにおいてあてにも頼りなくなっていくことだ。自分だけではないはずだ。
 更年期とはそうした時期でありだからこそ辛いのだと今はっきりわかった。
 やがてもっと年老いてしまえば、心が老いた肉体に追いついていくのであろう。呆けてもう何も思わず考えなくなっていく。そうなればきっともうこうした嘆きや辛さは感じなくなるのかと思える。もう少しの辛抱か。

 地獄はそこかしこにある。しかし、それもまた体験してみないことには地獄の地獄たる意味と価値がわからない。たぶん若い人たちは自らが歳とるなんて考えたこともないだろう。我もそうであった。まさか自分がこんなに歳とるなんて思いもしなかった。しかしこれが現実でありそれを受け入れることはともかくも日々現況報告はしていく価値はあろう。
 この道はいつか来た道ではないけれど、誰もが必ず通る道ならば。

生と死を分けるものは2014年10月04日 16時06分39秒

★登山と御嶽山の噴火事故に思う           アクセスランキング: 114位

 よく、死ぬかと思った、とか、まさに九死に一生を得た、とか人々は口にする。
 しかしそう言える人は死ななかった人で、死ななかったからこそ後になってそう語れるだけで、実はもっと多くの死んでしまった人たちは何も語らない故彼らの言葉は何も残っていない。まさに死人に口なしである。
 まあ、今回のような噴火などの突発的な事故の場合は、今の人たちは誰もが携帯電話を持ち山にも来ているわけで、死の間際、いや、死に臨み、もはや死を覚悟して肉親や大事な人に慌てて電話したりメールを送ったりもするのであろう。しかしそれすら遺言やラストメッセージでしかなく、それが可能な時代は良いことなのか正直即答できない自分がいる。

 マス坊は今はもう老いて体調も常に悪く、もう山などに行くことはまずないと思っているが、かつてはハイキングや山歩きの延長として、あちこちの山に気軽に上っていた。今回の木曽御嶽山はまだであったが、かつては山歩き仲間と組んで、高くは富士山から八ヶ岳、一番低いのは大阪築港の天保山まであちこちの山へ機会あれば登った。
 しかし本格的な山男や登山家ではまったくなく、気軽な趣味としての山散歩に毛が生えた程度のものなのだから登山が趣味だなんて恥ずかしくて口にしたことはない。まあ、スポーツは基本見るのもやるのも大嫌いの自分がかろうじて興味の持てることが山へ行くこと、山歩きだったということだ。何より自然の中での他の人とあまり会わないですむことが自分には合っていた。

 だから古本屋としても様々な登山関連の本やガイド本は揃えたし自らもずいぶん新田次郎を筆頭にその手の本を読みふけった。そして山での「遭難」ということにもかなりの知識を持った。
 私事だが、直接の知り合いではない人で遭難死した人も知っているし、一番身近では、母の妹の連れ合いの方、つまり血のつながりはない叔父が、もう数十年前に冬の穂高で遭難死している。だから山の危険性はそれなりに知っているつもりでいたし、逆によほどの悪天候や冬山シーズン、それに岩登りのような危険個所でない限り、体調さえ整えていればまず安全だという考えでいた。

 ただ今度の戦後最悪の登山事故となってしまった御嶽山の噴火事故についてはただそのニュース続報を毎日見る度ごと胸が締め付けられるような苦しい気持ちになる。
 これが一般の「遭難」事故であるならば、亡くなった方や事故にあった人たちには失礼だがそこには原因も理由も意味付けもできる。つまり事故は偶然であろうとも死の必然的理由が付けられもする。つまりその身内たちはその理由により「死」にもある程度の納得もいくかと思える。
 では今回の噴火での死者はどうか。生きてまさに九死に一生の思いで麓に降りてこられた人と山頂近辺でそのまま火山弾や火山灰に埋もれて心肺停止となってしまった人との差は何があるのか。まさか噴火に備えての装備していった差ではないだろう。今回はまったく登山者は誰一人予知も予測もしていなかった。そこに経験の差もないはずだ。

 あるのはまったくの偶然でしかなく、前日に登山した人は誰一人死なず、その日、ちょうど一週間前の昼時の噴火の瞬間に山頂近くにいた登山者たちのみ今回の惨事に出会う羽目となった。

 これはいわゆる登山事故、遭難ではまったくない。突発的交通事故などと全く同じく、運悪くその日その場に居合わせてしまった不慮の不測の事故でしかない。そう思うとき、何故に彼らは、山好きの50数人の仲間たちは死ななくてはならなかったのか。居たたまれない気持ちになる。運不運という言葉があるけれど、何故彼らが死ななくてはならなかったのか。

 噴火予測の不備や情報の不足を問題視する意見もある。しかし、生と死を分けるものは何か。こんな災害に出くわしたとき生き残る秘訣などあるのか。そんなものはあるのか。ずっと考え続けている。
 この世は自業自得だとよく自分は考えるしまた自らもそれを深く認識している。しかし、今回の死者たちには何の罪があろうか。なぜに彼らは死ななくてはならなかったのか。ずっと考え続けている。

若き友との友情のために2014年10月05日 15時34分36秒

★冷たい雨が降り続く日に              アクセスランキング: 117位
 
 久しぶりの本格的な雨が昨日夜半からずっとかなり強く降り続いている。今季最大といわれる台風が日本列島に近づいていて、この雨はまだ台風のそれではないというが、前線が刺激され明日も一日かなりの雨量が予想されている。

 おまけに寒い。今温度は室内でも20度もない。台風がどこまで近づいているのか定かではないが、これから浅草木馬亭まで出向かないとならない。正直、気は重いしこんな嵐の夜に遠くまで行くのはしんどいところだが、岡大介の毎年恒例の一大メインイベント「木馬亭独演会」の日なのだから彼との友情のためにも何がなんでも行かねばならない。

 天気が悪くて参加者が少ないかもしれないのならあえて行かねば友達甲斐がないではないか。彼も出てくれる、我が企画11/30のチラシはもう彼のところに送って、今日折りこんで本番当日撒いてくれることにはなっている。しかし、だからといって行かなくて済むとか、天気が悪いとか遠いとかしんどいとか言ってたらきりがない。

 6年前、まだほとんど無名の頃、最初の時から関わってずっと観てきたのだ。売れっ子になり有名人になりマスコミに取り上げられてエラクなってしまったとしても、変わらずに彼とは付き合っていきたいし、彼がこちらをどう思おうとも「友」としての気持ちは変わらない。
 愛もそうだが打算や見返りを求めるのならばそれは愛ではないし、友情もまた同じことだろう。彼はもう自分が考えるフォークソングの側の人間でないのかもしれないが、その若き友からずいぶん多くのもの、出会いも含めて多くのことを頂き学んだという思いがある。年下であろうと人と人が出合い影響受けるのは年齢はまったく関係ない。

 そうした感謝の気持ちも含めて応援していきたいし、ゆえに応援してきた。じっさいの話、彼にはもうこの我が何かしてやれることなど何もないという絶望的気持ちにも時になるけれど、関係だけはずっと続けていきたいと思う。
 いくら売れっ子だとしても順風満帆のときばかりではないだろう。特にこんな悪天候の日は、どれだけ客が入るか不安でもあろう。自分出来ることはそんなときだからこそ何としても行って応援するだけだ。

 大阪の春一番ではいつも楽しみにしていた敬愛する宮里ひろしさんも今回のゲストである。ちっちゃいおっちゃんとも久々の再会だ。それもこれも含めて岡大介にとって今年の木馬亭独演会こそ大事な試金石となろう。戻ったら後ほど報告いたしたい。

岡大介の6回目の木馬亭独演会は雨の中、大健闘・大成功!2014年10月06日 21時35分57秒

大阪の師匠宮里ひろしと岡大介の共演シーン
★130人もの熱烈なファンを身につけた岡大介の底力  ランキング:140位     

 一夜明けた。台風はマスコミが大騒ぎして万全の対策を呼び掛け、ほぼ本土直撃したわりに、他のところはともかくも関東は大した被害はなく、特にウチの辺りでは雨はかなり降った以外は風の被害も何一つなかった。肩すかし食らわされた気がしている。
 まあ、被害はなかったことはもちろん良いことで文句など言えないが、人の心理とは不思議なもので、どうせなら悪い状況をあえて望む心理もまたあるように思える。つまり最悪の場合を想定すればそうでなかったときは逆に物足りないような不満さえ起きるような不可思議なものだということだ

 今回の岡大介、今だから明かすが、台風襲来という悪天候も重なったことで、今年は閑古鳥が鳴くのではとマス坊は想定しそのことを期待する気持ちさえ少しあった。というのはいくらマスコミで取り上げられ世相風刺で若手期待の星、肩で風切る人気者だとしても、昔から彼を知る者としてはそういつまでも人気が続くわけがないと思ってたし、一度はまた興行的失敗を味わってそこを原点にしてその挫折から這い上がってほしいという、言わば星一徹的やっかみ半分の複雑な思いもあったのだ。

 しかしところがどっこい蓋をあけてみれば、さすがに前回のようなフルハウスもフルハウスの立錐の余地ないほどの超満席の入りとはならなかったものの、雨で人出なく閑散とした仲見世、浅草寺界隈とは裏腹にここ木馬亭には雨の中も次々と中高年が押しかけて来て結局多少の空席は残ったものの通路の補助イスに座った方も含めれば、キャパ131席ほぼ全て分の観客の入りとなった。これには皮肉屋マス坊も本当に驚かされた。
 まさかこんな台風襲来、強い雨降るうすら寒い中、これだけ多くの、それも若くない世代が集うとは予想もしていなかった。まさにそこはコアな熱烈な岡大介ファン、親衛隊的応援団の人たちばかりだった。
 つまり年に一度の岡大介にとって最も大切な、自らの実力をはかるこのライブイベント「木馬亭独演会」には、どんな天候であろうとも必ず駆けつけるというコアな熱いファンが少なくとも130人は彼に付いているということなのである。それが証明され見せつけたのである。何と素晴らしいことか!

 これは彼の人気がフラグや一時一過性のものではないという証であり、今の彼はそれだけの人気と実力を兼ね備えた多くの人たちに支持され愛された存在となったということであった。心底感心させられた。
 またその今回のステージも、雨などで当日の設定が遅れたり、彼自身が初の悪天候に臨み神経質になっていたかと思うが、はじまってしまえばまさに自由闊達、自在に進めて気楽さと余裕さえ漂わせてうたも演奏も常に前回時より進歩を示してそれもまた感心させられた。

 特に今回は大阪より彼にとって恩人だというフォークシンガー「宮里ひろし」氏を迎えたこともあって、前回よりははるかにフォーク色が出てそのことも個人的には大いに楽しめ満足もできた。素顔は意外に神経質なところもある、好漢宮里氏も今回存分に彼の持ち味は出せたかと思う。ほとんど彼を知る者がいない東京、アウェイの短い場としては良いステージであったと昔からの彼を知る者として思えた。じっさいはコミカルさよりももっと熱きソウルフルなシンガーなのだと付け加えておく。

 やはり岡大介というのはすごいヤツだと改めて見直した。常に研鑽と練習を怠らず、前の時より先へ先へと走り続けている。むろんアラや課題はいつもながら多々ある。そのことは当人だって気づいていよう。しかしそんなことより以上に、彼は常に先へ、さらに高みへと走り続けている。うたも演奏も全てが前回より上待っていた。これはなかなかできることではない。出来不出来というレベルではなく常にいつも毎回新しい。これならば彼のファンは彼を見捨てない。

 彼はかんから三線という、チープな楽器の代用品のようなものを努力の末究め、彼のうたと演奏で真摯に襟をただし傾聴に値するものまでに高めた。今まで彼のそうした活動「かんからそんぐ」をあまり評価してこなかった者として恥ずかしくさえ思う。こんなチープな楽器で人の心を打つ。それは本当に素晴らしく大したことだ。まさに「うたの力」。彼に詫びたい。

 彼のファーストアルバムの評価として、誰が書いたか知らないが、Amazonではかなり辛口の「素人レベルだ」という低評価付けが今も書かれ残っている。しかし、今の彼はおそらくその頃とは比べものにならない、つまり彼の好きなサッカーで喩えれば、ジュニア選抜的レベルから海外のプロチームでプレイするほど格段に全てがレベルアップしている。そして彼はさらにその次の高みを目指している。

 お世辞やヨイショでなく、次回の木馬亭独演会が楽しみとなった。岡大介はやはりすごい。彼を既に知っている人も未見の方もともかく一度まず生で木馬亭独演会をみてほしい。やはり岡大介は素晴らしい。これならば人気は続く。これからも走り続けていけ!

「思い」は生き様で示していく2014年10月07日 23時17分51秒

★「結果」がすべてではないからこそ              
アクセスランキング: 86位

 他の人はどうか知らないが、自分にとって映画でも音楽でも本であっても「良いもの」とは、それを見ながら、つまり同時進行的にいろいろ考えさせられ刺激を与えてくれるものだと思っている。
 どんなに面白くそのときは夢中になったとしても、そのときに何も考えず何も感じないものならばそれは意味がない。結果として後には何も残らずやがてすぐに忘れ去られてしまう。つまるところ芸術とは、いかにサジェスチョンと知的好奇心のようなものを与え刺激してくれるかだと自分は考える。出来が悪かろうが下手くそだろうが見栄えが悪かろうが関係ない。見かけは綺麗で、音楽ならば聴きやすいものでもその「何か」がなければそれは一部の人にはビジネスとして流通するのかもしれないが、まったく必要でないし意味がない。
 そして残念なことだが、この世にはそうした「どうでも良いもの」が多すぎる。だから後には何も残らないのである。

 今回の木馬亭の岡大介独演会、実にいろんなことを考えさせられた。ほぼ無名の頃から長い付き合いある一人の青年の成功と成り上がりの道筋の「現況報告」の場でもあり、常に変化していく岡大介というシンガーの今をあからさま、ありのままに示す興味深い場であった。

 そうした思いは来られた観客それぞれ違うであろう。が、ただ一つおそらく誰にとっても同様に感じたことは、岡大介はまさに自らの信ずる道を研鑽と修練で究めたからこそ、今の成功と人気があるということだろう。別にプロダクションに所属しマネージャーが付いてあれこれ宣伝からブッキングまで担当してくれるわけではない。誰も仕事に関しては面倒みてくれやしない。今も昔も彼は自らでたった一人であちこちへ出かけどこでも唄い、道を開き人脈を築き連絡取り合いそうして熱烈なファンという支援者を地道に着実に増やしてきたのだ。

 何ごとにおいてもすべてが面倒で、腰が重い自分としてはまずそのことに深く頭が下がる。あの豊田勇造氏も同様だが、ともかくマメであり臨機応変、腰が低く包容力があり、つまるところ「人間力」というのか人間が大きい。歌い手という人気稼業だからではなく、もともと彼らはそうしたまさに如才ない基本性格なのであろう。

 そうしたことを彼のライブを観ながら気づき考えさせられた。彼は自らの信ずる道をひたすらスポーツマン的に雨の日も風の日も歩き続け、つまり唄い続けることによって今の地点に到達したのだ。彼は道を究めたのである。
 翻って我が身はどうであろうか。様々なことに関心を持ち常にそのときどきあれこれ手を広げて関わってきたけれど、結局のところ何一つモノにすることはできなかった。今この歳になって、偉き若い友人の成功を目の当たりにしてつくづく思い至る。
 これもまた我が人生であり、そういうふうにしか生きられなかったのだからこそ悔やんでもいまさらせんないが、今回のライブではあれこれ考えさせられた。

 そして今さらではあるが、ならばこそこの自分の生き方、つまり、思いや考えを世に示していかねばと強く決意した。そう、ともかく続けていくこと。誰からも相手にされなかったとしても自らの道を信じて続けていくしかないではないか。

続・「思い」は生き様で示していく2014年10月08日 22時41分49秒

★「結果」がすべてではないからこそ            アクセスランキング: 105位
 
 じぶんの語彙に、「生きざま」という言葉はないので普段は使ったことはない。「生き方」という言葉に比べて何だか無粋かつ下品な気がするし一時期マスコミが多用し手垢のついた汚い言葉だと思っていた。
 しかし、今はあえて、生きていくさま、「ありさま」という意味で、生き方という「方法」ではなく、その「様子」として使ってみる。

 皆既月食の夜である。夜7時頃、下方からじょじよに暗くなっていく満月を犬の散歩しながらずっと見上げていた。最後は完全にこの地球の影に隠れてわずかに赤く不気味に痕跡を示すだけの姿となった。
 今の人は、マスコミからそうした事象を知らされ原因もわかっているから驚くどころか、ほとんど誰も気にも留めていないが、古代の人たちはさぞや不気味に思い天変地異の予兆かと大騒ぎしたことであろう。
 そんなことを近所のドラッグストアの駐車上で、一人夜空を見上げてふと思った。他のお客たちは空を見上げることすらなくおそらくこの天体ショーは知ることもなかっただろう。

 人はおそらく誰であろうとも皆それぞれ様々な思いを抱いている。それは恋愛や結婚の願望や、社会的成功かもしれないし、もっと簡単な金儲けなど卑俗な要求やあるいは世界平和まで高尚な思いかもしれない。
 むろんこんな自分にもそうした願い、思いはある。それは「芸術」というのには大げさだが、うたや音楽を通して、あるいはそれは映画や詩朗読のイベント、ライブ活動だって同じなのだが、その場を通して何かを観客、聴衆に伝えて共有したいという願いなのだ。
 語弊あるがあえて書くと、同じ夢が見たいということに尽きよう。別に政治的に強いメッセージなどはない。怒りではなく、喜びや楽しみ、感動を「その場」で共に皆で分かち合いたいという単純な思い、その願いである。

 そしてそれは目的が商売や金儲けではなく、かといって誰かがボランティア的に苦労を被ることでもなく、出演者も参加者も企画者も共に満足し楽しみ喜ぶ場であってほしい。そんなことは夢物語だと嗤う人もいよう。
 しかし、自分が企画し招いた拙宅無頼庵でのライブでは、100%のそれではないが、我マスダとしてはおそらく来られた方々ほぼ皆がじゅうぶん満足された、それに近い場ができたと思うときもあった。
 ただたぶんそのことは、自宅であり、小規模での集いということも大きい。つまりごく内輪なら気の合う仲間たちが気軽に集い、興行的儲けなど眼中にないところでやれなくもないということかもしれない。

 このところ思うことの一つに、人はその思いがあるのならばやはりそれはただ内的に「思う」「願う」だけではなく、外側に出して世に示すべきではないかということだ。
 むろん、金持ちになりてぇーということはいくら人前で叫んだって意味がない。が、どんな思いであろうともやはりそれは何らかのアクション、行動にしていかないことには誰にも伝わらないだけではなく、実現はなかなかしない。
 
 文科系とか運動部系という人を二分する分け方がある。先の岡大介は高校までバリバリのサッカー少年で完全な運動部であった。だから今でもよく「結果が全てです」と胸を張って口にしている。確かにスポーツの世界ではどんなに中途まで良く攻めていたとしてもその試合に負けてしまえばまったく意味がない。だからまさに「結果が全て」で、結果しか意味がないし価値を持たない。

 ところが我々文科系では、まったく逆で、結果以前にプロセスこそが大事なのであり、結果は常に曖昧にして責任すらとらないこともままある。それは思想や社会運動の世界こそ顕著であり、戦後史だけ見ても、サヨク思想の闘いの歴史はほぼ百%ときの権力に対しては敗北の歴史なのだから、今の自民党盤石政権を見るまでもなく、選挙での勝ち負けだけ、つまり結果だけ見てたらばもう何一つバカらしくてやってられない。運動だって続けられない。

 また、これは詩の世界など芸術色が強いジャンルに顕著なのだが、もとからお金にならない、お金が動かないということが前提となっていると、イベントなどでも成功とは興行的なところに置かなくなる。つまり誰も外部から観客は来なくても内部だけでそのときどき成功や満足の度合いを高めはかってしまう。
 フォークソングとか、うたや音楽の世界ではまだライブハウスで興行的に公演を催すこともあるから、「結果」ははっきり出てしまう。しかしそれでも基本が文科系的な人たちばかりであるので、その結果がすべてとはならない。

 かくいう自分も同様に、プロセスこそ重視するその気持ちも強いしわからなくもない。が、やはりそれだけでは間違いだしじっさいの話、ダメなのだと強く思う。
 今からもう4年前のこと、その浅草木馬亭で、自分が発案企画して「フォークロアセンター40周年コンサート」を催した。今でも語り草となるほどすごいシンガー、アーチストが豪華に勢ぞろいした。しかし、興行的には大赤字も大赤字で、まったく客が入らず最後はタダ券も撒いて何とか集客し取り繕った。コンサートそのものは素晴らしいものだったと信ずるが、その興行的失敗は今も心の傷として深く残っている。つまり、木馬亭に行くたびに、岡大介はたった一人でここをフルハウスにできるのに、何で自分が企画すると客は来ないのかという問いかけである。

 そしてそれから4年、ある意味ずっと自宅で伏臥していたマス坊は再び、同様の外部でのイベントを今秋企画している。会場の規模もとうぜんごく小さくした。が、まだ今の段階では反響はほとんどない。早くも時おり弱気の虫が顔だすときもあるけれど、今回岡大介のライブを観て、ならばこそ自分もその思いを外に出していかねば、と決意を固めた。
 こうした詩関連の真面目なイベントは集客が難しいという声もきこえる。だからこそそれはすべきことであり、やる価値があるのではないか。そしてこの自分が企画しないことには誰もそれはやらないだろう。もとから儲かる儲からないことは念頭にない。かといって、岡が言うように結果が全てでもあるのだ。この規模が成功できなかったら詩もフォークも終わりだとすら考える。

 とにもかくにも一人でも志ある仲間たちを集めて来てもらうことだ。そのためには必死で宣伝告知に励むしかない。客が入らないのはアーチスト、出演者のせいではない。あくまでも企画者の責なのだ。今の時代、何だって殿様商売で、ただ漫然と待っていたら人は来てくれない。
 似たような夢をみたいと望む仲間たちがきっといるはずだ。そしてこうした企画はこれからも続けていきたい。そのためにもまず今回の有馬さんを招いての詩とフォーソングライブ、興行的に成功させねばならない。それが思いある者の使命であろう。

 自分が信じ、かつ願うところの素晴らしい夢を提供したい。拙い思いではあるが、その思いは生き様で示していくしかないではないか。

10月26日の「月刊 中川五郎」は・・2014年10月09日 00時02分57秒

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 ※ちなみに残す後2回は、11月は16日、12月は20日だそうです。ぜひぜひぜひご参加お願いします!!