まだこちら側にいる喜び、有難さよ。2015年01月19日 21時04分40秒

停めた庭から道までもこの斜面が滑って上がれない!
★明日はスノータイヤを買いに行く                 アクセスランキング:177位

 よく、「死ぬかと思った」という言葉をきく。じっさいそうした体験集をまとめた本も出ている。まあ誰もが生きていれば一度ぐらいはそうした九死に一生的な怖い目に会うかとは思う。
 自分の場合、これまでの人生でかなりそうした体験が多く、まあ運が良いと言うべきか、愚かな事態を繰り返しつつも何とか無事に死なずに幸い生きている。しかし今回はかなり危なかった。そのときは必死になっているからあまりよくわかっていなかったが、今思い返してみるとまったく毎度ながら我は運が良かった、またも神のご加護があったとただ感謝するしかない。たとえ死にはせずとも事故って当然であった。

 昨日から山梨へ行ってきた。先日向こうではこちらが雨のとき雪になったようで、一般道には雪は全然ないのだが、道端とか路肩にはまだ集められた雪がところどころ残っていて、それは平地の話であって、ウチの古民家は須玉でも長野寄りの山間部にあるので日なたははともかくも畑も日陰もまだ一面雪が残って凍りついていた。
 それは覚悟していたし予想もして今回出掛けたのは、このところ借りている倉庫から大慌てで雑本や雑誌類をひたすら運び込んでいるので、向こうも玄関も含めてそれらを運び入れたままでどこも山積みになり収拾つかなくなってきたのでそれを整理する目的で行ったのだ。

 本当は動く本や雑誌、つまり、売れるものと商売的価値がなく処分するしかないものとを改めて分別していかねばならないのだが、それ以前に、今近くに借りている倉庫の撤収が最優先され、まずはきちんと場所決めて効率よく積み上げていかないことにはもうこれ以上新たに運び込めなくなってきている。むろんそこはかなり広いから場所はまだあるけれど、無駄にあちこち何部屋もそうした未整理の本類で埋めたくはない。そうした場所作り、整理整頓をする日もないと運び入れるばかりではまさにどこも足の踏み場もなくなってくる。

 今回は一人で、犬たち連れてウチの軽ワゴン車で行った。インターからの増冨に向かう街道筋は路肩に雪が残る程度で何も問題はなかったのだが、一般道から外れてウチの古民家のある集落へ行く裏道の、ところどころ山蔭になっている部分には雪がそのまま凍って道にへばりつきアイスバーン状になっていたのだ。
 その古民家は同行された方はご存知かと思うが昔戦国時代に山城があった小山の山麓に点在する集落の入り口にある。つまり山肌にへばりつくように登坂の細い道筋に昔ながらの農家、古民家が何軒かあり、ウチはその集落の下のほうに位置している。

 といってもそこに行くにも、街道からやや何度か坂道を登っていかねばならない。今回、まず街道からその裏道に入ったら日陰部分は一面雪がそのまま凍ってアイスリンクのようになっている箇所があり、ややハンドルをとられ軽くスリップしつつも何とかそこは乗り越えられた。時間は昼過ぎであった。
 ウチは急坂を登り切ってまたさらに車一台入る坂道を少し下った左側に位置している。幸い小道には雪はなく車はすぐ入れられた。むろん敷地内、庭先には一面雪がかちんかちんに凍って白く積もっていた。いつものように庭に車を入れた。が、じつはそこもその小道よりも一段低く坂になっていたことで後で大いに苦労するのである。

 クルマから荷物を下して家の中に運び入れて、時刻は夕刻、4時半頃であった。雪の上を吹く風は冷たく、外にいると上半身はともかく足が冷えて感覚がなくなってくる。
 まだ時間もあり、近くの温泉にでも入らないことにはこれでは体が冷えて眠れなくなる。その古民家には元からの風呂はあっても整備してなくて使えない。

 車出して一番近くの「高根の湯」という公共温泉施設に行こうとした。ところが、エンジンかけても凍った雪の上でタイヤは空回りするだけでまったく進まない。庭から道までも出せやしない。いくらアクセル踏み込んでもエンジンの焼ける匂いがするだけでダメである。道まではやや高低もあり庭の方が低い。つまり凍った雪で滑ってタイヤは回転はしてもクルマは前へ動かせないのである。
 仕方なくエンジン切って、凍った雪を堅い木の板で叩いて割って取り除いていくしかない。四つのタイヤの前方の雪を必死に叩いて砕いて少しづつ取り除いてはエンジンかけたが、もともと道まで緩い登坂になっているので、何度やっても滑ってしまい上がれずなかなか道までも出られない。そのたびにさらに雪を砕く。今思うとまだ外は明るかったので見ながらできたのだ。
 そうした作業を何度も何度も繰り返してやっと道に出られるまで30分もかかってしまった。もう右腕は棒のようで中腰になっての作業で腰も痛い。とにもかくにも車は出せたので、高根の湯まで行けたがつい足を伸ばして大泉まで出てしまった。

 そこの初めてであったが当地の温泉にゆっくり浸かって、体を温めてまた須玉の古民家近くまで戻っては来れた。しかし、来るときに使う街道から入る道はアイスバーン状だと来た時にわかっていたので、もう一つ違う別方向からの道を使おうと考えた。そこはやや遠くなるのだけれど、遠回りはしても直線でウチの前の小道に繋がるのである。古民家に来られた方はご存知の巨樹で知られる根古屋神社の前の道である。

 塩川という川を渡ってその道に入って右折した。が、そこもまた山蔭でところどころ道は雪がかちんかちんに凍っていた。そしてむろんゆるやかな登坂でもあった。一気にそこを登っていったらちょうど登りきる寸前で、凍った雪の道の上でタイヤはシュルシュルとヘンな音出してそのまままったく動かなくなってしまった。坂道の途中である。もう少しで雪のない平らなところに出られ、目の前なのだが立ち往生。
 ブレーキを踏んでいるので下がりはしないもののどうしたものかしばらく考えた。何度エンジンかけてアクセル踏み込んでも同様で空回りするばかりでまったく動かない。さてどうしたものか。
 他に誰か同乗していたら後ろから押してもらえればとも考えたがいるのは犬しかいない。自分が降りてエンジンかけながら押すことも考えもしたが危険であろう。

 さて困った、といろいろあれこれ考え迷ったが、他に助けを呼ぶことも誰一人通るわけでもないので、仕方なくそのままエンジン切ったまま自然走行で下までバックすることにした。経験上下手にブレーキを踏むとまた滑ってスピンする。夜道を慎重にゆっくりとバックで登ってきた橋のところまでずりずりとうまく滑り下ることができた。
 ほっと一息つくまもなく、向き替えてそのまま県道にまた戻り、いつもの道、昼間来た道から入ることにした。ウチに帰るにはそれしかない。

 しかし、覚悟はしていたが、県道から下って入るすぐのアイスバーン状のところはごくゆっくり慎重に走ったのに凍ってツルツルであったため、昼間来た時より激しくスリップしてまったく制御できない。一瞬ガードレールにぶつかることも覚悟したが必死にハンドルを握って何とかうまく戻して雪のない道のところまで上がれた。今思うと反対側は川がある崖なのである。高さはさほどなくとも、ガードレールがあっても落ちていたかもしれない。
 そうこうして最後の急坂も登り切り、ウチの前まで来た。このまままた庭に車を入れると出すときにはまた苦労するだろうと考えもしたが、もう一か所ある、家の裏の駐車スペースも坂になっているのは同様で、しかもそこは後ろは高さ10mの崖の上なのだ。そこにも雪がありガードするものは何もない。もしそこに車停めて滑って道に上がれなくなれば落ちてしまう。先に大工のカワムラさんのマニュアルのトラックで来た時も停めたら出すのに冷や汗かいたが、もうそれは繰り返したくないし今回は自分一人なのである。事故っても誰も救助や救急の連絡すらする人もいないのだから。

 仕方なくまた同様に庭先に車入れてとにもかくにも家に入った。温泉で暖まった体はもうすっかり冷めてしまっている。置いてあった缶ビールをカラカラに乾いた喉に流し込んで一息ついたが、しばらくの間震えが止まらなかった。寒いからではない。恐怖のあまり震えていることにようやく気づいた。こんな怖い思いはいつ以来だろうか。
 凍った道で激しいスピンしたことも恐怖だったが、凍った雪の坂道をバックで下ったことも思い返しても恐ろしかった。毎度のことながらつくづくよくも無事であったと自分でも振り返って改めて今も思う。
 古本稼業の師匠で、現在は松本に居を構えていらっしゃる北尾トロ氏からも進言されていたのだが、雪国では冬が来たらタイヤを冬用のに替えるのは常識だとはっきりとつくづく思い知った。

 山梨の古民家での冬は今年が初めてではない。ただ、去年は大雪であまり来れなかったことと、タイヤもすり減っていなかったのか凍った雪道もあったかと思うが今回のような恐怖は感じなかった。 
 しかし、これから春までまだ数か月、春が来るまで古民家には一切来ないならともかく、頻繁に来ては作業進めなくてはならないのだから、これでは凍った雪道が怖くて来ることすらできやしない。いや、古民家までたどりつけない。このまま今のタイヤでこんなこと繰り返していたら間違いなく事故る。山国で暮らすのには冬用のタイヤに代えるしかなかったのだ。

 相変わらず自分は全てにおいて考えが甘い。そして常にそれを自ら体験してみないとわからないのである。フツーの人は常識としてできることがどんなことでも失敗してみないと理解できないのだからバカのバカたる所以であろう。明日金かき集めて近くのカー用品も扱う巨大ホームセンターに行ってくる。もうあんな怖い思いはしたくない。今回は即懲りた。

 そう、家に帰ってきて思ったのは、たった一泊、一昼夜だけの出来事だったのに、見慣れたいつもの風景がどこか違って見えた。またこちら側に戻れた。自分はまだこちら側にいられた。こうして愚かな顛末を報告できる。まだ生きている喜びと有難さを噛みしめている。死ぬかと思ったが死なずにすんだ。
 いや、正確に書くと、死ぬとは思わなかったが死んでもおかしくないことをしでかした。幸い運よく神のご加護もあり死なずに済んだのである。全く有難いことである。たぶん次はない。今度こそ死んでそれきりだろう。何が起きたのか顛末を報告すらできないまま。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://masdart.asablo.jp/blog/2015/01/19/7542356/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。