あの日から今日まで2015年05月24日 22時15分11秒

★気がつけば40年が過ぎていて         アクセスランキング: 167位

 八王子の浅川河川敷でのフリーイベントに出向いてきた。
 「多文化・環境共生型 野外フリーイベント」として、毎年そこでは、様々なミュージャンやパフォーマーが登場するライブイベントをやっていることは聞いていたが、今年は地元在のシバもついに登場とのことで、この企画のスタッフでもある友人に誘われ行ってみた次第。

 久々の野外の芝生の上での直射日光と川面を渡る風に吹かれての音楽観覧であった。かつては毎年この5月の頃は、大阪吹田の服部緑地での野外ライブ「祝春一番」に通い詰めていたので、懐かしく思い出し、ましてその春一常連シバの渋いブルーズを八王子の川原で、芝の上で座って聴きただただ感無量であった。

 新たな得難い出会いと、旧知の友たちとの再会が多々あり、リフレッシュかつ大いに刺激を受け新たにまた期するところ大であった。

 大昔、それは自分が高校生だった頃だから1975年頃だと思うが、吉祥寺のぐゎらん堂で、初めて生で日本のフォークを聴いた。いちばん最初が誰だったかもうはっきりしないが、友部正人、高田渡、そしてシバら、吉祥寺界隈に住んでいたその店の常連のシンガーであったはずだ。
 皆、どれも独自のスタイルで、強烈な印象を残したが、中でもシバのやっていた音楽は、ラジオでもかからず全く未知の音楽で、まさにカルチャーショックを受けた。後からそれが黒人ブルースをペースにしたものだとわかってきて、しだいにその深みにはまって本場のブルーズシンガーに夢中になり今の自分がいる。
 高田渡からカントリー、アメリカントラッドへと向かった人も多いだろうし友部正人からディランやガースリーらアメリカのフォークシーンを辿った方も多いはずだ。中川五郎ならピート・シーガーへと。
 同様に、我はシバから、本場黒人ブルース、そしてイギリスの白人ブルースバンド、R&B、ストーンズやゼムやクラプトンへと向かった。

 シバと出会わず、彼の音楽を聴かなかったら間違いなく今の自分はいない。となれば音楽でも恩人である。そしてそのときから指折り数えれば実に40年の歳月が過ぎていることに気がつく。まさに愕然とするしかない。

 しかし、シバはあの頃と全く変わらず、そのときのスタイルのままぐゎらん堂で演ってた曲を浅川の河川敷の芝生の上のステージで歌っている。そのことこそ歳月の経過以上にすごいことであり、今また再び地元でそのときのブルーズを唄い、聴くことができる幸福を噛みしめた。

 40年過ぎて、お互いにずいぶん老いぼれてしまった気もするが、西日を浴びながらも衰えを知らない超絶ギターテクニックと渋い喉に向き合えることを幸福と呼ばずして何と言えようか。
 40年の間に生まれ、死に、出会い、別れ、そのまま縁も切れてしまった人も多々いる。そうした昔の消えてしまった人たち、通り過ぎて行った人のことが思い浮かぶ。しかしそれこそが人生なのである。

 だが、シバは何も変わらずまったくスタイルを変えず、アコギターとハーモニカだけで、彼のブルーズを淡々と歌っている。いや、さらに深みが、凄味が増してきている。まさに奇跡、神様のように思える。願わくばこの幸福な時間があと10年続くことを祈るだけだ。
 お互いに健康に留意して長生きして生きながらブルーズに葬られたいと願う。