今年後半の予定などを記す。2015年05月31日 08時28分12秒

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 涼しかったのは、ほんの一日そこらであった。また今日も朝から暑い。

 今日、5月31日。今月も終わる。本来はまだ春の季節に数えられる五月なのに、真夏を思わせる30℃を超す暑い日が何日も続いた異常な年であった。エルニーニョとか原因はあるのかもしれないが、これもまた地球温暖化の激化がもたらす恒常的な異常事態なのであろう。一時的な異常が続けばそれが平常、日常的、例年となっていく。

 クーラーはどこにいても欠かせないし、そうした現代文明に依存する限り、何だかんだ言っても原発依存は避けられないような気がしている。原発不要の信念は変わらないが、脱原発を政府に求めるならば、自ら電気をできるだけ使わないことと、使う電気は自ら作ることをしていかねばならないと考える。あるいはアーミッシュの人たちのようにこの文明をいったん過去に戻すことを模索していくかだ。
 さておき・・・

 我がことを記せば、先月をもって長年近くに借りていた倉庫を何とか撤収して家主に返すことはかなったが、その余波というべき「結果」が今も収まっていない。

 そこにあった古本類は、山梨の古民家に運びこんだが、それ以外のもの、まず向こうから来たガラクタ、セトモノ類、チラシなどの紙ゴミ類、それにLPレコードの詰まった箱がどっと我が家に押し寄せ、ゴミ類はじょじょに処分してはいるが、捨てられないものも今も多々あり未だただ困惑している。早く何とかせねばと焦ってきている。

 つまるところ、そのときどきどう処理すべきか迷い判断保留にしてきたモノを、これまではともかく「とりあえず」倉庫に投げ込んできた。本来すべきは逐次、それが来たり溜まった段階でどう扱うべきか、判断し分別処理していくべきことであった。

 つまりこれからも使うもの、必要となるものはわかるようにフォルダに入れて分別保存し、そうでないものはすぐゴミとして処分し減らしていく。そうした当たり前の作業を忙しさという怠け心を理由にサボり、倉庫というスペースがあったからそこに、そのうち時間できたときに整理しようとひたすら溜めてきたのであった。そして倉庫の撤収でウチに戻ってきたのだ。

 まあ、今さらそれを言っても悔やんでも仕方ない。ウチに押し寄せた、そうした未整理未分別のモノどもを少しづつでも確認して、残すものは残し、使うもの使えるものは使って、他は捨てるしかない。そうしないと無頼庵の活動じたいスペースがなくて始められない。
 
 ただ、今月は、かなり無理した先月の移動作業の疲れがどっと出たものか、大型連休から体調崩してひたすら寝込んでしまった。腰痛はさほどではないが、心身ともに疲労感が強く、気持ちも萎え、めまいやふらつきもあって夜になると頭痛がひどく起きていられず、すぐ寝てしまいブログさえもきちんと書けない始末であった。

 危機感高まる政治情勢に、もっと外に出てアクション起こして、非力ながらも一民意を示さねばと思うのだが、無理すれば半病人が本物の病人となりそうで、医者通いや入院したりすると面倒となるので、思いはあっても、家でじっとひたすら暑さに耐えて横になるしかなかった。

 が、とにもかくにも7月25日、谷保のかけこみ亭での「反戦フォーク」コンサートが決定したので、ようやく今後の方向性だけは見えてきたから良しとしたい。

 ※長くなるのでもう一回別稿で書き足していきます。