町の古本屋はどこへ消えていくのか2015年06月08日 21時50分16秒

★古本屋がどこにもない時代へと            アクセスランキング: 246位 

 明治以来、東京はビルド&スクラップを繰り返して、その間に関東大震災や、東京大空襲、さらには1964年の東京オリンピックでの再開発と、街並みも人の姿、流れも常に変わり続けている。
 だから、そこにあった店がいつしか消えてなくなり、シャッターが下りたり違う店に変わってたり、更地になって駐車場になっていても別にちっとも驚くことはないはずだ。
 しかし、何十年も続いていた、常にそこにあり、よく通い、店主とも馴染みであった店が突然閉店していたとなるとやはりショックだ。
しかもそれが実店舗の古本屋なのだ。そして二軒、昭島と立川の古本屋が消えてしまったことに今日気がついた。まさかという思いでいる。

 今日は、午後から自転車で、予約を入れておいた立川の掛かりつけの歯医者へ出向いた。ずっと慌ただしくて1年以上間があき、奥歯に虫歯があるのか、甘いものを食べると痛むようになってきたからだ。
 
 昭島駅の南口に、青梅線の走る車窓からも見える「さわやか文庫」という青梅線沿線ではたぶん唯一となってしまった古本屋さんがあった。自分が若い時から通っていたからたぶん30年以上続いていたはずだ。 それが今日前を通ったら、シャッターが下りたまま看板も消え、シャッターに小さな張り紙があり、「突然ですが閉店しました。お問い合わせは八王子店のほうへ」とごく簡単な告知があった。愕然とした。

 自分も古本屋稼業に手を染めるようになってからは、そこではほとんど客として古本を求めることはなかったが、そこは一番身近な、昔ながらの本物の古本屋で、表には三冊二百円の雑本の棚や、準新刊の女性誌なども並ぶ、アイテムを選ばぬ多種多彩な本を安く扱う、まさに古本屋らしい古本屋で、昔は店主と本の話をよくしたり業界のいろいろな知識も教えて頂いた。ある意味、この稼業のまさに師匠であり、実店舗を持たないネット古書店者にはそこは憧れの店でもあった。
 このところ久しく行かなくなってしまったのは、自らが商売柄古本に埋もれ飽きるほど食傷してしまったので、店の前を通り過ぎ横目に見ては、店がそこにあることにただ安心するだけであった。だが、その店はついに突然の閉店してしまった。

 さらに病院近くの立川南口の商店街にあったほぼ同様の、表に格安放出本の棚を設けていた古本屋も今日前を通ったらシャッターが下りて、看板も消えている。不審に思い、向いの米屋のオヤジに訊いてみたら、一か月ぐらい前に店閉めたみたいだと知らされた。
 そこはコミックスや成人向け雑誌なども多かったので、あまり店内は詳しくないが、母も入院していた折、よく店の前を通ったので、表の格安本の棚は通るたびにチェックしては興味ひく本は自分のためによく買い求めていた。

 そうした慣れ親しんできた、そして変わらずにこれからもずっとそこに当たり前のようにあると思い込んでいた古本屋が二件とも消えてしまった。立川のほうは、5月の連休後に、母の検査で病院に来たときは変わらずにやっていたはずだから今月に入って閉店したのかもしれない。昭島だってたぶん5月末で辞めたのではないか。

 さすがに、一日に二軒続いて馴染みの古本屋の閉店を知ると気持ちも落ち込む。となると、あとは立川以西の中央線、青梅線沿線では八王子の駅周辺に何件か残っていたと記憶するが、それすらもまだあるか疑わしい。もう10年近く行っていない。東中神のアーケード内にあった店も半年ほど前に閉店したので、かつて自分で知っていたこの界隈の古本屋の店舗はこれですべて消えてしまった。哀しいとか以前に残念無念という感慨がわいてくる。

 先にも拙ブログで書いたが、新刊書店もどんどん消えている。ただそれは、紙の本や雑誌類が常に世に新たに出ている限り、郊外型多角経営やショッピングモール内などの大規模なチェーン店は残るだろう。
 問題は町の個人でやっている小規模の本屋と古本屋である。コンビニではちょっとした雑誌やコミックスを置き、客は飲食物と同時にそれらを購入し、コンビニない本はネットで求めるから、街の本屋がまず経営不振で消え、同時に歩を揃えるようにして、街中の個人商店としての古本屋も消えていくのだ。
 ただ、大型の新刊書店は今後も存在したとしても、大型古書店はブックオフのあちこちの撤退を見るまでもなく、そもそも成り立たないであろう。つまり中古ゲーム類をも扱うとしても今は新刊も含めて本自体が売れないから、稀覯本を扱う古物商的古書店以外、純利が少ない古本稼業は薄利多売でない限りやっていけない。
 そうした薄利多売でともかく長年続けて来ていた昭島駅前の、おそらく青梅線唯一の古本屋が突然閉店してしまったことに時代を強く感じる。

 おそらくあと10年もすれば、街の店舗としての古本屋という商売はこの国から一軒もなくなるかもしれない。むろん神田とかでならば残るかもと考えるが、いかにも古本屋風のオヤジや老夫婦でやっていたような雑多な本を安く並べていた、昔ながらの古本屋は、今自分が鍛冶屋という商売の姿を想像もできないように、後の世の人たちにとっても未知の商売となるかもしれない。

 時代の進歩とか発展とはよく聞く言葉だが、本を読む人がいなくなっていくのと、そもそも紙の本じたいがなくなっていくのだから、古本を扱う商売も消えていくのは時代の流れ、必然なのかとも考えてしまう。※中古レコード店は意外にもまだ繁華街のあちこちに残り続いているのは、レコード文化は今もまだ新たなマニアックなファンが参入しそれなりに活性しているからであろう。

 それが良いとか当たり前だなんて言っていない。ただ昔ながらの好ましく思っていた街中の古本屋さんが、一気に二軒突然消えてしまったことはまさに残念至極である。
 近く、八王子の街道筋にある、さわやか文庫の店主がもう一軒続けている古本屋へ行き、ご挨拶がてら慰労せねばと思っている。