異なる考えの人がいる。思い通りにならない。それは悪いことか。2015年06月28日 19時52分19秒

★驕れる者は久しからず。             アクセスランキング: 位

 権力者とその権力側に属する者ほどタチが悪いものはないとつくづく思う。作家百田氏も彼を招いた若手議員たちも愚かというか、本当にどうしようもないが、そもそも彼らは議員である以前に人として何かが欠落している。改めて問う。いったい何様のつもりなのか。この世の中はすべて自分たちの思い通りになると思っているのか。

 こんなことを書くお前はどうか、と問われれば、むろん自分もまた人としてかなりオカシイ。まっとうだなんて思っていない。しかし、長年生きてきて学んだことからすれば、今回の騒動の根本部分は、権力側の驕りとしか言いようがなく、その発言が呼び起こす結果についてあまりに鞭頓着、無自覚だと特に百田氏に対して強く思う。

 そう、我と同世代のもはや若くないがゆえ、相応に世知を重ねたはずの世代の人がどうしてこんなにお粗末な考え方しかできないのか不思議でならない。それもまた人間性なのだろうか。

 百田氏は、報道後、マスコミのインタビューで釈明に追われ、そもそもこの会合は内輪の私的なものであり、[内輪の席で、『やっかいやなあ』とか『あの会社つぶれたらええのに』ということあるでしょう。それを、こいつこんなこと言ったと書かれているようなもの。極端な言い方だが、飲み屋の会とあまり変わらない]とし、[内輪の席で、軽口の一言だけ取り出して、その言い方がどんなニュアンスだったかとかいっさい考慮せず、その一言だけを取り上げて、大騒ぎするのは、非常に卑劣できたないやり方だと思う]と逆キレしている。

 しかし、そもそもこれは仲間内の飲み会での与太話ではないのだ。政権を担う政党の本部の中で、安倍首相を支持する若手、中堅国会議員が企画した「勉強会」なのである。本当の呑み屋での集まりとは全く異なる。これは公的意味合いを持つ。
 講演後の雑談で出た軽口、冗談だとしても百田氏も、マスコミは懲らしめろと発言した議員たちはその発言には責任を持たなければならない。

 氏は、オフレコ話を盗み聞きされそれが報道され騒動となったと憤慨しているようだが、報道されたのは、そこに報道に値する問題内容があったからで、ならば極秘にメディアをシャットアウトした会合にすれば良いではないか。

 さらに付け加えれば、軽口、冗談だとしてもあるいは本音だとしても、『本当につぶさなあかん』、と言葉にするのが問題なのである。『つぶれたらええのに』と思うことは誰にでもある。また、それを呑み屋で気心しれた仲間たちに話すのはまったくかまわない。
 が、それを公人として招かれた議員たちとの「勉強会」の場で気やすく口にしては絶対にならない。また、もう一つ看過できないのは、普天間飛行場成立の過程についても彼は勘違い以前に、史実を著しく歪めていることを指摘しておく。
 住民は基地がお金になるから基地の周りに自ら集まってきて現在のような住宅地のど真ん中の飛行場となったとは、まさに白を黒と言い放つ妄言でしかない。いや、デマ、誹謗の類である。もしこの発言を信ずる者がいたとしたらかの住民が可哀想でならない。

 彼は臆面もなく、騒動後も、真に潰れてほしいのは、毎日、朝日、東京新聞だと本気で「本音」を表明している。つぶさなあかんと本心から思っているのであろう。
 しかし、この世は、様々な考えの持ち主が集まって成り立っている。どんなに不快で思い通りにならないとしてもそれはどうしようもない。そしてそれは仕方ないどころか悪いことではないのである。
 なぜなら多様な価値観の共有こそが人類の進歩と発展に寄与してきたのだから。

 彼は自ら私も言論人だと称して表現の自由は守るべきだと発言している。ならばこそ、異なる考えを持つ者たちの意見や考えをもっと尊重し寛容になるべきではないのか。
 作家も新聞社も様々なメディアも、購読する者がなくなれば商売として成り立たなくなる。ゆえに、声高につぶさなあかんと叫ばずとももし、それが民意とかけ離れたものであれば自然に自滅するはずだ。そして今回の一件もこれほどの騒動になるのにはそこに明白な理由がある。当事者たちはそのことに思い至り反省しないとならない。

 今のような妄言と暴言を繰り返す作家はやがては商売としても成り立たなくなるだろうし誰にも相手にされなくなると断じてこの考終わりにする。