改めてお騒がせして申し訳ありません。2015年07月09日 18時27分49秒

★備忘録として今回の件を記しておく        

 死者は生者を煩わすなかれ、である。まったく同感だ。が、有難くも死なずにまだ生きている。
 なので、もしこんな私でも宜しければ今後もお付き合い願いたいと切に願う。また周囲の方々を煩わすことがあるかもしれないが、それもこれも生きているからこそで、どうかお赦し願いたい。我においてはどのようなことでも全てを受け入れたく思っている。ただただ感謝、それだけだ。

 さて、多くの友人知人、そして拙ブログの見知らぬ読者の方々からご心配と励ましのコメントやメールを多々頂いた。皆様の温かいお気持ちに感謝すると共に、今はただただご迷惑とご心配をおかけしてしまったことを申し訳なく恥じ入る気持ちでいる。

 多くの人からいったい何があったのかと問われた。が、正直、この当人自身が未だよくわからないのである。何しろ当日夕刻からの記憶がほとんどない。ところどころ完全に抜け落ちている。意識が今に繋がっているのは、「発狂」後、翌日起きてからだ。

 果たして会場の江島神社の社殿から落ちて頭を打ったのかさえ、確認できなく怪しく思う。もしかしたらそれもまた夢や幻覚なのかと。ただ、はっきりしていることは、古い地層や岩盤を調べると古代の津波や噴火の痕跡が地中から出てくるように、頭には二か所の瘤というか腫れて痛みがある箇所があり、体の右半身、肩から腰にかけてかなり打ち身の後と腫れ、痛みが今も強くある。ということは、間違いなく転んだことは確かで、もしかしたらそのときに頭も打ったのかと想像する。

 確かに浮かれてアルコールも呑んだと思う。が、意識失くすほど酩酊状態にあったとは思えない。体調も悪かったこともあった。もう二度とこうした失態をしでかさないためにも、自らへの戒めとして今回の一件をこの場で振り返り記しておく。※今は私的日記はつけていないこともある。

我に何が起きたのか・12015年07月09日 18時56分16秒

★そこに至るには流れがある。

 今振り返ると、どんなことも同様だろうが、何か事件、事故が起きるには必ず伏線というか、流れがある。まったく何の理由も関連もなしに道でいきなり通り魔に出くわすような事態もあるかもしれないが、自らが引き起こしたことには、必ずそこに至る経緯が存在するはずだし、なくてはならない。

 これはハズカシイ私ごと、家庭の事情で、拙ブログでは意識してあまり書かないようにしていたが、老親のうち、父の呆けが進み、このところは三度の飯を食べさせるだけで毎回大騒動であった。

 歳とると人は三歳児に返ると言われるが、このところ飯の度に毎回食べられない、食べたくないと騒ぎ出し、逃げ出したり暴れたり、それこそ老いた父と息子がとっくみあいの喧嘩のような騒ぎを起こしていた。
 こちらとしては三度三度飯をつくるのは苦ではないが、ともかく早く親たちに食べてもらわないことには他のこと、我が用事もできやしない。むろん食べたくないのも当人の自由意思としてほっとけという考えもある。が、これ以上体重が落ちると危険水域となるし、じっさいは決して体力的に食べられないのではない。デイケアや外食に行けばパクパク食べている。幼児的ワガママからと関心が長続きしないからすぐ飽きて騒ぎ出す。

 本当の幼児ならそれもまたカワイイが、もともと六尺もある大男で、挙句に必ず憎まれ口、減らず口をたたく。こちらも激高し、飯時に限らず日に何度も騒動が絶えない。フラフラヨボヨボなのに多動系徘徊系の老人だから、目を離すと余計なことをしでかす。何かふと頭に浮かぶと、ハシゴかけて樹に上るとか非常に危険なことすら突発的に始めてしまう。

 そんなこんなで疲れ果てて、ストレスは溜まり体力気力ともにかなり疲労困憊すべてがいっぱいいっぱい、限界になっていたのだ。

 そして、先にも記したが、親たち連れて1~2日と山梨へ行った。温泉に浸かってのんびりしに行ったはずが、父も連れて行ったので、今回はまったく気が休まらない。それでも向こうは向こうでやるべき用事が山積みで、親たちを寝かしつけた後、一人で深夜まで本の整理とかやってほとんど眠らなかった。

 戻ってきて、翌3日の金曜日、友人と都内で待ち合わせて映画を観てから会って話す約束があった。が、約束していたものの、その日の朝、明け方のこと目が覚めてもメマイが甚だしく、ベッドから起き上がれない。ふらつき程度ならともかく、ぐるぐると左、右、左、右と目の前が揺れ動き気持ち悪くて立つことすらできやしない。目をつむって枕に突っ伏して堪えるしかない。
 仕方なく、手元のスマホで、彼に、誠にすまないが体調不良で今日はキャンセルしてくれと短いメール送って詫びて出掛けることは諦めた。そしてその日は午前中はそのままベッドにいた。ひたすら眠ったら午後にはその強いメマイは収まった。疲れが出たのだろうと自分では思った。友には申し訳ないが仕方ない、これで治ったと。

 が、翌日朝もまた同様で、やはりベッドから起き上がれず、仕方なくまた午前中ひたすら寝ていた。

 そして7月5日。心配していたが、その日はメマイは起きず、国立に住む某ベテランシンガーのギターバンジョーを運ぶ光栄な役割もあったので、国立駅のホーム11時前の約束で、カメラやICレコーダー、そして25日のコンサートのチラシなど手提げバックに詰めて家を出た。
 体調は特に問題なかった。曇ってたが心配していた雨も降っていなかった。