安倍晋三の言葉の軽さに憤る2015年07月31日 09時00分19秒

★人は自らのことでも先のことは定かでないのに   アクセスランキング: 137位

 我に言う資格はないが、人は己の発した言葉に責任を持つべきであろう。ましてそれが国民から選ばれた政治家で、しかも国会の長であればその「言葉」は極めて重い。

 ところが、昨今の政治家、中でも現総理大臣安倍晋三に至っては実にその言葉が軽い。軽すぎるばかりでなく無責任極まりない。先だっての、「フクシマの原発事故は完全にコントロールされている」という国際社会に対しての虚言も然り、今の国会でも安保法制の審議を通して相変わらず早口で無責任な根拠のない発言を繰り返している。

 「近隣に火事が起きたとき」という下手な例え話を使っての「わかりやすい説明」もじっさいの戦時の危険性については全くふれていなかったが、昨日の国会、安全保障関連法案の参院審議の中で、彼はむやみやたらに「絶対にない」「断じてない」「いささかもない」と断定的発言=断言を繰り返している。
 彼曰く、集団的自衛権の行使を容認しても、「(他国の)戦争に巻き込まれることは絶対にないと断言したい」、「徴兵制が敷かれることは断じてない」(徴兵制は)「「政権が代わっても導入はあり得ない」と、どうしてそこまで言い切れるのか誰だって不可思議に思うだろう。
 自らのことならともかく、先のこと、それも政権が変わったきのときについてさえ何故そう断言、保証できると言うのか。勝手にも憲法解釈を変えたこの男に。

 誰だって先のこと、未来についてはわからない。彼がいくら断定、断言して「戦争には巻き込まれない、徴兵制にはならない」と国会の場で言い張ったとしてもそうならないとは誰も絶対にわからない。彼が永遠に生き、政権を担うならばこの発言も常に検証され本当にそうであるかは判断もできようがそんなことはありえない。ならばこの言葉はまさに空証文であり、無責任にも法案成立のためのこの場しのぎの口約束でしかない。
 あまりにも姑息かつ無責任ではないか。総理の発言以前に人間としてこの男の常識と理性を疑う。

 我マス坊は拙ブログでこの法案の危険性を繰り返し書き記して来た。
しかしそれは、この法律ができたら必ず間違いなくそんな大変な事態、危険な世の中になると断言はしていない。そうなってほしくないからこそ、危険性が高いとして書いてきている。~なるに違いないとは書いたが、絶対に、間違いなくそうなると断言したことは一度もない。
 むろん、安倍首相の言うように、日本の存立が脅かされる明白な危険があり、政府が判断すれば他国への攻撃など武力行使できるようになったとしても専守防衛の理念はいささかも変更なければ大いに安心だ。
 が、それはじっさいコトにおいては何が起きるか誰もわからない。ともかく海外のどこででも戦争ができるようにする法案なのである。戦争に巻き込まれる可能性が高い。その「危険性」があるから憲法違反である以前に多くの国民は反対しているのだ。

 首相の好きな例え話を使って説明する。
 子供も通る細い通学路を拡幅して、大型トラックなどもびゅんびゅん走れる広い幹線道路にする計画があるとする。そのとき、子供たちの安全は絶対に確保されるか。子供たちは交通事故に絶対に巻き込まれないか。

 安倍晋三の断定発言に倣えば「絶対に事故は起きない」「子供たちの安全は確保されている」と断ずることであろう。しかし、ガードレールが設置されたとしてもその大きな道が出来てしまえば、事故の可能性は高まる。計画した者が、事故は起きない、断じてありえないといくら断言してもその危険性は変わらない。もし事故が起きたとき、誰が責任をとるのか。
 ならば、子供たちの安全のためにもそんな危険な計画には反対するしかない。もしその広い幹線道路は、地域の発展のタメに必要かつ不可欠だとしても、危険性を事前に語るならともかくも(子供が巻き込まれる事故は)「「絶対にない」「断じてない」「いささかもない」と言い張るのはあまりにも無責任だと「断言」したい。違いますか。

 この男を心底から軽蔑する。今の日本の不幸とは、自公政権に多大な議席を与えたこと以前に、こんな卑劣かつ無責任な男がときの最高権力者であることだ。あまりに言葉が軽すぎる。あまりにも無責任。人間性を疑う。我もそう断定、断言しておく。