思いはどうしたらかなうか、伝わるか2015年08月02日 03時51分51秒

★踏みにじられた数々の「思い」の上にある歴史   アクセスランキング: 91位

 ヘンな時間に起きてしまった。窓を開けて寝て扇風機も回してもクーラーのない部屋は蒸し暑く寝苦しい。一度トイレに起きてしまうと、ベッドに戻ってもなかなか寝付けない。手元の本を開いたり、聖書を繰ったり、あれこれ眠る努力をしたが、かえって目が冴えてしまった。諦めて起きだしてパソコンに向かうことにしよう。
 この連日の暑さでは、日中はパソコン作業は怖くてやりたくもない。そもそもパソコンは熱を持ち暑さには弱い機械なのだ。なのでまだ深夜といっていい時間に起きたことを利用してこのところ考えていることを書こう。

 鹿児島の川内原発が近く再稼働される。そのことを望み喜ぶ人と逆に嘆き憂いさらには反対だと怒る人とどちらが多いだろうか。
 また、豊かな自然の宝庫である辺野古の海を埋め立てて新たな米軍基地を沖縄に、新たにさらに建設することを認める人と計画に反対する人とではどうだろうか。

 日本人全員に国民投票的に、その是非を問うことはできないし、またその地元とそれ以外の地域に住む人では賛否は全く違うこともあるかと思う。さらに、どちらともわからない、無回答という判断保留の人も多いはずだ。
 つまるところせいぜい無作為にアンケートをとった世論調査のようなものしか「民意」なるものは出てこない。しかしそれでも日本人の大半は原発再稼働を歓迎はしていないはずだし、今も多くの人が反対の立場でいる。良しとする人でもフクシマの現状を思えば現時点での稼働には異論があるかと想像する。
 それを歓迎し待ち望んでいるのは、原発のある地元自治体の人たちだけで、要するにそこに原発マネーが落ち関連産業もうるおい生活が豊かになると期待するからだろう。周辺の自治体でもその恩恵がないところは軒並み反対していてもだ。

 沖縄の辺野古はというと、県知事選、衆院選と沖縄県民の民意は新たな基地建設は絶対反対だと明白に示された。が、政府はそんなことはどこ吹く風、県民の願いは一切無視して粛々と基地建設へサンゴの海埋め立てへと駒を進めている。
 県民はオール沖縄で強く反対し、本土の日本人でさえ賛成は少ないはずだが、現時点でこの暴挙を止めさせることはできないでいる。地元も国民の多くもそれを望みはしないことが政府の方針、アメリカとの約束、国策として次々と一方的に進められていく。
 また、先の秘密保護法も今の新安保法制もだが、各種調査で国民の過半数をはるかに超えるほど反対派がいたとしても、今国会で成立すべきでないと考える人たちがいようと、政府=自公政権は何がなんでもどんなに支持率が下がろうとも今国会での成立に突き進んでいる。

 国民のだれもが参政権を持つ民主主義国家で、国民主権の日本で、どうしてこんな無法がまかり通るのであろうか。国民の多くが反対している悪法や環境破壊の非道行為が平和のため国家のため国策として強硬が許されてしまうのか。考えれば考えるほど不思議でならない。

 自分は直の記憶はないが、こうした無法政治の原点は60年安保であったと考える。当時のニュースフィルムや本、雑誌などで顧みると、実に激しい国民的反対闘争がその頃起きていた。が、安倍晋三の祖父岸信介は、大多数の反対世論を無視して安保改定に強権的に突き進み今日に至る日米関係の礎を築いたのだ。
 その安保闘争にもし国民が勝利していたら、辺野古だけでなく全国の米軍基地の問題も、米国に従属しての戦争法案もありえなかったはずだ。そう思うと敗北が実に悔やまれるが、歴史は後には戻せないからこそ「今」である。

 何だかんだ言ってもどれほどの低投票率であったとしても、安倍政権は国民の審判を二度も受けている。景気回復を前面に掲げ、アベノミクスなるまやかし商法はともかくある一定の効果を上げ株価は戻り景気は前よりは良くなった、ようには見える。が、じっさい庶民の懐は、低所得者層、年金生活者などでは、諸物価高騰と介護保険料なども軒並み上がったので、実質的には所得は減り生活はさらに苦しくなった。
 しかし、それでも庶民は騙され御用マスコミに景気回復したと踊らされ、「景気回復この道しかない」、と叫ぶ安倍首相の訴えに耳を貸してしまい彼ら政権与党に再度多大な議席を与えてしまったのだ。彼らがどれほど危険かまるで気づかず何も考えずに。

 思うに政治とは、崇高な理念など庶民には関係なく、あくまでも目先の金のこと、景気が回復して金が入って来るかだけなのだと嘆息してしまう。つまるところ原発自治体の住民と同様なのだ。フクシマのようにどれほどまた大地震が起きたり、火山の噴火で予期せぬ大事故が起こるかもしれないのに、それはありえない、絶対安心だと思い込んで、目先の金、生活のことしか考えない。

 が、誰がそれを嗤えよう。人が生きていくには金が必要だし、地方は産業は乏しい。原発があるのだからそれにすがり地域を活性化させていくしかない。明るい未来は原子力あってのものだ。この国はすべて自己責任の国なのだから。我に彼らを非難も批判することはできないしすべきでないと自戒している。

 が、またこうも思う。そうして誰もが自らの目先のこと、金のことや今のことだけに囚われてしまえば、地震大国日本は再び原発大国に戻ってしまうし、このまま戦争法案が成れば国家として戦争に巻き込まれ再びかつてのような息苦しい国家統制の戦時体制が始まる。そして子供たちは徴兵制で戦地に送られていく。取り返しのつかない原発事故も再び起きるかもしれない。人は、今のこともだが、「先」のこと、日本の、子孫の行く末のことも考えねばならないのではないのか。

 景気回復一点で自公政権を信任し彼らの暴走をこのまま許してしまえば、すぐに恐ろしい大変な時代がやってくる。日本はめちゃくちゃになってしまう。そのためにも今できること、反対だと声を上げ世論を高めていくしかない。
 
 この国の歴史、特に戦後史を振り返れば、強大な国家権力に民衆の訴えや願いはことごとく踏みにじられてきたことに気がつく。歴史は彼ら「反対者たち」の屍の上に成り立っている。自民党はそれでもこの国は平和で豊かに復興したではないかと胸を張る。彼らの政策は反対はあったが常に正しかったと。

 が、それは違う。安保条約により多くの米軍基地駐留をゆるしつつも、韓国のように戦争に巻き込まれず経済は成長し安定してこれた。それは自民党の成果でなく、この国は戦争ができない、しない、軍隊を持たないという平和憲法があったから故だ。
 その憲法が安倍政権のクーデータのように国民にはかることなく勝手にも解釈変えられ、海外でも日本が攻撃受けていなくとも集団的自衛権行使可能=戦争可能となっていく。
 人ひとり一生分もの長さである70年も続いてきた平和が、今ここで終わろうとしている瀬戸際に我々は立っている。

 岸信介と安倍晋三、この国を破滅に導く祖父と孫の今に続く亡国の系譜を今こそ断ち切らねばならないのだ。

 今こそ「歴史」を国民自らの手にとり戻すときがきた。

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