戦争に行かないという「権利」と「自由」2015年08月04日 05時17分46秒

★戦争に行かないのは、個人的利己主義か       アクセスランキング: 101位

 自民党の若手議員が、自らのツィッターで、戦争法案に反対の活動を続けている学生たち「SEALDS(自由と民主主義のための学生緊急行動=シールズ)について、彼らの主張は、「戦争に行きたくないという自分中心、極端な利己的考えに基づく」と記したことが報じられて大きな問題となっている。ブログ内容の予定を変更してそのことについて書きたい。
 彼の主張はこうだ。

 武藤貴也
 SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしているが、彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ。

 唖然とした。そしてこう書いたこの男の顔は、新聞に載っているのを見る限りまるで子供である。まだ36歳。つまり彼が強く非難している戦争に反対している利己的若者たちとさほど違わないか、ほぼ同世代である。完全な戦後教育世代である。
 その若者議員が、昔から老いた保守派がよく口にする、手垢のついた「戦後教育の弊害」だとして、戦争に反対する若者たちを極端な利己主義、自分中心だと非難しているのである。この男何様なのであろうか。愚かというだけでは足りないほど愚かだ。※この男にはそもそも自分の考えがない。自分の頭で何一つ考えることができなく刷り込まれた旧い思想をただオウム返しに口にしているだけだ。呆れを通りこし哀しみすら覚える。

 彼は批判が集まると、フェイスブックで「法案に反対するのは真の平和主義に忠実とは言えない」と反論し「世界中が助け合って平和を構築しようと努力している中に参加することは、日本に課せられた義務であり、正義の要請だ」と説明したという※東京新聞8/4日付け朝刊から。

 武藤議員の発言を深く読み解けば、要するに、彼の「真の平和主義」、――つまり安倍首相が言うところの「積極的平和主義」のことに違いないのだろうが、――紛争解決のためには武力攻撃、戦争参加も可能とする主義こそ真に正義であって、国際貢献としての戦争、それに忠実でない者、批判する輩は、利己的個人主義だと断ずるのである。
 つまり、戦争が始まる事態においては、若者に限らず、個人が「戦争には反対だ、戦争には行きたくない」と言ったりすれば、それはお前、国家に対して利己的個人主義だと強く批判されても仕方ないということになる。

 こう書いている我は、若者ではないからおそらく戦時においても徴兵にとられることはないと思う。が、仮に今のように「戦争反対! 若者を戦地に送るな」とあちこちで書き発信し、街角で叫んだとする。そのとき権力側にいる武藤議員らは、そうした行動や発言は「真の平和主義に反する」としてどうするつもりだろうか。きっと「非常に残念だ」ではすましてくれないだろう。おそらく戦時においては過去がそうであったように、必ずと取締りと弾圧の対象になるに違いない。

 「戦争に行きたくない」のは利己的なのであろうか。武藤議員の頭にあるのは、平和構築のためには戦争もまた正しいという幻想であろう。仮に百歩譲ってそれもまた一選択だとしても、個人が戦争に行きたくないと言うのは権利として保障されなくてはならない。そうした発言の自由も保証されなくてはならない。権力側にいる議員に批判する権利はないし、そもそもこの発言は:現職の国会議員として許されない。撤回と反省を強く求めたい。
 戦争に行きたくないと叫ぶのも行きたいと叫ぶのもどちらもまた同等に発言は保障されなければならない。それを一方的に非難するのは異常である。自分中心、極端な利己的考えは武藤議員のほうではないか。たぶん戦後教育のせいだろう。

 今はこうした妄言としか言いようのない発言に対して多くの批判が生まれ、それもまた報道され武藤議員は批判される側にいる。まだ世に「良識」はまかり通っている。
 しかしひとたび戦争が始まってしまい一人でも戦死者が出れば、逆に武藤議員の発言が主流となり、「日本に課せられた義務、正義の要請」という「戦争参加」に反対する者、協力しない者は利己的個人主義者、非国民として非難され逮捕弾圧されていく。過去の歴史はそうであった。ならば今度もまたそうなるに違いない。我はそのことをもっとも恐れる。
 ※そもそも戦争に行かない、戦争に参加・協力しないという意思は、個人の人権として思想信条の自由として保障されていると信ずるが、戦時下においては、徴兵制や国家総動員法なるものが必ず制定されてしまうから、法律違反にならないためにも嫌がおうでも徴用されてしまう。戦争協力を拒み、反対し批判した者は犯罪者として逮捕投獄される時代が来る。

 今参院で審議されている安保関連法案が成立してしまえば、そういう時代が間違いなく来るだろう。武藤議員の今回の一連の発言はまさにそうした「時代」を先どる戦争国家、権力者側の本音なのである。

 しかし、どんな時代であっても戦争とは人殺しであって、国家の義務にせよ正義の要請であっても、誰でも人殺しに協力しては絶対にならない。そしてそのことは「だって戦争に行きたくないじゃん=殺し殺されるかもしれないから」と叫ぶ若者たちの側に義があることを示している。それは人としてごくごく当たり前の思いであろう。

 若者でもある武藤議員は、戦地に兵士として出向き、自らの「真の平和主義」のためならば銃をとり敵の兵士を殺し、自らも殺される覚悟があるのであろうか。彼がすべきことは、手垢のついた妄言を繰り返すことでなく、まず議員を辞職して自らの発言通りに、自衛隊に入って兵士として戦地に行き戦争というものの真実を知ることだ。
 戦争に行きたくない者を非難する者はまず自らが戦争に行けばいいじゃないか。人を殺すことが正義だと思うならば。