人はどう死ぬか、どう生きていくか・追記2015年08月06日 07時10分29秒

★70年目の広島原爆の日に      アクセスランキング: 88位

 昨晩は、あまりの暑さにパソコンも自分の頭も調子が悪く、書き進められず中途で断念してしまった。改めて朝の涼しいうち、頭がすっきりしているうちに書いておく。

 要するに、人は自らも含めての「死」にどれだけ意識的に、積極的に関われるかどうかが問題なのだと気づく。
 人は誰でも生まれ生きてきたから必ず終わりとしての死を迎える。その長さは関係ない。満足度と納得度の度合いだけだ。

 が、そうはいってもそれは建前の謂いで、誰だって死ぬのは怖いし、どんなに長生きしようと一日でも長くこの世に留まっていたい。なかなか禅坊主のように達観して心静かに死を受け入れて生きられないし死んで行けない。
 が、それよりも死の時が来て、どれだけその事態ときちんと向き合えるかが、当事者も周りにとっても課題だと思える。

 むろん、予期せぬ事故、もしくは同様の突発的心臓発作や脳梗塞のように、それまで元気に普通の生活を送っていた者がある日突然、急死することだってかなりの確率であり得る。
 当人はその一瞬刹那、あっ苦しいとか痛い、死ぬかも、と思うかもしれないが、たぶん何もわからなくなって一瞬で死んでしまう。周りはもっと驚き突然の出来事に慌てふためく。心の準備もできていない分だけ悲しみは続く。
 残された者はともかく、当人はあっという間に死ぬのだからある意味潔い。簡便である。そういう死に方が面倒がないぶん良いと思い、憧れる人もいよう。

 逆に、癌などの長患いで、半病人から寝たきりの状態となってもまたさらに苦しみながらもだらだらと、しぶとく生きて最後は多機能不全、長期闘病の末の壮絶死という死に方もある。どちらも極端だが、多くの人の死は、その双方の中間点に位置すると考える。わりとあっけなく死ぬ人と意外にしぶとく死と闘い死んでいく人とに分けられる。

 そしてもう一つ、うんと長生きして、直に死に至るほどの病気には罹らず、ただただ長く生きて頭も呆けてきて、最後はほぼ一日中眠り、寝たきりとなり、まさに眠るように死ぬという死に方も実はある。自然死、老衰死という言葉があるかわからないが、存分に生きた末の大往生である。
 看取る周りは大変だが、当事者としては理想的のように我は思える。認知症とかボケが進んだ末、当人は何もわからなくなって大して苦しむことなく枯れ木が朽ち倒れるように死ぬのは動物として正しいあり方かもしれない。自然死、老衰による死に方はある意味いちばん死ぬ者にとっては楽で正しいかもしれない。むろん、家族こそ大迷惑であろうが。

 癌のように、頭はしっかりしていて、当人も死にゆく意識ははっきりあり、その理解のうえで死に行く生き方、いや、死に方はやはりツライ。でも時間はあるので、後顧のことを家族に託せるし身辺整理もできるかもしれない。自らの人生も振り返れる。
 そうした死に方こそ理想だと友人の誰だかは言っていた。個人的には死ぬために生きるのはまっぴら御免であるが、まあ、何もわからぬ突発死よりは当人にとっても周囲にとっても準備と覚悟ができる分だけ十分理想的であろう。ただ、癌は痛いのでけっきょく最後は、モルヒネで痛みを和らげ意識はなくなっていく。痛みに極端に弱い者として、癌だけはご辞退したいが、たぶんウチは癌家系だから、我もまた癌で死ぬのかとも思っている。そのときはそれを受け入れるしかない。

 と、とにかくも、しっかり死ぬためにはまずしっかり生きなくてはならないことだけは確かであり誰も異論ないはずだ。
 人は必ず死ぬ。そのときがきたとき嘆き悔やみ反省することのないようまず日々しっかり生きなくてはならない。

 しかし、そうして生きてきたとしても全く望まずに当人の意志や判断とは一切関係なく死んでいく人たちもいる。殺されていくと言ってもいいかもしれない。
 昨日見たテレビのニュースでは、間もなく今年で30年前となる、日航機が御巣鷹山に墜落した大惨事航空機事故の犠牲者の遺書が公開されていた。墜落する直前に、愛する家族、妻や幼い子たちに宛てて、手元の紙袋に走り書きしたものだ。
 そのときの彼の心境を思うと言葉もない。墜落していく飛行機の中の恐怖と混乱の中で、死ぬまでの間その父は何を考えたか。それほどの苦しみはどんな病気による緩慢な死より激しく残酷であろう。

 また、ちょうど70年前の今朝、広島で起きたことも人類史上最悪の残酷極まりない犯罪である。米軍による原爆投下だ。
 その日その瞬間のうちに数万人が紙のように燃え尽き、その年の暮れまでに14万人ともそれ以上とも推定される、広島にいた人たちが火傷や後遺障害も含めて順次死んでいった。彼らの多くはいったい何が起きたのか何もよくわからないまま死んでいった。ピカッと光りそしてドンと激しい衝撃と爆風で意識を失い、生き残った人たちも地獄絵図の中にいた。かろうじて生き永らえてもまたその後も放射能は長く被災者を蝕み苦しませたことは記すまでもない。

 様々な死がこの世にはある。しかしもっとも悲惨であってはならない、繰り返してはならないのは、こうした誰も望まぬ事故や戦争による死であろう。彼らには何も責任がない。何の罪もない。なのに望まぬ大惨事に遭い犠牲者として無為に死んでいった。
 さぞや無念であろうと今生きている我らは思う。しかし死者たちは何も語らない。ただその厳粛な事実の前に、我々は首をたれ、彼らのためにも二度ともう悲惨な出来事は繰り返さない、過ちは繰り返してはならないと固く誓うだけだ。

 平和な世なら死に方もまた選べる。生きて思うように好きな人生も送れる。しかし再び戦争の時代が始まれば、いつまた望まぬ死が日常に溢れかえるかもしれない。
 人は誰も殺してはならないし、同様に誰も殺してはならない。他者の意志で殺されたくないならばこそ誰も殺すことなかれである。

 ヒロシマ原爆の日。今日は一日、朝から先日25日の反戦歌コンサートで、館野公一さんがうたってくれた「死んだ女の子」という歌が頭の中を流れている。
 そう、♪炎が子供を焼かないように、甘いあめ玉がしゃぶれるように戦争だけは絶対に起こしてはならないのだ。
 戦争に行かない若者は利己主義だと、与党の若手議員がそう言うのだから、この安保法制関連法案とは、戦争するための「戦争法案」そのものだとはからずも証明しているではないか。ならばこそぜったい反対!だと改めてここで記しておく。

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