天皇の思いがこもった真摯な言葉2015年08月16日 23時55分08秒

★短くとも心に届く言葉がそこにある。           アクセスランキング: 93位

 マス坊は、ご存知のようにサヨクであり、天皇制に関しては異を唱える立場にいる。が、今の天皇、あえて陛下と尊称つけ呼びたいほどの方には、深く敬愛の念を抱いている。美智子妃と同様にこのご夫婦の常日頃の高齢にも関わらず平和祈念の活動には常に賛意を持ち、ご体調を深く案じている。
 他のサヨクたちから批判や糾弾を受けようとこの気持ちは変わらない。本当に立派な方々だと、心から思い尊敬している。

 うんと昔、それは1985年の筑波での科学博でだったが、自分はフランスのパビリオンで仏人たちと働いていていたことがある。
 そのとき皇太子であった彼らご夫妻がそこを訪れ、我々日本人スタッフにまできさくにお言葉をかけられ労をねぎらった。彼らは全パビリオンをそうして訪れたのであろう。公務とはいえすごい体力気力である。

 そのときまでは、天皇などは日本社会の諸悪の根源に位置するもので反動の象徴だと思い込んでいた。が、じっさいに人柄にふれ、にこやかな暖かい笑顔を間近で見たとき、ああ、この人は本当に素晴らしい良い人だ、と泣きたくなるほど感激した。二人は今の日本人、常人は持ちえない崇高なオーラのようなものを発していた。特別な方だと認識した。これは事実だ。存在感に圧倒され魅了された。

 それ以来、彼らに対してずっと深い敬愛の思いを抱き続けている。そして彼らの発する言葉、文字一つひとつが真に日本と日本人と世界の平和を願って誠心誠意のものであると確信した。

 天皇は、彼の父が関わった戦争の責任を深く悔い、自らがその父の代わりに、ご夫婦共体調に不安を抱えつつもお二人で世界各地を訪れては平和を祈願されている。高齢なのにパラオにも出向かれた。その行動には心から頭が下がる。

 そして、戦後70年の「安倍談話」を受け、昨日15日、戦没者追悼式典で述べられた「お言葉」は我の心を強くうった。短いが彼の強い思いが象徴天皇という制約の中からでも溢れていた。これこそが言葉なのである。天皇自ら書いたとのことである。

 安倍晋三のように、傍観者的立場で空疎な美辞麗句を弄び、自らの言葉では絶対に反省を語らぬ様に比べて、はっきりと天皇の立場でありながら「さきの大戦に対する深い反省ととともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願う」と、初めて「深い反省」という言葉を追悼式で用いた。

 また、特に注目されるのは、従来踏襲されてきた言葉以外新たに、「戦争による荒廃からの復興、発展に向け払われた国民のたゆまない努力と、平和の存続を希望する国民の意識に支えられ、わが国は今日の平和と繁栄を築いてきました」という部分だ。
 中でも「平和の存続を希望する国民の意識に支えられ今日の平和と繁栄を築いてきた」とあえて述べたのは、昨今の政治情勢を踏まえ、「戦争法案」成立に突き進む与党と、それに強く反対する国民世論のことを暗に示していると判断して間違いないと思う。

 この再び戦争国家へと突き進もうとしている戦後70年の節目の年に、天皇ご夫妻は、それを憂い、彼らができること、望むことは何か、政治には直接関与できない彼の立場の中、自らの言葉で精いっぱいアッピールしたと言えるのではないか。

 天皇陛下とはこうした実に勇気ある、立派な方なのである。国民のことを常に思い、二度と戦争の惨禍を繰り返さないよう、世界が平和であるよう、我々日本人は彼のエールを受けさらに安保法案成立阻止に向けて頑張らねばと誓おう。

 そう、天皇の言うように、わが国が築いてきた今日の平和と繁栄は、「平和の存続を切望する国民の意識に支えられ」戦後70年も続いてきたのだ。ならばその「平和を切望する国民の意識」をさらに高めていこうではないか。