ボウィーと共に生きた時代を噛みしめて2016年01月13日 06時06分47秒

★同時代を生きられた幸福を思わざる     アクセスランキング: 117位

 このところようやく本格的冷え込みとなり、冬らしい寒さが続いている。昨日は初雪が東京でも舞ったと報じられていた。ウチのほうでは氷雨がぱらついた程度だったが。
 1月13日の早朝である。今、犬とまだ暗い中散歩に行ってきた。さすがに寒い。

 オーティス・クレイに続きデビッド・ボウィー死去の報。年明けそうそう大好きな敬愛したミュージャンの死が続く。何ともやるせない気持ちになるけれど、今ここで私的な思い出や悼む気持ちを長ったらしく綴る暇はない。
 我が書かなくてもこれから多くの人たちがそれぞれ各自それぞれの思いや哀しみをそれぞれの場で表すだろうし、その偉大さの前に、一ファンとしてはただ黙して、彼らのレコードに針を落とし耳傾けることしかできやしない。
 人が死ぬのは仕方ないし何歳で死のうと志半ばの思い遺して無念の死ならばともかくも、ある程度生きて十分に活躍し良い仕事、作品を多々残したのだから良しとすべしなのである。

 ただファンとしては当然愛する者を失うわけだから身を切られるように辛い。スターだから直に連絡とれるわけでもないし直に会えるわけでなくとも、その人が今共に時代を生きているのと、死んで不在となってしまうのとはまったく違う。
 たとえ何も活動していなかったとしても彼が生きていることがファンにとっては心の支えであるし、生きがいにすらなっていることがよくある。それが同時代ということであり、同時代性ということだ。

 死んでしまった者は、時代という永遠に続く長い一本道の途中で歩むのを止めたということであり、スタートは別々だとしても今までは常に横にいてくれて我々と共に判走していた人を突然失ったという驚きと嘆きで哀しいのだ。
 ただ思うことは、我々はそうして彼と共に生きた記憶があるわけで実に幸福だということだ。今の若い人たちは当然のこと実体験はないわけだが、その70年代の全盛期、いや、そんな言い方は失礼だろう、一番華やかなりし頃の姿をリアルタイムで体験することができた。あのジャケットデザインからサウンドまで完璧に仕立てられた素晴らしい奇跡のような作品の数々をレコードで直に受け取ることができた。ミュージックライフ誌などでその一挙一動をリアルに知ることができた。彼とその時代をまさに共有することができたのだ。振り返ればまさに夢のようだ。

 その幸福な記憶を噛みしめ去っていく偉大な人を感謝の気持ちで送りたい。そして今だからこそはっきりわかる。彼こそが、それまでシンガーとかロックミュージシャンと呼ばれていた音楽業界の人たちを、アーチストとして呼ばれるようにし、芸術家の域に高めた功労者だと。ボウィーという真の天才がいたからこそ、ロックミュージックという若者向け商業音楽は、アートの世界に仲間入りすることができたのだ。

 たかがロックミュージック。だが、彼が地球に落ちて来たからこそロックはここまで人々の意識を大きく変えるものへと成長したのだ。真に偉大な天才をただただ深く悼む。ただただ感謝である。
 若き日に彼と共に生きられて実に幸運幸福であった。