めまい、ふらつき再考2016年01月17日 08時57分23秒

★原因は、山梨の高地への日帰り行なのかと     アクセスランキング: 172位

 1月17日、阪神淡路大震災の日である。また朝が来た。体調すぐれずこの数日、ブログは書けないでいた。申し訳ない。
 私ごと、まして体調、体質のことなので書いても仕方ないと、書くべきでないと今も迷うところだが、更新できない「理由」なので書くことにした。
 
 去年の秋以降は収まっていた我が「持病」である、めまいが年明けて8日よりまた再発した。それ以降薬は服んでもずっと続いていて、午前中はまだしも夜になると頭痛を伴いしんどくて起きていられない。
 仕方なく晩飯も軽く済ましたらすぐにベッドに入ってしまう。昨日も夜9時には寝てしまった。今は寝たり起きたりの半病人という有様で、老親の介助よりまず我が身の体調維持が先決となってしまった。情けない限りである。

 まあ、幸いにしていちばんひどい状態、朝目覚めても周囲がぐるぐる回っているようなベッドから体すら起こせないほどのレベルはなく――そういうときは吐き気もあり何も食べられないわけだが、日常的な立ち眩み、ふらつき程度で生活には特に支障はない。
 ただ、夕刻や夜になって疲れも溜まると、頭は重くなり頭痛も加わりフラフラして立って何か作業するのは辛くてたまらない。晩飯だけかろうじて親たちに作って出したらもう起きてられず倒れ込むように横になってしまう。そんなでブログどころかパソコンにすら向かえなかった。

 去年の夏前より始まったこの「病気」、今はある程度どうして起こるか、その原因もほぼ見当がついてきたような気がしている。これは疲労も関係する「高山病」の一種なのである。
 人にはそれぞれ体質があり、我の場合、右の耳の機能がもともとあまり良くなく、三半規管に支障があるのか幼児より乗り物などにきわめて酔いやすかった。遠足などでバスに乗れば毎回確実に酔って吐いていた。遊園地などの遊具だって、回転式のものは厳禁であった。
 大人になってそうした傾向はほぼ収まったものの、三十代に入った頃だっただろうか、フランスをブラブラ旅していたとき、四千メートル近い山に一気に登り高山病にかかって苦しんだことがあった。

 スキーで有名なリゾート、シャモニーに泊まり、有名なモンブラン山を眼前に見える、アギーユ・ミディという富士山より高い標高の山にうっかり登った。
 その山は、ローブウェイやリフトが完備されていて、それを乗り継げば自力で、つまり徒歩で歩かなくても山頂の展望台まで登れる。だが、途中で休憩し時間かけて高度に体を慣らしていかねばならないところ、バカでまだ若かったから過信して数千メートルも迂闊にも一気に上ってしまったのだ。
 登っているときは何ともなかったが、麓に降りてしばらくしたらメマイと吐き気で動けなくなり、這うようにしてホテルに戻り数日寝込んでしまった。頭痛がしメマイとふらつきがひどく吐き気すらある。しんどくて動けない。けっきょく、もうそれから旅は続けられず、仏人の友人がいたパリに何とか戻りしばらくそこに転がり込み体調戻すことがやっとできた。それが「高山病」だと後から知らされた。

 以後、日本最高の山、富士にも何度も登った。が、そこは自力で、五合目から途中の山小屋で一泊して時間かけて徒歩で登るからか、降りても高山病にはかかったことがない。
 しかし、このところ山梨へ行くようになって、日帰りで東京から北杜市増冨の標高千メートルを越す山中の温泉に入り、そのまままた山を下り東京に直帰することを繰り返しているうちに耳の調子がおかしくなってきた。
 昨年暮れから今回のめまいが起きる迄、割と頻繁に母を連れてほぼ週一間隔でその日帰り往復を繰り返していた。特に直前に行ったときは、帰りの八王子のインター出るまで耳が詰まったままなのが抜けずにヘンな感じが続いていた。そして山梨から戻って数日してめまい再開である。これは高山病の一種なのである。
 昨年この「持病」が起き始めた頃も山梨へ無理して何度も行き、しかもかなり疲労が蓄積していた記憶がある。

 都心の地下鉄の駅で、地上から地下深くまでエレベーターで降りたり上ったりする駅がある。普通の人は何も感じないだろうが、我はそんな高度差でも耳が詰まりヘンな感じがするときがある。これは体質であり、いつも山梨へ同行している老いた母は何も体調の変化は感じないと言っている。我のこれはメマイ体質とでも呼ぶべきか。
 ならば、日帰りでなく、山梨へ行ったときは常に向うで一泊して高度の変化に体を慣らして時間かけて戻ればめまいは起きないはずなのだ。じっさい、帰り道も中央高速でなく、甲州街道をちんたらゆっくり走って帰れば耳もめまいも何ともない。

 翻って、人生もまた然るべきかと思う。人には個々の体調、体質がある。無理して一気にやろうとか負荷をかけると、それが普通に苦も無くできる人はともかく、我のような不具合ある性質の者はやがては体調を崩す。
 甲州街道をゆっくり自然走行で下るように、我が人生も急がず無理せずやっていくしかないのかと思う次第。そんな余裕があるかはさておき。寝込んで動けなくなるよりはマシであろう。