我が人生にもっと手間暇かけていく2016年01月27日 22時14分03秒

★庭木の手入れに三日かけた話    アクセスランキング:126位

 ようやく記録的寒波は関東では過ぎ去ったようで、今日は一日ぽかぽか陽気の春の一日となった。
 月曜から続いていた拙宅の庭木の伐採、職人を招いての作業はようやく今日水曜の午後3時にやっと終わった。この三日間その作業の立ち合い的対応に追われて我がことは何もできなかった。
 落ちた木っ端クズを集めたり道を履いたり、下から樹上の職人に切る枝の支持を出したり、じっさいの力仕事や高所での伐採作業は何一つしていないのにただ寒い野外で立ち尽くしているだけでかなり疲れ夜も起きてられず早く寝てしまった。

 庭木は、イチョウだけでなく、ついでにケヤキから月桂樹、山茶花などの低木までほぼ全て丈詰めて、ちんちくりんに刈り込まれてしまった。
 今の我が家は、頭髪でいえば五分刈りどころかもうつるつるの出家した坊さん状態である。心なしか庭さえも広くなった気がしている。

 実はそれほどもう何年もほとんど手入れせずにほったらかしにしてきていたのである。庭木の手入れは母がやっていたのだが、老いたのと癌などで体調すぐれず体力も落ちて四季折々刈り込んだりせねばならないのが常に後手後手となり草木は伸び放題となっていたのだ。頭髪でいえば、ニューミュージック的ロングヘア―ではなく、ホームレス的見苦しい長髪であった。それがこの三日間、職人三人の奮闘で、まさに床屋に行って全部剃り上げて来たような庭となってしまった。
 母はこれですっきりしたと大満足であるが、我としてはまたすぐに生え伸びるとは思うものの、妙にうすら寒いような淋しい気持ちにややなっている。何もここまで切らなくても良いだろうにと。そして鬱蒼としていた庭が綺麗さっぱりしてしまうと妙に落ち着かない。床屋から出て来たときみたいに恥ずかしい。

 が、今回ここまで切り詰めて刈り込めば、イチョウもケヤキも今年の秋の落葉はずいぶん少なくなるだろうし、枝もずいぶん短く詰めたので我一人でも剪定はかなり楽になったと思える。だからこの数年母を悩ましていたご近所との落葉をめぐるトラブル、軋轢はしばらくは解消されるのではないか。じっさいやいのやいのと口うるさく口さない罵詈雑言が飛び交い、それもあってストレスで母の癌は悪化したのだと思えるほどだ。それほどご近所の人たちは容赦なくあからさまに文句を並べ立てていた。
 今回、母は癌再発したこともあって、思うところあってもう息子に任せて息子が恣意的に、そのうち時間のあるときに切る、なんて言うのをアテにしていては根本解決はしないと考え、金払って業者に頼んだのは英断であったかと今は思える。

 そして今自分もこう思った。今までは庭先のことは親任せにしてきたこともいけなかったし、庭と言えども、いや、室内よりも外から丸見えになる、道を通る人誰でも目にする場所だからこそもっと気を使いきちんと綺麗にしていかなくてはならなかったのだと。 
 今までは何にせよ、忙しいことを言い訳に、庭先にしろ室内にしろ基本ほったらかしにしてきていた。今抱えているこの問題が終わったら、一段落して落ち着いたらと、常に後回しにしてきていた。
 まさにある意味、無頼であったと思う。結果としてそれで良いことなんか一つもなく、ただだらしなく収拾がつかず混乱の極みに達しすべてがゴミ屋敷化していくばかりであった。
 そしてようやく、今回まずは伸びるに任せて来た庭木から職人を使って手を入れることができた。室内は家政婦とかヘルパーを雇うことはできないが、今年これからは、意を決して溜まったゴミ化したものは捨ててすっきり快適な家にしていかねばならない。

 今改めて思う。目先のことや、自らやりたいことに囚われて、もっと肝心なこと、日々の生活の維持管理を我は常に後回しにしてきたのではないのかと。本来はまずそのことをきちんとやれて、つまりサラリーマンなら糊のきいたワイシャツとプレスのしっかりしたスーツ、磨き上げた靴でビジネスに向かうように、まずは自分の生活環境をきちんと整えてから何事も始めるべきであったのだ。

 我は「食」にはかなり時間と手間暇かけ、たぶん普通の人よりコダワリを持って対処している。できるだけ手作りを旨として。が、衣食住のうちの残り二つは、衣類も住居もまったくほったらかし、放擲してきてしまっていた。見かけや着るものに構わないのはともかく、特に住まいにはもっと時間かけて真剣に向き合わねばならなかったのだとやっと今わかった。
 生きるとは人生とは、まずきちんとした誰からも後ろ指さされない快適な住環境を人任せでなく自ら築いて、それからじっくり向き合っていくものなのだと今にして気づく。
 そう、何をやるにせよ全てのことはまずそのためのきちんとした環境とシステムを作ってから始める、始まっていくのであった。自分のダメさは、その手順を考えなかったことに由来していたのである。