中川五郎と同時代を生きている僥倖2016年02月27日 23時29分46秒

撮影/三留まゆみ
★首まで泥まみれの時代だからこそ         アクセスランキング: 120位

 出て頂いたW・サルーンの店長と青梅線で皆より先に帰って来た。今家に着いた。まだあと一時間はかけこみ亭で皆と共に話す時間はあったが、家のこともありもう疲労で意識もとびそうだったから申し訳ないが主催側だったがお先に辞去してしまった。

 良いライブだったと一言で書くのはたやすい。回を重ねて第三回目となるこの「反戦歌コンサート」シリーズは、、どの回も良い出演者と良い演奏、そして良いお客に恵まれて手前味噌かもしれないが非常に満足できる、素晴らしいライブとなっている。むろんそれは我自らがセレクトした音楽も人柄も優れている歌い手たちだけを集めたという屁理屈もたつが、その期待以上に常に彼らは良い演奏を結果として示してくれたのだ。

 そして今回、三回は満を持して御大中川五郎をメインに据えてのスペシャル版としたのだが、私的な出来事でこのところ我は「発狂」した後だったので、果たして無事に当日を迎え終えられるか非常に強い不安があった。そしてもう進行も含めて何も考えることも準備すらろくにできなかった。※そのことについては後で詳しく告白する。

 が、仕切りも何も御大にほぼ丸投げして、結果としてコンサートは非常にうまく、良い形で盛況の裡に終えることができた。むろん細部をみれば荒もあったと思うし、毎度ながら我自らの失態を責めることもいくらでもできる。
 しかし全体の流れとして粗削りながらも非常に楽しく暖かい熱のこもったイベントとなりその場の全員が一丸となって同じ思いの中で良い時を共有できたと信ずる。

 毎度のことだがいつもに増して今回は出演者、スタッフ、お手伝いの方々、そしてお客として来られた方々にまで我は助けられた。当たり前だが、一人では何一つできやしなかった。当日を迎え皆の介助によってライブは進み成り立ち良いものとなった。
 その中でも中川五郎氏のいつもに増して気迫に満ちた、まさに渾身の熱いステージには終始感嘆感心感動させられた。

 中でも彼が高校生のときに、訳し日本語のうたとして作られ自ら唄い始めて約半世紀となる「腰まで泥まみれ」は会心の演奏で、その場の皆誰もが鳥肌立つ思いをしたに違いない。
 この歌は、今世紀に入った頃はもはやある時代のことを唄った「懐メロ」として、ベトナム戦争?そんな時代もそんなうたもあったねと、誰もが思いおそらく五郎氏当人も思われてあまり唄われていなかった。
 しかし近年このうたこそ今の時代に唄い聴かれるべき時代を越えた普遍の価値があるとじょじょに認識されだし、特に安倍政権に変わって戦争へ突き進む悪政の暴走が顕著となってきてからは「僕らは腰まで、やがて首まで泥まみれ、だが、バカは叫ぶ、進め!」とまさに歌の歌詞の通りになってしまった。
 しかもこのバカとその取り巻きは、歌の隊長のように、自ら範を示し泥沼に沈んだりはしない。彼らは常に安穏としたところで、SPに守られ料亭で大企業の役員たちと会食し、国会では反対意見の徒には野次を飛ばし戦争へ突き進むための悪法を数の力で次々と成立させてきた。泥沼に沈むのは誰であるかは言うまでもない。
 そんな時代に、そんな時代だからこそこのピート・シーガーがつくった素晴らしい反戦歌は、天才中川五郎の名訳と彼のうたの活動を通してひしひしと実感をもって今の日本人に迫って来る。第三回目のこのコンサートは、この一曲のみだけでも聴くために参加する価値はあったと思う。

 中川五郎氏とは、知己を得てかれこれ約40年の付き合いとなるが、彼ほど時を経て歳と共に存在の凄さが増して来た人はいない。若き日の彼は、周りにものすごいシンガーがたくさんいたこともあって、クリエータとしては早くから認められていたが、パフォーマーとしての評価は高くなかった。
 が、今は、まさに作り手として以上に自らがそのうたをうたう演者として孤高の高みに昇り続けている。それは70歳近くの老いた身としては日々過酷なライブが続く試練修練のたまものであろう。しかし、おかげで今我々は、中川五郎という真に偉大なプロテストソングシンガーと同じ時代を生きているという幸福の中にいる。あの世代の人で、これほどライブの数をこなし全国的に演奏活動を行っている人は皆無である。
 その幸せがいつまで続くかわからない。やがてはビクトル・ハラのように当局が目をつけ彼の腕を折り歌えなくするかもしれないし、積年の無理と疲労が積み重なって盟友高田渡の後を追ってしまうかもしれない。
 そうならないためにも、彼を支え守らなければならないが、聴き手ができることは、彼のステージを観、声援し続けることだけなのである。
 
 フォーク好きで知られる春風亭昇太が、渡氏の生前、「~的」上映時新宿の映画館で司会役で出て来て、「我々には志ん生はいないが、高田渡がまだいる」と言っていたと記憶する。それは語り口についてのことだと思うが、我ならこう言いたい。ピート・シーガーは既にいないが、中川五郎がいることの僥倖。我は今、中川五郎と同じ時代を生きている幸福を噛みしめている。しみじみとした思いで有難いと思う。五郎さんにどれほど感謝しても感謝しつくせない。