うたで人と人を結び繋いでいく2016年02月29日 16時25分25秒

★まず近況から。     アクセスランキング: 109位    

 例年より一日多い二月も今日で終わる。
 まだお知らせしていなかったが、今日より二泊三日で、また入院して投与する予定だった母の抗癌剤治療、二回目のそれは先延ばしとなった。
 理由は、先週末にまた発熱があり、今回はどうやら父の風邪がうつったもので、その熱も今は下がったのだが、病院にその旨伝えたところ大事をとってか延期となった。
 で、我マス坊もその風邪に伝染ったらしく鼻水が止まらない。久々に本格的な風邪をひいてしまったようだ。
 
 27日のコンサートを終えて、店長と青梅線で帰ってきたらその車内から鼻水が出始め、まるで水道の蛇口の漏れのようにポタポタと流れ落ち、恥ずかしい思いをした。
 今回の風邪はどうやらそうした鼻水がやたら出る風邪らしく、父は大して熱も上がらず数日で治ってしまったのだが、母はやや高い熱が出た。我は今、熱は大してないと思うものの体の節々が痛く、おまけに目はしょぼしょぼ涙目で痛くて開けていられない。頭もぼーとして喉も痛い。つまり鼻風邪だけでなく本格的な風邪にかかったということだ。
 まあ、コンサートという一つの難事を成し終えたので、気も緩み、終わった途端一気に風邪の症状が出たという次第であろう。終わってからで本当に助かった。

 さておき、昨日書いたことにもう少し続きがある、というか書き足したいことがある。
 このところ、企画者特権というわけではないが、このコンサートでは毎回、マス坊はちょこっとだけ出させて頂き、臆面なくギター抱えて唄っている。本来、企画した者は裏方なのだからしゃしゃり出てはならないと自戒していたが、前回の反省もどこ吹く風、今回三回目も客入れの時、オープンマイク枠で二曲ぶらいあんずとして唄わせてもらった。
 相変わらずトチリっぱなしでお客様は眉をひそめたかと思うが、正式に代金をとってのライブではないので、お赦し頂ければ幸甚だと言うしかない。つまり落語でいうところの「前座」であり、本番とは別枠の勉強の場だとご理解頂きたい。

 以前中川五郎氏から聞いた「教え」がある。うたとは、一人で家など誰もいないところで百回唄ったとしても一回でも人前で、――それはたとえ観客がたった一人でもかまわない――唄う方が大事だと。人前で唄うことで歌が自らの中に入っていき、自分のものにできるのだと。
 それ以来、願わくば場さえあり許されれば積極的に人前に出て唄うように意識して心がけている。この教えは確かにその通りで、一人で家で何回うたったとしても歌詞は覚えないしいつまでたっても上達しやしない。それより、拙くても他者を前にして緊張感を抱えて必死に唄うことで歌はつかめてしだいにしっかり自らのものとなるのである。

 余談だが、もう60歳に手が届くこの歳になってようやく「うた」とは何かわかってきた。それまでは「音楽」は何かはわかっていた。そして歌も自分ではわかっているつもりでいた。
 でも、じっさいのところ音楽はわかっていても「うた」は何なのかまるでわかっていなかったのだ。
 去年の夏から秋にかけて、我は一人で、安保法制反対運動の高まりの中、ギター抱えて国会前に通いづめ、そこの並木道で群衆を前に「ウイ・シャル・オーバーカム」などを唄うことを始めた。
 そしてそこで初めてうたとは何かはっきりわかった。つかんだと思えた。自分のうたはやっとそこからスタートした。

 簡単に言えば、音楽とは観客など不在でも個人でもできるもの、成り立つもののことだ。うたは違う。うたは聴き手あってのものであるし、聴衆がいないと成り立たない。いや、聴衆に向けて唄うものでなければならない。今はそれは信念になった。
 そしてそのうえで、我が歌は何かと問えば、歌は人と人を結びつけ繋いでいくもの、と断言できる。そしてその先の「変革」へのためのツールなのだともあえて言う。

 以前、いつもお世話になっている唄い手の方から、うたとは唄い手にとって自らの目的であるはずなのに、マスダのうたは手段、方法論でしかないのに驚かされるとご指摘を受けた。それまでは気がつかなかったがまさに正鵠を射ている。我がうた、音楽はまさに目的ではなくある意味手段でしかない。うたを通してその先に成しえるものがあると信じてやっている。※語弊があると嫌だから言うが、かつての歌声運動が政党の下部組織的その宣伝手段として用いられたのと我の手段とは意味も目的も違うということだけはっきりしておきたい。

 そんな我の拙いうた、演奏でもごくごく稀なことだが、聴いて頂いた他人様から評価受けてお褒めの言葉を頂く事がある。当然ながら嬉しくないわけはない。しかし、音楽に関しては他の方々よりよくわかっている自分としては、(我のそれは)まったくもって論外の出来であって、嬉しくても背中が痒いような居心地の悪さを覚える。それは何だって同じで、我が書くものですらたまに文が上手いとかよくあんなに書けるとか感心されたりすると同様に思う。こんなの才能でも何でもない。ただやむにやまれず、やみくもにやっているだけのことだ。ヤマアラシが毛を逆立て、アナグマが穴を掘るのといささかも違いはない。それは才能でも努力でもない単なる本能であろうが。

 我はそもそも自己否定の固まりであって、どんなに自分がダメか才能がないかは人よりもはっきり自覚している。が、それでも続けているわけは、他に代わってやってくれる方はいないし、下手は下手なりに、ダメはダメとして「在ること」の意味や価値はあると信じて、無用の用として在りたいと思うからだ。
 その延長線上のこととして、我がいたから、関わったから成し得たことがあるとしたら実に光栄であろうし、もしそのことが評価されるのな我個人の評価の百倍も嬉しい。
 つまり、反戦歌コンサートもだが、我が動き関わったことで、その企画が始まりじっさいに本番が出来て、来られた観客、出演者たち、お店側もが満足され良かったと思ってくれたならそれに勝る喜びはないということだ。我の存在価値はそこだけにある。それこそが我が使命、役割だと思っている。

 うたで人と人とを結びつけ未来へと紡いでいく。実はそのことは、亡き高田渡から教わったことだ。彼は人間接着剤と呼ばれたほど幅広い親交と人脈を持ち、様々な人たちと関わり異業界の人たちを結び付けた。
 我は渡氏の足元にも及ばないしそんな人徳は持ち合わせていないが、だからこそ様々な企画のコーデュネイタ―として、裏方として唄い手と音楽を支えていきたいと願う。そして来られた人たち、関わってもらった人たちをまた新たに結びつけていきたい。
 自分がいたから成ったことがあり、それが喜ばれ評価されるのなら我はどんなに苦労し大変だってかまわない。

 種を蒔く人、出た芽を育てる人、さらにそれを成長させ刈り取る人もいよう。我はその前の、まず畑を耕す人でありたいと思う。そしてその種を運ぶ人でもありたい。
 我にとってうたとはそうしたものだ。たかがうただ。うたとはそんなものでしかない。