男は黙って、女はおしゃべりして考2016年05月24日 22時07分27秒

★男らしいってわからない

 父と母が共に入院したので、それぞれの病室に見舞いに行って気づく。同じ病人、ケガして入院していても男と女はかくも違うものかと。

 その立川の病院は、各階ごとに内科、外科とか入院患者が別れてしかも男女は当然ながら男は男、女は女と分けられている。そしてボケの進んだ手のかかる患者もまた同室に集められている。
 母は今は退院したが、行くたびに母の姿がみつからないことがよくある。少し動けるようになると、同室の他の女性患者のベッドサイドでその人と話し込んでいたり、入院中に知りあい親しくなった患者の病室を訪れたりとともかく常に誰かしら話している。
 だから母は持ちこんだ戦争廃止の二千万人署名も病院内で、二十数名分の署名集めたと自慢していた。
 それは母の物おじしないおしゃべりな性格によるところ大きいが、他の女性患者を見ても、エレベータ前の長椅子や、テレビのある広間などで、患者同士、おしゃべりに花が咲いている光景を良く目にする。
 女とはそうしたもので、入院しなくても母のかかりつけの診療所の待合室では、常に誰かしら待ち時間に隣の人と世間話している姿は母だけのものではない。
 
 が、これが男となると、基本真逆で、まず誰とも話さないし話しかけることも話し相手も不要のようだ。それは高齢になるほど顕著のようで、父の病室の場合、他は父に輪をかけボケた患者がいることもあるが、父は一切他の同室の男と話はしないし、父に話しかける男もいない。
 もう一か月半も同じ病院に入っていて、ときおり病室は移動となったとしても、それだけ長ければ多少は顔見知りになったり挨拶交わす人もいて当然だと思える。
 が、父にはそうした同性の相手は皆無だし、同室の他の男も話しかけては来ない。今は四人部屋に移って、他の二人はかなり「恍惚の人」っぽいから仕方ないようだが、隣はまだ六十代ぐらいで、看護師との会話を聞く限り、まっとうなオツムと思える。
 行くたびに、こちらも気を使い挨拶してもじろっと横目でにらんで無視であり、これでは父が話しかけたとしても会話も成り立たないと思える。
 
 別に同室に入院した縁だからといって友達になる必要はないが、病院の中という閉ざされた世界で、食事やリハビリの時間以外はほとんど何もすることはないのだ。ならば、多少の会話を持ち、世間話で時間をつぶしてもかまわないと我は考える。せめてそうでもしないと時間が過ぎて行かないはずだ。
 母などじっさいそうして今回の入院で四、五人の女同士患者仲間の友人が出来て、住所も交わして、退院後も電話があったりもしている。むろんそんな縁はいつまで続くかはわからない。しかし、袖振り合うも多生の縁であるならば、同室の隣のベッドに隣り合った人とも口をきいてもバチは当たらないであろう。

 女はそうして気軽におしゃべりができすぐに知り合い、友達になっていく。それは病院という特殊な空間に限らない。ところが男は・・・
 酒場などで、同席になり、酒が入れば知らぬ同士が小皿叩いてちゃんちきオケサということもあろうが、アルコールなしだとまず隣の男に男は話しかけない。それが礼儀だとも常識だとも思っている。

 ずいぶん昔のテレビなどのCMで、あの世界の大スター三船敏郎を使った「男は黙って○○ビール」とかいう広告があったと記憶する。つまり、男らしい男とは、ぺちゃくちゃおしゃべりや愛想笑いなど一切せず、ひたすら寡黙に、苦虫を噛み潰したような顔で、どっしりと構えていれば良し、それこそが「男らしい」ということだったのであろう。
 同様に、鶴田浩二とか、高倉健とか同タイプの昔のスターたちが思い浮かぶ。皆、寡黙に、内なる思いは秘めてただじっと堪えて自らはまず話すことはない。問われればごく短く返事はする。しかし、彼らも絶対入院したとしても隣のベッドの男に自分からは話しかけはしないはずだ。
 何故ならそれこそが、男らしさであり、まして入院という辛い境遇だからこそ、じっと黙って堪えないとならないという心理が働くのかもしれない。

 しかし、我は思う。そうしたものが男らしさとか、男らしいってことなのだろうか。じっさい今は、テレビの中ではタレントや政治家は常に饒舌に、ペラペラと早口で、どうでもいい事をまくし立ててそれがフツーなのである。安倍晋三や舛添都知事など見る限り、彼らにはそうしたかつての男らしさは皆無のようだし、その人格として中身が空疎の分、余計にペラペラと早口でまくし立ててるとしか思えないがどうであろうか。

 だからそうしたかつての「男は黙って」という男らしさは消え失せたと思っていた。だが、病院の中では今もなお男同士の患者の間ではそうした「男らしさ」は依然残っている。
 でもそれは男らしさとかいう性差、ジェンダーでは無い気がする。単に、男のほうがシャイで、しかも同様に、互いに相手を気遣うからこそ会話をしないだけのようにも思える。

 昔から様々な研究で、男女の違いは脳にあり、女はおしゃべりで男は口が重いとされてきた。しかし、我は西欧など行って見聞した限り、向うでは男も女も見知らぬ人に対しても気さくに話しかけてくる。そしてそれは年齢も性別も相手が外国人とかも一切関係ない。それは文化の違いではないのか。
 おしゃべりということだけとれば、圧倒的に女の方が会話量は多いであろう。母など、疲れていても電話がかかってくれば、妹など同性の親しい相手だとときに一時間以上も話し込んでこちらが止めないとならないほどだ。

 男だって、決しておしゃべりではなくはないし、親しい友とは同様に長く話し込むことだって往々あり得る。おしゃべりな男だってけっこういる。が、何故かしらねど、病院などの中では、同室の男には話しかけない。それが男社会の暗黙のルールとなっているようだ。
 それは良いことかどうか。我はそんな男らしさは理解できないしよくわからない。

 孤独は男も女も同様にやってくる。ならば、その隣人に対しては常に互いに善きソマリア人であるべきではないのか。