兄妹がいるという有難さ2016年05月26日 21時56分40秒

★荷を分かち合えるのは血を分けた者だけ

 我にも兄妹、実の妹が一人だけいる。今日26日木曜、九州大分に嫁いでいる妹が親たちの見舞いに来た。土曜までのわずか二泊三日の慌ただしい行程だが、来てくれて本当に有難く嬉しい。

 一人っ子の方や兄弟を既に亡くされたり、不仲の方には申し訳ないが、今つくづく我にも妹という肉親、家族がいてくれて本当に救われた気がしている。

 妹とは学年でいえば二つ離れていて、思えば同じ学校に通ったのは中学までで、後は高校、大学と個別に離れてしまい、学生時代からそれぞれ下宿したり別々に暮らしたりしたから、実際親しい兄妹ではなかった。
 しかも大学を出てからは、彼女は家を出て働き、同じ職場の年下の男と出来婚で、今、東京でアニメの仕事をやっている長男を産み、そのまま子を連れて旦那の実家の九州へ行ってしまった。
 我はその義理の弟とほとんど口も利いたことないし、向うの実家にも行ったことはない。妹の家では、次々男の子が生まれて、その長男だけは東京に出て来て、我家に下宿していたから、そいつとは親しいが、基本、妹の家庭とは親たちはともかく没交渉なのである。
 男と女ということもあり、一緒に何かしたりどこかへ行った記憶は幼少の家族ぐるみでの旅行以外はともかく、成長してからは何一つない。趣味も嗜好もまったく異なるし、互いに別々のバカなことに熱中してたから存在を意識したことすらなかったと思う。

 ただ、このところうちの親たちが老いて病んできて、癌やら手術やらあれこれ重篤な事態を迎えるとやはり彼女にも子として兄として連絡しないわけにもいかず、最近では母も病み弱って来て、父も骨折で入院してしまうと、その動静などできるだけ頻繁に連絡とりあうようになってきていた。
 妹も嫁ぎ先の義理の老親を抱えていて、向うの義父もかなり面倒なタイプの認知症で、なかなか東京へ実の親たちの看病には出て来れないでいた。しかも向うも夫婦共働きの生活で、実家は小規模でも農家であったから、子育ては終えたとはいえ常に年中忙しいのであった。
 しかし、母の大きな手術の毎には、わざわざ九州から休暇取って数日でも出て来てくれたし、今年も正月明けに母が先に体調崩して入院した際、一度来てくれていた。

 実は、その直後、そうしてウチの親たちが体調崩すようになってから、妹のところの義父、つまり旦那の父親が、家の風呂で急逝した。なかなか出てこないからおかしいと思い、覗きに行ったら風呂の中で死んでいたという。
 そんなこんなで、田舎だから自宅で突然の葬式となり、本来は、ウチからも嫁の実家の者として出向かないわけには行かなかったのだが、母が入院、父も認知症ということで、東京にいる妹の長男=我の甥っ子に香典託して勘弁してもらうことにした。

 向うでは葬式も大変だったそうだが、四十九日やら死後もあれこれ人が集まる儀式が続いていて、しかもこれから田植えが迫っていて、時間はなかなか取れないと聞いていた。
 が、今回、父もまだ入院中であることと、母は退院して来ても体調すぐれず、その介護に兄である我は疲労困憊だということで、ともかく時間つくって来てくれたのだ。
 母の癌の進行と体調のことも考えると、彼女にとって実家で母と過ごすのはこれが最後になるかもしれない。今回は、父も不在なので、先日運び込んだ介護ベッドで、母と娘で同室で寝てもらうことにした。

 母はもう今は体力がなく、自分の衣類の整理、夏物すら出せていなかったから、父を立川手短かに見舞った後、さっそく衣類の分別処分を手伝わさせた。もうボロい、古くて着ないが、勿体なくて捨てられない衣類などは思い切って妹に捨ててもらうことにしたのだ。
 我は男だから母の衣類は何が要不要かは判断できない。今回は明日一日、天気も悪いようなので、母と娘で少しは積年の母たちのガラクタ類を整理してもらおうと思っている。

 それにしても・・・今の気分はどう表現したら良いのだろうか。もう今は他家に嫁ぎ、他人となってしまっているが、同じ親から生まれた血を分けた兄妹が今家にいるというだけで、何とも言えず安泰、安心の気持ちでいっぱいだ。ようやく地に足がついたような・・・ほっとした気分。
 幸福に近しいが、ちょっと違う。充足感というべきか、ともかく久々に満ち足りた落ち着いた気持ちである。
 その理由もわかっている。母のことも父のことも何一つこれからのことは見えてないし解決したわけではないけれど、今まで我一人で背負ってきた荷物を背負う者が今ここにいるという安心感、いや安堵である。
 むろん、九州にいるときだって、携帯に電話かければ話はできる。しかし、現実的には妹は何も力にはなれない。もちろん、我にはそうした親しく我のことを思い心配してくれる人たちは当ブログの読者方も含めて何人もいてくれる。そしてその存在に常に救われていて有難いことだとつくづく思う。
 しかし、じっさいのところ、その介護や介助、生活を共にし世話という重荷を負うのは我だけであって、それは当然として思うし受け入れてもいるけれど、正直なところを吐露すればもうかなり限界、疲労感は溜まってきている。
 今回、忙しい中、妹が来てくれて、子として背負うべき荷物を数日でも分け合ってくれたことは本当に有難い。兄弟、妹がいて本当に良かったと心から思う。
 長生きしてくれたゆえの老親という重荷は、我一人が背負うべきものだと覚悟はしている。妹もまた彼らの子なのだから、介護に加わるべきだとは考えない。そもそも向うに行ってしまったときから他人だと我の中では考え切り捨てていた。
 が、今来てくれて思う。この荷を分かち合えるのは、最終的にはやはり血を分け合った者だけなのだと。もし、我に妻がいてくれて彼女が介護を手伝ってくれたとしてもこんな慰安は得られないように思う。
 何故ならやはり他人だからで、家族というのは本来血を分け合った者たちだけのごくごく閉ざされた、他者が入り込めない濃密な空間だったのである。

 たった一人だが、こんな我にも兄妹がいて本当に良かった。そしてあまり親しくもなかったその妹と縁を繋いでくれたのも親たちがいてくれ、老いて病み衰えてくれたからだったのだ。
 さならば、これもまた神の計らいであったのだ。