今は、ただ全てが有難く申し訳ない。2016年08月02日 22時06分50秒

★おそらく今年の夏は死ぬまで忘れないだろう

 今日も蒸しか暑かった。梅雨明けしたけれど、今年の夏は、昨日も何度も小雨がぱらつき、晴れたり降ったりでカラッとしたいつもの夏にならない。今日も曇りがちで、猛暑というような暑さでないが、ともかく蒸し蒸ししてじっとり汗が出る。今もしとしとと雨が降り出した。湿度が高いとより暑く感じる。

 さすがに疲れが出てきた。母が家にいるときは、気が張って睡眠不足であろうとも疲労感などあまりないのだが、入院して四日、今朝などは明け方に犬の散歩に起こされて、戻ってからまた寝直したら気づいたら8時過ぎで、父のデイケアの日だったので慌て焦った。
 幸い今日は、遅出迎えの日だったので、食事とらせて着替えさせて車椅子を表に出して乗せたらすぐにむ送迎の車が来た。ギリギリ間に合った。

 父わ送り出してから今日は所用で、所沢まで行ってきた。母に持たせるためツタヤが扱っている格安スマホ、ZONEという機種を契約しにだ。ウチの近くにもツタヤ自体はあるのだけれど、そのスマホを置いて契約コーナーがあるのは、所沢山口店というのが一番近く、後は都心に出るしかない。
 仕方なく、父も不在の今日、そのために狭山丘陵を越えて所沢まで車を走らせた。説明と契約自体は一時間ほどで終わり、さっそくそのスマホの現物を手にして使えるようにはなった。
 が、まだうまく使いこなせないこともあるが、こりゃ、ダメだと気づいた。月々の使用量は現在の格安スマホの類で最安だと思うが、メールやネット検索はともかく、ユーチューブなどの動画はそのままでは容量が少なすぎて観ることができない。

 そのサイトにアクセスしてもいつまでもぐるぐる待機の円が回るだけなので、困ってサポートに電話したら、出て来たお姉ちゃんは、そのままでは動画など負担がかかるサイトは観ることができない、そのためには別途カードのようなものを購入しないとならないのだと言う。
 思わず聞いてないよ、言いたかったが、聞いてないというより、きちんと調べなかった自分が悪いのだから仕方ない。で、それもスマホ上から簡単にアクセスして購入でき、すぐに動画が観れるようになった。
 しかし、一月に買えるカードはあと一枚とのことで、その費用は高くはないが、どれだけ観れるかも含めてこりゃ面倒だなあと思った。いちいち、動画観覧のつど回線速度を上げるためのチューニングもしないとならない。上げたら下げないと使ったままと判断されすぐに消耗してしまうのである。
 まあ、本体購入の初期費用などは安くはないが月々かかる額は安いので、メールとインターネット、さらにIP電話(使用料は別途使ったぶんかかる)を手に入れるためと考えれば、思う存分動画サイトが観れなくてもそれはそれで仕方ないと考えるべきかもしれない。
 母が使いこなせるかはともかく、今病室のベッド上から寝たきり状態の母がこちら家族と連絡をとるのは、これしかなく、時間つぶしも兼ねてスマホが必要だと考えた次第。

 今日もいちど家に戻って、ある程度使い方を確認してから、夕刻、母の病室に行き、さっそく母の好きなうた、先の朝ドラマ「朝が来た」の主題歌、AKBの「365日の紙飛行機」をユーチューブから取り出し、イアホンで動画を見せながら聞かせたら喜んでくれた。ついでに小沢昭一がうたう「東京市歌」も見せて聞かせたら驚き一緒に口ずさんでいた。※東京市のうたは、戦前、都下ではなく、東京市、つまり現都区内一部に住んでいた東京でも区内の子供たちだけに東京市が作ってお式のときなど唄わせた曲で、たぶん知っている人は、母や小沢昭一のような昭和の初めの生まれの世代だけであろう。戦時下には挙国一致で、国民学校ではその歌は歌われていないはずだから。我は母から教わって少しは歌える。いかにも山田耕作らしいのびのびとした佳曲である。
https://www.youtube.com/watch?v=HHWd1IOM_Ss

 その母だが、体調は幸い安定している。が、今も口から一切摂れず、ベッドの上で、点滴と抗生物質を同時に手から入れられ、輸血もしたと言う。このまま寝たきり状態が続くと、ますます全身が弱りウチに帰っても起き上がることも歩くこともできなくなるわけで、一日も早く退院予定が出てほしいと祈るだけだ。
 
 所沢まで出かけたこともあるが、今日は頭痛とメマイ、ふらつきがひどく、起きているのも辛く、ともかく眠りたかった。父がデイケアから戻ったのを受け入れて、ほんの少し横になり仮眠とったらやや楽になった。
 そして立川に出向き、母の顔見てあれこれ報告し、足をマッサージしたりしてたら我もまた元気になってきた。
 そう、母がいて、元気そうであればそれだけでこちらは安心して元気になる。
 
 父が帰ってからのことを7月末日付けで、ごく親しい友人たちには「近況報告」をメールした。送ってから少し後悔した。いくら親しいと思う大事な友であっても、一方的にこちらの状況をあれこれお知らせするのは、いらぬ不安やご心配をおかけするだけのことで、本来すべきではないことではないのかと。
 ただ、我としてはこのブログもだが、全てが終わってから、実はこうこうでしたと説明するより、その時点ごとに、報告しておいたほうがご理解頂けると考えたし、そもそも友であるならば我のことを案じてくれているかと思い、現況をお知らせすべきだと考えたからだ。
 しかし、返事は期待していなかったが、呼んでくれたのかも定かでないまま何も連絡ない人もかなりいて、やはりそんなメールは送るべきではなかったかと考えなおした。
 何しろちっとも面白くも楽しいことなどそこにはないのである。悲惨な状況しかないのに、そんなことを知らされても人は困惑するだけであろう。うんざりもしよう。このブログに書けないようなこともそこには記した。もしそれでも読んでみたいと言う方には連絡頂ければメールいたしますが、現実しか書いてはないが、愉快な内容ではちっともない。いかに辛酸佳境に入り度を増していったかを綴った。
 が、それは真実であり、おそらくそれは我と我家族だけに起きたことではなく、誰もが当事者に、その家族になる出来事であるわけで、少しは参考になるかと信ずる。

 そんなで今は、ただただ多くの皆さんに不義理し、ご迷惑をおかけし申し訳ないと心から思う。まったく情けない。
 が、今もまだ母は生きていてくれる。今日はまだ生きていた。意識もしっかりあった。そのことがただ有難い。
 有難さと申し訳なさと。そうした気持ちは誰にも伝えられない。よってせめてブログのこの場で書かせてもらった。