母が退院して一週間2016年08月16日 21時55分23秒

★ようやく一つのタスクを越えたか

 今さらだが、こうした事態に至って、いろいろ不義理してしまっている方々に申し訳なくお詫びしたい。もし、目にしてくれたならばこのお詫びは生涯かけて償いたいと思う。

 勝手な言い草だが、すべてを差し置いて、「親」なのである。我が親より大事なことは残念ながら我にはないし、我のなすべき使命も含めて、まずは親たちを看取ってからだと考えている。
 それこそ積年の親不孝の、せめての償いであり、彼らに孫の顔も、我のパートナー、妻となる人を会わせられなかったことの詫びにもなりゃしない。それもまた我の自己満足であり、ワガママなんだとわかっている。が、これだけはしない限り、我が人生の「その後」はありえない。死に向かう親たちを捨て去れるほど俺はそこまで極道ではない。恩返しなんかにもなりゃしない。ただ誰にでも起きる当たり前のことを今さらながらやっている。
 どうかご容赦願いたい。ご迷惑と不義理いたした方々には残りの人生、生涯かけて埋め合わせしたいと思っている。

 さて、母が8月10日に退院してきてから、明日で一週間となる。前回の退院では、わずか5日間で、病院に逆戻りしてしまった。
 高熱で救急車を手配し入院して10日間の治療、7月の25日の月曜にやっと退院できたと思ったら、30日の土曜日の夕刻にまた高熱が出て再びまた立川の相互病院へ。家族三人で過ごせたのは、月~土のたった5日間に過ぎなかった。

 医師からは、もう家で過ごすのは無理ではないか、このまま最後まで入院させた方が家族としては楽だろうと勧められもした。が、当人の意思以前に、我が強く再び家に戻すことを求めて、周囲の不安も抱えながら無理やり家に帰って来たのだ。
 だから、まずは何とか前回よりは長く家に、無事過ごさせることだけが最優先で、指折り前回時の5日を越えられるか数えていた。
 そして有難いことにその願いはかなった。

 さらに今週を無事乗り越えられれば、来週明けには、九州から我が妹が助太刀に来てくれる。彼女は、老人介護施設で働いているベテランの介護士でもあるから、もう一切親たちの世話は任せることができるので、我はその間は羽を伸ばせる。数日でも息つけられる。僅か二泊三日の実家滞在という短さだが、おそらくこれが最後の親たちとの親子そろって過ごす日々となろうから、何としてもそこまで母をこの家でもたせたかったのだ。
 先のことはわからないが、今日の感触では、やはりあと五日、何とかこのまま無事乗り切ればきっと妹が来る22日となろう。

 と記すと、母はもう青息吐息で、明日をもしれない息も絶え絶えの状態かとご心配されるかもしれない。
 実はそれほどひどくはなく、意識もしっかりしているし、食事も三度三度量はわずかだが自ら口から摂れている。ただ、もうベッドから降りることも起きることもできなくなって、排尿はバルーンという、膀胱に管入れて、自動的にポリ袋に溜まるようにされてしまったし、排便はいつ突然軟便が出るかわからないので、紙パンツにパッドをあてて、その都度我が交換するようになってしまった。そして栄養失調からの手足のむくみもさらにひどくなってきて、足だけでなくお腹や背中までパンパンである。足は象の足ごとく膨れてしまっているから、痛くて歩けない。

 今日明日に、突然急死するという事態はまずないと信ずるが、入退院の度に体力が落ちて、さらに衰弱して来ていることは間違いなく、医師からも今度高熱出たりしたら、体力もないのでショック死する可能性がある、そのとき生命維持のためにどうしますかと訊かれ、ウチとしては、無理して生かす必要はないと意思を伝えてあるので、今度またそうした発作的事態が起きれば覚悟しないとならない。
 ゆえに、ともかくまた突然の感染症による発熱、そして敗血症になる高い可能性と怖れを抱えつつ、毎日丸木橋を母の手をひいて渡るように過ごしているのだ。

 毎朝、犬の散歩で、近くのドラッグストアの生垣の周りを軽く歩く。その都度、天を仰ぎ、神に祈る。どうか今日もまた一日、親子三人が無事でともかく共に暮らせますようにと。
 そして深夜、眠りに就く前に、窓辺でやはり神に祈り感謝する。何とか今日も一日無事に父と母と我、親子三人で過ごすことが出来ました。本当に有難うございますと。
 そうして一日一日、ともかく必死にやり過ごしている。

 我としては、ともかくもう一度、せめて前回の入院前の状態程度に、戻せたらと願い祈っている。何とかむくみもとれて、再び自らの足で庭先程度は出て歩けるようになることだ。癌が治るとか、元の様に何でもできるようになるなんて望まないし願わない。
 ただ、もっと食べられる様になり体力がついて、今のようないつ高熱など不慮の事態が起きるか、不安と焦燥にかられる状況から抜け出せたらとただ願う。

 ウチに訪れる訪問看護士や医師たちは、来るたびに容体は悪化していると見ているようだが、我はそう考えていない。今の政治状況もだが、なにくそ、ここから巻き返していく、戻していく、という気持ちでいるし、そう奮起する強い思いがあればそれは可能だと考えている。そう、何事も諦め、絶望したらお終いなのだ。信じて強く願えば思いは必ずかなう。

 あなたに強い信仰さえあれば、山すらも動かせるとナザレのイエスは弟子たちに説いた。我にも揺るがないもっと強い信仰を、と日々祈っている。

 個人的なことだが、今日16日は我の誕生日、もうすぐ60となる。何とかここまで我のような極道が母と父と共によく生き延びたという強い感慨、感動の中でこれを記している。まさに神の愛、神のご加護があったからだ。
 願わくば明日もまた今日の日々が続くように。皆さんにも神のご加護がを。