介護にとことん倦み疲れてきて2016年08月22日 08時22分21秒

★この状況で、何ができるか、何をすべきか。

 ブログも更新できずに申し訳ない。母はまだ生きている。が、我自身疲れ果てて、正直なところ限界に達して来ている。愚痴ではなく現況を記す。

 母は、相変わらずベッド上の寝たきりの生活だが、意識もあり、食事も口から何とか摂れている。いろいろあって尿のバルーンは外された。ただ、昼夜を問わず突然出る大小の下の世話と、父も含めての彼らが好む、食べられるようにこしらえた食事の世話と、その後片付け、汚れ物の洗濯、そしてさらにまた別に手のかかる父の対応と、我は肉体的疲労よりも気持ちが疲弊してきてしまった。

 正直、全てがうんざりしてきて、またかと思い何事にもぞんざいに、投げやりになってきてしまっている。よく介護に疲れた人が、その診ている人の死を願うことがあると聞くように、身体の疲れ以前に精神的に参ってきている。
 おそらくすべてが終わったとき、どうしてもっと頑張れなかったのか、やってやれなかったのかと悔やむかと思うが、今はもう限界に達して来ている。

 今までは、親たちと共に暮らせること、そしてその世話ができること、子としての努めを果たしているのだからちっとも辛くないという「高揚感」、良い義務感と満足感があった。
 しかし、さすがにこうした現実が日常化してくると、睡眠不足や溜まりに溜まった疲労感もあるからだと思うが、どうにも気持ちが前向きにはもうなれない。
 自らの人生を百%失い、ただ日々家の事、家事と親たちの世話と介護に明け暮れてきてさすがに気持ちも倦み疲れてきた。
 つい父を怒鳴りつけ、母に愚痴をこぼしてしまう。気持ちは苛立ち、暴力的になっていく。ここが試練のどころだと思う。だが、そこを乗り切っても今は先が見えないのである。

 いつまでこうした状況が続くのか。むろん母には一日でも長く生きてほしいし、願わくば少しでも以前の暮らしに戻れるよう、せめて自ら体起こして少しでも歩いたり排便ができるようになってほしいと願う。
 そして父ももう少しは正気に戻り、手のかかる事態は減らしてもらいたいと思う。ただ、今のままでは我は母の介護だけで手いっぱいで父までどうすることもできない。ならば特養に入れるしかないかと真剣に考えるようになった。

 人生、起こることは全て良いことだと思うし、全てそこから学ぶべき価値はあると信ずる。が、我の現実を嘆く気はないが、ただ、先の見えない「今」を繰り返すことだけではなく、この現況下でも介護とは別の「希望」とオルタナティヴな日常をどうつくっていくかだと考える。
 むろんそんな時間は現実的には難しい。今はギター弾くことも音楽聴くことも何か月も完全に離れてしまった。
 しかし、今の現実とは別の、もう一つの我の成すべきことを少しでも進めない限り、おそらく早晩すべては崩壊していく。
 つまり我は限界に達してストレスで発狂するか、疲労のあまり脳梗塞か何か起こして倒れるかだろう。そしてこの家は全てが破滅していく。介護ヘルパーや訪問看護も日曜以外は毎日来てくれるが、我がかかえている「生活」の部分は一切手つかずなわけで、もう持ちこたえられなくなってきている。
 食べない料理を工夫して作って、なだめすかして親たちに食べさせて、結果残った料理を何度も火を通して、自ら無理してでもけんめいに片づけていく。そうした手間が正直いちばん面倒で辛い。
 このままなら間もなく破滅がやってくる。

 そうならないためにも、このピークをどうしたら乗り越えて新たな状況へと心身ともにうまく持っていくか、答えを出さないとならない。
 投げ出すことも、放棄することもできなくはない。つまり母はまた死ぬまで病院に預け、父は施設に入れてしまえば良い。我は一人で自由気ままに好き勝手にまた我が楽しみだけに生きられる。
 しかし、それで満足できるのか。いくら限界だとしても、その逃げた、放擲したという思いは生涯付いてまわり、我は苦しみ地獄の業火に焼かれる思いで余生を送ることとなろう。

 外は台風の豪雨が吹き荒れている。実は、あまりに慌ただしくて、テレビのニュースどころか、ラジオも母がオリンピックばかりで煩いと文句言うので、何一つニュースは見てなかった。また台風がすぐ近くに来ていることにようやく昨日の夜に知った。

 九州から妹が今日やってくることになっている。が、飛行機は欠航とのことで、午後の新幹線で来ると先ほどCメールが入っていた。
 妹を含めて家族が全員揃えば、今後の事を相談できる。

 この台風が過ぎれば季節も本格的な秋に移っていくかと思う。これからのこと、いったいどうしたらよいのか、まず何をどうすべきか、妹は短い滞在だが、母の介護しながら夜を明かして語り合いたい。