さあ、死ぬための準備を始めていこう2016年08月23日 23時34分03秒

★母の余命宣告一か月と告げられて。

 とことん泣いた。とことん飲んだ。そして今思い至ったことを記す。

 九州から我が妹は、昨日夕、予約していた飛行機は台風で欠航したため、新幹線で5時間かけて実家に帰って来た。向うの家のこともあり、二泊三日という短い帰省だけど、老親二人、その子である兄と妹、家族四人全員が揃って過ごせるのはおそらくこれが最後だと思う。
 我が願いは、まずは末期癌の母を、妹が来る22日までは何としてもこの家で、また再度入院とならないよう無事に介護しておくことだったので、その思いはかなった。まずそのことだけでも有難いことだと感謝せねばならない。

 が、昨日付けのブログで書いたように、子一人で親二人を抱え心身共に疲弊してしまい、さすがにもう限界近くとなって気持ちが倦み萎えてしまったことを告白してしまった。

 神は人が背負いきれないほどの荷を与えないとされている。つまり背負いきれないほどの苦難はなく、どんな艱難辛苦であろうとも相応の乗り切れるだけのものであるはずなのだ。
 が、我は、もう限界だと記した。そして、今日、急なカンファレンスというのか、医師とケアマネ、訪問看護士たちと我、看護する側を交えて、ウチで話し合いがあり、その席で、母の余命告知をはっきり聞かされた。あと一か月がそこらだと。

 それが正しい見積もりであるならば、まさに神は、我がへたばってきたからこそ、もう道の行く末はあと少しなのだと示されたのであろう。逆に、我が、まだまだ大丈夫だと余力を示していればまた違う告知もあったのかもしれない。まさに背負いきれない荷ではないのだと示されたのである。
 が、それが間違いなく正しいかはともかく、はっきりとあと一月の命だと期間を聞かされて、さすがに動揺した。しばらくは何も手につかず、どうしたら良いものか考えがまとまらなかった。母を妹に任せて、夕時に犬たちと散歩していても、涙がとめどなく溢れて、泣きながら歩くしかなかった。
 そしてアルコール飲んで、いったん寝ようかと思ったが、いくら飲んでも眠れず、今、夕飯を母のベッドのある部屋で、家族四人で囲んで、父を寝かせ、妹は母の隣の床でシュラフで寄り添って今晩も寝てくれるので、今晩の母の世話は妹に任せてこれを記している。

 
 今日の家族を交えての医師、介護者全員での面談は、我の妹が九州大分から来ていることもあり、今後の事をきちんと説明したいという、訪問診療に来てくれている医師の提案であった。
 その母の容態だが、相変わらず寝たきりの状態だが、意識はクリアで、食事もかなり減って来たが、口から自ら食べている。そして問題の昼夜問わず繰り返す軟便のほうは、このところ回数が減る傾向にあり、夜寝る前に出れば、そのまま朝まで出ずに一夜過ごすことができる日もあった。※以前は、深夜の2時半頃、さらに早朝と、紙パンツ交換に夜中も起こされて、我は断続的にしか眠れなかった。

 ただ、足だけでなく体全体のむくみ、浮腫は変わらないし、その原因となる栄養失調を改善するためにもしっかり食べねばならないのに、母は、どんな料理を出しても少し口付けてはすぐ、もうお腹いっぱい、食べられないと辞去してしまい我は心痛めていた。
 入院していたときも出される食事は半分程度しか食べられなかったが、家に戻ってきたら、さらに量は減ってしまった。贅沢とか口がこえてではないと思う。食べ始めても胃だかみぞおちが痛くなって苦しくてもうそれ以上食べられないのである。
 だからこのままでは、むくみが治らないだけでなく、絶対的に栄養が不足して、さらに痩せ衰えるしかなく、その先は死ぬしかないわけで何とか必死に食べさせようと日々献立に頭痛めていた。
 先にも書いたが、我の願いはまずは母に食べてもらい体力つけて、むくみもとれてくれば、またもう少し前の時点まで戻るのでは、であった。

 今さらながら書くが、我の信念は、病気は治るか治らないかでなく、治すか治さないかであり、その強い思いさえあれば、山が海に入ることすら可能であり、どんな病気も治るはずだと信じていた。聖書にはじっさい死人すらイエスは汝の信仰により生き返らせているのだから。

 が、現実として記せば、母の体調は数か月前、春の腸閉塞からバイパス手術の後の頃までは、だいぶ体力的に弱っては来てたものの、午前中は庭仕事など動きまわれていたのである。それが、入退院を繰り返すたびに衰えて来て、前回の発熱で入院で退院してきたときは、自らトイレには何とか無理してでも歩けて行けていたのに、今回再度入院~退院となってからは、もう完全に介護ベッドに寝たきりとなってしまった。
 昨日も妹が来たので夕食時に無理して母をベッドから抱き起して、居間のテーブル、掘りごたつのある部屋まで連れて来ても、虚血性失神気味で、真っ青になり荒い息を吐くだけでとても食事どころでない。しかもそこで座って失禁排便してしまう。現時点ではもはや短時間であろうとも体起こして何かすることは不可能だと思い知った。

 そして、今日、医師から妹と我に詳しい説明を受けた。要するに母はもはや末期癌で、腸が短くなっただけでなく、いくら食べても自ら栄養として吸収されない。逆に栄養は癌にとられてしまい、水分とってもむくみになるだけで、もはや病院としては処置なしだと。
 ただ、まだ幸い、肺は綺麗で呼吸もできているし、全体に低栄養、アルブミン、たんぱく質不足で、血が薄くなってむくみも激しく、腹に腹水も溜まってきているけれも特に状態は悪いわけではない。 
 しかし敗血症で、またいつ高熱が出るかわからないし、そのときは看護センターや往診診療も含めて連絡取り合って対処していく。

 そうしたことを母のベットの周りで話すわけもいかず、居間で、全員立ち話でとりあえずした。そしてこちら側の要望も伝え、我としては可能な限り、この家で、できれば最後まで母を置いておきたい。それは当人だけでなく家族全員の希望だと伝えた。
 妹は、九州で介護施設に務めていることもあり、多くの利用者を看取ってきているせいか、ごくドライで、もう私は母の死の覚悟も受け入れているし理解している。兄はまだ無理だろうが、としたうえで、余命はあとどのぐらいでしょうか、と我が怖くて聞けないことを医師に尋ねた。
 そして、私は直の担当医ではないけれど、と、このところ訪問診療で、往診に来てくれる男性医師は、専門ではないと断ったうえで、妹の問いに母の余命はあと一か月かそこらだと告げたのだ。

 医師たちが返った後も我が苦しく頭痛めたことは、このことを母当人にどう告げるべきかであった。
 むろん隠し通して、良くなるよ、頑張ってと余命を告げず、その日まで本当の事を知らさないという手もある。が、当人も或る程度は自分がもはや末期癌であり、状況は悪いことはわかっているはず。しかし、まだ「死」を受け入れるところまではいかず、今はこんなでもまた少しは良くなる、持ち直すと信じているようで、もう少し良くなったら、という「希望」の言葉がベッド上からもよく聞かされていた。
 だから、我が家では、母の死ということはまだタブーであった。母としては、自らよりも、認知症で骨折してろくに歩けない91歳の夫=我が父を案じて、父が死んだときについてあれこれ話してはいたが、母自身から「私が死んだら」という語句は出たことがなかった。
 その母に、どうこのことを告げるか。

 間もなく死ぬことを知らせないという選択もあろう。が、我としてはそんな卑怯なことはしたくないと今は思う。残酷でもきちんと告げたうえで、死ぬまでの期間に、やるべきこと、やりたいことをできるだけさせたうえで、その日を迎えさせたい。
 結果としてその方が心残りないのではないか。むろん、当人は死ぬときはおそらく何もわからず、無意志的に死んでいくのであろう。あれこれ思い残したこととか考える時間もないに違いない。
 ただ、母のような、長年活動的に生きて来て、社会性が広くある人だからこそ、その死は社会的にも意味を持つものだと考えたい。つまり、できるだけ母の友人知人、関わり合った人たち誰にでも悔いのない、死んでから思い残すことのないよう、双方がきちんと別れなり、連絡させたうえで死に臨ましたい。

 こんなことは子の、家族の勝手な願いであろうか。本人は何も知らずにただ希望を持ちながら死なせるほうが孝行であろうか。我にはまだわからない。
 が、明日、妹がいるうちに、できれば父も含めて場をもち、母にきちんと話して、そのうえで葬式も含めて母の意向を知りたいと思う。
 それが正しい選択か正直自身がない。しかし、我自身が母の立場であれば、やはり知りたいし、知ったうえでできること、すべきことを頑張ってやっていきたいと思うと信ずる。
 おかしな謂いだが、そのことが、「生きがい」にもなるのではないか。つまり、これとこれだけはきちんとしておかないことには、死ぬわけにはならないと、強い意志が働く場合もあろう。

 そしてこうも信ずる。母は絶対あと一か月なんかで死にはしない。我は死なせない。じっさいのところ、意識もしっかりしているのである。癌は肥大して、全身がしんどく肉体的には疲弊してきたとしても、これだけ気持ちがしっかりしている人がたったあと一か月で死ぬはずがない。
 人は体よりも最後は意識であり、魂なのだ。その魂がまだしっかりしているかぎり、医者がどう見放そうと、おいそれと人は死にはしない。

 ただ、いつ死ぬにせよ死ぬための準備はきちんとしておいてもらいたい。勝手な言い草だが、認知症の動けないが多動性妄想症の父を残して死なれたら我が困る。母のいない後のこともきちんと相談して決めてもらわないと、正直、我だけではどうしようもないし、何もわからない。
 母亡きあと、あんな男と親子でうまく暮らしていくための道筋を示してもらうまでは俺は母を絶対に死なせない。

 まずはあと一か月、とことんがんばる。我に生きがいが出来た。もう愚痴はこぼさない。

 これもまた神の愛、御心の計らいなのである。今そのことをつくづく感じている。有難いことだ。
 どうかこれをお読み頂いた皆様にも神のご加護がありますように。

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