この心細さをどうしたものか2016年08月24日 23時56分25秒

★妹は慌ただしく九州に帰った。

 我の妹は、一昨日夕方、ちょうど台風が関東に上陸した頃、予約していた飛行機が飛ばなかったため新幹線で実家に帰って来た。
 そして二泊して、今日の夕方、羽田から飛行機でまた嫁ぎ先へ、と言ってももう四半世紀以上住み慣れた大分に戻って行った。
 母の下の世話は、昼も夜も引き受けてくれたのは有難かったが、そのぶん我がのんびりできたかと言うと、さほどではない。
 昨日は1~2時間、昼寝することはできたけれど、妹もこの家の片付けや掃除、けんめいにやってはくれたのでずいぶんゴミ屋敷はすっきりはしたが、我も共にあれこれやって慌ただしく忙しかった。

 当初は、妹が来るなら彼女に全面的にお任せして、我は都心に出たり人と会ったりできるかと夢想していた。ぶらいあんずのメンバーとカラオケボックスで練習しようかとか考えて、そう連絡するつもりでいた。
 しかし、疲労は溜まっていたし、わずか二泊三日では我がのんびり休めるはずもなく、せめて十分に昼寝を貪るつもりでいたのに、それもろくにできなかった。
 ただ、血を分けた兄妹がそこにいてくれるのは心強く、大人になってからは疎遠気味であまり仲の良い関係ではなかったが、本当に来てくれて助かった気がしたし有難かった。

 そして、わずか数日の滞在でしかなかったのに、また我一人となり、老親二人と犬猫たちを抱えて、急に淋しく、いや、心細くなってしまった。我一人でやって行けるのだろうか。
 昨日は酒の勢いもあり、自らを鼓舞して元気のいいことを書いたが、今日は不安である。

 今日の昼食後、親子四人で揃うのはこれが最後だろうと前置きしたうえで、母のこれからのこと、つまりもう死期が迫ってきていることを当人に、父にも伝えた。
 母は特に驚きもショックを受けた様子はなかったし、認知症の父もどこまで事態をはっきりわかっているのか怪しかったが、とりあえず母の「死」に向かって、我家で成すべきことにスタートを切った。

 が、今は我は話したこと、やや後悔している。心身弱ってきている母にさらにダメージを与えてしまったのではないか。我の都合で、残酷なことをしてしまった。
 しかし様々な積み立ての金や、母にしろ父にしろ死後すぐにその手続きしたり名義を書き換えねばならないものもかなりあることが判明したことは良かった。ただ、ますますやるべきことは増えたわけで、死に行く母の介護をしつつ、我がどこまでそうした「手続き」作業も進められるのか全く自信がない。
 今までは「今」だけ見据えて向き合っていれば良かった。が、これからはその時のこと、死後のことまでも見据えて動いていかねばならない。こればかりはその時が来てから考えたりやれば良いというものではない。
 今さらながらもっと皆が元気で時間があるうちに、その時を見据えてやっておけば良かった。しかし、時間は戻せない。頑張るしかない。

 母には妹が三人もいる。我にとって叔母さんだ。だが、我が母のことを伝えると、大変だねえ~大丈夫?と心配し同情はしてくれるが、皆それぞれやはり老いて体調が悪かったり個々の諸事情で、ウチに手伝いに来て我を助けてくれるわけではない。
 皆それぞれ「我が事」で手いっぱいで大変なのだ。妹は妹で、向うの姑が体調悪く、家事は全部彼女がやっているので、実家の親たちの介護に出てくるのも二泊三日がやっとなのだった。皆それぞれ重荷を背負い大変なのだ。
 我が荷は我一人で背負うしかない。この心細さを抱えてともかくやっていくしかない。神は我に味方してくれるだろうか。