人の「死」とは何か、ようやくわかった・後2016年09月16日 06時34分02秒

★すべては予め定められていたこと。

 日々心は移ろいで行く。もう少し母とのこと、この出来事について書かせてください。

 歴史の本に見るまでもなく、歴史とは後世の人が過去を見てまとめるものだから常にそこには一貫性がある。つまり、Aという出来ごとがあったからBが起きてCに繋がっていった、というように筋道が立てられる。
 それと同じように、今、今回の一件を、そもそも母の癌発病時から振り返ると、全ての脈絡がつき、筋道が立つ。ああ、あれはそういうことだったのかと、そのときはわからなかったことが今は見えてくる。すべての伏線も説明がつく。
 ただ問題は、歴史がそうであるように、そのとき、その時点ではいったい何が起こったのか、それはどういう意味があり、これからどうなっていくのかは「当事者」、つまり、そのときそこにいた者にはよくわからないことだ。

 今母の死までを振り返ってみて、やはり2016年の9月8日早朝に、母は死ぬべく筋道は整えられていたのだと気づく。それが事前に告げられこちらもわかっていたのなら回避もできたかもしれない。しかし、こちらは何もわからない。
 繰り返し書いたが、我としてはまだまだ死なないと思っていたし、まずは今月20日頃までともかく家で面倒見て、それから次の段階へ移行していく「計画」でいた。だからまさに不慮の出来事だった。ショックを受けた。
 しかし、医師や看護師たち死の専門家たちは、訪れるたび母は衰弱し状態も悪化しているのに気づいてわかっていたから、そろそろだと考えていたし実際その通りになったわけで何も驚くべきことでは全然なかったのだ。

 今、我家に介護ベッドが運び込まれてから、折々撮って来たデジカメ画像を順を追って見てみると確実に母は痩せて衰弱してきていることがはっきりわかる。表情も当初の元気さは日々失せていくのが一目瞭然だ。
 が、24時間常に母と暮らしていると、そうした変化はまったくわからない。一日一日を何とかこなしていくことだけで精一杯で、日々母の体調には頭悩ましてもじっさいの大きな流れ、変化にはちっとも気づけなかった。その中での失望や小さな喜びだけで頭いっぱいだったのだ。それはそれで仕方ないだろう?

 周りの人たちは皆そうして母の死が間近いことをわかっていたのに、我と母だけがそのことを知らなかった。何だ、そうだったのかという思いである。騙されたとは思わないが、疎外された気がしている。
 いや、母自身もわかっていたのかもしれない。母の魂や肉体は、はっきりそう認識していても、母の意識は死を拒み、息子と共に何とか頑張ろうと死にゆく身体と闘っていたのではないか。
 いずれにせよ、医療関係者から間違いなくもうそろそろですよ、と告げられたとしても我は耳を貸さなかっただろうし、認めたくないがゆえ受け入れなかったのは間違いないのだから、今回の事態も仕方ないのである。
 ようやくそう思えて来た。今も認めたくもないし受け入れがたいが、母はその日に、86歳で死ぬべく定められていたのだと。
 それが事前にわかっていたならそう見据えて百%の計画を立てられた。もう少し元気な時に、死ぬ手配、死後の案件も含めて準備もできた。残された時間を無駄なく使い、会うべき人、会いたい人たちに会わせて別れも告げさせられた。
 しかし生きているとき、元気な時はそんなことは考えられない。病んで床に就いて、ようやく死が本格的に問題化し次は回避するのに頭悩まし次いではただ日々看護に追われるだけであった。

 失敗したなあとも思う。癌は確実に肥大し体調は悪化していたのだ。ならば癌を治すとか闘うことに頭を悩まし時間と費やすよりも、いかにうまく死ぬべきか、後々悔いを誰も残さぬよう、生きているうちに成すべきことを成し終えるべく粉骨砕身すべきであった。
 迫りくる死という恐怖ときちんと向き合わず、何とか治してみせる、少しでも良い状態に戻すということだけに囚われて死ぬための準備を怠ってしまった。

 母を失って我を自ら責める悔いとはそこから来ている。ラテン語のメメント・モリとは「死を想え」と言う意味だそうだが、今ようやくその言葉の意味が見えて来た。
 死なないよう癌と闘うこともむろん大事だ。だが、それと並行して、死を見据えて、常に死を想い向き合って生きていくことが肝心なのだった。

 母の気持ち、実際のところはわからない。死を受け入れるもう覚悟はできていたのかも。ただ息子としてはその恐怖のあまりきちんと向き合うことが最後までできなかった。
 我は死をひどく怖れた。だからあえて向き合わず考えないようにしてきてしまった。そしてそのときが来て、驚き取り乱し打ちのめされて今も立ち直れずいる。

 そう、人は常にどんなときでも死を意識しきちんと向き合わねばならなかったのだ。死は誰にも等しく必ず訪れる。目をそらしてはいけない。もう逃げない。
 この母の教えを、我は我の死の日まで大事に抱えて生きていこう。そうして誰もが死を抱えて生きていくのが人間なのだからこそ、自他を問わず誰にでも丁寧に優しくきちんと応対していこう。笑顔ですべてを赦し受け入れていこう。

 思えば我が母こそそうした人であった。その人を死なせてしまったという自らを責める思いはだいぶ軽くなって来た。が、失ったという重さは日々さらに大きくなってきている。

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